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些細な日常

Googleに学ぶリンクのnofollowの使い方

Bloggerのページをウェブで作成しようとしてリンクを使おうと記入欄の上に並んだスイッチを押したらHTMLでnofollowを付けるかどうかも選択することができた。

Google検索のページランクというリンクの捉え方

Google検索でサイトが検索結果に出易くなるかどうかはサイト評価に基づいて判断されていてサイト評価を上げる要素はコンテンツの品質が最も重要だけれども他にも幾つもあって一つにはページランクと呼ばれものが含まれている。外部サイト、または内部のページからリンクを貰っていてそこのサイト評価が高くて関連性が深いほどに自分のサイト、または内部のページのサイト評価も上がって来るという。

ただしページランクには注意点も多くて漠然とリンクが増やされたところでペナルティーを食らって反対にサイト評価をがたがに落としてしまって最悪の場合には検索結果そのものから弾かれてGoogle検索からは誰も来なくさせられてしまうんだ。

ペナルティーとしては公序良俗に反したサイト、またはリンクやコピーばかりでGoogle検索の精度を下げる(ページランクでサイト評価を上げるためだけに運営されていて他のコンテンツの優れたサイトを検索結果に掲載できなくさせてしまう)ようなサイトからリンクを貰っては行けないということだ。

自分でやらなければ基本的には起こり得ないだろう。しかし誰かのサイト評価を下げるためにやる人もいるとかいないなんてどろどろした状況も全く聞かれないわけではないので、巻き込まれないように普段から注意しておくには越さないと思う。GoogleのSearch Consoleではリンク否認という設定も可能なので、危ないものはサイト評価から切り離せるようになっている、万一に備えては最終手段として知っておくことも助けに繋がるはずだ。

もう一つリンクを貰うことは被リンクだけれどもリンクを渡すことは発リンクで、発リンクも考えなくては行けない。ペナルティーを食らい兼ねない、あるいはもう既に食らっている(傍目には非常に分かり難いわけだけど)サイトへリンクを貼ることもやはり危ないんだ。自分のサイトがペナルティーを食らう。これも自分でやらなければ良いので、僕はいつも注意して発リンクを使う際には真っ先に考えてしまう。余程のことがなければペナルティーまでは大丈夫だと思うけれども注意せずにはいられない。

前置きみたいな感じで、リンクのnofollwを理解するためにちょっと復習してみた。

ペナルティーまでは大丈夫でもサイトのリンク構築がサイト評価に重要だから管理人として発リンクの仕方が問われて来る。

リンクによって変動するGoogle検索のサイト評価

ページランクにはGoogle検索でのサイト評価に繋がる要素を受け渡す効果があるとされていて被リンクと発リンクでバランスが常に取られるようになっている。すなわち被リンクに入ったページランクの分だけ発リンクはサイト評価に繋がる要素を失ってしまう。二つ合わせるとページランクは変わらなくてプラスマイナスゼロに保たれる。だから自分のサイトで発リンクを普通に増やすとサイト評価はページランクとして被リンクへ流れるために逆に落ちて来てしまう。

まるで幸福の王子オスカー・ワイルド)のように小説だけれども自分の様々な宝物を皆に分け与えているうちにみすぼらしくなって気持ちも冴えない感じになるから文学的には有り難い人間性とも過言ではないせよ、リンク構築においては自分のサイトがサイト評価を下げてみすぼらしくならないために発リンクを吟味したくなる。

ページランクを出さないためには発リンクを減らすことが大事だし、何よりも自分のサイトに無駄な発リンクを置かないことが求められる。さらにここで漸くなんだけれどもリンクのaタグでnofollwを使うことも結果は同じだった。nofollwはGoogle検索の検索ロボットをリンク先へ追跡させない指定なので、外部サイトから見て被リンクとも解析されないし、ページランクが出て行くことはないんだ。リンクのaタグにnofollwを記載して貼れば自分のサイトに発リンクによるサイト評価のマイナスの要素が影響しなくなる。

すると発リンクの全てにnofollwを付ければ良いのかどうかが悩ましい。自分のサイト評価を維持したければ付けるのが当たり前だけれどもがめついというか、そうやっているサイトもあるようだし、人それぞれのサイト運営だけれども日常生活においては少なくとも僕には考えられない、あり得ないわけだから誰にも良いものをあげないで自分だけ反対の立場で貰い放しなんてGoogle検索こそどうなっているのかと気になって仕様がない。

