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6月, 2016の投稿を表示しています

頑張り次第で人生は良くなりそうな予感

どうしても目的が果たせない場合、自分らしさを変えてみることは一つの手ではないかしら。
十代前半、ゲームセンターで知り合った人だけれどもパソコンのデゼニランドハドソン)というアドベンチャーゲームで行き詰まってしまったと嘆いていた。僕も全く同じだったし、気持ちは重々と汲み取られた、方法を知っていたので、というのは自分では無理だったものの雑誌の通信販売で虎の巻を購入して実際に成功していたためだった、悲しい場面について「Pull」を教えてあげたんだ。
アドベンチャーゲームで行為の英単語を打ち込んでストーリーを進めて行くようになっていたわけだけれども彼は聞きながら俄かには飲み込めないふうに半信半疑に見えた。ドアを開けなくてはならなくて「Push」だと安直に駄目で、周りに何かの仕掛けがあるのかも知れないと気持ちがグチャグチャになって全てが手に付かなくなるような状態に追い遣られてしまうんだ。
ゲームセンターを立ち去るところで、彼も付いて来てというか、早く家に帰って試したい感じが風ならば濃厚に吹き寄せられた、別れ際に僕は念を押すように「押しても駄目なら引いてみな」と声をかけたことをとても良く覚えているんだ。
その後、彼とはパソコンのゲームを介して互いに家を行き来するまでの仲に暫くなった。暫くなのが切ない気もするけど、親交が途絶えてからは彼は僕の知り合いの一人と良く遊んでいるのを目にしていた。
家庭のゲームもパソコンよりかテレビが隆盛を極めて行く時代の移り変わりのせいもあったかも知れない。当のデゼニランドの生みの親だったハドソンもファミコンに参入してボンバーマンなんか名作の一つだったと思うし、世の中へも高橋名人を送り出しながらゲームの《連射》という概念で話題を浚ったことも記憶には凄く残されている。
ところでセクシーな人は桃太郎電鉄が好きだったらしい。ハドソンのゲームにせよ、僕はやったことはなかったので、何も知らなかったんだ。嫌いな人の名前を付けたキャラクターを貶めるというか、ゲームの世界で失敗させることが楽しいみたいな話を聞かされてたまげた思いに忽ち駆られた。人それぞれの遊び方があるものだといわざるを得ない。只、奇怪だったのは嫌いな人を家に帰ってまで思い出すような真似をしてしまうのはなぜだろう。憎くて憎くて夜も眠れないほどの悲しみだから少しでも消し去るために編み出された手法だと察せられる。
セ…

青い紫陽花の花言葉には手の届かないイメージを感じる

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紫陽花が満開になっている。α5100Touit 2.8/50M、ミラーレス一眼とマクロレンズで初めて挑んだ。しかし本当にふわふわして可愛く撮れたと思う。
青い紫陽花の花言葉を調べてみると「冷淡、無情、高慢、辛抱強い愛情、あなたは美しいが冷淡だ」と見付かった。人を寄せ付けない魅力があるのか。高嶺の花のようで、手の届かないイメージを感じる。取り付き難い。しかし芸術的には美しさそのものともいえるだろう。憧れの的に相応しいわけなんだ。
知り合いの若い女性の言葉を思い出す。乙女的な人が急に訊いて来たんだけれども彼女が僕のそばに自分がいると可愛いから緊張するのではないかといっていたから実際はどうなのかと確かめたがったんだ。僕は稍悩んだ末に「大丈夫ですよ」と本音で応えた。すると乙女的な人は彼女に教えに又直ぐに戻って行った。
可愛い人に緊張するとしたら大丈夫では可愛い人に思われてないと思われてしまい兼ねないけど、しかし可愛くない人とはいわれてないからたとえ緊張しなくても可愛い人に思われているかも知れないと思って貰えれば嬉しかった。
彼女はフランス人形みたいに目鼻立ちがくっきり整っていて美形だった。振り返っても三本の指に入るくらい良い顔の女性だったかも知れない。偶々、乙女的な人に冗談めかしていったことが僕のところに回って来てしまった感じがしたけど、本当に面白いというか、性格こそ可愛かったんだとはっきり認められた。
紫陽花で青の花言葉にぴったりではないか。可愛いから相手を緊張させてしまうような気持ちで、奧床しさから捉えると人を寄せ付けなくても十二分に素敵だと思う。ふわふわなのになぜではない。雨に相応しい紫陽花の詩が青だけに良く出ている。
参考:色で変わる紫陽花(アジサイ)の花言葉 ~青・紫・白・ピンク

