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9月, 2016の投稿を表示しています

海老天重に受け取る日本の文化

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海老天重。咄嗟に体現止めを使いたくなる、呼ぶのに敢えて。畏まった迫力に息こそ呑まされずにいない。
日本の雅やかさを凄く感じる。五重の塔みたいな金の鯱らしい厳めしいほどに心引かれる美の楽園という雰囲気が漂っているのではないか。潔さが日本の文化を象徴する概念ならばそこから立ち上って来る世界が雅やかなんだ。
刹那に触れる思いが海老天重には受け取られる。後には引けず、先には追えない。今此処の命の眼差しが潔さに通じる精神だから畏まった迫力も伝えるんだろう、空気の波動を伴って。
自然への敬いと捉えても良くて日本の良さにやはり相応しい。他にかけがえのない存在の魅力を覚えさせる文化を持っている。振り返れば数知れないほどの物事に気付かれる日本、または潔さに示された格好良さが認められるようだ。
分けても海老天重は断トツに優れているというか、日本人にとっての美の楽園を本当に感じるし、食べても非常に美味しいけれども芸術としても素晴らしいばかりだ。

やはり綿菓子は可愛くて好きだ

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grow high like this cotton candy cake by kitchen ghosts via Tumblr
綿菓子のケーキ。本当に可愛いと思う。食べたら直ぐになくなりそうだ、余りに溶け易くて。
昔から好きだった、綿菓子は。縁日では必ず買っていた。綿菓子のない縁日なんて考えられないくらい好きだったし、心から気に入っていた。ふわふわだから良いんだ。可愛い。
中学時代、デパートに自分で作りながら買うという綿菓子の機械が置いてあるのを見付けて友達と何回かやったりもした。
小銭を入れるとざらめがバーッと機械の端から流れ出して来て割り箸を真ん中に翳しながらぐるぐる回していると目に見えないほどの綿菓子が少しずつ絡め取られながら集まって一つに膨らんで行くからとても不思議な感じを覚えた。
いつもペチャッとした小さな綿菓子しかできなくて縁日で売っているような真ん丸の大きな綿菓子を期待するほどに参ったけど、しかしながら独特の作り方が分かったという気持ちは正しく面白かった。
雲を食べるようなイメージがあるから綿菓子には本当に夢を受け取る。気持ちが和むし、詩的だと思う。菓子ならば何でもそうかも知れないけれども綿菓子は特別な印象を与えて止まないんだ、僕にとっては。
今も好きだし、可愛いばかりで、かつてを懐かしめば思い出も胸一杯に広がる。

無料ブログと有料ブログはどちらが検索エンジンからのアクセスアップに有利なのか

調べてみると有料ブログが無料ブログよりも検索エンジンからのアクセスアップに有利という意見が大半を占めている。
というか、キーワードの検索結果で直ぐに分かるし、独自ドメインの有料ブログがランキングの上位を埋め尽くしているので、本当に無料ブログと検索エンジンで出会う機会は滅多にないと正しく認めざるを得ない。
何でなのか。多く聞かれるのはサイトのドメインがGoogle検索でのサイト評価に重要なためだった。
無料ブログだとサイトをサブドメインやディレクトリーとして提供しているサーバーのサイトにドメインのサイト評価が分けられてしまうから上がり切らないらしい。
僕は違和感を受けた。それならばサーバーのサイトには途方もないドメインのサイト評価が集まって来て個人では得られないほどに優れた状態になっているわけで、サーバーの強烈なサイトからリンクを貰ってページランクを保てる無料ブログならば必ずしも悪くないのではないか。
ドメインのサイト評価が有料ブログよりも低くてもサーバーの強烈なサイトにリンクを貰ったページランクで相殺できると考えると無料ブログは決して劣らないはずだ、恐らく。
それぞれの検索結果に開きがあるのはブロガーの気持ちでしかないと思う
無料ブログは検索エンジンからアクセスを伸ばすためにコンテンツを高品質に継続して載せるようにやっている人が非常に少ないのではないか。
対して有料ブログは一生懸命にやっている人が多いからGoogle検索に好まれる度合いには大きな差ができてしまっているように受け留められる。
無料ブログでも一生懸命にやれば有料ブログの膨大なアクセスに追い付けると僕は予測しているし、一生懸命にやらなければ有料ブログでも誰も来てない場合もあるわけなので――放置されてしまえばサイト評価は下がる他はないだろう――どちらにしてもブロガーの気持ちが全てだといいたくなるんだ。
Google検索は独自ドメインのサイトを優遇するといわれるからサブドメインやディレクトリーで作成された無料ブログがそうした有料ブログよりも検索結果で不利なのは間違いない。
ただしサーバーのサイトのサイト評価は個人では得られないくらい強烈だからリンクを貰ったページランクで補って余りあるほどのサイト評価を期待できるかぎりは無料ブログで一生懸命にやっても面白いはずではないか。
些細な日常、一日に二十人を呼ぶのに苦労している無料ブログで取…

アイコンの蜜蜂のファイル形式がjpegだったと気付いてpngに置き換えることにした

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一般的にイラストや小さな画像はjpegよりもpngのファイル形式が劣化が少ないからアイコンには向いていた。
僕が蜜蜂を作成して自分のために使うようになったのは数年前からだけれども画像のファイル形式をまだ大して気にかけてなかったらしい。まさかのjpegだったので、思い立って直ぐにpngで保存し直してアップロードしてみたら幾分か画質が良くなった感じがする。
Tumblrのアバターもファイル形式がjpegからpngに置き換えられるや綺麗さが増しながら発色も上がったのではないかと嬉しさが込み上げている。
ブログのヘッダーに背景の公園の森の写真と共にアイコンの蜜蜂を戻してしまった。
アクセスが伸び切れないし、訪問者の直帰率や滞在時間も良くならないので、先日、「記事が何よりも目立つようにヘッダーも添え物でしかないふうに」といったばかりだけれどもブログ自体の魅力こそ表すべきかも知れなかった。
ホームページから来る人よりもGoogle検索から来る人が多くて僕が何者かも良く知らないわけだから記事の前に少しでもブログのデザインを通してイメージを持って貰うことが大切だと感じ出して来た。
懐かしいといえば懐かしくて半年以上はやらずにいたけど、しかし誰も来てなかった頃のデザインで改めてブログのアクセスがどうなるかも楽しみだ。自分では本当に気に入っているから是非とも期待したいと思うし、アイコンの蜜蜂の画質が僅かにでも上がったかぎり、もはや試さずにはいられなくなった。

