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ジェームズ・ディーンがなぜ言葉通りの人だったのかまでは明かすには及ばない

ジェームズ・ディーンが本当に良いと思うようになった切欠は主演作の一つだけれども理由なき反抗という映画を観たことだった。


振り返るとタイトルのイメージに以前から踊らされていたという印象が最も多く残されている。何だろう、理由なき反抗とは。凶暴な人物が描き出されているのではないか、必ずしもホラー映画ではないにせよ、見るに絶えない光景が繰り広げられているとすれば有名な作品でタイトルは直ぐに覚えられたとしても実際に観てみようというところまでは気が進まなくもなるわけだった。


とはいえ、映画そのものは普通だったようだ。普通というか、予め想定されたよりは遥かに衝撃が少なかった、恐ろしさの。反対に美しさや素晴らしさといった映画の芸術的な凄さが衝撃としてそれこそ恐ろしいまでに胸に打ち込まれた思いがした。



言葉では直ぐに人には伝えられないようなイメージが透き通るまでに味わわれて以来、ジェームズ・ディーンの理由なき反抗は僕にとってかけがえのないものの象徴として認められもしたし、映画としては不朽の名作に他ならないと心から感激されて誉め称えてしまうことも難しくないはずだった。


綺麗なのは世界だった、何よりも。人物や物語も素敵だけれども僕が詩人だからか世界の純粋さが理由の反抗を大きく特徴付けているといいたくなる。本当に人物や物語も素敵なのに世界こそ綺麗で、胸打たれる映画なんて危ないくらい力強い。今正に理由なき反抗の素晴らしさ、または主演のジェームズ・ディーンの凄さへ懐かしくも触れ返しながら胸に空いてしまった大穴を人は、一体、どのようにして持ち堪えられるというのか。詩が些細な日常すらも追い越して行く。そのうち血が流れ出して大穴の胸の断片から心を真っ赤に染め上げることだろう。美しく飾り立てる薔薇のように天使の頬も又目立って血色を匂わせているならば気持ちは甘い。世界も詩を通じてこそ綺麗に受け留められたに違いないと思う。疑い得ない。


ジェームズ・ディーンの理由なき反抗のポスターが探せば色々な種類があるけど、取り分け赤いジャケットで煉瓦の壁に寄り立っている仕草なんか作品そのものとイメージが少しだけずれているようで考えさせられてしまう、妙に。映画を知った後で特に違和感が強まって来るんだ。


余裕に満ちて何かを待ち構えているような雰囲気が理由なき反抗のポスターのジェームズ・ディーンからは静かにも漂っていると見受けられる。ところが映画ではもっとずっと焦っていた。生き急ぐ若者たちの姿が克明に表されてなかったら人々の記憶に残るほどの青春像でもなかったかも知れないけど、とにかく「チキン」なんて呼ばれたり、神経過敏に騒ぎ立てる鶏の落ち着きのなさから腑抜けだろう。父親に従わずに荒れ狂ったり、理解されざる人の生き様ならば作品のテーマとぴったり重なるところではないか。一つの勇気が試される場面の連続だから映画としては息も吐かせぬほどの見応えもジェームズ・ディーンの演技力に超人的に支えられていると拍手を送りたくなる、そこには余裕という余裕は欠片も認められなかったんだ。


理由なき反抗

恋愛も純潔だし、ピュア・ラブ・ストーリーが大々的に取り上げられた作品ではなかったにせよ、しかしだからこそ切なさが煽られながら親身に伝わって来てしまうし、心にも染みて来ては止まないくらいので、僕としては理由なき反抗では終わり付近の添い寝をしながら愛を語らう二人(相手役:ナタリー・ウッド)が余りに美し過ぎて感涙せざるを得ない。


そしてポスターの赤いジャケットと待ち構えに象徴されるようなジェームズ・ディーンの余裕が作中に見付かるとすれば全体からして極僅かな場面だけれども、唯一、確かに味わわれると考えているんだ。


オレンジだろう、詩的に例えれば。人生のイメージがそこにあってジェームズ・ディーンの持ち味とも変わらないのではないか。リーゼントの髪型には男気が詰まっていて赤いジャケットは彼の代名詞にも繋がるような《生きる情熱そのもの》だし、ジーンズも地に足の着いた存在の重さを醸し出しているようだ。


全てが嵌まり捲っているとすれば理由なき反抗とジェームズ・ディーンは切り放せない結び付きで特別な仲を告げているわけで、映画と俳優との素晴らしい関係を鮮やかに教えてくれるからこれは本当に何でも同じはずだし、宇宙から捉えれば環境と万物がどこまで適合されるか、人間にとっては生活と自分らしさとの極度の幸福感を示しているといって良い、いみじくも。


するとポスターで煉瓦の壁から待ち構えた先には夢が転がっているのではないか。ジェームズ・ディーンは調べてみると俳優以外ではカー・レースが好きだったらしい。本人もカー・レーサーだった。二十四歳で亡くなっていたと知ってビックリしたのは理由なき反抗で観ながら二十七八歳に予想されていたせいにせよ、奇しくもレース場ではないけれども自動車の交通事故で命を落としたんだ。カー・レースも一つの夢だったと思うし、頑張って叶えるには努力もさることながら勇気が問われずにいないわけで、俳優でも個人でもやはり変わらないように分かってしまう様子が写し取られている仕草が格好良いと溜め息も溢れる。


ジェームズ・ディーンは孤高のヒーローで永遠のスターだと僕はすっかり感じ入るんだ。


夢は自分一人で追いかけないと他の誰にも叶えられはしない。どんなに応援されても周りからは実現させられない目標こそ夢と呼ぶに相応しかったと目覚ましくも気付かせるジェームズ・ディーンは孤高のヒーローに他ならない。


加えて自己流の生き様を通して俳優としての映画作品や様々な記録だけではなくて死んでは尚の生き写しにせよ、心に光り輝いて励ましを与えるように思われ続けてもいたところが永遠のスターでしかないと呼ばしめるんだ。


かつてジェームズ・ディーンの言葉で「永遠に生きるつもりで夢見て、今日は死ぬつもりで生きよ」と掴んでいた。


代表作の主演映画、理由なき反抗から受け取られる実像と考え合わせてみれば正しく言葉通りの人だったのではないか。驚くべき性格の良さだし、誠実さならば折り紙付きだろう。詩人としては僕も天使に笑われながら神に茶化されるほどにも嫉妬せざるを得ないというか、羨ましいばかりの人生観にせよ、 しかし文学的に考えてもジェームズ・ディーンは他に例を見ない真実を抱えていたようだ。


ジェームズ・ディーンがなぜ言葉通りの人だったのかまでは明かすには及ばない。


僕からは憧れの眼差し送りながら孤高のヒーローで永遠のスターだと見詰めるだけに知り出す心意気も止めておきたい。

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