若冲の尽きない魅力ならばフェルメールとの親近性から迫ろうか

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日本の絵画史でも特異な存在と見做されて際立って異彩を放つとも感じるような作品を数多く残した画家が若冲(じゃくちゅう)なんだけれどもWikimedia Commonsで探してみたらかつてなかったほどに興味深い作品と出会えた。
Ishizuri by Itō Jakuchū (Internet) [Public domain], via Wikimedia Commons
何ともいえないような魅力が漂っていて背景が真っ黒の若冲は初めて見たかも知れない。
Wikimedia Commonsでは作品名が載ってないので、ファイル名の「Ishizuri」を頼りに版画の石摺りで調べてみたら若冲はやっていたけれども興味深い作品は多色の木版画だったらしい。石摺りの版画は黒地に白い図柄だけど、若冲は白黒だけではなくて多色でやるのに独自の技法を編み出していたようで、合羽摺りといわれる、黒地に色付けした図柄になっているんだ。石摺り風の多色の木版画と考えるしかない。作品名も著色花鳥版画櫟に鸚哥図(くぬぎにいんこず)と分かった。因みに著色花鳥版画は他に五種類の計六点が残されているということだ。
好奇心を絶やさずに歴史上の一点へ
モチーフの鸚哥は金剛鸚哥(こんごういんこ)だろう。若冲は決して生きていた江戸時代の中期頃に目にしたとは考え難いような動植物を取り上げることも少なくなくて金剛鸚哥にしてからが日本にいて良く描けたと仰天させられる。鳥のフォームがずんぐりしてなくて僕がペットショップや図鑑で見ているのとは微妙に異なる。取り分け頭が細いし、嘴が小さいから金剛鸚哥よりかむしろ背黄青鸚哥(せきせいいんこ)に感じてしまう。ただし色使いが明らかに金剛鸚哥でしかないんだ。
絵で対象物/オブジェのフォームの捉え方は例えば子供ならば気になったところを大きく描くことが多い。絵描きに慣れてないとデッサンで実物よりも太く緩くなったりするので、見たままに捉えながら描くのには練習が欠かせない。練習で見たままに描けるようになると写真との差もなくなって来る。
若冲はどうか。日本画は二次元というか、平面的に表現されることが昔から多かったとするとそこを突いてやっているように考えられる。だから練習が足りなくて金剛鸚哥のフォームが背黄青鸚哥に味わわれたとは必ずしも認めてはならないのではないか。平面的に眺めてみると奥行きの差が一つに合わせられ…

ディカプリオは夢のために努力を惜しまない人間だ

初耳だったよ、ディカプリオ(俳優)がまさか美術品の収集家だったなんて。
レオナルド・ディカプリオが、米美術雑誌「ARTnews」が毎年発表している「世界のアートコレクタートップ200」の2015年度版に、初めてランクインした。ハリウッドを含む映画界からランクインしたのは、ディカプリオだけだ。
レオナルド・ディカプリオ、「世界のアートコレクタートップ200」に初ランクイン via 映画.com
僕は映画で彼をちゃんと観たことは一回もない。というか、映画自体を余り観ないので、彼にかぎらず、俳優は実作で知らないことが、結構、多い。
ディカプリオは主演作のタイタニックのCMで覚えた。
以前、来日した際のテレビ番組のインタビューを観ていて貧しい子供たちのチャリティーをやっているみたいな状況を掴んだ。話し振りが非常にスマートだったので、人として信頼できそうな印象を受けた。チャリティーもやらなくてはならないからやっているんだという気持ちが伝わって来て使命感に燃えている様子だったんだ。理知的な言葉使いで話題の論理的な脈絡に欠陥が殆ど見当たらなくてへーと舌を巻いた。無意識の飛躍が全く掴めなかったので、自己矛盾が心の首にも出てないとすれば神に相当に近いはずだと考えられもするし、世のため、人のために全力で尽くせる能力を持っていると僕には見受けられた。
ディカプリオのような人材が会社に増えれば地球全体を気にかけながら無駄に儲けたりはしないから貧しい子供たちが増えることもなくなるのではないか。
Leonardo DiCaprioさん(@leonardodicaprio)がシェアした投稿 - 2016年 5月月20日午後4時40分PDT
恐らく直接的にも間接的にも先進国と途上国の経済的な違いが資本の巨大化(世界企業)によって起きているということは理論上では常識のはずだけど、国際的に有力視される会社が貧国の安い労働力を使いたがることがなくならないかぎり、日本でも又別に似たような状況がある(俗にいえば賃金格差のせいだろう)けど、頑張っても頑張っても碌に稼げない人が際限ないくらい夥しく生み出されてしまうわけだった。
そうした点では人類の未来というか、命の進むべき道を示している彼なのは確かだ。
セレブで経済的に不自由のない暮らしをしているから身銭を払いながら奉仕活動したいという人は珍しくないかも知れないけど、ところがデ…

htmlのリストタグの並び方をデザインするcssのコーディング

サイトでリストを表示するにはulタグ(順序なしリスト)、またはolタグ(順序ありリスト)にliタグを追加して行く。追加されたliタグのところがリストになってサイトに表示されることになる。
初期設定だと上下と左側に間隔が取られてリストの頭にulタグならば中点(・)が、olタグならば番号(1.)が付けられて縦並びで空行なしにデザインされている。

目次
リストの四つの主なデザインリストの左側の間隔を消すリストのマーカーを消す縦並びのリストを広げるリストを横並びにするリストの位置を揃える全体的なリストの幅の調整部分的なリストの幅の調整リストの折り返しを調節する文字間で改行させる場合項目毎に改行させる場合IEのバージョン7以前への対応