明日は何の日:国民の祝日一覧

昔から覚えられないでいるからブログに纏めて載せておくべきではないか、些細な日常の記事と共に丸暗記してしまった方が直ぐに気付けるようになって良いと思った。
日本の一年間の国民の祝日(休日)
一月一日/元日一月の第二月曜日/成人の日二月十一日/建国記念の日春分点(三月十九~二十二日頃)/春分の日四月二十九日/昭和の日五月三日/憲法記念日五月四日/みどりの日五月五日/こどもの日七月の第三月曜日/海の日八月十一日/山の日九月の第三月曜日/敬老の日秋分日(九月二十二~二十四日頃)/秋分の日十月の第二月曜日/体育の日十一月三日/文化の日十一月二十三日/勤労感謝の日十二月二十三日/天皇誕生日
出典:国民の祝日について(内閣府|2016年9月時点)
ただし注意点が二つあって休日としての国民の祝日の補則だけれども振り替え休日と挟み込み休日が挙げられる。
国民の祝日と振り替え休日について
国民の休日が日曜日に重なった場合には次の平日が休日になる。概ね月曜日が振り替え休日に当たるけれども連休で月曜日や火曜日と国民の祝日が続いていればそうした分だけ振り替え休日も遅らされる。
なので月曜日が空いてなければ国民の祝日の振り替え休日が失われるというわけでもない。
国民の祝日と挟み込み休日について
二つの国民の祝日の間にある平日は休日に変更される。つまり平日の前後が国民の祝日ならば休日として扱われるようになる。
日曜日は休日だけれども国民の祝日ではないために土曜日や月曜日が挟み込まれても休日には変更されない。
挟み込み休日は振り替え休日と重なる可能性が考えられるけれども現状では一年間の国民の祝日の配置によって生じ得ないんだ。
因みにみどりの日が四月二十九日だった頃には憲法記念日とこどもの日の状況から挟み込み休日と振り替え休日が重なって法律では挟み込み休日は消滅して次の平日には持ち越されなかったらしいので、元から平日のゆえに挟み込み休日の休日としての意味合いは振り替え休日よりも一段低い(挟み込み休日への振り替えは公正ではない)と捉えられるだろう。
国民の祝日を丸暗記しておけば平日のはずが何で休みなんだと明日は何の日と焦り出さずに済むのではないか、些細な日常の他愛もない気持ちにもせよ。
どうしても似たようなイメージの言葉が多いから紛らわしくて覚え難いと思われる。季節によって春夏秋冬と大まかに切り分けながら慣れて行くと良いかも知…

小林麻耶が自分のフィギュアを手にしてその3Dプリント(立体コピー)の精巧さに驚いていた。

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【小林麻耶フィギュア化】 3Dプリント・フィギュア™ - 本人コメント via 3dprintfigure
見ていて本当に可愛いというか、元気の良さに触れて思わず、心からの微笑みが溢れずにはいない。
黄色のミニスカートと白いスリーブレスも似合うわけだよ。無邪気な楽しさが示されている。小林麻耶にピッタリの衣装ではないか。
イメージを取り込んだのは3Dプリント・フィギュアというSony Musicのサービスらしくて計らずも好きな気持ちが二つ重なった格好の動画だけど、僕にとって、しかしながら二つの好きな気持ちを見越したかのようなポーズを取っているフィギュアなのも凄いと感心する。
小林麻耶が後頭部で手を組んでいて自分でポーズを付けたらしくて感性に痺れずにいない。どうしてSony Musicのサービスというか、少なくとも3Dプリントの面白さまで取り入れたイメージが打ち出されたのかが気になって仕様がない。
一言ではやはり感謝の幅が広い。フィギュアはそれだけで完成するわけではなくて他の機材もなければ表現されないし、表現するために必要とされる気持ちまでもがちゃんと掬い取られているせいだろう、真面目に。
考えると嵌まるのも当然の小林麻耶で、優しさを深く味わわされてもはや抜け出せなくなりそうなくらい引き付けられる。
物事の成り立ちを見落としてないところが良いし、心に忍ぶどころかポーズに付けられさえもするのは素晴らしい感性の為せる業だと誉め称えたくなる。
本人によると買ってくれるファンのために胸の前に手でハートを作るつもりだったけれどもフィギュアでは小さ過ぎてしまうから頭の回りに腕で大きく出すように変えてみたらしい。
フィギュアにはフィギュアの形というのがあってポーズを合わせてやっているせいで、デザインが相応しく得られるし、感謝という自己表現の気持ちも存分に伝えられて来るんだ。

気付けば好きだった小林麻耶の可愛さはきっと明るかったはずで

テレビのアナウンサーで見かけて小林麻耶は可愛いと思った。駆け出しの頃、土曜日の夕方に自分の番組を持っていて他のアナウンサーと二人で面白可笑しい世界を表現していて目を引かれずにいなかったというか、いつもチャンネルを合わせてばかりで興味津々の気持ちだったんだ。
大分、前だけれども番組名は覚えてない。調べてみるとチャンネル☆ロック!だった。僕もまさか気持ちをロックされた、小林麻耶のチャンネルに。振り切っても、一番、面白く見られた番組ではないか。可愛さが如何にも炸裂していた。同時期に王様のブランチの司会も昼にはやっていたから土曜日は夕方と併せて、二回、小林麻耶が見られると心も浮き立つように喜んでいた。
因みに夜はチューボーですよ!もやっていたので、土曜日は本当に小林麻耶一色だったはずだけど、僕は料理番組自体に気が向かないので、面白そうでも強いて見ないようにしていた。一度だけ小林麻耶が好きならばどうしても見ておくべきではないかと挑んでみたけれどもやっぱり乗り気にまではなれなくて無理だった。
小林麻耶でしかし驚いたのは元々は恋のから騒ぎにレギュラーで出演していた
始まった頃から僕はいつも見ていて本当に面白いテレビ番組の一つだった。司会の明石家さんまが若い女性たちの知られざる本音に触れてワーキャーするみたいな感じで、他にはない情報が幾つも挙げられていたし、新鮮な驚きに満ち溢れていた、僕にとっては作家活動のために恋愛や人生の参考資料として役立てられそうだから相当に有り難くもあった。
数年間、欠かさないくらい恋のから騒ぎを見ていたけど、流石に飽きて来て興味や関心も薄らぐばかりの頃に小林麻耶が出ていたらしかった。
僕は本当に気付かなかったので、もう見なくなっていた恋のから騒ぎではないかと思ったけれど八期生で八年目の他のメンバーの何人かには見覚えがあった。なので小林麻耶は僕が見続けていたはずの恋のから騒ぎに出ていたと分かってなぜ目に留まらなかったのか、可愛さの欠片も掴み取らずにいたという状態が凄く疑問に感じられてしまわずにいなかった。
考えると小林麻耶は明るさが変わったようだ。アナウンサーになってから初めて可愛さも目立って知られるようになったのではないかしら。かつて恋のから騒ぎに出ていたとされる頃のイメージとは雲泥の差が認められもするし、小林麻耶にとって可愛さが持ち前のキャラクターだとすれば自分らし…

