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ヴァン・ゴッホの烏のいる麦畑/見たい絵を好きなだけ見られた嬉しさ

僕にとってヴァン・ゴッホ烏のいる麦畑は最も引き付けられる絵の一つなんだ。端的にいうと絵の本質に触れられる。絵の本質は色と線で世界を物語ることで、これが烏のいる麦畑は完璧ではないかと思う。見たものが詩として味わわれるところが何よりも素敵で、心の目で描かれているとしか正しくいいようがない。飛んでもなく美しくて個人的には部屋に飾っておきたいくらい気に入っている。


烏のいる麦畑

見方が普通では分からない。普通では本当にタイトルのままでしかない。麦畑に烏が飛んでいる。タイトルのままの見方だと言葉に絵が負けてしまう。ヴァン・ゴッホはきっと分からなくてもというか、普通でも良いと思いながらタイトルを付けたのかも知れない。只単に風景が伝わる。素晴らしい。いみじくも見られることは生きられることだし、有り難いわけだから神に感謝せずにはいられない。ヴァン・ゴッホの烏のいる麦畑というタイトルの付け方には人生の敬いが感じられる。なので普通に味わってもインパクトは大きい。


ところが特別な見方をすると熊や兎など普通ではあり得ないものが数多く表現されていた。タイトルの言葉からは予想だにしなかった世界がまるで詩のように色と線で歌われているんだ。


咄嗟に見付けたかぎりでイメージを挙げてみよう。左側の雲の広がりのところが熊の顔になっていて麦畑に斜めに寝そべった格好になっている。雲の中の一羽の烏が熊の口なんだ。仰向けで右手を腹に当てて静かに休んでいる感じがする。麦畑の左側と真ん中の道が右腕で、右側の道が右脚という。すると左側の地平線は肩に当たるわけだ。中央付近の右寄りの雲の広がりが兎になっている。白いけれども二本の長い耳や顔は薄くて右向きで体付きは濃い。ふっくらしている。しかし二本の長い耳は天使の羽根のようにも受け取られる。体付きも蟷螂と似ているみたい。蟷螂の左横の暗いところにライオンの右向きの横顔があってライオンの体付きは黒い羊が重なっている。黒い羊の体付きは右向きだけれども反対にすると左向きの人の大きな手のようなんだ。それが熊の額にかかっている。ところで画面の真ん中の道を川と見立てると下の方に笹舟が見えて来る。周りの緑とは一筆だけ離れて風変わりなんだ。そして川の右上辺りに小さな夕陽が半円で接していて夕陽の上に人の小さな顔があるんだ。目が黒い。五本の線が黒い光のように顔から落ちて夕陽を削り取っているけれども何れも爪で引っ掻かかれた感じがする。絵全体を引いて捉えると麦畑の道が翼を広げたような形になっていてどんな怪鳥だろうとぞくぞくさせられるし、とにかく至るところにイメージが浮かび上がって来る。


ちょっとした線、ちょっとした色の全てが計算され尽くしているとヴァン・ゴッホを深く深く称えざるを得ない。絵とは何かを徹底的に追求した結果ではないか。天才としか呼べないし、イメージがこれほどまでも細かく描き出されるものかと感嘆させられる。世界を物語る絵そのもので、ヴァン・ゴッホだけのというか、かけがえのない個性の溢れた神業だろう。一見して烏のいる麦畑は如何にも乱雑に描かれいているようだけれどもそれこそタイトルからしか見ていなかったに過ぎない。タッチと色彩で数多くのイメージが実際には生み出されている。幾らでも見付け出すことができそうなんだ。


優れて可愛いと思うのは兎の右横の狸だ。あるいは子猫かも知れない。輪郭は弱くて途切れがちな烏が両目と鼻だ。耳としても他の烏が飛んでいる。画面の中央左寄りでは可愛いのと同じようにこちらを見ながら梟が羽根を水平に大きく開閉して来る。まるで烏のいる麦畑の扉のようだ。というのはタッチと色彩のポエジーこそ絵を越えてしまっているためだ。見てはならないといわんばかりだ、心の目でしか。忘れるために絵を見るなんて悲し過ぎる。しかしポエジーから絵を見ることができれば大丈夫だろう。梟もまた心地良い風を送り出してくれるといい直せる。ひょっとすると途切れがちな烏は蛙かも知れない。色使いは紫なので、カメレオンの七変化とも感じる。とても詩的な世界だ。兎の右横の途切れがちな烏だけでご飯十杯くらい行けるようなおかず、一杯でも沢山な僕にしてみれば大変な元気を貰える。作詩でも何でも頑張りたくなって来るよ。