リストの四つの主なデザイン
リストの左側の間隔を消す
画面に左寄せで表示するにはulタグ、またはolタグにcssで{padding-left:0;}を指定すれば良い。
リストで左側に間隔が取られるのはタグの外側のmarginではなくて内側のpaddingに間隔が取られるせいだ。
ただしリストのマーカーも欠けて来てしまうので、十分に出しておきたければcssのpadding属性のleftで1em(一字分程度)以上の間隔を取るべきかも知れない。
リストのマーカーを消す
リストを左合わせで表示するにはulタグ、またはolタグにcssで{list-style:none;}を指定すれば良い。
cssのlist-style属性にtype(マーカーの種類)の指定を付け加えてlist-style-type属性の場合でも「none」を使って{list-style-type:none;}になる。
その他、list-style属性にはimage(マーカーの画像)やposition(マーカーの位置)の指定もあるので、幾つかを同時にコーディングするならばtypeを付け加えておくと切り離してデザインできる。
只単に{list-style:none;}だとlist-style-type属性とlist-style-image属性とlist-style-position属性で共通してマーカーが消える。
縦並びのリストを広げる
個々のリストに1emの空行を挟むならばCSSで{margin:1em 0;}を指定すれば良いだろう。
上下のリストで間隔が重なっても打ち消されて求め通りに合わさるから大丈夫なんだ。
css…

優しい人と出会えたら心漏らさずに感謝を届けよう

色々、いっては来たにせよ、誰かと出会って明らかに優しいと感じることは実際には少なかったらしい。僕には透き通った心の持ち主がいたから比べても仕方がないけど、または他には一回もなかったみたいに特別に思わされるような経験が得られた。
ある人を見ていて感じて思った、優しいと。気にかけてくれるだけを嬉しがる僕だったとしたら紡ぎ出す言葉に恵まれないかも知れない。大海では鯨の群れが尾を振って海面を否激しく叩くばかりだ。
何が違うのか。他の人とある人は同じように僕を気にかけてくれるかぎり、それだけの差というと殿様気分に浸らされたいみたいで居心地が悪くなる。庶民でしかなかったと身分的には悟る。
女のある人で人の噂では四十歳前後だったらしい。噂の主は関西出の女性で彼女とは同級生だったみたいだけど、手に刺青の青い線がちらちら見えた。本物なのかと日を置いて風呂で洗い落とされたり、シールならば剥がされたりするだろうと黙って注目していた。消えた日は一目ともなかった。ここまで来るともう病気の痕かとも何かの痣とも思いたくなるにせよ、刺青を掘るような性格には受け取らなかった。僕への接し方がギクシャクしていたけれども最初のうちだけなので、そんなに珍しくないことだ、触れ合うほどに世話を多く焼いてくれて僕が殆ど喋らないから関西訛りでいえば「敵わんなあ」の匂いがするくらいでいつも良くして貰えたのは間違いなかった。他のところで何かがあったとも考え難いので、ファッションならばあり得たかというくらいで、とにかく刺青は結び付かなかった。人間は不思議な生き物だと素直に認める他はなかった。
噂の渦中の当人だけど、ところでどうにも優しいと分かった場面が思い出せない。雰囲気で様々な場面から伝わって来てもしかすると僕が優しい人だと明らかに認めた時点で成り立ってしまい、記憶に刻まれる切欠は何でも良かったと少しもいえなくはなかった。難しいと思う、彼女と刺青の人との関係を読み解くのも咄嗟ながら。どちらも気が合っているようだった。
僕は知ってからは彼女を優しい人と思い込むようになって行った。その通りに接してくれたというと刺青の人と大きな差は見当たらない、もはや。振り返ると優しい人と二人で同じような雰囲気だから刺青の人も酷くないと少しずつ仕向けられたせいで、僕の安心感が刺青の人の気安さに繋がって大事に可愛がられるようにまで接し方が変化したとも…

ブラウザにhtmlのソースコードや文字実体参照を表示させるにはどうするか

僕は<pre><code>ソースコード</code></pre>のhtml構文をサイトではいつも使っている。使わなくてもソースコードをブラウザに表示することはできるけど、しかしどちらにしてもhtmlの要素タグは「<」(小なり記号)や「>」(大なり記号)がサイトに反映されなくてhtml構文としてブラウザに読み込まれてしまうから文字実体参照の「&lt;」や「&gt;」に取り替えなくてはそのままで表示されては来なかった。ソースコードが長いと一つずつ取り替えるのは相当に手間がかかるにせよ、こればかりは仕様がないと思う。気に入ったコンテンツならばただし努力こそ惜しまれないらしい。
リンクタグ(aタグのソースコード)を表示させてみる。
送信後 <a href="URL">リンク名</a> 送信前 &lt;a href="URL"&gt;リンク名&lt;/a&gt;
文字実体参照もそのままでサイトに載せることはできなかったので、調べてみると用いられた「&lt;」や「&gt;」の先頭の「&」(アンパサンド)を文字実体参照の「&amp;」に取り替えるということだった。考えてみればいやはやそういうことだったのかだけれどもhtmlのソースコードの場合は記号の全体だったのが先頭の一部に変わったから微妙に異なってはいたよね。味噌は味噌でも白味噌みたいな感じもしてしまう。詩人だからかも知れない、僕がよもやよもや永遠の。因みに黄色に光り輝いて見られては感性も震えるほどに気分が良くなって白味噌も大豆の発酵食品なわけだから流石にやはり健康的なのは間違いないはずだったとすんなり思い知らされずにはいなかった。
&amp;lt;a href="URL"&amp;gt;リンク名&amp;lt;/a&amp;gt;
htmlのソースコードを表示させるための文字実体参照でのソースコードを表示させるためのさらに文字実体参照を用いたソースコードを表示させるためには「&amp;」の「&」も「&amp;amp;」へ取り替えなくてはならなくなるんだ。考…