勝手に考えるとサイト評価はコンテンツの品質が何よりも優先されていて検索ロボットに勘案される中でリンク先のサイトの品質も影響するといわれるからnofollwを付けてリンクを貼ると少なからず、不利益になるのではないか。つまり良いサイトにリンクを貼ったサイトだから貴方のサイトも良いよと検索ロボットに思われるとしたら、分からないよ、僕が勝手に考えるかぎりなので、発リンクにnofollwを付けないで検索ロボットにリンク先を追跡させる必要が出て来るわけなんだ。ページランクが流れてリンク先のサイト評価が上がることが却って自分のサイト評価の上昇に繋がるとするとむしろ「情けは人の為ならず」(諺)と同じだろう。皆のために尽くせば我が身こそ養えるようになる。もちろん愛がなければお礼も貰えないはずだから頑張っても疲れ果てるに過ぎない、社会においては人間学が欠かせないけど。

要するにGoogle検索が幸福な王子なのか、「情けは人の為ならず」なのか、どちらのスタンスで動いているのかが見極めどころだった。両方とも含まれているのかも知れないし、又別の査定というか、サイト評価の計算式(検索アルゴリズム)は検索エンジンの関係者にも把握し切れないものがあるくらいなので、Googleの企業秘密どころか本当に《神のみぞ知る》のレベルにさえも達しているとまで聞かれたりもするんだ。見極めるのは厳しいけれども何となしにでもサイト評価への発リンクの効果について傾向だけでも知り出せないものかと僕は思っていた。

追記:2019年9月からGoogleはnofollow付きのリンクをサイト評価のヒントとして捉えるようになった(Evolving “nofollow” – new ways to identify the nature of links)ので、ページランクは、従来通り、受け渡さないとしても検索結果の順位に影響する可能性を持つと考えられる。

Googleが教えるnofollowの使い方とはどんなものか

Bloggerのウェブでのページの作成でのリンクのnofollwの有無のところに詳細というリンクがあって行ってみるとGoogleのSearch ConsoleのヘルプでUse rel=“nofollow” for specific linksに飛んだ。特定のリンクにrel=“nofollw"(リンクのnofollw)を使いなさい。全文、英語で、結構、長くて読むのは大変だったけれども辞書を引きながら本当に興味深くて必死になって学んだ。しかしやはり相当に面白かった。

前置きがあってリンクのnofollwの成り立ちが分かった。元々のaタグのnofollw属性はmetaタグのrobotsからサイト全体の発リンクに指定されていたけれども個別の発リンクだと管理人が指定するのは大変だったために作られた。

リンクのnofollwを使わずに発リンクのページランクを個別に制御したという例としてrobots.txtのファイルで検索避けをかけたページへリダイレクトすると挙げられていた。発リンクのページから検索避けのページを挟んでリンク先へ飛ばすようにすれば検索ロボットは追跡しない。検索避けのページでブロックされるわけだ。

さらに前置きがあってGoogle検索はどのようにnofollwを取り扱うのかが分かった。検索ロボットが発リンクのリンク先を追跡しないので、ページランクは渡さない。はっきり述べられていた。「In general, we don’t follow them. This means that Google does not transfer PageRank or anchor text across these links」(一般的に私たちはそれらを追跡しません。こうしたことはGoogleがページランク若しくはアンカーテキストをそれらのリンクを通じて渡さないことを意味しています)。触れてなかったけれどもアンカーテキストも並んで入って来た。アンカーテキストはリンク名なんだ。サイト評価に繋がると良く聞かれる、調べていると。

どんなサイトなのか、Google検索のサイト評価への判断材料になるためだ。外部サイト、内部ページからリンクを貰う際のアンカーテキストが自分のサイト、内部ページの品質を把握する手がかりになる。

サイト内容が明らかならばサイト評価も良いだろう

サイトのリンク構築とすればおよそ発リンクはアンカーテキストを多少とも考えて良いだろう。自分以外の誰かが自分のサイトへ外部サイトからリンクを貼ろうとするアンカーテキストは好きに編集することはできない。ただしサイト内容が明らかなほどに分かり易くてアンカーテキストも相応しく付けられると推測される。僕も自分ではそうしている。