素敵なコーラの甘く格好良い暑さ凌ぎ

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また暑くなって来た、九月も終わりだというのに夏の残暑の振り返しみたいだ。コーラでも飲みたくなるよ。美味しいだろう、ごくごく想像してみただけでも。シュワッとした炭酸ソーダの喉越しに苦めの甘みがこってりと纏わり付くなんてコーラならではの喜びではないだろうか。他では決して味わわれないリフレッシュ感覚に違いない。よもや暑さに参らされるほどに冷たく欲しくなるようだ。
Lou Bega - SWEET LIKE COLA via LouBegaofficial
コーラをモチーフにした音楽はあるのかとYouTubeで探してみたらLou BegaSWEET LIKE COLAを見付けてとても良いと思った。
何しろ、格好良い。動画に出て来る女性が太っていて可愛いと思うし、コンセプトが新しい感じがするんだ。
歌詞ではダイエットするよりもセクシーだと表現されてそのままの君でいて欲しい思いならばコーラにピッタリの爽やかさだとまさか気持ちもタイトルの「コーラのように甘い」に響き合って素晴らしいイメージだと称えたくなってしまう。
僕が身近で太った女性を見ていて可愛いと思うのは元気があるせいだ。スタミナがたぶん違う。痩せると自分でも分かるけど、直ぐによろめくみたいな感じだから元気が出難くて何事も長続きしなくなる。健康的と呼べるだけの脂肪は付けておかないと生活に支障がないわけではなかった。
Lou BegaのSWEET LIKE COLAには健康美を受け取る。
太り過ぎるのは良くないけど、ただし痩せ過ぎるのも良くないので、人それぞれの体型だし、科学的には細胞の大きさ(遺伝子)で決まるらしいけど、太っていても痩せていても自分に合っているかどうかが大事だ。
コーラのリフレッシュ感覚、または爽やかな気持ちは素敵だと存外なまでの暑さに今更ながら思い起こされている。

ペンギンアルゴリズムがラストアップデートでリアルタイム更新へ変換

Google+のGoogle Webmastersでペンギンアルゴリズムがアップデートされたと知らされたので、どうなったのかとリンク先で詳細を確認してみたら衝撃的に受け留めた。
Googleのペンギンアルゴリズムは検索エンジンでの上位表示を狙った不正行為を取り締まるために作り出されたもので、検索エンジンへの不正行為には訪問者に表示されないキーワードを数多く埋め込む(隠しテキスト)とか検索エンジン向けにキーワードだけらのコンテンツを出す(クローキング)なんて様々な方法があるけど、取り分けページランクを上げるために外部サイトにリンクを不自然に増やしている(リンクスパム)サイトにペナルティーを課して検索結果から排除するように作動している。
検索エンジンでコンテンツの品質が伴わないサイトが上位表示を果たすと利用者に役立たない検索結果が作り出されてしまうわけだから改善しなくはならなくてGoogleはペンギンアルゴリズムで対処していた。
ただしコンテンツの優れたサイトまで誤ってGoogle検索で不利になってしまったり、取り締まり切れない不正行為も残されたり、新たに作り出されたりしてペンギンアルゴリズムは検索エンジンにとっていつでも十分に働くと呼ぶには難しかったみたいなんだ。
理想的な形としてはリアルタイムに更新されるべきだし、検索エンジンの検索結果が遅滞なく適正に保たれることが待ち望まれていたわけだけれども漸くというか、ついに実現されて人の手を借りずにいつでも十分に働くようにGoogle検索のアルゴリズムに機械的に組み込まれてアップデートもラストを迎えた。
ペンギンは今やリアルタイムだ。かつてペンギンに関与するサイ トのリストは定期的に並行して更新された。ウェブマスターがサイトやインターネットでの表示を熟考して改良してしまえばGoogleのアルゴリズムの多くは大変に急いで熟考に取り入れようとした。しかし他のもの、おそよペンギンは更新される必要があった。今度の変換により、ペンギンのデータはリアルタイムに更新される、すると変換は目に見えてより早く、典型的には私たちがページを再クロールして再インデックスした後で直ちに効果を発揮して行くだろう。それはまた私たちが未来の更新へ口出しするつもりがないことを意味する。ペンギンは今やもっときめ細かい。ペンギンは今やスパム・シグナルに基づいてランキングを…

サイトへのクローラーの平均巡回数が増えるに連れてGoogle検索でのサイト評価も高まらずにはいなかった

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些細な日常のGoogle検索での調子が上がったと明らかに分かるようになって本当に表示回数が百回以上でクリック数が十回以上という日が幾日も連続して見られ出しているんだ。アクセスも一日に二十人という今月の目標をきっちり越えて来てアクセスの伸び率も上がれば期待される二十五人まで窺われるほどに良くなっている。
さらに検索結果を安定化させられないかとアクセスアップの情報収集に勤しんでいるとGoogle検索のサイトへのクローラーの平均巡回数が検索エンジンに掲載されるためのサイト評価に影響力を相当に持っているらしいと気付いた。
目安として、クロウラーが平均60~80回/日程巡回するようになると、SEO効果が現れてくる。
SEO内部対策で行うべき20の事 via バズ部
Search Consoleで確認すると些細な日常は、今丁度、六十回を越え出しているところなので、この辺りからGoogle検索からのアクセスがグッと伸びて来ているのはなぜなのかと注目されてしまうわけだ。
クロールの統計情報 via Search Console
ブログの記事が検索エンジンにインデックスされてもサイト評価は十分に得られてないに等しかったと分かる。インデックスされればGoogle検索はサイト内容を把握しているにも拘わらず、実際にSearch Consoleに送信されたサイトマップ外部サイトからのリンクを辿ってクローラーがサイト内容を数多く掴まないと検索結果で有利に紹介されない。
ページランクのせいならば直ぐに理解できる。外部サイトからのリンクによってGoogle検索での調子が上がるといわれる。それだけの外部サイトからのリンクがあるならばサイトへのクローラーの平均巡回数も増えるのは間違いはずだ。
ところがバズ部の分析によるとページランクは関係ないとされている。一つの実例と共に「Googleは完全にコンテンツの純粋な質を最重要視するようになったのだ」ともいわれていた。外部サイトからのリンクが殆どないにも拘わらず、クローラーの平均巡回数が増えたとすれば気になるのもサイトの内部対策しかなさそうだよね。
サイトの内部リンクをしっかり纏めておけばクローラーがサイトに実際に辿り着く機会は少ないとしてもサイトを詳しく回ってサイト内容を多く掴んで貰えるように変わるから良いのではないか、サイトへのクローラーの平均巡回数も同時に増えるの…

