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紫陽花と大伴家持が短歌に詠んだ恋人を思う無邪気な心

公園の池のそばに額紫陽花が咲いていた。綺麗だと思った。色調が落ち着いていて姿形にコントラストが効いている。芸術性に溢れて受け留められる。

赤(左前)と青(右奥)の二輪の額紫陽花

額紫陽花の花は真ん中のプチプチしたところと周りの大きな装飾花の中心らしい。一つの花に見えるけれども実際は小さな花が集まって咲いている。

万葉集の大伴家持が詠んだ紫陽花の短歌を読む

紫陽花の語源は「集真藍」(あづさい)だったみたいだ。小さな花が集まって咲いているイメージでしっかり捉えられているのは驚く。出典ははっきりしないけど、日本最古の和歌集の万葉集(七八世紀頃)に「味狭藍」の形で短歌に詠まれていた。手持ちでどんな作品かと咄嗟に探してみたくなる。

言とはぬ木すらあぢさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり

仮名と訳文

こととはぬきすらあじさいもろとらがねりのむらとにあざむかえけり

何もいわない木ですらがあじさいならば諸弟らの練りのむらとにも欺かれたことよ

万葉集(伊藤博校注)の大伴家持/巻第四の七七六・七七三(仮名と訳文は筆者)

古語だけれども余りに古過ぎて学者でも意味が分かってない部分が未だに、可成、多いようだ。引用は「諸弟」や「練りのむらと」がはっきりしない。手持ちの万葉集の脚注からすると前者が使者の名前で、後者が練りに練った数知れない言葉ではないかと推測される。

すると木が黙って変わり易い色味の花を付けることには諸弟らの練りに練った数知れない言葉に欺かれたんだという気持ちが受け取られる。

大伴家持(おおとものやかもち)は妻の坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)に不信感を抱いていたのではないか。遠く離れて住んでいたので、心配の余りの裏腹の恋心かも知れないけど、引用は妻に欺かれる存在でしかない夫の恨み節が入っているようなんだ。好きなのに離れているなんて馬鹿らしいから貴方を敢えて信用しないという感じならばとても大らかだから万葉調だろう。人を無邪気に思う心が出ている。少しでも会えない恋人を嫌うように疑っているわけで、胸を締め付けられるほどに汚れない世界が味わわれる。

青の額紫陽花

現代でもセクシーな人からは遠距離恋愛で不安が渦を巻いたような気持ちを聞かされたし、何も変わらないとすれば大伴家持は俺様かも知れない。貴方に紫陽花が色鮮やかに無言の木を覆い隠すように欺かれているといい切って信用できないから終わりだと相手を完全に突き放した格好だ。ただし感動的なのは後先がないせいだ。疑っても終わりでは厳密にはないので、本当は俺様でもないという。恋愛上、二人が続くか終わりかではなくて世界が一人か二人かに重点が置かれているところがとても大らかで現代の物事の捉え方とはかけ離れている。

人間関係が只単にくっ付いたり、離れたりしているに過ぎないから子供染みているにせよ、そうした汚れなさを成人しても持っているんだ。如何にも詩人らしいというか、現代でも見習うべき良さには事欠かないだろう。大伴家持ならば無邪気な心で大人にしては際限なく素直だった。

ところで紫陽花は日本原産の花だと初めて覚えたよ。調べていて全く知らなかったと気付かされた。驚きつつも嬉しくて愛着が増して来てしまう。

額紫陽花が紫陽花の原種で、園芸では主流の丸々とした本紫陽花もそこから派生していたらしい。両方とも日本の花だから日本人にとっては馴染み深いわけだったんだ、やはり。昔ながらの親しみを鮮やかに認め返さずにはいられない。

参考:紫陽花(アジサイ) 万葉集 紫陽花の歌

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