そして検索ロボットも人間と同じというか、究極的には同じでなければGoogle検索の精度も上がって来ないわけで、気持ちに合わないキーワードを考えながらサイトの品質を持ち出しても荒唐無稽な検索結果を出してしまう、検索エンジンが改良されてキーワードやサイトの品質を人間と等しく掴ませるべくGoogleは努めているはずだろう、サイト内容が明らかでなければサイト評価が行われ難くなることは略確実ではないか。

検索ロボットにかぎっては現状だと文章が重視されて文字数も少ないと厳しいとされている。そこは人間とは全く異なる。長文の文章サイト、記事ページがサイト評価を上げるという傾向が見られるわけだ。実際にGoogle検索にキーワードを打ち込んでも実感されるけれども文章量の少ないサイト/ページは検索結果には殆ど上がって来ない。

ページランクとアンカーテキストの指摘から「Essentially, using nofollow causes us to drop the target links from our overall graph of the web」(基本的に私たちはnofollwの使用によってウェブの全面図からリンク先を落とすことになります)と続いて行った。加えて述べられていたのはGoogle検索が他の理由でリンクのnofollwのリンク先を追跡する場合があること、別のロボット検索がnofollwそのものを受け付けない場合があることだった。リンクのnofollwはそれが使われたサイトでしか有効ではないわけなので、使われたからといって少なくともGoogle検索からリンク先のサイト評価はなくなりはしないんだ。もしも他のところで追跡されてインデックスされていれば検索結果にはいつでもどこでも出て来て不思議ではないと見て良い。

余談だけど、アメリカ人らしいと話し振りが思う。リンクのnofollwについて使われたサイトでしか有効ではないといわなくても分かるのがおよそ日本人らしい。当たり前ではないか。原文で引くと「Individual links」(個別のリンク)と前々からいわれている中でイメージが飛び捲っている。だから英語は難しいのかも知れないよ、日本人からすれば。僕なんか学校での英語の長文読解に違和感をいつものように禁じられなかった。

ある事柄の作用には反作用こそ付け加えたくなるみたい。よもや50:50(フィフティー・フィフティー)かギブアンドテイク(与えると取る)の文化の香がしてしまう。個別のリンクならば事柄においてnofollwの作用も個別ではないんだ。作用は作用で考えれば別の事柄にも繋がり得るから誤解を生まないためにはせめて反作用は十分に示しておく必要があると理解される。日本人にとってはまるで釘を刺される話し振りだから目を向けるには努力が求められても仕様がない。

例えば人を殴ったら殴られた人に悪い。ここでイメージを止めないと詩でも何でも情感が薄くなるけど、殴ったらのイメージへ飛んで他の人にも同じように悪いとか社会的に罰せられるべきなんて積もり積もり降り敷かれた雪の道を歩きながら「What is justice?」(正義とは何か)までも普段着で辿り着けるようだ。情感を重んじれば席を改めて一人きりで日本酒でも飲み耽りながらは僕だけのイメージかも知れないけど、そういうふうな形を取りながらゆっくり染み渡るように真実こそ引き受けるものと反省してしまうはずだった。

リンクのnofollwの使い方が三つ挙げられていた

一点目は「Untrusted content」(不審な内容)という

掲示板でスパム(宣伝等の不都合な行為)の書き込みが多い場合にそこからのリンクにはnofollwを付けるべきだ。するとスパムは減るという。SNSで殊に施されている手法だけど、コメントを使ってリンクを置いて掲示板のページランクを貰おうとするからリンクにnofollwが自動的に付くようになっている。加えて有益な書き込みが多ければリンクのnofollwを外すべきと添えられていた。

二点目は「Paid Links」(有料リンク)という

リンクで料金が発生するものは主にサイト広告だろう。「A site’s ranking in Google search results is partly based on analysis of those sites that link to it」(Googleの検索結果におけるサイトの掲載順位は部分的にはリンクされるサイトの分析に基づいています)。咄嗟、理解するのに苦しむ。広告主のサイトが検索ロボットの分析によって自分のサイト評価に影響するとしたら明らかに意味が逃げている。リンクのnofollwの使い方の文脈からすると広告主のサイトを悪いと決め付け過ぎたかのように聞こえる。あるいは僕の英語の翻訳が間違っている可能性も浮かび上がって来てしまう。

記事にはGoogleの検索エンジンのガイダンスに基づいていると示されながら詳細がリンクされていて押すとリンク プログラムというページに飛んだ。また英語の長文に挑まなくてはならないのかと気は進まなかったけれども行ってみると日本語なのですらすら読めて楽だった。助かるね。

