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12月, 2016の投稿を表示しています

あっという間の大晦日の思いに触れながら

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今年は夏頃からブログの更新に力を注いで来た。アクセスアップ、そしてサイト広告による収益化、ブログで生活費を稼げるかどうかを考えている。本当に無理としかいいようがないし、ブログを移転してBloggerで開設したばかりで、一日に二三人の状態に逆戻りだ。
しかし頑張るしかない。考えられるかぎりの方法を尽くして命懸けで挑むべきだ。
Google検索のキーワードに引っかけるために長文を増やしながら作家活動の喜びを改めて味わわされた、今年を振り返ると何よりも。
小説に熱中していた二十代が懐かしい。三十代から作詩ばかりで、言葉が重視されたけれども文章を編み出して行くのもやはり本当に面白いと思う。
少しでも長く続けるためにはアクセスアップが必要だし、サイト広告で生活費が稼げなけば死ぬべきだろう。
というくらい引き付けられた、文章に今年は正しく。二十代は当たり前だったし、何一つ疑わなかった。気付くと死ねば終わりなんだ、どんなに面白くても未来は先取りできないわけで。忘我と心酔させられたまま、引き付けられた文章と共に生き続けられるかどうかこそ問わずには済ませられなくなった。
大晦日の思いに触れながら忙しくてあっという間にも来年を考えると作家活動とアクセスアップを同じくらい重視しないと駄目だ。
Kalanggaman island by gen cartalla [CC BY 2.0], via Flickr
ブログに良い記事があれば人気が出るわけではない。もしも無人島ならば誰も気付かないし――フィリピンのカランガマン島のようにとても素敵ならばもはや反対の事情かどうかはさておき――人生が上手く行く人たちはきっと世の中への様々な働きかけを怠らないのではないか。アクセスアップは大事だ。
分かっている、昔から。しかしできないのは良い記事が大事だから作家活動に多く注力してしまうせいだ。アクセスアップとバランスを取らなくては夢は叶わない、サイト広告で生活費を稼ぐという。
又別に何が良い記事なのかも世の中に尽くすように人々の気持ちを表現すれば有利なはずだし、自分一人で他の誰にも分からない作家活動ばかりやっているよりは人気も増して来そうだと感じるので、アクセスアップから得られるものはそれだけの満足ではないかぎりは自分表現に取り込みながらブログを進歩的に更新して行きたい。
参考:10 Secrets You Need To …

木村拓哉の「お母さんの作ったお稲荷さん」に自らの存在の地盤をしっかり固める家族への信頼感を味わう

かつて聞いて驚いた話に木村拓哉欽ちゃんファミリーのオーディションを受けたものの主催者の萩本欽一にスターになる人だからこんなところにいては行けないと追い出されてからSMAPで本格的にデビューして大成功を収めたとある。
テレビで観て記憶が定かではないので、事情を詳しく調べてみると欽ちゃんファミリーのオーディションで萩本欽一が木村拓哉に好きな食べ物を訊いたら「お母さんの作ったお稲荷さん」という応えを受け取り、スターになる人と予感したらしい。
オーディションの質問の答えで、スーパースターの片鱗を予期した萩本さんは、ジャニーさんに「スターが来てるよ。こんな所に居るより、そちらで(ジャニーズ)育てた方がいいよ」と連絡を取ったそうです。
木村拓哉さんがSMAPとしてデビューする前に萩本欽一さんプロ... via Yahoo!知恵袋
木村拓哉は欽ちゃんファミリーに合格して萩本欽一に「おいなりくん」と呼ばれてデビューするはずだったけれども嫌がって行かなくなってジャニーズのSMAPからそのような運びに改めて切り替わったらしい。
はっきり覚えてなかったけれどもテレビでは中居正広が中居正広の怪しい噂の集まる図書館(後に中居正広のミになる図書館)で取り上げていたとも分かって来た。
萩本欽一はSMAPで大成功を収めた木村拓哉の可能性を正しく見抜いていたというのが殊に衝撃的で、人間の能力の《原石の輝き》は飛び抜けた何かがあるのではないか、周りへの言動や雰囲気によって将来性が予め醸し出されていると知るやなぜかと考えさせられてしまいもする。
世の中で夢を叶えるとすると人気がなくては無理なので、皆に受け入れられるためには頑張り方が問われる。要するに自分のためには努力しないで、皆のために努力してこそ世の中で必要とされるように認められて人気も博すんだろう。
木村拓哉を見ているとそれが当たり前にできている感じがする。全ての取り組みは世の中に尽くす、自分が有名になりたいとか金持ちでいようなんてかりに思ったとしても本気ではなくて目指すべきところは皆のためになるかならないかの篩分けで生きているようだ。
気持ちが世の中に向いてなければ誰かが喜ばしく受け取られるとは根本的にいえないし、底力として自分らしさを造作なく発揮するほどに人気者になって行くのではないか。
木村拓哉に認める人気者への気持ち
詩的に捉えると「お母さんの作ったお稲荷さ…

鰐に太古への憧れを抱くのは姿形が恐竜と似ていて生きる化石だから

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は恐竜を思わせる風貌が著しく大きくて如何にも太古の生物という印象を与えるけれども調べてみると起源は二億五千万年前に遡って恐竜と同時期に生まれたといわれてしかも姿形が殆ど変わってないから生きる化石に他ならない。
今現在、地球上で数多く見られる哺乳類や鳥類は一億五千万年前が起源といわれるので、倍近いだろう。
鰐に極めて特徴的なのは種族として進化の幅が余りに狭過ぎて仲間はどれも似た者同士でしかない。
Yacare caiman by Charlesjsharp (Own work, from Sharp Photography) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons
クロコダイルアリゲーターカイマンなど、色んな種類に枝分かれしている、長い年月をかけて進化したけれども他の生物と比べると種類も少ないし、仲間内の違いもおよそ目立たないわけなんだ。
生きる化石といって良い、種族そのものが。
鰐は太古への憧れを抱かせながらロマンチックにも掻き立てる存在で、人間だけではなくて草木を除けば生き物という生き物がまだ夥しくは見当たらなかった地球こそ想像させてしまう。
不思議なのは昔のままで「自然淘汰」(ダーウィン)を被らずに二億五千万年も存続しているのはなぜか。
きっと環境に適応していて外敵もなく、餌が得られたためだろう。
鰐の噛む力/顎の強さは他に例がないくらい激しくて他の生き物に対しては地上では圧倒的に寄せ付けなくて水中ならば大型の鮫(頬白鮫など)が匹敵するかどうからしい。
「私たちは体長5メートル級のイリエワニを複数調査している。その結果を元に体長6メートル(のワニの噛む力)を試算すると、1平方センチ当たり約540キログラムという数値が得られる。これはT・レックスの噛む力として試算されている数値の下限と同じだ」とエリクソン氏は言う。
ワニの噛む力は地球で最強、実測で証明 via ナショナルジオグラフィック日本語版サイト
鰐は大型の肉食恐竜のティラノサウルスにも迫るほどに噛む力/顎の強さが大きくて他の生物に滅ぼされる可能性が低かったと考えられる。
地球への巨大隕石の衝突後の広範囲な寒冷化によって恐竜は消え去ったと推察されるけれども餌が足りなくなったせいもあるので、環境そのものはとても厳しかったはずにせよ、鰐はもっと小さいからさほど食べないままでも生き残り得たのかも知…