薄毛の悩みに育毛や増毛の突破口は見えないにせよ

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三十歳頃から前髪が減り出した。最初は気付かなかった。朝、洗面台で顔を洗っていて手が随分と上の方まで行くなと微かな違和感が何日も続いているために漸く思い立って額を鏡で調べてみると前髪が薄くなっていたという。抜け落ちてなくなることが本当に信じられなくて対処したいとも思えなかった、直ぐにはまさか髪の毛にとって。原因も考えずに放っておくしかなかった。
ただし体質だろうとは感じた。高校時代に遡るけれども髪型を気持ち良く整えようと色々と試しながら髪が弱くて上手く行かないことがしょっちゅう悔やまれていた。気持ち良く整えようとしても直ぐにペシャっとなってしまう。雨が降って湿気が多いと本当に頂けない。食えないハムそのものだったし、そこまで詩的な生活はまだ送れてもいない十代後半の気分だったとはいえ、神様が黴を生やして感じ取らせながらブルーチーズではなかったなんて飛んだ冗談が好きみたいな印象だったはずではないか。皆は大丈夫そうなのに自分一人だけがペシャペシャで参らされてしまうわけの気分だった。
考え付いたのは細くて薄いから髪が弱い。だから髪型を上手く整えるには他の人たちよりも苦労を強いられる。仕様がないので、天命として受けれざるを得なかった。意外に驚かされるけど、とにかく髪の毛の悩みは深い。命に関わるものではないから大して構わないはずなのに本当に天を仰いでしまう事実は不思議だと思うよね。髪型を整えて誰かに自分を格好良く見せたいという気持ちは人生の張りなんだ。張りを失った人生はそれこそペチャンコだから耐え難いんだ、精神的に。もちろん体質ではどうにもならない。服装のように感性を磨こうと少しでも成功する可能性は薄毛には残されてなかった。
始めは整髪料で何とかしたけど、物凄く頑張った日が、偶々、大雨に重なって崩れかけて不味いと思いつつも学校で友達に「変な髪型」とはっきり口に出されるし、もう駄目だと、この髪の毛の弱さは総じて手に終えないみたいな感じがした。なのでできるかぎりは短くして、一日、予定通り、持たせ易い髪型こそ選びたいというような終いだった。
中年の入り口というか、そこで本当に下降線を描き出した。脱け毛にまでついに陥ったわけで、しかし天命だから何もせずに過ごしていて止まってくれれば良いのにと神様を祈るように見詰めるしかなかった。
何年か過ぎて鏡で額を確認すると明らかに広がっていて前髪が後退している…

テーマに即して内容を凝縮した二三千文字の記事が増やすのには事欠かなかった

ブログのGoogle検索で好調な記事を考えてみると文字数は意外と関係ない。四百字以下の短い記事でも検索エンジンの掲載順位が高かったりしている。他のサイトでも偶に見かけるけど、とても興味を引かれる。
コンテンツの品質がどのように把握されているのか、Google検索によって。たぶんキーワードの主旨を突いている記事が好まれてそうなんだ。ランクブレインに基づいて検索エンジンの利用者がキーワードで知りたい何かを提示しているコンテンツが高品質と評価された結果なのではないか。
テーマに即して内容を凝縮した記事が文字数の多少に拘わらず、Google検索に向いている可能性が高いと認められるわけだ。
他方、一万字ブログとか非常に文字数の多い記事はどうなっているか。僕は幾つかやってみたけれども検索エンジンには必ずしも芳しくないような印象を持たされてしまった。これは案外だけれどもテーマが広がり過ぎると内容が薄く見られ易いのかも知れない。短くても好まれる記事が内容の凝縮のせいならば当然だろう。検索エンジンにはピントがぼやけるように一万字ブログの主旨は丸ごとサイト評価には結び付き難いのではないかしら。
記事の文字数は多くても五千くらいまでが良くて二三千くらいだと様々なキーワードでヒットするような傾向が見られている。ブログでGoogle検索からアクセスを伸ばすためには二三千文字の記事を増やすことが最も効率的な方法かも知れない。タイトルと本文でキーワードを色々と組み合わせながら検索結果に出られる記事ならばそれだけでもアクセスは多方面から獲得するはずなので、きっと大助かりという。
何れにしてもテーマに即して内容を凝縮するとコンテンツの品質が高いとGoogle検索には思って貰えそうだし、そうした記事や記事を載せているブログのサイト評価が速やかに上がるような感じがしてならない。

一人でも多くの人に分かって貰えると本当に有り難いという自己表現が欠かせない

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天使のモノクロームでVintage 2の十二種の写真素材を追加した。
差しかかる日陰 via 天使のモノクローム
アクセスを本気で求めれば本当に良い作品を載せて行かないと駄目だし、以前よりも良い作品を出したいとはっきり感じながらやるようになって来た。
端的いえば人々へ向けた自己表現を考えなくてはならないだろう
大勢に好かれようとするとターゲットを人々に絞れば趣味嗜好で個人を想定するよりもサイトが広く受け入れられ易いのではないか。誰にも理解されなくてはアクセスは伸びなくても仕様がないわけだから一人でやるしかないと思うけれどもそれ自体がアクセスを阻みそうなんだ。気持ちが反対側を向いている。一人でも理解して貰えれば有り難いのは間違いないとしても理解してくれる人が誰なのかを自分で決めるとサイト運営がどうにも厳しくなってしまうという。
僕としては人々のためのサイト運営に芸術/創作活動から根本的に切り替えるつもりというか、そうした形を全く退けながらやっても苦しまざるを得ないような状況になって来ているんだ。
ブログでも少しずつ取り入れているし、老若男女の誰でもが気持ちを直ぐに汲み取れてあらゆる文脈で予備知識なしに記事が思う存分と味わわれる言葉遣いを実現して行こうと努めている。
皆が容易く呑み込める素麺のようなまるでツルツルと小気味良い文章、すなわち心の喉に違和感のないイメージの母国語こそがアクセスを確かに呼ぶのではないかと望まれてしまった、新しく好ましく。
日本人にとって理解される日本語というと気持ちが伝わるかどうかが大事だし、およそ訪問者の胸に染みれば喜ばれもするわけだからこれは詩的な作用だけれどもサイトのアクセスには求められて止まないはずだ。自己表現が理解されなくては注目される度合いが下がってしまうと共に作品の魅力そのものも覚束なくなると懸念される。
かつて一人でも多くの人に「知って貰いたい」とか「見付けて貰えるように」なんて教えて来たけど、とにかく肝心なのは理解されなくてはならなかった。
サイト運営のターゲットの範囲を狭めないかぎり、もはや人々へ向けて自己表現を行えばアクセスの可能性はぐんぐん広がるように感じる。
精一杯の思いを込めながら情熱的に取り組んだ作品が一人でも多くの人に分かって貰えると本当に有り難いし、人々のために励むという気持ちがあると真正面から上手く行くかも知れないので、いつも駄…