ヴァン・ゴッホの烏のいる麦畑は色と線で本質的に描かれた絵だと踏まえればタイトルも詩的に考えられるようになる。熊とか兎なんて数え切れないほどのイメージを表現することのできた画家の経験だった。または証といっても良い。何しろ、ヴァン・ゴッホだからといって他の絵では見ていてもインパクトは下がらざるを得ないと僕は思う。究極の一枚が烏のいる麦畑と、そのように呼ばれたはずだろう。数え切れないほどのイメージが究極の一枚に収められたとしたら気持ちは結婚式をも彷彿とさせる。人生の晴れやかな門出だった。すなわち画家として自己表現が最高潮に達していたのではないか。


最後に恋人のイメージを探して語らいを終わりにしよう。どこにあるだろう。こればかりは色と線に惑わされては掴めないと感じる。見えないタッチと色彩から想像するべきだろう。透き通った芸術性を通して初めて心の目にも飛び込んで来るのではないかしら。


地平線の右の方に小高い丘があり、輝かしく、されど空を覆い尽くすほどの大波が押し寄せている。祈らずにはいられない雰囲気だ。すると画面の左側の大半が水晶玉に感じられる。僅かな陰影で丸く縁取られている。占い師が良く持っているような予言的な品物らしい。熊は流星群で頭を飾りながら右腕で梟を抱いているかのように見える。梟は口髭の烏と王冠のライオンで如何にも知恵者の様相を呈しているものの赤い口を開いたまま、僕には言葉を放つ素振りしか示してはくれなかった。左頬のそばに小さな黒い点が三つ集まって人の顔を形作っている。周りは赤い線で取り囲まれて苦しげに横たわっているようなんだ。恋しさを示しているに違いない。頭の後ろが麦畑の真ん中の道の先端の上にあり、そこは空の竜巻によって極めて激しく脅かされている場所ではないかと思う。地平線の辺りの赤い線の多くは雛罌粟かも知れないけれども感じ入るほどにバラードを奏でて来るのは恋しさのためだろう。彼は救いを求めている、只一人の女性に。


出会えるのか、本当に。小さな夕陽は家鴨の体付きで、竜巻に向いた顔の上にはダックスフンドの顔も見える。楽しいにせよ、魅力的だとしても時間を余り割いては恋人探しに支障が出ると感じるので、やおら目線を変えながら絵を広く見渡すと水晶玉に骸骨が写っていた。梟の口髭の烏が左目で、熊の口の烏の下に飛んでいる大きな烏が右目だ。鼻の穴は梟の足に匹敵する。これは少年の足跡のような匂いもするし、船のようにも見受けられる。もしも船ならば川の風変わりな笹舟が水晶玉に写り込んだものかも知れない。赤い流れに麦の穂の金色のアーチがかかっていて潜り抜けては遥々と進んで行くみたいだ、兎へと。


骸骨の右目は画面の反対側の大きな烏を左目とすると絵全体が人の顔を真正面から捉えた感じに変わるけれどもヴァン・ゴッホの自画像だとしたら右目は梟の口髭の烏、骸骨の左目ではないか。額に兎が乗るので、または天使が飛び立つから優しくて良いと思う、詩的に。ヴァン・ゴッホの自画像のように烏のいる麦畑を考えてみると左目の下に向日葵が咲いているのが認められる。そして向日葵の中心が女性の顔に見えて来る。苦しげで、やはり恋しさを示している。どういうわけか、女性の顔の下にもう一つ顔があって口の代わりになっているんだ。思いがあからさまに出ているようだ。かりにペンダントの写真だとしたら非常に大きくて本人の原寸大かも知れない。


小さな夕陽を挟んで彼女の向こうに彼はいた。彼の上に烏が、一羽、飛んでいて羽根の下にハートが浮かんでいるのも見える。信じ難いけれども黄色の逆三角形があり、上辺の二つの角だけが丸みを帯びていてその間に黒い線が微妙に入っているので、ハートと呼ぶしかなくなる。イメージの途轍もない描き込みだ。目が回るや、細か過ぎる余りに。しかしながらロマンスが素敵だと思う。向日葵の中心の彼女とハートを浮かべた彼、 創作活動もきっと変わらない。心の目で見れば憧れそのものを夢と追い求めている。

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