サイトのhtml構文に基づく文章の組み立て/見出しと段落と改行と重要性と強調の使い分けについて

html構文の主要な五つの要素を使ってサイト作成での文章の組み立てを考えてみたい。
見出しは最大のh1要素から最小のh6要素までの大きさがあり、文字サイズも変化する。全て太文字になる。上下に空行が入る。
段落はp要素で、上下に空行が入る。
改行はbr要素で、終了タグはないので、一つだけで使う。上下に間隔のある要素タグ(p要素など)に続けると空行を増やす。
重要性はstrong要素で、太文字で表示される。
強調はem要素で、斜体で表示される。

例文として主旨を取り上げておこう。
html構文の文章の組み立てについて
サイトで訪問者へ文章を速やかに伝えるためにはどのように表示されるかのhtml構文のマークアップを整えなくてはならない。
どのようにhtml構文を使うべきか
html構文の文章の組み立ての雛形とすると見出しを付けて段落を幾つか置きながら必要ならば改行や重要性や強調も追加することが挙げられる。
見出しと段落を一組と捉えながら記事全体を配置して行く。見出しへの段落を増やしても良いし、見出しだけや見出しと段落の一組を増やしても良い。
記事全体で見出しと段落の一組、または見出しだけのところに別の一組、または別の見出しだけを続けるならば大きさによって文章内容も相応しく表示される。
見出しでは大きなものから小さなものへの文脈の流れが確保されている。この内包関係によってサイトの文章構成も円滑に図れるようになるのではないか。記事全体から見ればタイトルに最も大きな見出しを付けておくことによって小さな見出しを含めた個々の段落を取り纏めて表現し易くなって来るだろう。
大きな見出しに小さな見出しが続けば後者は前者の文章内容を強く示すことができるし、見出しの大きさが同じならば文章内容も同じままの度合いで示され、小さな見出しに大きな見出しが続けば後者は前者の文章内容を弱く示すことができる。
詩的に例えるならば
柴犬の見出しに子犬の見出しを小さく続けて段落に可愛いと置けば柴犬の子犬が可愛い気持ちを強く表している。
柴犬の見出しにブルドッグの見出しを同じように続ければ双方は同じような気持ち表している。
子犬の見出しにブルドッグの見出しを大きく続れば子犬の気持ちを弱く表している。
個々の文脈から捉えれば柴犬の子犬は可愛いといっているか、柴犬とブルドッグがいるといっているか、ブルドッグがいるといっているかだからそれぞれに流れ…

血便が出たら黒いか赤いかで病気が変わり得る

数日前の朝にトイレで気付いて血便だったので、何かあると不味いと思った。いうと大腸癌だけは本当に勘弁して欲しい気持ちだった。人生で数えるほどしかなかったにせよ、血便は五年か十年に一回くらいあっていつも一日で終わるから続かなければ大丈夫かとか近年は取り分け健康を目指して頑張って腸内環境の改善に加えて個人的には珈琲を、毎日、飲んでいて大腸癌には良いはずだからなんて感じた。しかし焦りは否めなくて参った。翌日は続かなかったので、本当に流石に安堵の溜め息が漏れた。分からないけれども切り抜けられれば助かるとしかいいようがない。
調べてみると血便が黒いか赤いかで病気の可能性が変わるらしい。口に近い食道・胃・十二指腸などの上部消化器官だと黒くなり易くて吐血を伴うこともあり、尻に近い小腸・結腸・直腸・肛門などの下部消化器官だと赤くなり易い。医学的には前者がタール便と、後者が血便と識別されているようだ。
上部消化器官の黒い便の病気
胃潰瘍/十二指腸潰瘍胃癌食道炎
下部消化器官の赤い便の病気
内痔核(いぼ痔)裂肛(切れ痔)虚血性大腸炎潰瘍性大腸炎腸炎/ポリープ/癌
主なものを挙げていて他にもあるようだけど、しかし何れも癌が含まれているからタール便や血便は警戒するべきではないか。病気によっては胸部の違和感(胃潰瘍・十二指腸潰瘍)、貧血(胃癌)、激しい痛み(切れ痔)、腹痛(虚血性大腸炎)、粘液混じり(潰瘍性大腸炎・癌)を伴っていることもあるということだ。
僕は真っ赤な血便だったので、内痔核だと思った。血が多くてびっくりしたんだけれども内痔核ならばあり得るらしい。ちょっとした血便みたいな出血は思い返すと偶に見付けていたはずなので、内痔核も決して侮れる病気ではなくて酷いと脱肛で手術が必要になるかも知れないんだ。血行不良や、長時間、立ったままとか座ったままの人が起こり易いみたいだし、確かに僕も当て嵌まると思うので、動かないことが良くなさそうな感じだ、暫くはというか、いつでも様子を窺いながら暮らさざるを得ない。
血便だけではなくて病気は何かあれば直ぐに気付いて対処できることが大事だから健康への取り組みは怠らなくても過信して行けないと思った。
参考:血便が出る病気って何がある?原因となる病気ごとの症状とは血便を伴う下痢と正しい対処法【大腸がん?痔?】症状と血便で“がん”を見分ける4つの方法