アクセスアップに纏まった記事と固まったテーマが欠かせない

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ブログがGoogle検索で一日の表示回数が百回を越えてクリック数が十回を越えた。良い感じだと本当に思う。それぞれが百回と十回を越えながら揃うことが少しずつ増えているので、ブログの成長がSearch Consoleのそうしたデータから十分に伝わって来てブロガーとしての意欲が迸らずにいなかった。
開設当初からの一年間ちょっとの停滞が嘘みたいに伸びている。振り返ると記事のタイトルにキーワードを殆ど入れてなかったせいだろう。本当に詩的なタイトルばかり使っていてはアクセスは伸びなかったし、考えながら少しでも止めて良かったとしかいいようがない。
そして記事の本文にもタイトルと合わせてキーワードを入れるべきではないかしら。検索エンジンに記事が纏まっていると判断されてブログのサイト評価も全体的に上がって来るように感じる。
些細な日常はテーマを一つに絞ったブログではないから似たようなテーマの記事を幾つか固めておくことも重要だろう。キーワードがアクセスならばアクセスの記事を増やすほどにそうしたサイト評価も上がり易いのではないか。ブログの知見を、どんなテーマに向いているサイトなのかを諸々の記事を通して検索エンジンへしっかり伝えて行きたくなる。
Search ConsoleでGoogle検索のブログの表示回数が百回とクリック数が十回を、毎日、越えるようになればアクセスはそれ以外も含めれて一日に三十人近くなりそうに予測される。多少とも浮き沈みは免れないにせよ、記事を増やしながらアクセスが着実に伸びているのは間違いないから不安がらずに前向きに頑張るだけだ。

アクセスアップの鉄則ならばサイトのデザインを完全に纏めておくには越すまい

思い立ってブログのヘッダーのデザインを少しだけ変えた。というか、元に戻したに等しい。
さらに遡ればヘッダーの画像やアバターを出すようになるけど、やるかどうかは現時点では考えてない。
説明の「自分らしさ」のリンクを外した。リンク色で青になるから目立つし、デザインが微妙に崩れると感付いてはいたけれどもブログのコンセプトを示すために「思いを綴ることにした」にリンクしていたんだ。
些細な日常は普通にやって普通に人が来てないブログではないかと恐れ出したので、五百件の記事で一日に二十人も達し難いなんて状況は本当に不味過ぎる。
アクセスアップの鉄則ならば百件の記事で一日に五十人は行きたいし、さもなければドメインを変えるしかない。些細な日常はTumblrを去る。Google検索のサイト評価でトップページから全ての記事が比較的に低品質と見做されるようではブログに期待が持てない。
なぜ一日に五十人がアクセスアップの鉄則なのか
人々にメインサイトとして好まれてないと思う。ホームページのサブコンテンツか、実生活の付け足しなので、それでアクセスアップを求めるのは虫が良過ぎる。考えても現金だ。というか、メインサイトでなければアクセスアップを期待すること自体が間違っている。誰も来ない日記ブログならば少しでも嬉しいに決まっているけど、アクセスアップを期待して我慢できなければ些細な日常はメインサイトとして人々に好まれるべく作り直さなくてはならないい。
デザインか、記事のせい。記事は本当に良くやっているというか、一日に二十人では判断が付かない。現実を直視すればまさかサングラスが必要なくらい目に悪いし、それこそ才能だから人々にも気付かれないと精確には分からないんだ。自分としてはブログへのリンクが少ないし、アクセスそのものが不足しているから記事よりもデザインを先に調整したくなる。
デザインで一日に五十人が普通に達成できればブログの才能もあると自認して良いのではないか、ギリギリ。百件の記事なので、二件で一日に一人が確実に来る。本当にギリギリなので、一件の記事で一日に確実に一人のアクセスでなければ記事も改める必要はあるかも知れないだろう。
些細な日常も五百件以上の記事だと二百五十人以上のアクセスが毎日ではなければ喜んで本当に良いとはいい切れない。
先ずは気持ちが大事だし、十年以上もホームページのサブコンテンツとしてブログをやっ…

コンテンツのしっかりしたサイト作成で検索結果のトップに立たなくては

十数年以上前のアクセスアップのためのサイトを見付けたらコンテンツが良いほどにGoogle検索で有利に紹介されると載っていて実に興味深かった。
なぜなら近年と全く同じだからだ。コンテンツのしっかりしたサイトが検索結果の上位に掲載されるような仕組みになっている。元々のGoogle検索もそんなふうに動いていたんだと分かって来たので、どうして昔から今までの十数年間の検索結果が変わっていたのかを考えてみたくなる。
本当はGoogleのせいでは何一つなかったのではないか。世の中が変わっていたと思う、むしろ恐らくは。Google検索で有利に紹介されればアクセスが伸ばせると大勢の人たちに知られるようになり、サイト作成にコンテンツよりも掲載順位を考える手法が増えて検索結果が別物として作り出されてしまったせいだった。
古くはサイトのhtmlでmetaタグのkeywordsにキーワードを入れるだけで掲載順位でトップのサイトが持てたらしい。Googleはmetaタグのkeywordsを読み取らないようにしてコンテンツの伴わないサイトを検索結果から退けることに成功したといわれる。
しかしページランクが注目されると外部サイトからリンクを数多く貼るだけで掲載順位でトップのサイトが持てるようになってしまった。これは現在でもあり得るかも知れないし、Googleはページランクを廃止してないので、完全に止めるかどうかも定かではないないにせよ、掲載順位を妨害するサイト、つまり自作自演のリンクが余りに多過ぎたり、コンテンツに全く合ってなかったりするホームページやブログについてはペナルティーで検索結果に出さないように警戒しながらやっているわけだ。
どちらにしてもGoogleが検索結果を作り上げたい大元のサイト評価は変わってなかったという他はない。コンテンツのしっかりしたサイトが良いわけなので、それが検索結果に出なくなるのは掲載順位を手法だけで上げようとするサイトが増えたせいだったし、実際に可哀想なのもGoogleだったと気付いてしまった。
近年、過去に近付くようにコンテンツのしっかりサイトが掲載順位のトップに立っていると考えられるけれども新しくはサイト評価に無関係な要因を悉く見抜いて除外するべく検索エンジンが改良されたことを物語っているのではないかしら。
Googleがコンテンツのしっかりしたサイトを検索結果で有利に紹介…