Imgurで画像URLと埋め込みコードを取得する方法

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Imgurは自分でアップロードした画像については画像URL/直リンクを取得して他のサイトにhtmlのimgタグで表示させられる。
そして自分と他の人たちも含めて画像の埋め込みコードを取得して他のサイトのhtmlに、そのまま、記載して表示させられもする。
Imgurの画像URLを取得する
ウェブとアプリで方法が微妙に違う。
ウェブでの方法:Direct Link
アカウントにログインして「Image」から画像を一枚だけ開くと左上にプルダウンのメニューがあるので、そこから「Direct Link」を選択すれば画像URLが右横に表示されて使うことができる。
注意点としては画像URLがjpg(jpeg)のタイプしか出ないみたいだ。なのでpngファイルで画像をアップロードしてもそのままの画像URLは取得できなくてjpgのタイプに変換されてしまっている。
アプリだとpngファイルの画像URLが出て来るので、どうしても必要な場合はウェブではなくてアプリからImgurに入るしかないだろう。
アプリでの方法:Share Direct Link
アカウントにログインしてプロフィールの「Posts」から画像を一枚だけ開いてロングタップするとメニューが下の方に表示されるので、そこから「Share Direct Link」を選択してクリップボードなどに画像URLを取得することができる。
ウェブと違って画像URLのファイルはアップロードしたものと同じになっていてjpgファイルはどちらでも変わらないけど、pngファイルもjpgの画像URLに変換されずに出て来る。
Imgurの埋め込みコードを取得する
アカウントからログインしてもしなくても大丈夫なので、Imgurの画像から誰でも他のサイトに使えるようになっている。
ログインの管理画面から:HTML Image
ウェブでしか取得できなくて「Image」から画像を一つだけ開くと左上にプルダウンのメニューがあるので、そこから「HTML Image」を選択すれば埋め込みコードが右横に表示されて使うことができる。
画像ページのボタンから:Embed Post
ウェブのパソコン版だけで出て来て画像ページの共有ボタンの下の点線のメニューから「Embed Post」を選択してクリップボードなどに埋め込みコードを取得することができる。
Imgurの場合はアカウントを取らなくても画像をアップロード…

どんな写真が撮りたいかは世界に訊くしかない

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ヤン・フォゲットのYoung Indian girl Raisen district Madhya Pradesh(マディヤ・プラデーシュ州ライセン県の若いインド少女)が瞬く間に引き付けられたというか、一度、見たら忘れられなくなるような優れた写真だけれども見事な表現力だと認めた。
Young Indian girl Raisen district Madhya Pradesh by Yann Forget [CC-BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
素晴らしさが透き通るほどに全く写ってない空をも美しく想像させて止まないくらい詩的に味わわれて非常に気に入ってしまった。
写真とは何かを改めて考えさせられる
第一にはカメラではなくて世界がやはり大事なんだ。本当の意味での表現力こそ問い直さざるを得ない。
目の前に撮るべき世界がなければどうしようもないわけなので、写真家が見付け出せるかどうか、または作り出しながら始めてカメラも十分に扱えるように上達しなくては行けない。
決して難しくはない。些細な日常に幸せは幾らでも転がっている。生きる喜びは満ち溢れていて今此処で死にかけてさえも内面性は精神の強度を保ち続けているはずだ。
ヤン・フォゲットの写真が凄いのは目に見える形でイメージとして克明に打ち出していた。
若いインド少女の浅黒い肌と真っ赤な衣装と白っぽい背景の組み合わせが芸術的にインパクトが高くて鮮烈な印象を心に与えるけど、しかし驚かされるのは左手の中指の先が画面から微妙に切れていて写真だけでは終わらない世界そのものを予感させるのではないか。
なぜ生きているのかを思念する表情からすると空が美しく広がって見守っているようだ。
詩的に捉えれば遊んでいる全ての子供たちのイメージがたった一人の雰囲気によって象徴的に示されているから感動するし、心こそ釘付けにされるべき写真だった。

ツタンカーメンは病気がちの少年王だった

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ツタンカーメンの死の真相が現代科学によって、大分、分かるようになって来たみたいだ。
ミイラの分析から最初は暗殺説が主流だったけれども次いで事故説が重視され出した。さらに詳しく分析が行われたところ、病気説が非常に大きいと核心的にも捉えられるに至った。
現代科学でも物事の分析に使用される機械、取り分けコンピューターが新しく作り出されて見えないものが見えるし、分からないことが分かるというわけで、考古学でも変革が齎されるに連れてツタンカーメンの死の真相は解き明かされたといって良いかも知れない。
The Pharaoh Tutankhamun destroying his enemies by Yann Foget [Public domain], via Wikimedia Commons
ツタンカーメンの暗殺説の否定
ミイラの頭蓋骨に小さな骨が紛れ込んでいた。外側から入ったに違いないと考えられて撲殺されたのではないか、政治的に不安定な時代状況を踏まえながら関係者の誰かに暗殺されて古代エジプトの国を持って行かれてしまったと導き出された。
しかし小さな骨にはミイラの作成用の樹脂素材が何も付着してなかった。立体透視画像によって初めて分かったことで、旧来はレントゲン写真だったけれどもツタンカーメンの亡くなる前に入ったとは考えられない。亡くなった後にミイラとして完成してから小さな骨が紛れ込んだはずだから暗殺説は否定されるしかないという。
ツタンカーメンの事故説の否定
ツタンカーメンのミイラの左脚の大腿骨には激しい骨折の痕が見られて事故が原因ではないかと推測された、立体透視画像によって。馬車が墓にも副葬品として幾つも収められていたし、愛用されていたはずだから走行中に落下すれば十分にあり得るわけだった。
ところが左足の親指にも変形が見られた、立体透視画像によって同じように。ケーラー病という足の骨が脆くなって日増しに砕けてしまう症状の現れに等しいので、ツタンカーメンは普段から歩くことも儘ならならないくらい左脚に痛みを抱えていたのではないか。厳しい状態が悪化するほどに馬車にも易々と乗れたとは当時は立って自分が運転するしかないものだから考えられない。
墓には愛用されていたはずの杖が幾つも収められていたし、馬車についてはケーラー病が悪化するまでの名残かどうか、何れにせよ、もしも実際に死の間際において必要とされた…

村治佳織が舌癌も乗り越えたらしくて安心した

久々にKaori Murajiを観に行ったらヘッダーにInstagramのリンクがあったので、ついにというか、ソーシャルメディアも公式にスタートしていたと気付いた。
村治 佳織 Kaori Murajiさん(@kaorimurajiofficial)がシェアした投稿 - 12月 22, 2016 at 12:32午前 PST
村治佳織は舌癌でどうなるかと心配されたけれども治療から順調に回復しているようだ。その間に結婚もしたし、生活も相当に変わったのではないか。
Instagramで写真から日常の風景が色々と分かって面白いと思う。本当に元気そうで、何よりの幸せだろう。ホームページはいつもさほど更新されてなかったので、意外なくらい写真が多くて戸惑うけれどもInstagramは見ていて微笑ましいかぎりだ。
癌は部分的でもかかれば再発する危険性があるし、または他のところに転移するかも知れないから用心しながら過ごすべきだろう。
三十代後半からCDやDVDを買い捲ってテレビや雑誌でもチェックするようになって少年期のアイドル並みに嵌まったかも知れない。
素晴らしい音楽家だし、村治佳織はギタリストとして本当に良いと思うので、音感に優れていて気持ちが美しく表現できるせいではないか、さらに頑張って行って欲しい。

