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6月, 2016の投稿を表示しています すべて表示

頑張り次第で人生は良くなりそうな予感

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どうしても目的が果たせない場合、自分らしさを変えてみることは一つの手ではないかしら。 十代前半、ゲームセンターで知り合った人だけれどもパソコンの デゼニランド ( ハドソン )というアドベンチャーゲームで行き詰まってしまったと嘆いていた。僕も全く同じだったし、気持ちは重々と汲み取られた、方法を知っていたので、というのは自分では無理だったものの雑誌の通信販売で虎の巻を購入して実際に成功していたためだった、悲しい場面について「Pull」を教えてあげたんだ。 アドベンチャーゲームで行為の英単語を打ち込んでストーリーを進めて行くようになっていたわけだけれども彼は聞きながら俄かには飲み込めないふうに半信半疑に見えた。ドアを開けなくてはならなくて「Push」だと安直に駄目で、周りに何かの仕掛けがあるのかも知れないと気持ちがグチャグチャになって全てが手に付かなくなるような状態に追い遣られてしまうんだ。 ゲームセンタ…

青い紫陽花の花言葉には手の届かないイメージを感じる

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紫陽花 が満開になっている。 α5100 と Touit 2.8/50M 、ミラーレス一眼とマクロレンズで初めて挑んだ。しかし本当にふわふわして可愛く撮れたと思う。 青い紫陽花の花言葉を調べてみると「冷淡、無情、高慢、辛抱強い愛情、あなたは美しいが冷淡だ」と見付かった。人を寄せ付けない魅力があるのか。高嶺の花のようで、手の届かないイメージを感じる。取り付き難い。しかし芸術的には美しさそのものともいえるだろう。憧れの的に相応しいわけなんだ。 知り合いの若い女性の言葉を思い出す。乙女的な人が急に訊いて来たんだけれども彼女が僕のそばに自分がいると可愛いから緊張するのではないかといっていたから実際はどうなのかと確かめたがったんだ。僕は稍悩んだ末に「大丈夫ですよ」と本音で応えた。すると乙女的な人は彼女に教えに又直ぐに戻って行った。 可愛い人に緊張するとしたら大丈夫では可愛い人に思われてないと思われてしまい兼ねない…

人生の願い事を祈った神社参りの胸のうち

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神社へお参りというのも 柏葉紫陽花 の好影響か。身近でいつも通り過ぎてばかりの神社なのについに気持ちが入った。カメラを持ってふらふらしていたので、偶々、写真が撮れないかという感じだったにせよ、人生の流れには逆らえなさそうな結果にはなっている。柏手を実際に打ってみたい。だから神社に僕は来た。 逆算すれば神社で柏手を打つためにカメラを持って近辺をふらふらしていたわけだ。普段の通り道とは少し離れているから特別な理由がないと寄り付かなかった。散歩でも良かったけど、しかし創作活動への意欲からカメラを持つ僕ならば本当に自然だろう。 柏手は記念すべき瞬間とも呼べなくはない。直ぐに忘れて去ってはご利益も薄らぎ兼ねない。胸に止めることが大切だ。とはいえ、自己表現に繋げることは決して吝かな試みではないはずだ、カメラでも何でも。 いって良いのかどうか、願い事をブログで。テレビ番組で二人で神に参拝しながら隣同士で何を願っ…

好きなマカロニサラダは食べるしかない

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マカロニ サラダは好きなものの一つだ。パンに挟めばもっと良いかも知れない。しかし本当に美味しいと思う。 マカロニの原料は小麦粉だからサラダでも主食に近い ところで調べていてそうだったとマカロニグラタンも大好物だったと気付いた。大好物なのに直ぐに挙がらなかったのは食べ慣れてないせいだろう。しかし只単に好きなマカロニサラダパンやマカロニサラダで僕には丁度くらいだとも認められるのは痩せ我慢のようで、考えると面白いのも大好物を食べてばかりいるから反対に人は太るのではないかだった。分からないにせよ、大好物を欲しがらず、栄養面でしか食事を殆ど気にかけない僕が細身なのは間違いないんだ。畢竟、美味しい食事に目がない人こそ食べ込みながらカロリーも多くて太り易そうに思われて来る。 主食に近いマカロニサラダは少食の僕には助かりもする 新しく知ったのはイタリアでパスタの一つとして生まれたらしい。パスタというとスパゲッティ…