醤油で素晴らしく味わわれたハムエッグ

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ハムエッグを食べた、好みの醤油で。いわなくて良いことをいうためには心の刺を抜かなくてはならない。醤油でハムエッグを食べながら考えてしまうのは痛がる君に痛がる僕が心の刺をどうやって抜き去るかばかりだった。切り返せば容易い、君のいって良いことこそいわなくて良かったろうと。しかしそれでは裏返しの「余りにも惨過ぎる」で、ハムエッグが不味くなる、醤油も僕は好きなのに。切子細工の青いコップからは痛がらない君が思われないかぎり、僕が痛がらずにいられるすべはいわなくて良いことだけをいうことだった。いって良いことにすることでハムエッグは醤油で素晴らしく味わわれた。君も痛くない。

Googleへ自分のサイトをインデックスする方法

Googleの検索結果に自分のサイト/ホームページやブログを表示させるために必要不可欠なのはGoogleに自分のサイトがインデックスされているかどうかだ。
自分のサイトに作成ミスや検索避けなどの反対の要因が一つもなければGoogleの検索結果には表示され得る。
Googleへ自分のサイトをインデックスする方法を取り上げるけれども予め注意しておくと実際に確実性はなくて検索エンジンに知らせて促進することができるのみになっている。
概して自分のサイトのGoogle検索でのサイト評価が低いと難しいかも知れない。コンテンツの品質が高かったり、外部サイトからのリンクが多く貼られていたりすると成功する可能性は高いようだ。サイト評価が低いと、一旦、インデックスされて後から削除される場合もあり得る。

目次
Googleへの自分のサイトのインデックス方法Search ConsoleでURLを送信するSearch Consoleに自分のサイトを登録するSearch ConsoleのFetch as Googleを使うGoogleに自分のサイトがインデックスされているかどうかを確認するには

Googleへの自分のサイトのインデックス方法
ウェブに自分のサイトを開設して外部サイトからリンクを、ある程度、得ていれば何もせずに待っているだけでGoogleの検索ロボット/クローラーが訪れてインデックスされることは決して珍しくはないだろう。
Search ConsoleでURLを送信する
最も簡単な方法がGoogleのSearch ConsoleのURLから自分のサイトのURLを送信することだ。ヘルプのコンテンツをGoogleに掲載するから飛んで行くことができる。ただし現在(2016年6月時点)ではGoogleアカウントにログインしないと使えなくなっているのではないかと思う。以前は誰でも使うことができた。
GoogleアカウントはGoogleのアカウントを作成するに説明と登録先が載っている。
因みにスマホのAndroidのユーザーならば一つくらい持っているはずのGmailのアドレスのものでログインすれば事足りてしまう。
Search Consoleに自分のサイトを登録する
GoogleのSearch Consoleとは自分のサイトがGoogleの検索エンジンでどのように表示されているかの様々なデータを取得できるものだ。主に…

Googleに学ぶリンクのnofollowの使い方

Bloggerのページをウェブで作成しようとしてリンクを使おうと記入欄の上に並んだスイッチを押したらhtmlでnofollowを付けるかどうかも選択することができた。
Google検索でサイトが検索結果に出易くなるかどうかはサイト評価に基づいて判断されていてサイト評価を上げる要素はコンテンツの品質が最も重要だけれども他にも幾つもあって一つにはページランクと呼ばれものが含まれている。外部サイト、または内部のページからリンクを貰っていてそこのサイト評価が高くて関連性が深いほどに自分のサイト、または内部のページのサイト評価も上がって来るという。
ただしページランクには注意点も多くて漠然とリンクが増やされたところでペナルティーを食らって反対にサイト評価をがたがに落としてしまって最悪の場合には検索結果そのものから弾かれてGoogle検索からは誰も来なくさせられてしまうんだ。
ペナルティーとしては公序良俗に反したサイト、またはリンクやコピーばかりでGoogle検索の精度を下げる(ページランクでサイト評価を上げるためだけに運営されていて他のコンテンツの優れたサイトを検索結果に掲載できなくさせてしまう)ようなサイトからリンクを貰っては行けないということだ。
自分でやらなければ基本的には起こり得ないだろう。しかし誰かのサイト評価を下げるためにやる人もいるとかいないなんてどろどろした状況も全く聞かれないわけではないので、巻き込まれないように普段から注意しておくには越さないと思う。GoogleのSearch Consoleではリンク否認という設定も可能なので、危ないものはサイト評価から切り離せるようになっている、万一に備えては最終手段として知っておくことも助けに繋がるはずだ。
もう一つリンクを貰うことは被リンクだけれどもリンクを渡すことは発リンクで、発リンクも考えなくては行けない。ペナルティーを食らい兼ねない、あるいはもう既に食らっている(傍目には非常に分かり難いわけだけど)サイトへリンクを貼ることもやはり危ないんだ。自分のサイトがペナルティーを食らう。これも自分でやらなければ良いので、僕はいつも注意して発リンクを使う際には真っ先に考えてしまう。余程のことがなければペナルティーまでは大丈夫だと思うけれども注意せずにはいられない。
前置きみたいな感じで、リンクのnofollwを理解するためにちょっと…

思いを綴ることにした

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どんなブログをやれば自分らしさに通じるのか。

求めるべき真実の安らぎを認めたらまさか永遠に速やかに歌えたよ。

詩本文
思いを綴ることにした
どういう風の吹き回しか
心を言葉へ置き換える
軒並み林檎の木立ちが揺れて
水辺の千鳥は小躍りしていた
僕は詩人として自分らしさを
他の誰でもない生き様で示したい
雨に濡れた紫陽花へは蝸牛こそゆるゆる這い出して来る
これまでの記憶は柔らかく胸に染み込むばかりだろう
糸瓜が幾つも垂れ下がるそばから
熊鼠は玉乗りさながらに水平器を抱えるも
闇に消えた蟋蟀を追いかける構えを取る
黙って指を咥えながら見ているつもりなのか
忘却の鏡に写る滝の流れは物事には動じない
駅舎の床の片隅でのんびり転が得た螺子ほども
逞しいだけでただ海が遠く望まれた
世界の広がりが滑らかだ