シロヘラコウモリの可愛らしさで心は生物多様性にも目覚ましく

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中米コスタリカの広大な森の奥には葉っぱの陰に仲間同士で身を寄せ合うようにして暮らす可愛らしい生き物を見付け出すことができる。
Ectophylla alba by Leyo (Own work) [CC BY-SA 2.5 ch], via Wikimedia Commons
小さな白い蝙蝠で、シロヘラコウモリという。何匹も押しくらまんじゅうと決して寒いわけではないだろうけれども楽しげに感じる。ふわふわでもこもこの気持ち良さが如実に伝わって来るところが非常に素晴らしいとしか呼べないくらい魅了されてしまわずにもいないわけなんだ。
欧米のサイトでは英語で「adorable」と良く出て来る。可愛らしい。今まで「cute」や「pretty」や「lovely」などが可愛らしいと英語で知っていたけれども新しく気付いた。
外国語の類義語はニュアンスが難しくて慣れないとイメージも湧かないけれども「adorable」がシロヘラコウモリに当て嵌まり易い。動詞だと「adore」は憧れるなので、珍しい驚きが殊に含まれてそうだ。滅多に出会えない何かに魅了されながら可愛らしいと感じていて好運に恵まれたとすれば如何にも尤もらしい。
普段、シロヘラコウモリと似たような生き物は他に見かけないのではないか。生き物よりは雪の玉が余程と近くて葉っぱの陰に鈴生りに受け取られる。幻想的な気分に甚く誘われるし、時空を越えた世界を味わわされる。眼差しは今此処を忘れ果てているに違いなかった。
心を奪われるほどに可愛らしくて目が離せない
かつて村治佳織Costa Rica(DVD)でシロヘラコウモリが出て来て知っていた。印象深く記憶に刻まれた。蝙蝠が黒くなくて対照的に白いというだけで衝撃的だったもののとにかく姿形が可愛らしい。暮らし振りもあどけなくて皆で助け合って生き延びるしかないと思わされるけど、著しくはふわふわでもこもこの気持ち良さこそ胸に走り出して嬉しいばかりの出会いだった。
シロヘラコウモリに目覚ましい生物多様性
蝙蝠なのに黒くないとか雪の玉にそっくりなんて可愛らしく魅了されながらイメージが果てしなく膨らむ、生き物として。
シロヘラコウモリには世界の命の在り方が様々に展開されていて予め及びも付かない広がりを持っていると目覚ましく気付かされる。
取り分けコスタリカは生き物の固有種が非常に多いらしい。他では出会えない生き物が生息し…

コロッケのものまねは難聴から生まれたために見た目が非常に大きかった

知らなかったけれどもコロッケ(芸人)は右耳が殆ど聞こえないらしい。
理由は子供時代に中耳炎が悪化して完治しなくなってしまった。家が貧しくて日々の食生活にも事欠くような状況が続いていてコロッケは耳が痛いのに親に一言もいい出せなかった。治療費をかけるわけには行かないと考えて何年も中耳炎を放っておいたら難聴にまで至ったらしい。
コロッケのものまねは岩崎宏美とか野口五郎なんて印象的だけど、近年はロボ五木(五木ひろしのロボット:父親と昼食中に見ていて笑いが止まらなかった経験がある)か、しかし全て見た目が非常に大きいのは珍しかったと振り返る。
もし耳聞こえてたら、声帯模写の方に行ってたと思うんですよ。
コロッケ/難聴が生んだものまね via ろうを生きる難聴を生きる
難聴から生まれていた、奇しくも。コロッケは右耳が殆ど聞こえないせいで、ものまねも見た目こそ観察しながら表現していたんだ。
なぜという親思いの事情には感動するし、コロッケの優しさは大人になっても変わらなくてものまねにも反映していると改めて認める。
一見して気付かないのが本当に不思議で、コロッケのものまねには優しさがあるとはっきり伝わって来ないので、そこは秘め隠されていたのではないかと考えるしかない。
真実を出さないで、人々を包み込む世界がある。
料理の隠し味みたいに個性をカモフラージュしたものまねへの取り組み、または一つの生き方は子供時代と本当に変わらないわけで、コロッケはいうべき何も口には出さずにいる。
現代芸術の観点からすると極めて例外的というか、自分らしさがないに等しくて表現力が低いけれども人々に気持ちを伝えるためには大事だろう、とてもとても。
僕が僕は僕だといい張ってばかりでは自分以外の誰も寄せ付けないみたいに誤解される。サイトのアクセスアップにも全く繋がらないのではないか。一人でやっていろと思われたらどうしようもなく悲しいばかりの毎日だ。
反対にファッションデザイナーのゴルチエとか自分しか頭にない感じがするくらい奇抜な印象を打ち出して人気を博すという場合もあり得る。
ゴルチエが如何にも現代芸術(他の誰にも頼らず)だとするとコロッケは物凄く遠い。
とはいえ、同じだろう、芸術家として自己表現のスタイルを除くかぎり。
コロッケは決して真実を損ってはいないし、自分らしさは保ちつつも表立って人びとに示さないまま、雰囲気によって気持ちを伝えるとい…

Evernoteのアプリが同期に失敗してばかりで一つも繋がらなくてノートが使い回せない

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以前から偶に生じていて困ってしまうEvernoteの同期の失敗なんだけれどもたぶん一つのデバイスのノートが十分にサーバーにアップロードされないままになっていると生じ易いかも知れない。

何度、試行しても失敗の繰り返しになってEvernoteはもう終わりかと忙しくて同期を待っていられないほどに気持ちはパニックに陥ってしまうんだ。
僕はスマホとタブレットにEvernoteのアプリを入れていてブログの些細な日常も全ての文章はそうしたノートで作成されている。
電池切れで作業が途切れないようにスマホとタブレットを交互に使うようにしているけれどもEvernoteの同期は本当に便利だし、ノートを速やかに使い回すためにはなくてはならない機能だと思う、著しく。
タブレットがWi-Fiモデルで、通信は電池持ちのためにBluetooth接続を多用していて放っておくと切れてしまうことが珍しくない。または普通に使っていて、突然、駄目になっていたりもするし、不安定な接続状態で、知らない間に通信が途絶えていてブラウザではサイトが開けなくてビックリするけど、Evernoteのアプリでは同期ができるはずなのにできないみたいな形になってしまう。
焦ってスマホから確かめようとする。するとどういうわけか、スマホでも同期ができなくなっていてEvernoteはもう終わりかとノートの同期については手の施しようがない気持ちが世界を覆い尽くして行く。
サーバーが不調なのかも知れないけど、アプリを閉じてデバイスのタブからも消してタブレットの通信状態をしっかり確保しながら同期が止まってから暫くしてやり直すとノートはウェブのEvernoteへアップロードされるようになり、改めてスマホから確かめてみればダウンロードされるようになっていて大丈夫なんだ。
今年は大きめのアップデートがあってEvernoteのアプリは画面や操作が様変わりして来た。
手持ちのスマホもタブレットもシステムソフトウェアが最新には追い付かないし――Xperia Z3にAndroidのヌガーは配信されない――アプリのアップデートでは見放される危険性が否定できない。
何が起きても仕様がない生活で、Evernoteが同期で失敗を繰り返すと恐ろしくもなる。
見放されるならば同期付きの文章アプリではGoogleキープやOne Noteなどへの移行を検討するべきだし、Evernoteを…

レゴアートに可愛くも打ちのめされた心

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Behind the Scenes of LEGO Lions for NYPL via brickartist
ブリックのLegoでライオンを作っている。他にも色々とやっているけれどもレゴアート、またはブリックアート(Brickartist.com)と呼ばれて世界的に親しまれているLegoを用いた作品の一つなんだ。
可愛いと思う
僕には馴染みが薄かったし、名前しか知らない玩具で、Legoというと遊んだ記憶は殆どないわけだけど、しかしレゴアートで興味深いのは玩具のちょっと作品でも徹底的に極めるように取り組めば同じものとは思えないくらい様変わりしてしまう。
見ていて正しく唸らされる出来映えが凄い。緻密で細かい手捌きがないと無理だし、Legoはイメージを計算しながらやらないとできないのではないかと数学的というか、構想しただけで頭が疲れてくたくたみたいに辛くて近寄り難くてが本音ならば驚異的に感じられもするんだ。
好きでなければ手は伸びないだろう。芸術家の意気込みが犇々と伝わって来るライオンだった、Legoの大がかりな創作の。
同じように頑張りたくなる、まさか。珍しい気持ちがする。レゴアートの素晴らしさへは芸術家として見習うでも励ましを受け取るでも言葉が欠けてそうだ。
心こそ打ちのめされる
きっと子供が何気なく遊んでいるのと変わらないせいだろう。なぜ作品を求めたのか。大元の思いが自分らしさに帰って来るようなところが良いし、涙もちょちょ切れるほどに優しさを感動的に味わわせる。芸術の志が端から見守られていた。
絶えず、進むべき道を確かめながら作品に打ち込むように頑張れれば望ましいのではないか、自己表現を尽くす、持てる力を掻き集めて最大限に発揮するためには大元の思いこそ必要不可欠なんだ。
いい換えれば根性を疎かにしてはならないし、レゴアートのライオンには芸術の緻密な美しさだけでなくては強靭な逞しさも学んでしまう。