柏葉紫陽花の三角の花に縁起も良く打つ柏手

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三角の花で、紫陽花みたいなので、調べてみて 柏葉紫陽花 ではないかと思った。葉の形が柏の葉に似ていてそう呼ばれるようになったらしい。身の回りで柏の木を見かけた印象は非常に少ないけれども柏の葉はこどもの日の 柏餅 で見慣れているんだ。大きめに緩やかに分かれているようや葉先なので、見分けも直ぐに付き易かった。 ところで柏葉紫陽花と聞いて何となく縁起が良いと思ったのは柏餅とさらに神社の 柏手 に繋がるせいだろう。柏手が柏の木と何の関係があるのかも分からない。調べてみたら何の関係もないらしかった。むしろ柏手が拍手という言葉の見誤りで生じているといわれていて柏手の由来もはっきりしないみたいだけど、逆に却って驚かされてしまった。 神社の柏手は古来より拍手だった。とすると喜んで手を叩いている普段の拍手こそ神へ向けてやってないのが不思議に思われてしまう。元々の拍手がいつの間にか柏手に変わって神には柏手が相応しいと世に広…

若冲の尽きない魅力ならばフェルメールとの親近性から迫ろうか

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日本の絵画史でも特異な存在と見做されて際立って異彩を放つとも感じるような作品を数多く残した画家が 若冲 (じゃくちゅう)なんだけれども Wikimedia Commons で探してみたらかつてなかったほどに興味深い作品と出会えた。 Ishizuri by Itō Jakuchū (Internet) [Public domain], via Wikimedia Commons 何ともいえないような魅力が漂っていて背景が真っ黒の若冲は初めて見たかも知れない。 Wikimedia Commonsでは作品名が載ってないので、ファイル名の「Ishizuri」を頼りに版画の石摺りで調べてみたら若冲はやっていたけれども興味深い作品は多色の木版画だったらしい。石摺りの版画は黒地に白い図柄だけど、若冲は白黒だけではなくて多色でやるのに独自の技法を編み出していたようで、合羽摺りといわれる、黒地に色付けした図柄になってい…

ディカプリオは夢のために努力を惜しまない人間だ

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初耳だったよ、 ディカプリオ (俳優)がまさか美術品の収集家だったなんて。 レオナルド・ディカプリオが、米美術雑誌「ARTnews」が毎年発表している「世界のアートコレクタートップ200」の2015年度版に、初めてランクインした。ハリウッドを含む映画界からランクインしたのは、ディカプリオだけだ。 レオナルド・ディカプリオ、「世界のアートコレクタートップ200」に初ランクイン via 映画.com 僕は映画で彼をちゃんと観たことは一回もない。というか、映画自体を余り観ないので、彼にかぎらず、俳優は実作で知らないことが、結構、多い。 ディカプリオは主演作の タイタニック のCMで覚えた。 以前、来日した際のテレビ番組のインタビューを観ていて貧しい子供たちのチャリティーをやっているみたいな状況を掴んだ。話し振りが非常にスマートだったので、人として信頼できそうな印象を受けた。チャリティーもやらなくてはならないから…

HTMLのリストタグの並び方をデザインするCSSのコーディング

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サイトでリストを表示するにはulタグ(順序なしリスト)、またはolタグ(順序ありリスト)にliタグを追加して行く。追加されたliタグのところがリストになってサイトに表示されることになる。 初期設定だと上下と左側に間隔が取られてリストの頭にulタグならば中点(・)が、olタグならば番号(1.)が付けられて縦並びで空行なしにデザインされている。 目次 リストの四つの主なデザイン リストの左側の間隔を消す リストのマーカーを消す 縦並びのリストを広げる リストを横並びにする リストの位置を揃える 全体的なリストの幅の調整 部分的なリストの幅の調整 リストの折り返しを調節する 文字間で改行させる場合 項目毎に改行させる場合 IEのバージョン7以前への対応 リストの四つの主なデザイン リストの左側の間隔を消す 画面に左寄せで表示するにはulタグ、またはolタグにで {padding-left:0;} を指定すれば良い。 リストで左側に…