既視感(デジャヴ)の本質的な認識

既視感(デジャヴ)とは何か。詩的に考えるというか、僕は永遠の詩人だから本質的な認識として表現しようとするとブログの天道虫の記事から分かるのは色と形の組み合わせがイメージを越えて感じ取られるせいだ。
通常、イメージを越えて人が生きることはなくて観念と物体は一対一の対応関係で精神に記憶されているわけなんだ。しかし既視感においては色と形の組み合わせという抽象性を介して経験が全く別のイメージに飛び火する。元々のイメージが抽象性から引き出されるために全く別のイメージを受け取りながら人は今此所と結び付けることができる。およそ全く別のイメージしかなくて精神が切り替わるとしたら人は旅立ったか、夢見たかだろう。精神は存在と意識の変化を確知する。既視感にかぎってはそれが今此所となって味わわれてしまう。
注意すると色と形が何かに似ているだけでは既視感は得られない。なぜなら似ているという概念が具体的だからだ。色と形の組み合わせをそっくりそのままに抜き取ることができるとイメージがいつかどこかの某かも知れないと全く別のイメージを呼び寄せる。
日常生活でなぜ既視感は起きるか。一般的に抽象性というのは概念や図表で示されることが多い。ただし厳密には抽象性そのものではあり得ない。概念には概念の具体性があり、図表の図表の具体性があるためで、人は一つのイメージとして心理的に定着する。裏返せば観念と事物の一対一の対応関係が緩んだ結果として既視感は起こって来る。
緩んだ結果の原因として認識されるのは何か。本質的にいうと既視感は「事物の想念性の形相」から生じている。つまり抽象性の定義から来るわけで、抽象性の定義としての「事物の想念性の形相」は神の観念(絶対性)と永遠にくっ付いているんだ。自然の法則もそれなしには実現されない。生き物が動くのも抽象性に基づいていて抽象性が無限に空間を作り出すためでしかない。絶対者の名(神)のもとに事物の可能性を永遠に広げ続けることができるといっても良い。
人は普段は分からない。物事には道筋が一つしかないと思い込んでいる。思い込まないと精神は不安定になるので、道筋における事物の想念性が保たれるようになっている。身体ならば脳の統覚が乱れてはならないし、そのように神経が作用している。事物の想念性は因果律で、原因と結果の認識、詩的にいえば道筋の気分だ、道筋の気分で語れば揺らぐと抽象性が分かり得る…

既視感(デジャヴ)の思い出

たしか九歳の頃だった。クラスの教壇の方から反対側の大きな黒板を目にしながらいつか見たことがあると一度だけ感じた。見慣れた黒板だったはずだ、およそ。しかし一度だけ黒板の辺りの景色が透明感を持って浮き上がるように瑞々しく味わわれてしまった。何だろうと考えると直ぐにも消えて元通りの状態に変わっていた。
以降、偶に同じような経験はあった。忘れた頃にやって来るみたいな間隔で生じていた。またかと考えるけど、受け取れば驚きつつも直ぐに消えて行くんだ。強いて調べもしなくて分からないまま、過ごさざるを得なかった。知ってみたいとも思わなかったというか。
既視感(デジャヴ)だけれども振り返ってあれが既視感だったとついに気付かれたのはGu-Guガンモ(漫画)が切欠だった。数年後くらいか、九歳の頃からは。キャラクターにデジャブーという黒い鳥が出て来る。漫画の台詞の中で名前が日本語で既知夢に由来していると分かった。かつて一度も見たことのなかったはずのものが目の前に見えているような感覚に包まれることなんだ。
僕はGu-Guガンモによってつい最近まで既知夢と呼んでいた。ところが他に既視感という言葉もあったらしくてどっちにするかと悩んだ、調べ出すと。同義語だから気持ちによって使い分ければ良いだけの話なんだけれどもブログの天道虫の記事に入れるのに既知夢よりも既視感が合っていたので、自分には使い易いのではないかと選ぶ。

黒に赤の二つ星の天道虫

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天道虫(並天道虫)は色んな模様があるから幾つか写真に撮って来たけれども作例は初めてのタイプだ。
二つ星の天道虫、黒に赤の二つ星というと何かに思い当たる。既視感がある。思い当たるのに判然としないという。あれ、これはいつか見たものだと受け取りながらそのいつかが覚え切れてないんだ。
久し振りだよ、既視感なんて。何かに思い当たるにも拘わらず、参ったものだ。考えても明かし得ない。