Bloggerのモバイルで記事のラベルをソースコードを使って記事下やタイトル下に表示する方法

デフォルトのテンプレートでモバイルのBloggerブログにはウェブバージョンのように記事下にラベルが表示されない。
関連記事へのリンクが全くないのは多少とも使い辛いので、モバイルでも記事下にラベルを表示したいと思って調べてみた。
するとブログのマークアップにウェブバージョンでラベルを表示するソースコードがあってそれをモバイルのところにも追加すれば大丈夫だった。
      <span class='post-labels'>         <b:if cond='data:top.showPostLabels and data:post.labels'>           <data:postLabelsLabel/>           <b:loop values='data:post.labels' var='label'>             <a expr:href='data:label.url' rel='tag'><data:label.name/></a><b:if cond='not data:label.isLast'>,</b:if>           </b:loop>         </b:if>       </span>
シンプルテンプレートで元々のspanタグの「post-labels」のソースコードが1540行辺りに置かれていてdivタグの「post-footer-line/post-footer-line-2」の中に収まって記事下に出力されている。
モバイルでもdivタグのクラスは同じで、1380行辺りにある。なのでウェブバージョンと同じようにspanタグのクラスを収める。
元々はGoogleの+1ボタンのソースコードが置かれていてブログで消したければ削除するけど、さもなければ上下のどちらかにラベルのソースコードを置くとモバイルても記事下の名前や時刻に続いて記事に設定したラベルが表示されるようになる。
Bloggerでラベルのソースコードを使えばブログの色んなところにラベルを表…

Bloggerでブログを開設しても直ぐにはアドセンスのガジェットが使えるようにアカウントの関連付けはできない

Bloggerはサーバーのサイト広告がないだけではなくてテンプレートのレイアウトのガジェットからアドセンスのサイト広告を貼り易くなっている。
提供元が両方ともGoogleだから速やかに最適化されているという感じがする。
しかしアドセンスのライセンスを持っていてもBloggerでブログを開設して直ぐにはウェブの編集で「収益」からのアカウトの関連付けができなかったんだ。
他にもBloggerでブログをやっていて予め分かってはいたもののどのくらい待たされるのかまでははっきり突き止めてなかった。
些細な日常はメインのブログだからアクセスを期待しながら収益化へ向けてアドセンスのサイト広告は是非とも貼らなくてはならないし、万一、無理だったらBloggerを止めるしかない感じになってしまうので、短期間でもアドセンスのガジェットが使えない状態は肝を冷やすほどの恐怖でしかないわけだった。
調べてみると人それぞれで違うかも知れなかった。半年とも数ヵ月ともいわれていて一定の期間に決まってBloggerとアドセンスのアカウントの関連付けが可能になるわけではないようだった。
長い、しかし何れにしても。本当に大丈夫ならばアクセスもブログを開設して直ぐには伸び難いし、サイト広告を貼っても収益化の効果は大してなさそうだから構わないにせよ、待たされて、散々、楽しみにしてアクセスも良い感じで増えて来たところで駄目なままとなると目も当てられない状況ではないか。
不安が募る。Bloggerが気に入ってメインのブログとして些細な日常をやって行きたいからアドセンスについては様子を見ながら、ある程度、サイト広告を貼らずに続けてみるしかないという気持ちだった。
只単にサイト広告を表示したければ「HTML/Javascript」のガジェットでやれば大丈夫だし、アドセンス以外ならばそれが最も便利だけど、とにかくアドセンスは「Adsense」のガジェットを使わないとエラーページが避けられなくて不味いと思う。
アドセンスの規約違反なので、エラーページに表示するとライセンスを失効する危険性が少なからず、伴っている。
自分の他のBloggerブログで確認してみると「Adsense」のガジェットを使うかぎりはエラーページが避けられて「HTML/Javascript」のそれだと出てしまうんだ。
Googleはちゃんと規約通りになるようにBlogge…

ジャンガリアンハムスターとの繋がりは生きる喜びも懐かしいくらい

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Skrecok Dzungarsky by Štefan Lučivjanský (Own work) [CC0], via Wikimedia Commons
ジャンガリアンハムスターの名前の由来は生息地で、中国のジュンガル盆地(ジャンガリア)らしい。
中国の最西端の新疆(しんきょう)ウイグル自治区の北西部にあり、ステップ地帯で低い草が広がっているけれども砂漠も大きく見られる。周りを山々に囲まれた内陸に位置していて寒暖差が激しく、冬には大雪が降り積もる。
ロシアのシベリアにも近くてジャンガリアンハムスターが実際に多く生息するのはシベリアみたいだ。
体毛が白っぽくて薄い黒い模様が入っているのは犬のシベリアンハスキーにそっくりだ。
ただし同じようにシベリアンハムスターと地域名を冠するとキャンベルハムスターの別名になっている。ジャンガリアンハムスターとは見分けが付かないくらい似通っているけれども別の種類なんだ。
二十世紀の後半に細胞の染色体が異なるとジャンガリアンハムスターとキャンベルハムスターは学問的に識別されたようだ。
ペットとしては欧米ではキャンベルハムスターが好まれて日本ではジャンガリアンハムスターが好まれるといわれる。
僕が飼っていたハムスターは茶色と白の体毛だったので、ゴールデンハムスターだったかも知れない、かつて。
日本で最も良く見かけるのはゴールデンハムスターだろうけど、しかしジャンガリアンハムスターを振り返って繋がりを覚えるのは姪のぬいぐるみなんだ。
児童期、遊びに来るといつもハムスターのぬいぐるみを持っていて――アニメのとっとこハム太郎がテレビ放映されていて世間的にもハムスターのイメージが広がっていた――名付けて「ハム」と呼んでいた。
僕がハムスターを飼っていたのと同年代で、姪もぬいぐるみにせよ、ハムスターを愛好するという気持ちにとても親近感が湧いた。
只、珍妙だったのは色や形が記憶の中のペットとは合わなかった。真ん丸で黒みがかっていて確かにハムスターに見えるし、そうした可愛らしい雰囲気が漂っているけれどもかつての懐かしさが込み上げるまでには至らなくて何なんだろうと訝らざるを得なかった。
気付いてみればジャンガリアンハムスターだったのではないか。だからゴールデンハムスターとの様々な思い出には重ならないのも当然だったはずだ。
学んでは姪との思い出こそ新たに認め返される、あのぬい…

BloggerブログのURLはパソコンとスマホで違うけれども検索エンジンには統一されていてサイト評価は分散しない

Bloggerを使ってからアクセスアップが大丈夫かと大きく不安視されたのがパソコンとスマホでのブログのURLが違っていた。
メインの「.com」のドメインも国別で日本ならば「.jp」に振り分けられたりしてURLが数多く生み出される。
パソコンのウェブバージョンかスマホのモバイルで限定するとURLの末尾に「?m=0」か「?m=1」が付けられるようになっている。
ブログのURLが幾つもあると検索エンジンでのサイト評価が上がり難くてアクセスアップに繋がらないと危ぶまれる。
リンクされたサイトからのページランクが重要なので、様々なURLでリンクされるとページランクが分散して勿体ないわけだ。
Googleが提供しているBloggerが検索エンジンに向いてないというのも不可解なので、色々と調べながら考えてみると本当のところは大丈夫みたいだ。
複数の URL からアクセスできるコンテンツ(または同等のコンテンツ)に対して正規 URL を定義することをおすすめします。
正規 URL を使用する via Search Console ヘルプ
Bloggerブログのソースコードを確認するとhead内でlinkタグのcanonicalが使われていて様々なURLのどんなんページでも「.com」のメインのドメインが正規URLとして検索エンジンには推挙されている。
なのでブログのサイト評価、取り分けページランクに基づくアクセスアップの利点が別々のURLによって分散してしまうことはない。
むしろしっかり統一されているから検索エンジンには向いているし、間違いないほどに良く出来ていると感心されてしまうという。
ブログとしてはパソコンとスマホで個別のURLが使われた場合にメインのドメインと同じように画面幅で振り分けられないところが気がかりになる、正規URLでほっとするほどに却って。
サイトの中身は同じだとすればデザインをどこまで揃えるか、または引き離すかがブロガーの特色だろう。
Bloggerの初期設定だとテンプレートもパソコンのウェブバージョンでしか表示されないガジェットが多くてスマホのモバイルは省略サイトみたいな印象を与える。
とはいえ、世の中はスマホでブログに来る人が増えているからパソコンと同じくらい充実させる必要があるはずだし、検索エンジンもモバイルファーストインデックスが導入されるかぎり、スマホでのコンテンツこそサイ…