優しい人と出会えたら心漏らさずに感謝を届けよう

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色々、いっては来たにせよ、誰かと出会って明らかに優しいと感じることは実際には少なかったらしい。僕には 透き通った心の持ち主 がいたから比べても仕方がないけど、または他には一回もなかったみたいに特別に思わされるような経験が得られた。 ある人を見ていて感じて思った、優しいと。気にかけてくれるだけを嬉しがる僕だったとしたら紡ぎ出す言葉に恵まれないかも知れない。大海では鯨の群れが尾を振って海面を否激しく叩くばかりだ。 何が違うのか。他の人とある人は同じように僕を気にかけてくれるかぎり、それだけの差というと殿様気分に浸らされたいみたいで居心地が悪くなる。庶民でしかなかったと身分的には悟る。 女のある人で人の噂では四十歳前後だったらしい。噂の主は関西出の女性で彼女とは同級生だったみたいだけど、手に刺青の青い線がちらちら見えた。本物なのかと日を置いて風呂で洗い落とされたり、シールならば剥がされたりするだろうと黙…

ブラウザにHTMLのソースコードや文字実体参照を表示させるにはどうするか

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サイトのHTML構文に基づく文章の組み立て/見出しと段落と改行と重要性と強調の使い分けについて

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血便が出たら黒いか赤いかで病気が変わり得る

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数日前の朝にトイレで気付いて血便だったので、何かあると不味いと思った。いうと大腸癌だけは本当に勘弁して欲しい気持ちだった。人生で数えるほどしかなかったにせよ、血便は五年か十年に一回くらいあっていつも一日で終わるから続かなければ大丈夫かとか近年は取り分け健康を目指して頑張って腸内環境の改善に加えて個人的には珈琲を、毎日、飲んでいて大腸癌には良いはずだからなんて感じた。しかし焦りは否めなくて参った。翌日は続かなかったので、本当に流石に安堵の溜め息が漏れた。分からないけれども切り抜けられれば助かるとしかいいようがない。 調べてみると血便が黒いか赤いかで病気の可能性が変わるらしい。口に近い食道・胃・十二指腸などの上部消化器官だと黒くなり易くて吐血を伴うこともあり、尻に近い小腸・結腸・直腸・肛門などの下部消化器官だと赤くなり易い。医学的には前者がタール便と、後者が血便と識別されているようだ。 上部消化…

醤油で素晴らしく味わわれたハムエッグ

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ハムエッグを食べた、好みの醤油で。いわなくて良いことをいうためには心の刺を抜かなくてはならない。醤油でハムエッグを食べながら考えてしまうのは痛がる君に痛がる僕が心の刺をどうやって抜き去るかばかりだった。切り返せば容易い、君のいって良いことこそいわなくて良かったろうと。しかしそれでは裏返しの「余りにも惨過ぎる」で、ハムエッグが不味くなる、醤油も僕は好きなのに。切子細工の青いコップからは痛がらない君が思われないかぎり、僕が痛がらずにいられるすべはいわなくて良いことだけをいうことだった。いって良いことにすることでハムエッグは醤油で素晴らしく味わわれた。君も痛くない。

Googleへ自分のサイトをインデックスする方法

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Google の検索結果に自分のサイト/ホームページやブログを表示させるために必要不可欠なのはGoogleに自分のサイトがインデックスされているかどうかだ。 自分のサイトに作成ミスや検索避けなどの反対の要因が一つもなければGoogleの検索結果には表示され得る。 Googleへ自分のサイトをインデックスする方法を取り上げるけれども予め注意しておくと実際に確実性はなくて検索エンジンに知らせて促進することができるのみになっている。 概して自分のサイトのGoogle検索でのサイト評価が低いと難しいかも知れない。コンテンツの品質が高かったり、外部サイトからのリンクが多く貼られていたりすると成功する可能性は高いようだ。サイト評価が低いと、一旦、インデックスされて後から削除される場合もあり得る。 目次 Googleへの自分のサイトのインデックス方法 Search ConsoleでURLを送信する (サービス終了) S…