人との別れに贈る言葉は考えずに手短に纏めるのが一番だ

職場の人が仕事を辞めて行く日に挨拶回りに来ることがある。僕は普段から人と余り喋らないので、大抵は贈る言葉も世間並みに済ませるしかないと思う。
ところが異例というか、相手が二十代くらいの若者だと贈る言葉の重みが変わって来るから自分の気持ちこそちゃんと出してみたくなる。
贈る言葉にかぎらないし、さらには言葉ともかぎらなくて生き方そのものが人生勉強になるはずなので、喋らなくて触れ合いも殆どない上では雰囲気で分かって貰えるように努めている。つまり出会って良かったと思われるかどうか。匂いだけでも心の鼻に届いてくれると嬉しい。永遠の詩人は善のために歌っているよ。
二十代くらいの若者だとどう生きるかと模索しているに違いない。だから世界への見聞欲が高いのではないか。周りから受ける影響力が強いほどに僕も気合いが自然と入って来るわけだ、同じ空気を吸っていられれば特に。縁は活かされてこそ人生に役立てられる。素通りでは経験が何もなかったに等しい。
人への贈る言葉を自分の気持ちで表現するとなると僕が見付けた良さを知って貰いたい。
昔のホームページで皆の投稿詩に感想を付けていたのと同じで、やろうとすれば幾らでもできるとは思うけど、ただし口頭でずるずる引き伸ばすわけには行かないし、相手は他にも挨拶回りが控えている。加えていつになく口数を増やすのもあれなので、手短に纏めるのが一番だと感じている。
綺麗なお姉さんに「お疲れ様でした」といった
皆のために尽力してくれたから影の苦労が絶えなかったのではないかとそこだけは押さえておかなくてはと思った。もしも誰も気に留めてなかったとしたら職場での一部始終が無駄骨に終わるかも知れなかった。恐ろしい。思い遣りが人生に必要ないなんて少しでも感じられてしまってはもはや不幸せは避けられなさそうだ。破滅の道を行くのか。地獄への下り坂を前にして影の苦労こそ労わずにはいられなかった、断じて。悪魔払いに近い。
僕は何もいわれなかったけれども隣のおばさんが「そうだよね、いつも遅くまでやってたみたいだもんね」というと「いいえ、大丈夫です」と綺麗なお姉さんは微笑んでいた。
咄嗟に感じた、どういうことだろうと。永遠の詩人の気持ちを受け取ったとすれば大変だったのは人生そのものだったから残業の多さだけでは余りにも語り尽くせなかったはずだ。さらに隣のおばさんの「いつも遅くまで」は家に帰ってもまだ働いていた…

綺麗なお姉さんとの共通点を探る

かつて自分と思うことが似てそうだと感じる人がいた。二十代の女性だったけれどもある人から「綺麗なお姉さん」と呼ばれていた。とてもしっくり来る。顔も性格も良くて聞きながら納得頻りだった。
僕が身近にいて共通点として如実に受け留めたのは常日頃と笑いを求めてないのではないか。同志が見付かったみたいに綺麗なお姉さんには殊更と引き付けられた。
いうと笑わずに過ごして良いと思うのは幸せのためで、他には強いて手を伸ばさないんだ。
青春期を振り返って天使的な人が僕のために笑ってくれなかったと気付いたせいだ。僕が笑わせようとするといつも別口で切り返される。笑うのは僕だからみたいな感じで、こちらからは意図されないかぎりでしかなかった。
自作のトレジャーが天使的な人の笑顔をモチーフにして作詩しているけど、もちろん全ては僕の仕向けたものではない。 狙い通りには笑顔を見せて貰えなかったので、結果としてそれが果たされたのは神様のプレゼントだったと思わされる。まさか有り難いばかりだ。
何でと考えた。きっと天使的な人は幸せだった。僕に求めていたはずもない笑いならば得られなくても決して詰まらなくはなかったのではないか。知って以降、日常生活に笑いを持ち込むようなポテンシャルが薄らいで来た。喜びも自然体が良いので、皆には幸せこそ伝えて行きたいと悟った。
日々、綺麗なお姉さんも笑いを偉く望んでいるふうには見受けられなかったので、気持ちも近いのではないかと密かに共感を覚えていた。
周りには笑いを欲しがる人も多い。中年になっても例えば膝かっくんをやられたり、脇腹を指で突かれたりしながら驚かされてしまう。とはいえ、楽しい仲間たちにとっては笑いこそ幸せならは思い遣りを持って接せずにはいられないわけなんだ。笑い返すよ、正しく。
僕が見ていると綺麗なお姉さんもやはりそれができるようで、しかしながら上手いというべきか、自分よりかは皆ともうちょっと楽しんでいる様子なのが感心させられた。
永遠の詩人としては悩む、ところで。飽くまでも楽しさは幸せではないから本心で伝えたいことと合わないので、笑いつつもはっきり打ち出すことは難しいという。誤解されては困るし、もしも僕が誰かにとって《一緒にいたい人》と思われるとしたら幸せそのものこそ味わって貰いたいはずなんだ。楽しさを欠片でも残したまま、絆を深めるわけには行かないのではないか。自分らしさを大事にし…