Blogger専用のAddToAnyで記事下に共有ボタンを一発挿入

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ルーブル美術館のホームページで作品の右上に共有ボタンのアイコンが付いていて押してみたらオリジナルではなくてWebサービスのAddToAnyが使われていて驚いた。
世界で最も有名な美術館かも知れないし、そんな大きなところで使われているWebサービスならば相当に信頼できそうだ。
共有ボタンとしてはデザインも確かに素晴らしくて無料でカスタマイズも自由自在でアカウントの登録も必要ないので、便利そのものだし、正しく望み通りの印象を抱いた。
Bloggerで使えるかどうかを試そうとすると最初から専用の方法が用意されていた。
日本で無料ブログというと他のサービスが人気だけど、しかし海外ではBloggerが人気の無料ブログだから多くの人が直ぐに簡単に取り入れられるように考えられているわけだろう。
AddToAnyのトップページの「Get the Share Buttons」からBloggerのアイコンで入って「Install Blogger Widget」から直ちにブログにログインしてガジェットで取り込む形になる。
実行するとどうなるかで、共有ボタンの表示を確認すると記事下に一発挿入だったので、本当に有り難いし、僕としては心から納得できた。

ガジェットにソースコードを追加しただけで記事下にデザインが付けられるというのはBlogger専用のAddToAnyならではではないか。
大抵は無理だし、htmlまで書き換えなくては記事下にコンテンツを追加できないはずだから如何にもスムーズだ。
見出しは設定するとガジェットのところに出て来る。共有ボタンはそこにはないので、ブログに見出しだけ残さないためにはレイアウトから消すという説明がある。ソースコードによってブログの記事下で共有ボタンは機能している。
AddToAnyのBlogger専用でのデザイン変更
そのままでも十分に美しいけれども海外製のためか、Bloggerのテンプレートの文章と同じで、若干、位置取りがモバイルで厳しい。記事に近寄り過ぎるのを引き離さざるを得なかった。
ガジェットなので、モバイルで共有ボタンを表示するためにはAddToAnyの取り込みでの説明にもあるけど、htmlで所定のガジェットを含んだソースコードに「mobile='yes'」の指定が予め必要とされる。
注記:Bloggerの2017年に追加された公式テーマのContempo…

SoundCloudに参加して一曲目を載せた

SoundCloudでアカウントを取った。サイトのアクセスアップのためには必要だし、Bloggerには音声投稿がない代わりに持っていて良いと思う。
メインのホームページと同じようにブログも詩を踏まえながら芸術/創作活動を総合的に展開して行かなくては自分らしくない。

何もないのは寂しいので、自作曲のお元気ですかを真っ先に載せてみた。詩と表現をコンセプトにしたメインのホームページでテーマ曲として採用している。いうと《神様との出会い》の音楽なので、自分らしさの中心部に位置している感じがする。第一に聴いて貰わなくてはどうしようもない、音楽家としては皆へも。
SoundCloudは無料アカウントだと三時間分しか楽曲をアップロードできない現状だから本当に何でもかんでも載せるわけには行かないと思う。
調べると音質も128kbpsのビットレートの標準並みらしくてちょっと曇りがちかも知れない。
有料アカウントならば高音質の256kbpsを越えるような音楽が載せられてアップロードの容量も安くて六時間分で高いと無制限まで用意されているらしい。
しかし音楽の収益化のシステムが無料アカウントでも導入される予定のSoundCloudだから上手く行けばそこから有料アカウントに移行するのは容易い。
音楽家としてプロになるという道が本格的に整備されつつあるので、SoundCloudは本当に面白いし、素晴らしい才能が数多く見出だされるようなソーシャルメディアの力をどんどん増しているんだ。
参加しただけでも夢が広がる。ホームページやブログのサイト広告で生活費を稼げるかどうかに四苦八苦の毎日を送っている最中、少しでもチャンスを取り逃がしたくないわけだ。アクセスアップに正しく繋がるのではないか。
SoundCloudが活気溢れるかぎり、自作曲のアップロードで実力も真に試せるはずだし、様々な音楽と出会って芸術/創作活動の栄養に取り入れるべきだと考える。

BloggerにGoogleフォトを元のサイズでテンプレートに収めるには

以前から気がかりだったのはBloggerで大きな写真を載せるとスマホでは画面幅に合うけど、タブレットではテンプレートのメインのカラムからはみ出してしまう。
BloggerはGoogleフォトの高画質な写真が簡単に載せられる(ウェブの編集の画像挿入の「Google アルバム アーカイブから」か「携帯電話」によって/ブログに載せた写真は後からGoogleフォトでアルバムを移動すると消える可能性がありそうだからブログのためのアルバムを作って最初から入れておくと良い)から素晴らしいと思うけど、ただし元のサイズを表示しないと駄目なんだ。
やってみるとやはりタブレットではみ出してしまうので、頭を悩ませる。折角、素晴らしくても写真だけで、ブログのデザインが崩れては元も子もないし、何とかならないかと考える他はなくなった。
タブレットで表示されているのはウェブバージョンで、ブログの記事はテンプレートのメインのカラムだからそこに合わせて写真の横幅をcssで調節すれば直ぐにできた。
ただし100%で置くと微妙にずれる、テンプレートに。本当に苦しくて、後一歩、夢の前で崖から崩れ落ちて行くような感じで、考え続けなくてはならなくて参った。
.post-body img {box-sizing:border-box;margin-left:-1.5em;margin-right:-1.5em;max-width:100%;}
記事の画像を「post-body」のクラスと「img」で指定して最大でメインのカラム一杯に表示されるように「max-width」で「100%」に調節する。枠の横幅よりも小さな画像は縮小されないデザインだ。
試行錯誤を繰り返しながら小さな画像は真ん中に入ると分かって枠の最大幅に近付くと右端に追いやられるわけだけれども画像の左右の外側の余白を「-1.5em」以上で詰めると大丈夫だとも分かって来た。そのように「margin-left」と「margin-right」で調節することにした。本当に嬉しくて完全に見違える仕上がりを得られた。
十分に納得したけれども画像が最大幅で文章よりも少し大きかったので、さらに「box-sizing」の「border-box」で画像の周りの余白を全て内側に取り込むと少し小さくなったので、気に入って使ってみている。他のcssとの兼ね合いで変わって来ると思うけど、しかし…

BloggerにYouTubeを埋め込む二つの方法はどちらを選ぶべきか

Bloggerはウェブの編集から動画挿入によってYouTubeを検索して動画を取り込むことができる。
便利だと思ってマイケル・ジャクソンの記事で初めて使ってみたら記事ではサムネイルになって横幅320pxで表示されてしまう。スマホならば画面に収まって良いかも知れない。ちょっと両端が途切れるのは悲しいけれどもパソコンのウェブバージョンでもサムネイルのままになっている。小さ過ぎるのではないか。
YouTubeの埋め込みコードを使うと微妙に異なっていてスマホではサムネイルだけれどもパソコンのウェブバージョンでは普通に表示されていた。
BloggerでYouTubeを埋め込む方法は二つあってどちらが良いかと考えてしまう
YouTubeの埋め込みコードは一般的にはそのままで使うとスマホの画面からはみ出すことが多くてレスポンシブに対応するcssを追加せずに済むのは有り難いと思う。
画面幅に自動的に合わせるようにすると記事に所定のcssへの割り振りを追加しなくてはならないので、そこが凄く悩ましいけど、しかしBloggerでやらなくても済むならば二つの方法のどちらかで選ぶべきだろう。
パソコンのウェブバージョンに合わせたサイズでYouTubeの埋め込みコードを使ってスマホではサムネイルという形にすると画面からはみ出さないように記事へレスポンシブに対応するcssのクラスを個別に割り振って記載する必要もなくて楽だと思う。
ところがやってみると全てのYouTubeの動画がサムネイルに自動的に変換されるわけではないと気付いた。ウェブバージョンに合わせて載せるとスマホではみ出してしまう恐れがあるからウェブの投稿で動画挿入を使うしかなくなった。
すると辛いのはウェブバージョンでもサムネイルで小さ過ぎるからcssで大きく表示するように設定できれば良いと思う。
@media screen and (min-width:768px) {.post-body iframe {min-width:560px;min-height:315px;}}
通常、Bloggerはタブレットからウェブバージョンにリダイレクトされるので、それ以上の画面幅に「@media screen and」から「min-width」の「768px」と限定して記事のYouTubeの動画を「post-body」のクラスの「iframe」からメインのカラム…