Googleに学ぶリンクのnofollowの使い方

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思いを綴ることにした

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どんなブログをやれば自分らしさに通じるのか。 求めるべき真実の安らぎを認めたらまさか永遠に速やかに歌えたよ。 詩本文 思いを綴ることにした どういう風の吹き回しか 心を言葉へ置き換える 軒並み林檎の木立ちが揺れて 水辺の千鳥は小躍りしていた 僕は詩人として自分らしさを 他の誰でもない生き様で示したい 雨に濡れた紫陽花へは蝸牛こそゆるゆる這い出して来る これまでの記憶は柔らかく胸に染み込むばかりだろう 糸瓜が幾つも垂れ下がるそばから 熊鼠は玉乗りさながらに水平器を抱えるも 闇に消えた蟋蟀を追いかける構えを取る 黙って指を咥えながら見ているつもりなのか 忘却の鏡に写る滝の流れは物事には動じない 駅舎の床の片隅でのんびり転が得た螺子ほども 逞しいだけでただ海が遠く望まれた 世界の広がりが滑らかだ

既視感(デジャヴ)の本質的な認識

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既視感(デジャヴ)とは何か。詩的に考えるというか、僕は永遠の詩人だから本質的な認識として表現しようとするとブログの 天道虫の記事 から分かるのは色と形の組み合わせがイメージを越えて感じ取られるせいだ。 通常、イメージを越えて人が生きることはなくて観念と物体は一対一の対応関係で精神に記憶されているわけなんだ。しかし既視感においては色と形の組み合わせという抽象性を介して経験が全く別のイメージに飛び火する。元々のイメージが抽象性から引き出されるために全く別のイメージを受け取りながら人は今此所と結び付けることができる。およそ全く別のイメージしかなくて精神が切り替わるとしたら人は旅立ったか、夢見たかだろう。精神は存在と意識の変化を確知する。既視感にかぎってはそれが今此所となって味わわれてしまう。 注意すると色と形が何かに似ているだけでは既視感は得られない。なぜなら似ているという概念が具体的だからだ。色と形…

既視感(デジャヴ)の思い出

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たしか九歳の頃だった。クラスの教壇の方から反対側の大きな黒板を目にしながらいつか見たことがあると一度だけ感じた。見慣れた黒板だったはずだ、およそ。しかし一度だけ黒板の辺りの景色が透明感を持って浮き上がるように瑞々しく味わわれてしまった。何だろうと考えると直ぐにも消えて元通りの状態に変わっていた。 以降、偶に同じような経験はあった。忘れた頃にやって来るみたいな間隔で生じていた。またかと考えるけど、受け取れば驚きつつも直ぐに消えて行くんだ。強いて調べもしなくて分からないまま、過ごさざるを得なかった。知ってみたいとも思わなかったというか。 既視感(デジャヴ)だけれども振り返ってあれが既視感だったとついに気付かれたのは Gu-Guガンモ (漫画)が切欠だった。数年後くらいか、九歳の頃からは。キャラクターにデジャブーという黒い鳥が出て来る。漫画の台詞の中で名前が日本語で既知夢に由来していると分かった。かつ…

黒に赤の二つ星の天道虫

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天道虫 (並天道虫)は色んな模様があるから幾つか写真に撮って来たけれども作例は初めてのタイプだ。 二つ星の天道虫、黒に赤の二つ星というと何かに思い当たる。既視感がある。思い当たるのに判然としないという。あれ、これはいつか見たものだと受け取りながらそのいつかが覚え切れてないんだ。 久し振りだよ、既視感なんて。何かに思い当たるにも拘わらず、参ったものだ。考えても明かし得ない。