すると有料リンクはページランクを主眼として購入されたリンクが大部分を占めていた。サイト広告も一部には含まれていてリンク先として自分のサイトに貼るならばnofollwが役立つらしい、因みに。今此処でなぜ述べるかはたぶん分からないで良いと思って手を伸ばしては行けないということだ。サイト評価はむしろ下がってしまう。被リンクを金銭的に得ながら数多く増やせばページランクは上がるわけではない。有料リンクだと下がるようにGoogle検索は設計されている。検索結果で掲載順位を上げることはだから全くできない。

リンクのnofollwの使い方としてはそれがあるかぎり、たとえ有料リンクでも検索エンジンのサイト評価、一つの分析を妨げなくなり得ると解釈されるだろう。「we urge webmasters use nofollow on such links」(私たちはウェブマスターへそのようなリンクにはnofollwを使って欲しくて堪りません)。ページランクを主眼としたサイトなのかどうか、やはりペナルティーが加えられる向きも否定できないわけなので、リンクばかりとかコピーばかりなんてコンテンツの場合にはリンク先へのnofollwがサイト評価における優劣の決め手になると考えて良さそうだ。

管理人にとって検索ロボットに違いますよとこちからそちらへとページランクを流そうとして開設されているサイト、またはページではないと分かって貰えるようになって来る。Googleの言葉を引くと「machine-readable disclosure」(機械が読み取れる開示)と定義されていた。リンクやコピーをずらずら並べるサイト、またはページを有益に作りたい気持ちならばリンクのaタグにnofollwを付けておくとサイト評価は予期せずに下がらずに済むといっても同じではないか。

目線が揺れる、しかし。リンクがテーマになると出す側と出される側の感覚がごっちゃになることが多いので、表現するのも大変だ。とはいえ、頑張るしかない。

有料リンクを纏めてみればGoogle検索のサイト評価を妨げる恐れがあるからリンクのnofollwによってリンク先のサイトの検索順位を《管理人として人為的に操作するつもりはない》と証明してくれると有り難いものだと受け留められる。

三点目は「Crawl prioritization」(巡回の優先順)という

検索ロボットはサイトのリンクを辿りながらコンテンツの情熱を収集する。かりにトップページに来たとすると内部リンクが適切に配置されていればサイトの子ページ/孫ページの隅々まで見て行くかも知れない。子ページ/孫ページが検索ロボットのランディングページだとしても事情は変わらない。サイトのリンク構築では無視してはならないところで、要点というか、少なくとも繋ぎ放しではなくてサイト内のどこかへの戻りリンクを置くことがサイト評価に多めに繋がるのは間違いない。微妙な印象だけれども検索ロボットは一回の訪問でコンテンツの情報を集め切らないらしい。何度も足を運びながら全貌を掴み取るみたいなので、ある程度のリンク数があるとサイト評価には有利ではないかと僕は思う。かつてパンくずリストが気に入ったと載せたけれども人間の訪問者にとっても戻りリンクは役立つはずだからなるべく付けたいんだ。または今正にやってみたブログならば他の記事を繋ぐという内部リンクを興味や関心で増やすことも大事だろう。翻ってサイト評価へはオーソリティー(権威)に働きかけるかも知れない。コンテンツはコンテンツでもテーマが充実しているほどに幾つかのページどころかサイト全体でさえも含めて品質は高いと検索エンジンのキーワードマッチングに強みが得られる。これも本当に藪の中芥川龍之介)なので、頭脳を振り絞った小説でも突破口は不可思議にか見当たらなかった、いい切ることは控えておく。経験としては調べものでWikipediaが検索エンジンに目立つのはオーソリティーが大きいように考えられてしまう。非常に有名だから被リンクを外部サイトに膨大に持っていて、些細な日常もさっき一つ増やしたばかりのほやほやだ、ページランクが高いのは間違いないはずにせよ、最も重要なのはサイトの品質なんだ。しかし個々のコンテンツだけではなくてコンテンツが結び付いて次から次へと飛んで行けるリンク構築も特長として味わわれずにはいない。テーマがそんなふうに充実している。前置きが長引いてちょっとどうにもならないから敢えて段落を変えるべきか。リンクのnofollowの使い方へのGoogleの話し振りがどんどん深くなっているせい。