Bloggerのモバイルで行間と文字間と日付位置を調節してブログの記事を読み易くする

Bloggerにブログを移転して使い方もまだ良く分からないけれども最も苦しいのは記事本文のスマホでのデザインなんだ。
ホームページの更新情報でBloggerは前から使っていて違和感を何となく受けてはいた。
デフォルのテンプレートでシンプルが厳しくて他のエスィリアルやオーサムなどはさほどでもないようだ。
改めてブログに取り入れながら注意深く考えてみると行間が日本語では狭くて読み辛いし、文字もびっしり並んでいる印象だからデザインを変えなくては好みには合わなかった。

目次
Bloggerで記事本文の行間を調節するBloggerで記事タイトルの行間を調節するBloggerでブログ全体の文字間を調節するBloggerで記事本文の日付位置を調節する
備考
2017年に追加されたContempoやSohoなどの公式テーマではデスクトップとモバイルのブログのデザインが共通だからスマホへのcssの振り分けには本稿の「mobile」のクラスを使わずに「@media screen and (max-width:480px) {内容}」などのメディアクエリで囲んだ記載が新たに必要になっている

Bloggerで記事本文の行間を調節する
ウェブのテンプレートのカスタマイズから「上級者向け」でcssを変更すると大丈夫だ。
.mobile .post-body {line-height:1.5;}
Bloggerでモバイルのデザインを使う場合はブログ全体が「mobile」のクラスになっているからcssで指定すると反映する。パソコン/タブレットならば何も付けてなくて良い。

デバイスの画面幅からリダイレクトでサイトを振り分けてそれぞれにURLも違うので、cssで何も付けないとモバイルのデザインは全く変わらない。
記事本文の全体は「post-body」のクラスのdivタグで囲まれているので、指定すると他のところには反映しないし、その中の要素にデザインを付けられる。
Bloggerの「post-body」はスマホのトップページ/インデックスページの記事の抜粋にも影響していてモバイルに限定しなければパソコン/タブレットでも同じだ。
cssで行間を変更するのは「line-height」なので、好みの属性値を入れて調節する。
個人的には「1.5」を選んだ。文字サイズとのバランスで行間が狭いと目が回ったりするし、文章を主体としてブログをやって…

無料ブログでアドセンスを取得するならばBloggerの略一択みたいだ

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Googleが狙っているかどうかは定かではないにせよ、サイト広告のGoogleアドセンスのライセンスを取得するための審査が今年から厳格化されてサイトの独自ドメインが必須に変わったと聞いて無料ブログ、またはホームページでは審査を受けるのも殆ど無理になってしまったけど、しかしながらYouTubeとBloggerだけはGoogleの提供するサービスとして例外的に大丈夫らしい。
無料ブログでアドセンスを取得しようとすると独自ドメインは貰えないのが一般的だからBloggerの略一択に近いといって良いと思う。
Blogger では、AdSense アカウントを使用して広告コードを自動的に作成し、ブログに表示できます。
ブログから収益を得る via Blogger ヘルプ
YouTubeもそうだけど、Bloggerもアドセンスに受かっても他のドメインのサイトには使えない特別なライセンスなので、様々な使い回しには向いてなくてさもなければ再審査が求められるとすると無料ブログ、またはホームページではもう不可能かも知れない。
曇りに触れて via 天使のモノクローム
去年の秋、僕がGoogleアドセンスのサイト広告を取得しようと励んでいた頃から無料ブログでは厳しいし、近いうちに審査も受けられなくなるのではないかと囁かれていたんだ。本当、その通りの結果が出たから世の中に耳を傾けることは大切だったし、無料ブログしか持ってないから急いでおいて良かった、アドセンスの審査を突破できたかぎりはまさか。
Googleがなぜアドセンスの審査を厳格化するのかは興味深い
ライセンスを取得してサイト広告を使えるサイトを減らせば利益が上がらないはずなので、アドセンスの質が問われているんだろう。どんなサイトでも貼ってあるよりは良いサイトというか、ちゃんと運営されているサイトにしかないサイト広告なんだとブランドを高めたいようだ、人々へ向けて。
とても合理的で、会社の経営戦略としては見事ではないか。サイト広告は不安が大きいから貼るサイトを審査の段階から厳選して人々に安心して見て貰えるようなアドセンスのブランドとしてイメージアップを図る。如何わしいサイト広告ではないと少しでも認めて欲しくてライセンスも以前よりは与えなくなったみたいだ。
無料ブログ、またはホームページだから誰でもぶん投げてやっているわけでないし、ライセンスを容易く与えて後…

人生を共に歩んで来たドラゴンクエストに明かされる自分らしさへの八つの真実

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ゲームのドラゴンクエストが三十周年を迎えてしまった。狼狽えるのは中学時代に初めて夢中になったせいで、何といっても年月の長さを重々しく受け留めざるを得ない。人生を共に歩んで来たに等しい。
ドラゴンクエスト30周年プロジェクト 紹介映像 via スクウェア・エニックス
シリーズはⅧまでしかやらなかったけれども三十代中盤だから、都合、二十年程は著しく身近だったし、いつもいつも心の片隅を占める存在だった。珍しいだろう、ゲームは好きならば、皆、そうかも知れないにせよ。
驚くのはやはりドラゴンクエストはとても長い。二十年程も心の片隅を占め続けたゲームなんて他に思い付かないから記録的だし、振り返っても圧倒される。
振り返って人生で何があったのか
ドラゴンクエスト
毒の沼地にズボズボ嵌まるのが嫌だった。ダメージは小さくても受けたくないという。しかし目的を達成するためには嫌でも通り抜けなくてはならないし、やらなくてはゲームはクリアできなかったわけなので、努めて頑張らなくては駄目だと気付いた。
ドラゴンクエストⅡ 悪霊の神々
アトラスが印象に残る。モンスターだけど、どこかで聞いたことがあるような名前の言葉で、響きが好きなのに何なのかが分からないのが悔しかった。調べては「ギリシャ神話の巨人神」だ。気持ちがすっとするし、疑問は鵬っておくべきではないと悟る。
ドラゴンクエストⅢ そして伝説へ…
主人公の職業が選べるので、自分の人生にもそれこそ思いを馳せずにはいられなかった。どんな職業が向いているのか、何ができて素晴らしいのは好きな世界ならば手に入れるにはどうするべきかを考えさせられた。
ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち
幾つかの物語が寄せ集められた。継ぎ接ぎのデザイン/パッチワークみたいなアートの良さを味わった。加えて人にはそれぞれの道があると別々の物語の各々の主人公の生活を通して学んだかも知れない。自分一人で全てを決め付けてはならなかったわけだ。
ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁
モンスターが仲間になるから本当に自己認識が問われた。敵が味方に変わるので、人々、そして世界への眼差しが気持ちだけでは不十分だし、好き嫌いで判断しては勿体ない。ただし結婚するのにフローラかビアンカのどちらかを選ぶしかないというのは逆に気持ちの大事さを受け取らされた。好きでこそ間違いないだろう。
ドラゴンクエストⅥ 幻の大地
特技を身に付けて幸せ…