訪問者の滞在時間から見えて来るサイトのタイトルとコンテンツの噛み合い具合

Googleアナリティクスのデータの一つに平均ページ滞在時間がある。訪問者がページにどのくらい滞在していたかという時間が分かる。直帰してサイトの他のページも見て回らないと計測されないらしくて完全な結果ではないけど、しかしサイト運営のアクセス解析の目安になるんだ。
訪問者の滞在時間はGoogle検索でのサイト評価に影響する
直帰率と併せてかも知れないけど、検索結果からサイトを見て訪問者が滞在時間も短いままに一つのページだけで止めてしまえば検索結果に合ってないサイトだとGoogle検索に思われ兼ねないし、ランクブレインからサイト評価に影響すると考えられる。
訪問者が興味や関心を持たないサイトではアクセスは見込めないから平均ページ滞在時間と直帰率もなるべく良いふうに纏まるように作成したいと望むんだ。
僕として最も気になるのはタイトルとコンテンツの噛み合い具合だった、訪問者の滞在時間から考えみたところがおよそ。
訪問者に納得されるサイトでなくては滞在時間は下がり易い
サイト作成では説得力がテーマよりも大きいのではないか。
どんなに興味や関心のないサイトでも説得力があれば新しい世界を教えられるはずだし、完全に引き込まれるかどうかは別としても一つの好奇心から注目せざるを得ないという。
タイトルとコンテンツが噛み合っていると訪問者はサイトに納得するに違いない。
経験的にいってもコンテンツが目立つと薄いし、タイトルが目立つと浅い。サイトが訪問者にどのように味わわれているかは等閑にはできない。
サイト作成でタイトルばかりだと騙されたと思わせ兼ねないから注意しなくては行けないと直ぐに分かるかも知れない、アクセスのためには避けて然るべく。
ところがコンテンツばかりでも訪問者にサイトを納得するところまで理解させられなさそうなんだ。作成するならばコンテンツが何なのかを速やかに把握できるタイトルを付けておくと手助けになるのではないか。
訪問者が目の前のサイトに納得するかどうか、もしも頷くならば気持ちの深さに応じて快さを受け取るだろう。他では得られない幸せと感じ取られれば常連になるかも知れないし、それでなくとも不快感を与えずに済めば大きいはずだ、アクセスにとって。
心理的にいって人は誰かに嫌われると思えば攻められる不安を抱くけれども同じくらい一人でも安全に防いでしまうように変わる。気持ちが萎縮して自分らしさを上手く出せ…

ランキング/検索エンジンにページランクのためのリンクを貰いに

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大分、涼しくなって秋空も見えて来た。気持ち良いのはしかしブログのアクセスが連日で二十人に近いせいだ。今月の最低限のノルマは果たしている。本音は一日に二十五人だけれどもそこへ持って行くというか、毎月のアクセスの伸び率を高めるために有力な方法が見付かったので、期待感が増しているんだ。ならば空の青さも良く分かるわけではなかったか。美しい秋を過ごせそうだ、よもや正しく。
僕にとってGoogle検索でのサイト評価の著しい弱点の一つが外部サイトからのリンクが少ない。すなわちページランクが低い。
将来的には著者のオーソリティーに取って換えられるといわれるし、もう既にコンテンツだけで十分にGoogle検索からのアクセスは見込めもするけど、現段階で気になるのはキーワードで検索結果にばら付きが見られる。
些細な日常はサイトのアクセスについての記事が駄目なんだ。恐らく人気のキーワードだから競合サイトが物凄く多くて検索結果で埋もれてしまうのではないかしら。人気のキーワードへはサイト評価のページランクが大きく働いているように思われる。利用者が人気のキーワードを検索窓に打ち込んだら人気のサイトを検索結果に率先して出すことが合理的といえなくもないので、Google検索が好んでやっているとしても驚かないわけなんだ。
ブログへのリンクを自分で増やすとGoogle検索にペナルティーを食らう危険性があるから注意しなくてはならないけど、ある程度はやらないとどうにもならない。外部サイトからのリンクが皆無ならば検索エンジンへのインデックスも自動では無理なので、それこそ待てど暮らせど誰も来てはくれない。どこかのサイトでブログが誰かに気付かれもしないとはいうまでもない。
自分で外部サイトからのリンクを増やそうとするとランキング/検索エンジンが重宝されて来る。
僕が知ったのはランク・アートクリエイター×コレクションに入ったらGoogle検索からのアクセスが月間で数十倍以上にも膨れ上がった。元々が検索エンジンから二三人しか来てない感じだったので、アクセスの伸び率も急上昇したのかも知れないけど、しかしクリエイター×コレクションは日本で最大級の創作ランキングだからランク・アートとは関連性も深いし、ページランクへの効果は見事だったと推測される。
これに味を占めてブログや他の所有サイトもクリエイター×コレクションへの登録は外せないと考…

トマトが持っているβカロチンとリコピンの優れた抗酸化作用

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トマトは目に良い食品らしい。写真はプチトマトだけれども効能は変わらない。目が弱くては食べたい。
トマトはβカロチンが抗酸化作用を持つし、細胞のダメージを防ぐ、ビタミンAの前駆体なので、体内でそのように変換されれば光の受容や粘膜の保護に役立つ。
さらに血液サラサラでお馴染みのリコピンも目に抗酸化作用を持つんだ。血液サラサラで目の毛細血管の流れが良くなれば健康的だから抗酸化作用と併せて目を非常に助けてくれるわけだ。
リコピンは紫外線の影響も減らすみたいだからこれも目には欠かせないし、全身的にも申し分ないだろう。紫外線を浴び過ぎると遺伝子が損傷するらしいから様々な病気の危険性が高まるので、トマトは長生きに向けて気持ちが明るくなる、本当に。
加えて白内障を予防するともいわれていた。紫外線との関係みたいだ。白内障は老人の大部分が発症するし、僕も父方の祖母が七十歳を過ぎた頃に白内障の手術を受けて眼内レンズを入れるようになった。治療法は確立されているようなので、発症しても大丈夫かも知れないけど、避けられればそれに越したことはないだろう。
トマトは抗酸化作用に優れていて目に相当な威力を発揮してくれるし、健康と長生きに向けても素晴らしい食品なんだ。
全く酷いドライアイにも良いはずだから注目せざるを得ないと思うよ、当然ながらトマト、プチトマトこそ。
作家活動で長時間のディスプレイの使用を余儀なくされる僕にとっては救世主に近いほどの効能が見付け出された。