人との別れに贈る言葉は考えずに手短に纏めるのが一番だ

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職場の人が仕事を辞めて行く日に挨拶回りに来ることがある。僕は普段から人と余り喋らないので、大抵は贈る言葉も世間並みに済ませるしかないと思う。 ところが異例というか、相手が二十代くらいの若者だと贈る言葉の重みが変わって来るから自分の気持ちこそちゃんと出してみたくなる。 贈る言葉にかぎらないし、さらには言葉ともかぎらなくて生き方そのものが人生勉強になるはずなので、喋らなくて触れ合いも殆どない上では雰囲気で分かって貰えるように努めている。つまり出会って良かったと思われるかどうか。匂いだけでも心の鼻に届いてくれると嬉しい。永遠の詩人は善のために歌っているよ。 二十代くらいの若者だとどう生きるかと模索しているに違いない。だから世界への見聞欲が高いのではないか。周りから受ける影響力が強いほどに僕も気合いが自然と入って来るわけだ、同じ空気を吸っていられれば特に。縁は活かされてこそ人生に役立てられる。素通りで…

綺麗なお姉さんとの共通点を探る

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かつて自分と思うことが似てそうだと感じる人がいた。二十代の女性だったけれどもある人から「綺麗なお姉さん」と呼ばれていた。とてもしっくり来る。顔も性格も良くて聞きながら納得頻りだった。 僕が身近にいて共通点として如実に受け留めたのは常日頃と笑いを求めてないのではないか。同志が見付かったみたいに綺麗なお姉さんには殊更と引き付けられた。 いうと笑わずに過ごして良いと思うのは幸せのためで、他には強いて手を伸ばさないんだ。 青春期を振り返って天使的な人が僕のために笑ってくれなかったと気付いたせいだ。僕が笑わせようとするといつも別口で切り返される。笑うのは僕だからみたいな感じで、こちらからは意図されないかぎりでしかなかった。 自作の トレジャー が天使的な人の笑顔をモチーフにして作詩しているけど、もちろん全ては僕の仕向けたものではない。 狙い通りには笑顔を見せて貰えなかったので、結果としてそれが果たされたのは神…

ヴァン・ゴッホの烏のいる麦畑/見たい絵を好きなだけ見られた嬉しさ

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僕にとって ヴァン・ゴッホ の 烏のいる麦畑 は最も引き付けられる絵の一つなんだ。端的にいうと絵の本質に触れられる。絵の本質は色と線で世界を物語ることで、これが 烏のいる麦畑 は完璧ではないかと思う。見たものが詩として味わわれるところが何よりも素敵で、心の目で描かれているとしか正しくいいようがない。飛んでもなく美しくて個人的には部屋に飾っておきたいくらい気に入っている。 Wheat Field with Crows by Vincent van Gogh [Public domain], via Wikimedia Commons 見方が普通では分からない。普通では本当にタイトルのままでしかない。麦畑に烏が飛んでいる。タイトルのままの見方だと言葉に絵が負けてしまう。ヴァン・ゴッホはきっと分からなくてもというか、普通でも良いと思いながらタイトルを付けたのかも知れない。只単に風景が伝わる。素晴らしい。いみじ…

ビートルズが聴きたくなって来るのは有り難い

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なぜ、今、 ビートルズ なのか。愛すべきものという感じがする。良い曲ばかりで音楽の勉強にもなるし、シンプルでストレートに胸に響くところが本当に凄い、芸術家としてはしっかり覚えておかなくては仕様がないのではないか。しかし一人の人間としてもビートルズは素晴らしいと思うんだ。好きでいられると嬉しいみたいな印象が強い。 The Beatles - I Want To Hold Your Hand - Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/9/64 via TheBeatlesVEVO かつて作詩しながら 片田舎 だけれども不意にビートルズが心に流れて来て彼らの音楽の魅力が掴めたような感じがした。今此処を頑張って生きるというイメージの詩なので、ビートルズは一生懸命に声を張り上げたりしてやっているけれども本当は聴いている人たちも変わらなかったのではないか。むしろ頑張っ…