谷川俊太郎の詩人としての可能性を巡って

透き通った心の持ち主は詩を書いていたけれども愛好していた詩人は谷川俊太郎だったらしい。どうして知ったのかを思い出せない。遺品に谷川俊太郎の詩集が含まれていた記憶がないから誰かに聞かされたのかも知れない。
谷川俊太郎は鳥羽/で「私は詩人ではない」といい切っているから詩人として完全に認めるわけには行かないんだ。
とはいえ、詩集を出すと口にしたり、プロフィールで詩人を名乗ったりする事実もあって混乱を招き易いので、別のどこかでは詩人は天職みたいな発言も残していたりした。
考えると心が歪んでいるけど、ただし皆から詩人と呼ばれるから何もかもそのように引き受けた結果でしかないという生真面目さが溢れているせいなんだ。
かりに本音が「私は詩人ではない」ならば相反する世間体の数々は自己矛盾に陥ってないばかりか人情を匂わせてすらもいるだろう。
谷川俊太郎の面白さは歪んだ心を言葉で開き展べるところにある。
物事の目線が専ら自分と他人の二つに分かれていて自分の目線から作詩し得た。
実生活では他人の目線だけで過ごしているがゆえに詩へは鬼気迫るほどの形で取り組めるし、本気で歌っているとはっきり思わせる作品、または人生観が多いわけだ。
スタイルとしては日本語の格助詞の「は」の用法に特徴が大きく示されている。
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがつたりする
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし、キルルし、ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがつたりする
それはまつたくたしかなことだ
万有引力とは
ひきあう孤独の力である
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしやみをした
谷川俊太郎の二十億光年の孤独
作中、日本語の格助詞の「は」によって「人類」や「火星人」や「宇宙」などの言葉がまるで定義付けられたような感触と共に伝わって来る。何れも詩作として哲学並みに概念的に論証されているわけでもなければ気持ちの熱さこそ味わわれずにいなくなる、むしろ。
谷川俊太郎は生真面目な性格から人生へ本気で力を尽くしていると見て良いと思う。
面白いのは根本的に詩とは何か、詩人とは誰かを追求しようとすると実生活での思いが内面に逆流して来て自分の目線だけでは捉えられないし、心もまさか爆発を遂げてし…

生活感と掛けてロボットと解けばその心はどちらも可笑しくて切ない詩だ

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Ryan McAmis, robot for Soho House magazine by Bernstein & Andriulli's Tumblr. via Tumblr
本当に良い思いを抱かせる。ロボットに生活感を受け取るなんてまさかとしか驚きようがない。笑いの絶えない日々が不意に幸せだったと振り返られるようで、心地良い風が柔らかく静かに吹き寄せると共に詩がどこからか舞い込んで来る、胸のうちへと。
金子みすゞ(詩人)の世界に近い。世間一般では「みすゞコスモス」と呼び習わされている。宇宙の捉え方に独自のスタンスが付き従って味わわれる言葉遣いが含まれている感じがする。
作品は童謡ばかりだけど、必ずしも子供向けとはかぎらなくて様々な認識が引き出され得る懐の深さが人々に与えるイメージの全てを包み込んでいるのではないか。
それはきれいな薔薇いろで、
芥子つぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。
もしも泪がこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。
金子みすゞのわらい
言葉の連なりが分かり辛いので、纏めると終盤の「こんな笑い」が冒頭の「それ」なので、締め括りの「きれい」が詩として世界に潤いを呼び寄せていると読み取られる。
金子みすゞの笑いは「泪がこぼれるように」得られるので、一つの憐れみの結果として捉えられるし、詩の言葉ならば心の拠り所を示しているのではないか。
考えると生活感が凄く大きくてどうして「こんな笑い」があるのかまではわらいからは見出だせないにせよ、その心が「薔薇いろ」とか「花」なんて的確に認められたかぎりは真実とすると経験に根差しているはずだ。
心の拠り所が憐れみの笑いという感性がロボットに近い。人間と比べるといつもどこかが抜け落ちているというか、触れ合えばやきもきさせられる存在だったりするわけだ。
なので金子みすゞも詩人として自らの知覚の及ばない彼方を目指していたのかも知れないし、想像こそ逞しいにせよ、現実には物足りなさを抱えながら作詩してももどかしく暮らしていたようだ。
日々、情けない人生を送るほどに生活感に満ちたロボットのイメージには救われずにもいないし、有り難みを著しく受け取った。

自殺だけが友達なんて笑っても仕様がないくらいうんざりしてばかりいるよりは

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CGアニメのみつばちマーヤの冒険はテレビの主題歌(マーヤ)もとても良い、映画用だけではなく。
Maya - Chanson Anglais via Studio 100 Animation
夢が生きている
世界は詩そのものではないか。本当に素晴らしいとしかいえないし、希望が湧いて来る、心に明日への。尊ぶべき正しく活力源なんだ。
日本でみつばちマーヤの冒険のアニメがテレビ放映されたのは1975年で、幾らか前の田中内閣の「日本列島改造論」に引き続いて高度経済成長の真っ只中だったと思う。
第二次世界大戦での敗北という焼け野原から国内の復興が加速的に進んだ時期に当たる。
CGアニメのみつばちマーヤの冒険はヨーロッパでテレビ放映された。
近年、ヨーロッパは深刻な経済状況に直面している。人々の賃金格差が余りに大き過ぎて一方では何の苦労も要らないと感じるけれども他方では毎日が死と隣り合わせの生活が増え続けている。取り分けフランスでは資本制経済を打倒する革命的な気運が非常に高まっていると聞かれるけれどもどうなるんだろう。新しい時代の幕開けがヨーロッパから齎される可能性があることだけは確かなんだ。
見方によると
人々が生活を立て直して国も改善するために頑張っているところで『みつばちマーヤの冒険』がまるで後押しするかのように持て囃されてしまっている。
僕個人は夢と希望を携えて(詩集)を仕上げたけれどもそうした気持ちこそ欠かせないと痛感する、現実に死にたいほどに。
サイトのアクセスが速やかに伸びなくてサイト広告で生活費が稼げないし、考えると身体そのものはもうそろそろ終わりにして良いのではないか。
今此処でみつばちマーヤの冒険のCGアニメから励まされながら生き延びているならば《必要不可欠な思想》として捉え返しておきたい。
心から生きるとは何か
一輪の薔薇になるように夢と希望で物事を把握する存在でなくてはならない。ついに地獄を想定して悲しみと共に散り失せると世の中を怪しまずに済みそうだ。
いうと疲れ果てた精神が危ないので、上手く行かない人生へは肩入れしても長生きには結び付かないし、自殺だけが友達なんて笑っても仕様がないくらいうんざりしてばかりだ。
元気も出て来る
毛穴から感じる世界の恐ろしさこそ踏み越えるべき災いの火種だった。取って食うことのできない不吉さが神経衰弱を引き起こすかぎり、もはや精神にとって重要なのは安らかさを…

アニメのマーヤも蜜蜂だからダンスは日常生活に欠かせない

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懐かしいみつばちマーヤの冒険がCGアニメでダンスと共に帰って来た。
Maya the Bee - Maya Dance via Studio 100 Group
凄く可愛いと思った、一見して。ブログでマーヤを取り上げようと調べていたら気付いて海外のStudio100Maya the Beeと制作されたと分かった。日本版もみつばちマーヤの大冒険として今年の秋口に映画館で上映されたらしい。素晴らしいとしかいいようがない。
主題歌がMaya Dance(マーヤダンス)という。日本のかつてのアニメからは想像も付かないような世界が繰り広げられている感じがしたし、まさかと肝を冷やされた幾多りの時代の流れにせよ、考えてみれば蜜蜂とダンスは決して遠くないどころか日常生活そのものでさえもあるので、イメージとしては見事な取り合わせではないかと舌を巻いた。
蜜蜂は八の字/尻振りダンスで巣から花や水の在処、巣作りに適した場所を仲間に教えている
太陽に対して八の字を描きながら回転するけれども真ん中で直進する角度によって行き先を、そして尻を振りながら速いか遅いかで近いか遠いかを示しているとされる。
尻振りダンスは,暗号化された情報が伝達される「記号的コミュニケーション」の一種とされるが,ヒトの言語を含めて,記号的コミュニケーション能力は動物界では稀であり,昆虫ではミツバチがこの能力をもつ。
久保健雄のミツバチの社会行動
蜜蜂のダンスを研究した動物行動学者のカール・フォン・フリッシュは初めて昆虫にも「記号的コミュニケーション」が計れるという高次の社会性を発見したためにノーベル生理学・医学賞も受け取ったらしい。
人間と蜜蜂は生き方の核心が似ていた。少なくとも仲間内で表現力を明らかに交わさなくては生活そのものが成り立たなくなってしまうんだ。親しみが湧いて来る、一層と良く知れば改めて。
CGアニメでみつばちマーヤの冒険が帰って来てダンスを取り上げた主題歌だったので、本当に好きでは何なのかと気を引かれずにもいなかった。
参考:ミツバチミツバチのダンス