僕としては検索ロボットの巡回の優先順はサイトのコンテンツの速やかな情報収集とテーマのオーソリティーから捉えてみたくなってしまう。

Googleは例としてアメリカンジョークの響きもあるけど、つまり検索ロボットは「名簿に入る」(sign in)とか「ここに登録して」(register here)なんてページは使わないよと挙げている。軽い笑いに謎が著しく招かれた。本当、人間ではないからサイト作成でやるべきではない、さもないと検索ロボットを勘違いさせるとしたら巡回の優先順は何なのかとなる。何が不味いのか。考えられるのはサイト評価のコンテンツの情報、またはテーマに全てが入り込むといわざるを得ない。かりに河馬のサイトに記入欄と一言でもあるとすればサイトの河馬としての完成度が低くなるのではないだろうか。僅かでも下がって自然だと思う。創作活動でも似たようなもので、作品に無関係な穴が空いていたら一個でも完成度が疑われるし、作曲だと個人的にはとても分かり易くて一音を外しても全体がぶち壊れたかのような悲しみを覚える。それもそのはずかどうかは《アメリカンジョークは行方知れず》ともはや笑い返すしかない。

検索ロボットが人間ともしかしたら同じと考えるとアシモフファウンデーションさながらに深読みさせられる。アメリカを代表するSF作家の一人だけど、あり得ない人間性を筆力で問い詰めるようにしてみる他には生き残れまいみたいな感じではないか。ただし検索ロボットについては河馬と記入欄でサイトを捉えるかぎりはそのようなキーワードがあれば検索結果に出され易いわけなんだろう。サイトの品質がどっち付かずになるのを避けるとするとリンクのnofollowで検索ロボットを制御するべきだといいたい、やはり。

しかしながら堅実な情報構築――直感的なナビゲーション、ユーザーと検索エンジンに親しまれ易いURL、等々――が巡回の優先順へリンクにnofollowを付けて焦点を合わせたりするよりもリソースの遥かに生産的な使い方に相応しい気がします。

原文

However, a solid information architecture — intuitive navigation, user- and search-engine-friendly URLs, and so on — is likely to be a far more productive use of resources than focusing on crawl prioritization via nofollowed links.

Use rel=“nofollow” for specific links|Search Console Help(訳出)|Google

リンクのnofollowの使い方がテーマとは全く関係なさそうに締め括られてしまった。

読んで勘繰らせる。世間一般の目で見たら資源の生産的な使用のためにもリンクのnofollowは須く使うものだ(ページランクを主眼にするな)と心に写さされただろう。ところがアメリカの個人主義や自由という発想がGoogleの言葉遣いには国民的に絡んでこそいるのではないか。好奇心が素晴らしく刺激される。

敢えて切り放して良い、算段と理法を。もしも「堅実な情報構築」が「焦点」を結ばないものだとしたら管理人にとってリンクのnofollowの使い方は自分らしさでしかなくなる。懐かしい空気の着心地の良さと感じられる。だからサイト評価は気にかけても気にかけなくても互いに相等しくなる。

検索ロボットの巡回の優先順においてはGoogleに指摘された色んな算段の結果として理法としてのリンクのnofollowの使い方も速やかに引き出されると捉えられる。

いうと話の尾鰭に近くて「堅実な情報構築」に向けてやって行けばリンクのnofollowの使い方はサイト内容に「焦点」をかけがえもなく結んで来るんだ。

僕は知るほどに自分のサイトを大事にしたくなる

端的にリンクのnofollowは検索エンジンのサイト評価を振り分けるために使う。検索ロボットに見て欲しいところを見て貰い易くしたいかぎりは巡回の優先順を指定しながら制御することができる。されど振り分けるからには先ずは自分のサイトを何なのかとしっかり掴まなくては行けなかった。

観察してみれば具な瞳にせよ、思っては抜き差しならないというか、地に足を付けて進み行く、ポコアポコ(少しずつ)のサイト運営が望ましいと鑑みる心の真実を得る。縮めると心得に他ならなかった、管理人としての。現実は意外に訪れるみたいな状況だけれども志を貫き通すつもりが幾分とも忘れがちだったのではないか。

皆に自分のサイトで伝え届け得るコンテンツのイメージを片時も手放さずにいられると嬉しい。詩的に歌えばみたいなサイト作成とも過言ではなくなる、ひょっとすると。辛く苦しいだけが人生ではないのと志が重なり合って来るから今日は日が暮れて朝日が昇っても尽き果てるはずの生きる喜びではなかったと考え返しながら味わうんだ。風も大空を美しく吹き渡っている。

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