ロダンの考える人の題名は元々は詩人だった 結城永人 - 2016年11月27日 (日) 以前、知って驚いていたのはロダンの考える人(彫刻)そのものが他の作品で地獄の門(彫刻)の一部だった。小さくてさほど目立たない、しかも。いつの間に大きくなったのか。一つの独立した作品として世の中に定着していたわけなので、未完の大作だけれども地獄の門から抜き取られたという制作過程を考えると面白かった。 ドラマに例えれば脇役が主役を食ったような形で、ロダンの代表作に考える人こそ上り詰めたのではないか。見るからに心に訴える造形が施されていて内面を甚く触発して止まないし、題名通りのインパクトがとにかく力強い。如何にも良く分かる形態が取られているから考える人は彫刻として素晴らしいと引き付けられてしまう、瞬く間にも。 ロダンは大元の地獄の門をダンテの神曲(詩)に着想を得て制作したらしい La Porte de l’Enfer by Roland zh / CC BY-SA 厳つい扉があって人々の群像/人間模様が全体を埋め尽くすように繰り広げられながら真上に少し突き出して考える人が置かれている。地獄で逃れられない責め苦を強いられた皆を覗き込んで悩ましい気持ちを感じているためだろう。それ自体も地獄の悲しみとするとやはりとなるけど、ロダンの本音は考える人を詩人として捉えていたと知って又驚いているわけだったんだ。 ただ悩んでいるだけだと理解できない。自分から望んで地獄の悲しみを味わっている存在が「詩人」と呼ばれるならば分かり易いだろう。悪を考えている。地獄では何も望めないとすると矛盾しているけれども矛盾しているからこそ悲しみが精神的に酷く味わわれるので、ロダンは稚拙ではないだろう。いうと偽物の光を厳ついの門の真上から投げかけているところが救いようのない世界をあからさまに表現していて地獄の門は大作だし、無駄に望み続けて憔悴させられる他のない皆の気持ちも十二分に伝わって来る、可哀想と。 詩人ならば悪を歌っていた。ロダンは自己矛盾によって地獄に落ちざるを得ないと人間存在の虚しさを弁えていたのではないか。正しいと思う、本当に。悩むことが考えることだけれども生きているだけに詩人だったようだ。悲しみながら死ねないというのも地獄の作用なので、そこから偽物の光が掴まれて悪も始まる。自己矛盾への意識が社会的に和合を棄損させて誰もが私利私欲から災いを広げるように仕向けられる。悪の詩人は煩悩の塊として考えるほどに悩むほどに虚しさこそ覚えるという所以だ。 ロダンにとって詩人と呼ばれたとすると歌っているのが悪なのに一般化される言葉遣いでは不適当だ Auguste Rodin by Vizzavona / Public domain なので生きる姿に焦点が当てられていると読むしかない。煩悩の塊だし、どうしようもない存在が溢れ返っている状態だけど、しかし命から捉えると必ずしも否定するべきではなくて望むべき本物の光の可能性が引き出されても来る。たとえ悪くても生きていれば変わるのが人間かも知れない。地獄ではまだ感じないし、知られない喜びが異次元には認められそうだ。 すれば地獄の門から抜き取られた詩人そのものは善へと向かい得るし、異次元の喜び、ひっくり返せば天国の門を指し示しているのではないか。命の営みから世界を捉えながら望みとは何かを改めて真剣にも対象化していると受け留められる。 銅像なので、作品として鋳造する職人がいてリュディエがロダンの「詩人」を作者の死後に考える人として出したらしい。そして世界中に広まるくらい人気を博してロダンといえば考える人と見做されるような代表作に元々の「詩人」が生まれ変わってしまった。 ロダンとしては飽くまでも地獄の門のキャラクターとして「詩人」を捉えていたのではないだろうか Le Penseur Rodin Meudon by Ibex73 / CC BY-SA 着想を得た神曲の詩人のダンテを加味していたようだけれども個別に作品化するためにさらに普遍的な題名を付けたかったのかも知れない。自らの悪に反省し続けるダンテの果てしない気持ちから詩人のイメージが掴まれるはずだし、そうした生きる姿に胸を打たれての「詩人」ならば地獄の悲しみと切り放し得ないんだ。 ところがリュディエは地獄の門から抜き取られたかどうかは関係なく、ロダンの「詩人」を一つの銅像として捉えたときに《命の眼差し》から人間の救いを感じたんだろう。悩みながら必死に求めている先に何があるのか。生きる姿に重ね合わせて夢や希望を踏まえれば幸せになって欲しいわけなので、頑張っても報われない世の中ではそれこそ地獄そのものの社会というか、誰も生きるに値しないし、心から考える人と呼んで進み得る道こそ力強く示したようだ、人々に。 本当に難しくて悩んだまま、終わるかも知れない人生だけれども考えれば道は開かれるかも知れないので、閉ざされた道で不用意に倒れないためには考える人が心の支えのようにも感じてとても大事にしたくなる。諦めては物事は先へは進まないし、人生が納得されないほどに必要になって来るのではないか。信念を捨てて夢や希望も手放しがちなところできっちり思い起こさせれてくれるから間違いなく有り難い。 参考サイトオーギュスト・ロダン考える人地獄の門 コメント 新しい投稿 前の投稿
コメント