Yahoo!カテゴリの登録に成功

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サイト運営としては十四年越しの悲願達成だけど、とにかくYahoo!カテゴリにサイト登録の無料推薦を幾度も行って来ていた。
本当に駄目で、落とされてばかりなので、どうにも期待できない状態だった。
所有サイトのGoogle検索でのサイト評価を上げるためにはページランクが欠かせなくてつまり外部サイトからのリンクが欲しいわけだけれどもYahoo!カテゴリが日本では取り分け効果的といわれている。年々と魅力は下がっているようだし、本国のアメリカのYahoo!では登録サイトのディレクトリー自体がもはや廃止されてさえもいるにせよ、僕みたいに外部サイトからのリンクが非常に少なくてページランクの低いサイトしか持てない場合には意味合いも変わって来るので、喉から手が出るほどに求められてしまうんだ。
今年はForevermoreで詩集を増やしたり、些細な日常で記事を増やしたりしたので、コンテンツが充実していればチャンスがあるのではないかとYahoo!カテゴリへの無料推薦を改めて繰り返しながらも相変わらず、悉く落とされて憔悴せざるを得なかった。
天使のモノクロームの登録サイト検索結果 via Yahoo! Japan
驚き捲るし、目を疑わざるを得ない、Yahoo!カテゴリに天使のモノクロームが登録されるなんて。素材数はコンテンツが充実しているとまだ十分に呼べるほどには揃ってない感じがしたけど、試しに無料推薦を行ったら一発で審査に通ってしまった、それこそ。
Yahoo!カテゴリに入るには他にないサイトが良いといわれるので、天使のモノクロームは白黒写真が新しいと思われたのかも知れない。コンテンツが大量に揃ってなくてもYahoo!カテゴリに入れたとするとサイトのコンセプトが大きく問われたと考えられる。
そして子ページにJqueryで開閉スイッチを付けて見るだけではなくて操作しても面白いというようなデザインを採用したところは個性的と喜ばれなかったともかぎらない。
所有サイトでは天使のモノクロームがYahoo!カテゴリに最も入り易いのではないかと予想された通りの結果が出た。
素晴らしい成功としか呼べないし、一つでも有り難いので、天使のモノクロームのGoogle検索でのサイト評価がYahoo!カテゴリの登録で上がってくれればそこからリンクしたForevermoreやランク・アートも上がるはずだし、さらにForevermo…

ロドリーゴのピアノのアランフェス協奏曲に信じられないほどの感動を覚えては興奮にも包まれながら

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Joaquín Rodrigo. Concierto de Aranjuez via Joaquín Rodrigo ED.
素晴らしくも気に入りのアランフェス協奏曲の作曲した本人のロドリーゴの演奏が聴けるという動画をYouTubeの公式チャンネルで見付けて飛び上がるくらい嬉しかったけれどもどんな演奏なのかと最も知りたかったのはテンポだった。
かねて想像したよりも少しだけ速かったようだ。薄い薄い紙一枚分くらい気持ちが置いて行かれるような風合いの漂うロドリーゴのピアノだったという。
そして深く味わいながら考えてみるとピアノの楽器の響きに頼らずに楽譜の音符を正確に捉えている、または丹念に世界を紡ぎ出すような指捌きが個性的で、著しく伝わった気持ちの良さがやはり素晴らしいと納得させられてしまったんだ。
テンポが少しだけ速くて感じるとはいえ、厳密にはピアノの響きが弱いから音場が耳に余り残らないために曲が先に進んで思われるだけなので、正しく作曲通りに演奏されたアランフェス協奏曲の第二楽章ではないか。
表現力として驚くべきは音楽のピアノの不要な味付けを完全に取り除いた聴かせ方だろう。第二楽章にかぎらず、アランフェス協奏曲が極めて美しい作品だけれどもロドリーゴの自作自演が端正そのものだし、そうした人柄が出ているとすれば本当に素敵な貴方としか呼びようがなくて出会えて心から幸せだといみじくも絶賛せざるを得ない。
全ては神様の思し召しで世界平和に匹敵する生活こそ手に入ったわけならば感謝感激雨霰の境地とも過言ではなくて本当に信じられないほどの感動と興奮に包まれながら命懸けで祈りを捧げるだけだ。
ロドリーゴの自作自演を知ってしまうと思いが天空へ旅立って行くようだ。
自然のままに夢見心地だし、音楽という一つの芸術/創作活動の喜びに打ちのめされるばかりだから入り浸ってとにかくも立ち上がるよりはゆっくり有り難く休ませて貰うしかない。

長渕剛の順子を池田夢見のカバーで聴いて

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長渕剛順子が聴きたいとYouTubeを探したら池田夢見カバーが気に入ってしまった。タイトル通りに女性が歌ったらどうなるかと興味を引かれる曲だったけれども思いが込められているようで素敵だった。
順子/長渕剛(cover.)ー池田夢見 Yumemi Ikedaー via 池田夢見
不可解な表現を取らざるを得ない。というのも詞に由来していて女性からは素直に喜べない歌ではないか。男性が他の男性に後から恋人を持って行かれた寂しさが良いと思う。良いというのも不可解なんだけれどもどうしてこんなことになってしまったんだと長渕剛がちゃんと考えて作詞作曲している音楽ならば寂しさが生きているはずだし、そのように受け留めて然るべき自己表現の濃さが順子には認められるせいで、僕も聴きたくなってしまうしかないんだ。
男性からすれば恋人以外に求める何かがあって愛想を尽かされた格好だと考えられる。すると人生を見守り切れずに離れて行った女性の情けなさが言葉の裏に潜んでいるわけだ。元々は寂しいのはむしろ女性で、構って貰えないみたいな感じというと可愛いかも知れなかったにせよ、そこで又戻って来ても二人の溝は修復できるとはかぎらなくて知り合いの二十代中盤の恋愛相談の男性ならば一人で過ごす間にもう既に他の女性と付き合ってしまってどうしようもなく悩まされざるを得なかったけど、ただし長渕剛の美学にはたぶんそれもなくて駄目ならば駄目で二人は二度と帰らなくて良いという潔さがあると思うので、僅かにでも離れたら不可解な表現にしても《永遠に遠くで見守る》しかなくなってこそしまう。きっと女性も潔さを踏まえてしか恋人と別れないはずだから順子には二人の寂しさが含まれるといって良いのではないかしら。可哀想な男性が全てではないだろう、恐らく。
長渕剛の順子が本当に素敵だと思うのは男性が女性を心から追い出しているところだ。見守って欲しかった気持ちとすれば愛の力強さに胸打たれずにいなくて素晴らしくてかりに振られても変わらなければ格好良いのも間違いない――。
カバーで池田夢見の歌やギターを聴いていて切なさが多く伝わって来た。詞にも「切ないよ」とあるけど、相手に心が届かなかったためだと良く分かる感じがして聴いていて好ましかった。女性が寂しくて振ったと長渕剛は詞では一言も触れてないので、口に出せば恨み節にせよ、心を切々と織り上げる歌だと優しく教えら…