ヴァン・ゴッホの烏のいる麦畑/見たい絵を好きなだけ見られた嬉しさ

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僕にとってヴァン・ゴッホ烏のいる麦畑は最も引き付けられる絵の一つなんだ。端的にいうと絵の本質に触れられる。絵の本質は色と線で世界を物語ることで、これが烏のいる麦畑は完璧ではないかと思う。見たものが詩として味わわれるところが何よりも素敵で、心の目で描かれているとしか正しくいいようがない。飛んでもなく美しくて個人的には部屋に飾っておきたいくらい気に入っている。
Wheat Field with Crows by Vincent van Gogh [Public domain], via Wikimedia Commons
見方が普通では分からない。普通では本当にタイトルのままでしかない。麦畑に烏が飛んでいる。タイトルのままの見方だと言葉に絵が負けてしまう。ヴァン・ゴッホはきっと分からなくてもというか、普通でも良いと思いながらタイトルを付けたのかも知れない。只単に風景が伝わる。素晴らしい。いみじくも見られることは生きられることだし、有り難いわけだから神に感謝せずにはいられない。ヴァン・ゴッホの烏のいる麦畑というタイトルの付け方には人生の敬いが感じられる。なので普通に味わってもインパクトは大きい。
ところが特別な見方をすると熊や兎など普通ではあり得ないものが数多く表現されていた。タイトルの言葉からは予想だにしなかった世界がまるで詩のように色と線で歌われているんだ。
咄嗟に見付けたかぎりでイメージを挙げてみよう。左側の雲の広がりのところが熊の顔になっていて麦畑に斜めに寝そべった格好になっている。雲の中の一羽の烏が熊の口なんだ。仰向けで右手を腹に当てて静かに休んでいる感じがする。麦畑の左側と真ん中の道が右腕で、右側の道が右脚という。すると左側の地平線は肩に当たるわけだ。中央付近の右寄りの雲の広がりが兎になっている。白いけれども二本の長い耳や顔は薄くて右向きで体付きは濃い。ふっくらしている。しかし二本の長い耳は天使の羽根のようにも受け取られる。体付きも蟷螂と似ているみたい。蟷螂の左横の暗いところにライオンの右向きの横顔があってライオンの体付きは黒い羊が重なっている。黒い羊の体付きは右向きだけれども反対にすると左向きの人の大きな手のようなんだ。それが熊の額にかかっている。ところで画面の真ん中の道を川と見立てると下の方に笹舟が見えて来る。周りの緑とは一筆だけ離れて風変わりなんだ。そして川…

ビートルズが聴きたくなって来るのは有り難い

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なぜ、今、ビートルズなのか。愛すべきものという感じがする。良い曲ばかりで音楽の勉強にもなるし、シンプルでストレートに胸に響くところが本当に凄い、芸術家としてはしっかり覚えておかなくては仕様がないのではないか。しかし一人の人間としてもビートルズは素晴らしいと思うんだ。好きでいられると嬉しいみたいな印象が強い。
The Beatles - I Want To Hold Your Hand - Performed Live On The Ed Sullivan Show 2/9/64 via TheBeatlesVEVO
かつて作詩しながら片田舎だけれども不意にビートルズが心に流れて来て彼らの音楽の魅力が掴めたような感じがした。今此処を頑張って生きるというイメージの詩なので、ビートルズは一生懸命に声を張り上げたりしてやっているけれども本当は聴いている人たちも変わらなかったのではないか。むしろ頑張っている人たちを大事にしてくれるのがビートルズの魅力だと考えられるんだ。
聴いて損しないよね、端的にいえば。いつもどこか有り難くて敢えて口に出すのも憚られるくらい細やかな良さが残される。音楽にしても他では、中々、得られないようなものではないかしら。まさか飛び抜けた存在だった。
ビートルズも頑張ってやっていればこそ頑張っている人たちの気持ちが分かるはずなので、人生にやはり役立つとしか僕には認められない。聴きたくなるだけでも好調かも知れないくらいだから一つの喜びならば明日へ繋げなくては勿体ないだろう。

YouTubeの動画をレスポンシブ対応でサイトに埋め込む

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ホームページのMusicYouTubeチャンネルの自作曲の動画を埋め込みコードで置いているけれどもiframeタグで載せるようになっていてサイズが固定されているんだ。そこで大きなものをスマホで観ると画面からはみ出してしまうからレスポンシブ対応でデバイスの画面にきっちり収めたいと思った。
ところがiframeタグをcssのwidthで100%に指定すると横幅は合う(metaタグのviewportの設定によってページそのものはレスポンシブ対応にしてある)のに縦幅が合わないんだ。縦幅をheightで指定しても駄目で、どうしても動画の画面比が崩れるので、スマホのために小さいものを載せるようにせざるを得なかった。
考えるとガラケーならばはみ出すような大きさだったり、パソコンやタブレットではダイナミックに載せられなかったりしてしまうので、やはり何とかしたくなって調べてみた。
見付け出したのがWordPressや通常サイトでYoutubeやVimeoの動画の埋め込みをCSSで簡単にレスポンシブWeb対応にさせる方法という記事で、そこに載っていた.move {position:relative;width:100%;padding-top:56.25%;}と.move iframe {position:absolute;top:0;right:0;width:100%;height:100%;}のソースコードを使ってみるといとも容易く目的を果たすことができた。
エレクトロ via Forevermore
cssのpositionで親ボックスの右上からYouTubeの埋め込みコードを表示している。padding-top:56.25%が味噌みたいだ。親ボックスの上部の内側に空間を取りながら動画を移動して置いているわけだけれども56.25%とは何なのかと思う。どうにもならなかったYouTubeの埋め込みコードのレスポンシブ対応が可能なんて魔法の数字のようで驚かされながらも自分なりにiframeタグの縦横の幅を試行錯誤して分かって来たのはHD動画の1280×720の16:9の画面比の縦幅の割合に当て嵌まっていたんだ。なので横幅を100%にした場合に縦幅は56.25%で16:9の画面比を維持できるということだろう。
数学の復習になるけど、計算は比例式で解ける。16:9=100:xとすると内積(9×1…