YouTubeの動画をレスポンシブ対応でサイトに埋め込む

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ホームページ( ブログへ移転 )のMusicに YouTubeチャンネル の自作曲の動画を埋め込みコードで置いているけれどもiframeタグで載せるようになっていてサイズが固定されているんだ。そこで大きなものをスマホで観ると画面からはみ出してしまうからレスポンシブ対応でデバイスの画面にきっちり収めたいと思った。 ところがiframeタグをCSSのwidthで100%に指定すると横幅は合う( metaタグのviewportの設定 によってページそのものはレスポンシブ対応にしてある)のに縦幅が合わないんだ。縦幅をheightで指定しても駄目で、どうしても動画の画面比が崩れるので、スマホのために小さいものを載せるようにせざるを得なかった。 考えるとガラケーならばはみ出すような大きさだったり、パソコンやタブレットではダイナミックに載せられなかったりしてしまうので、やはり何とかしたくなって調べてみた。 見付け出した…

紫陽花のもう直ぐにでも咲きかけた蕾

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日増しに色付いて行く紫陽花、蕾がほわほわ膨らんで本当に可愛いと思う。夢のようでまさか期待感が増す。目が離せなくなる。 作例はマクロレンズならではの仕上がりだろう。カールツァイスのマクロプラナーは流石に良い。優しく包み込むようなぼけ味がなかったら咲きかけのこの紫陽花の蕾もほわほわ写し取れたかどうかは定かではなかっただろう。 α5100 と共に Touit 2.8/50M は宝物だと思うし、望み通りの一枚が確かに得られた喜びは大きい 明かりが少ないとシャッタースピードを稼ぐのに苦しんでしまうけれども屋外で曇りでも日陰でなければ大丈夫そうだ。作例はISO感度が100と低いままにシャッタースピードは1/500sまで上がっていて十二分だった。 絞り値はf/4にしている。情報ではf/5.6で全体的な解像力がピークになるらしいから多用するべきところだろう。マクロ撮影でピント外のぼけを増すならば絞り値は下げるにかぎる…

熊蜂の紫露草の花を巡る蜜集め

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紫露草の花に熊蜂が蜜集めに来ていた。 大きくて驚く 熊蜂 とは本当に名前の通りで、姿形に力強さが溢れていた。およそ黒光りしながら花をひっきりなしに飛び回り続ける様子は野性的な魅力ともいえる。 羽振りも逞しい 延いては 紫露草 の花の可憐さと対照的なので胸を引き絞られてしまうんだ。生きる喜びが一際と激しく味わわれる、熊蜂こそ。情熱に燃えているに違いない。

日光を受けた目映いばかりの椿の葉っぱ

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椿の葉が晴れ間に艶やかで美しくて見惚れた。何もいえないまま、時間だけが過ぎ去って行く。きっと心の贅沢なんだ。詩人として言葉を追いかけてばかりいるから偶にはきっぱり止めてみるのも良いと思う。 休まなくては駄目だ、何事も。しかし花でも 椿は言葉が手に付かなくなる から特別かも知れない。 考えると光の反射が素敵なんだ。水面のように気持ち良い。明るいと太陽から溢れた光が輝きを湛えながら心に染みて来てしまって立ち退くことも儘ならなくなる。好きは好きでもずっと動かれず、目が離せない椿は本当に珍しい。まさかとても惹かれている所以だった。

石川ひとみのまちぶせに認める純心な出会い

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石川ひとみ の まちぶせ は良い曲だと思うけれども意味深だ。策略めいた恋の難しさが胸に来るというか。作詞作曲が荒井由実で、後の 松任谷由実 なんだ。良い曲だし、考えされられるものがあって本当に魅力的だ。 聴いて分からないのは何がまちぶせなのか まちぶせ(81-18バージョン) via 石川ひとみ - Topic 歌詞の二番の「偶然をよそおい/帰り道で待つわ」が物凄く近い。しかしながら恋心の自然な成り行きとすると決して必ずしも難しくはなかった。好きだから相手の目に留まるところを通っているだけのあれなので、タイトルの意味深なイメージとは真逆とも捉えられるだろう。つまりアプローチではなかった。 いい切って良いのかどうかも怪しくて恋心の自然な成り行きが一つの駆け引きならばまちぶせがアプローチと捉えられるし、強いて意図的な行為ではなく、荒井由実の言葉遣いと石川ひとみの歌声からすると出会いの純心さが作品の大きな比重を…