アクセスの伸び率が気になるブログに

昨日はブログのアクセスが午前中は酷かったけれども午後からは良い感じで伸びて二十人近くに達した。
そして今日は朝から普通だったけれども夕方までには早くも二十人近くに達したので、良かったと確かに思った。
今月は一日に二十人を目指したい気持ちでやっているから二日連続で納得できている。
明日はどうかな。どんどん訪問者が増えて欲しい。決まり切った願いだ。
ある程度の手応えが掴めた昨今とすればアクセスの伸び率が気になって来る。一ヵ月で一日が五人の割合で増えたならば今度は一日が十人の割合で増えないと上向きでもブログの成長のペースが変わらない。
なので今月は二十人ではなくて本音は二十五人を越えたい。九月に入って数日で何れも二十人ですらも厳しいから難しい、伸び率まで期待するのは。
ただしアクセスの伸び率が上がらないと先々は苦しまされるばかりだろう。少しずつで何年も引き延ばされてはブログの記事を増しても恐らく頂けない。夢は萎むし、希望は萎える。生活そのものが現実の悲しみの絶望的に広がった穴に吸い込まれてしまいそうだ……。
ブログを虚しい努力で終わらせたくはないので、Google検索も研究するかぎりはやはりしっかり結果を出してアクセスのための幾つかの記事を纏めて自信を持って出せるようにしなくては行けない。

徳川家康の忸怩たる思いも良く分かるようで偉く辛い

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朝からブログに誰も来てない。午前中のアクセスが皆無ならば一日で十人も厳しいだろう。
二ヵ月前からアクセスが伸び出して一日に五人くらいだったのが十人、十五人と増えたので、今月はできれば二十人を望んでいた。
Google検索では上昇傾向の見られる些細な日常なので、本当に厳しい。偶々、エアポケットの時期で、又直ぐにアクセスも伸び返すと考えられるにせよ、誰も来ないという現状は正しく耐え切れない……。
何とかするためにヘッダーのデザインを昔に戻した。アクセスの少なかった頃に合わせるのは奇妙だけれども人々への受けが今は悪いわけだから良いのではないか。
昔はGoogle検索が不調で誰も来てなかった。今はそれが好調なのにアクセスが気持ち良く伸びてない。折角、誰かが来てもブログの受が悪くて常連になるどころか世の中に広めてさえも貰えないでいるはずではないか。ヘッダーのデザインを途中で変えたのは失敗のように思われる。アクセスを伸ばすための方法だったけど、近頃のブログの成長も現実にはGoogle検索が調子を上げたせいならばそれこそ何の効果もなかったという可能性は否定できない。
誰も来ないブログでは開設当初の一年ちょっと前に逆戻りだし、記事数も全力で五百件を越えて結果がこれでは余りに悔し過ぎるよ、ブロガーとして。努力そのものが水の泡に帰されて行く。一日でも避けられなくては明日への期待感が薄らいでしまう。
胸には徳川家康の顰像こそ偉く辛く思い起こされた
Mikatagaharasenekizou by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
日本の戦国時代に武田信玄との三方ヶ原での戦に敗れて命からがら逃げ帰った徳川家康の忸怩たる思いが描き出されたとされる掛け軸なんだ。このような失態は二度と繰り返してはならないと自戒を厳しく込めながら選ばれた家来によってか作成されたらしい。後に日本の天下統一を果たして戦国時代に終わりを告げさせた徳川家康の物凄い生き様の核心に触れられるようで、自分に甘くない姿が夢追い人と明らかに重ねられるし、情けないばかりの人生の局面で目にすると肩こそ温かく叩かれでもするような慈しみでさえもが味わわれてしまって著しく有り難いんだ。
僕も徳川家康の物凄い生き様に美しく学びながら誰も来ないブログにたとえ絶望しても息を吹き返せるかぎり、もはや不撓不…

篠田麻里子がAKB48でのハートのマークで

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AKB48では篠田麻里子が好きだ。曲ではヘビーローテーションだけれどもパフォーマンスでは前から二列目の右の背が高い女性だ。断っておけば僕は背が高いから篠田麻里子が好きになったわけではない。切欠は顔のように思われるし、確かに魅力的だけど、ひょっとすると髪型なんだ。目を引かれる。
ヘビーローテーション / AKB48 via AKB48
振り返ると綺麗なお姉さんと被ったかも知れない。篠田麻里子が綺麗なお姉さんを知っているはずはないかぎり、むしろ綺麗なお姉さんが篠田麻里子を参考にしたという可能性はあるのではないか。僕と綺麗なお姉さんには共通点が色々と見付かるけど、篠田麻里子の髪型も付け加えるのは強ちではなさそうだ。
ショート・スタイルだけれども髪の裾の位置が少し高いように見える。すると違和感が幾らか残されるにせよ、何だろうと気にならされてもしまう。嫌いとはいい切れず、許されずにいなかったとすれば魅力的な顔の勝利ではなかったのだろうか、気持ちにおいては。
一説によると篠田麻里子はAKB48のプロデューサーの秋元康に喫茶店のアルバイトで声をかけられて入ったらしい。他のメンバーが基本的に志願して入っているのとはちょっと違うというところに興味も殊更と湧いた。
特別扱いされているに等しいし、実際上、AKB48への情熱こそ他のメンバーに比べて怪しまれずにいない篠田麻里子ならばそこでどれだけ本気を出してやれるのかが問われる。
髪型から考えれば表立つよりは裏回りしてAKB48を全体的に支えて行きたいというイメージではないかしら。綺麗なお姉さんと思いまでが被っているようだ、よもや。
篠田麻里子は自分なりの役割を弁えながらAKB48をやっていたとすると人柄にカリスマは宿らずにいないし、引き付けられない僕は不自然だったかも知れない。可愛いと感じた気持ちは本当にいうまでもなかった。
加えて夢も希望も持たなくても幸せになれるかも知れない人生の気安さが受け取られる。
篠田麻里子は何かに努力していて喫茶店のアルバイトもちゃんとやっていたからこそ秋元康に声をかけられたんだろうから実際上は夢も希望も持たなくてはあり得なかったはずにせよ、それがAKB48という形で予想外に実を結んだ結果だったとすれば人生は侮れないし、どこに幸せが転がっているかも計り知れないものがあると学びたくなる。
僕はセブンイレブンのCMで板野友美が出てい…