蜜蜂といえばマーヤでマーヤといえばやはり可愛い

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日本アニメーションの作品紹介でどんなアニメがあるのかを探し回っていたらみつばちマーヤの冒険が出て来てとても嬉しかった。
みつばちマーチの冒険 via 日本アニメーション
かつて気に入ったアニメの一つだったし、キャラクターが可愛くて蜜蜂に興味や感心を抱きながら好きになる切欠にもなった。
振り返ると僕自身のアイコンの蜜蜂も非常に大きな影響を受けていた。元々の絵も冒険と題していた。蜜蜂のイメージがみつばちマーヤの冒険によって固まってしまっていたとすると相当に詩的だったと考えられるだろう。
髪型がたぶん最も素晴らしい。蜂蜜を頭から被ったような感触が示されていて色も黄色で似通っている。蜂蜜で生きている蜜蜂だから生きる喜びが髪型で正しく表現されていたわけだ、マーヤには。
するとアートをやはり受け取らずにいない。自己表現が髪型でしっかり出来ていているとは何か。アートを通じてポエジーが与えられるし、かけがえないの存在こそ味わわせるんだ。延いては生きる喜びの美しさや受け留める世界の優しさを告げていると知るに至る。
マーヤが可愛いのは生活に自分らしさが極めて多く溢れているせいだ
アニメのみつばちマーヤの冒険は物語は皆との触れ合いから成長して行く人生の寓喩だと思うし、原作者のワルデマル・ボンゼルスもそれを踏まえて最終的にはマーヤを蜜蜂の教育係に仕立て上げた(経験を以て知識を与えよ)はずにせよ、キャラクターの造形を含めてデザインこそ心に残された。
巣も住みたい感じがした。六角形の小部屋が幾つも寄せ集められていて黄色もとても綺麗だった。柔らかみが良い、タッチと色彩の。布団の魅力を思い起こさせるし、快適な寝床、または住処そのものと呼ぶにも相応しかった。
ところがマーヤは飛び出してしまう、巣を。子供心には不可解だったし、他のどんな場所よりも素晴らしい世界ではなかったか、俄かには受け入れられないけど、マーヤが巣を離れ去るべき作品のエッセンスは大人でも把握するのは難しいだろう。
哲学的なので、あからさまに目に見える形ではマーヤが巣に教育係として又戻って来るにせよ、なぜ経験が必要なのかが気にかかる。
蜜蜂ならば本能だし、人間ならば信念だ。外界を学んでこそ生活が向上する可能性も初めて得られるわけなので、既成概念だけでは現状維持で終わって環境の変動で倒れ易いどころか偏見に縛られてさえもいれば身内で争いが起きて平和な日々も決し…

澄んだ眼差しの世界で自然に出会い得る天使は詩的だ

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日本アニメーションフランダースの犬のアニメの第一話を動画で無料公開していて素晴らしい。
フランダースの犬 第1話「少年ネロ」 via 日本アニメーション・シアター
オープニングの主題歌のところが凄く好きだ。分けても池に張った氷の上をネロとアロアがくるくる回りながらパトラッシュが割って入ったせいだけれども滑っているのを観ると胸が熱くなるんだ。
そして涙も溢れざるを得ない。人と人との絆は心から清らかには引き裂かれないのではないか。滑り込むほどにパトラッシュが詩になってしまっていたせいで、ネロのアロアの通じ合う言葉(胸のうち)を表現していたと味わわれる、正しく喜ばしく。
十数年来、徹して作詩しながら詩人として幾つもの詩集を仕上げて来たし、詩、または詩歌への造詣は今現在でも絶えず、深まり行くばかりにもせよ、アニメのフランダースの犬のオープニングのパトラッシュの詩のイメージは実に見事だと感嘆させられる。
人々に何かを伝えるためには子供向けでやると最も分かり易いという好例ではないか。
ただし大事なのは清らかな心だ。清らかな心からパトラッシュの詩のイメージも生み出される。ネロとアロアの澄んだ眼差しこそ世界を呼んでいたし、詩としてやって来るパトラッシュのそばには天使を感じるのがやはり自然だろう。
アニメのフランダースの犬は二人と一匹の世界を通じて天使と出会えるところが最高だったと認めるしかない、改めて日本アニメーションの動画と共に。
かつてテレビ番組で放映された当初の最終回は三十パーセントを越える視聴率だったらしい。
四十年以上前だから人々の趣味嗜好は変わったにせよ、清らかな心から見出だされる天使は気に入るし、現実に手放すわけには行かないと思う。
ネロとアロアの心の繋がりは初々しくてチューリップがぴったりではないか。
永遠に歌いたい。今だからでも昔ならばでもなく、天使が寄り付かずにいない清らかな心は非常に重要なので、生活に取り入れては自分自身も向上できるし、人々にも伝えられるときっと良いはずだ。

いつもフランダースの犬の清らかな心には感動を覚える

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児童期にアニメで観て大好きだったフランダースの犬ウィーダ)は本当に素晴らしい作品だった。人間の心の清らかさが主人公のネロからはっきり受け取られた。
他の作品では意外と珍しくなくてテレビの時代劇のドラマで母親が亡くなって父親が病気で寝た切りで子供はどうやって生きて行くのかと思わせる場面が良く描かれている。江戸時代の貧しい庶民生活の典型的なイメージだけれども政治的に立て直せないせいだとすると世界中の難民と変わらないから極めてリアルな悲しみを伴って味わわれずにもいない。
ネロも全く同じだ。両親がいなくて祖父のジェハンに代わりに養われていたものの病気というか、高齢で望んだような形では殆ど財産もないし、育てることは儘ならない状況に陥っている。なので子供はどうやって生きて行くのかと思わされて仕様がないわけだ。
清らかな心はフランダースの犬では何よりも絵に象徴されていてネロは絵描きとして生きて行こうと考えていた。
Antwerp Cathedral by Teseum (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
アントワープ(ベルギー)の教会/ノートルダム大聖堂(聖母大聖堂)にルーベンスキリストの昇架キリストの降架の二つの祭壇画が飾られていて理想として表現されている。
ネロは人生の救いを感じて自分も同じように人々に救いを与える絵描きになりたかったのではないか。しかしコンクールで落選して目標を失いながら最終的には祖父も亡くなって貧しいばかりの雪の日の夜に力尽きて死ぬ他はなかった。
時間がないせいだ。もう一度、コンクールに挑戦して絵描きを目指すわけには行かなかった。祖父の死が非常に大きくて自然の流れで老いながら長々と見守り続ける気持ちは果たされないという。だからフランダースの犬で最も素晴らしいのはネロが夢を諦めなかったところだ。結果としてプロにはなれなかったにせよ、この世を去ったのは決して救いへの志を捨てたせいでもないし、自然の流れで時間が待っていてはくれなかったとしか感じられない。
臨終では愛犬のパトラッシュと共にアントワープの教会でルーベンスの二つの祭壇画の前で神に召されるけれども物語は正しい。なぜネロは死ななくてはならないのか。自然の流れだからやはり神が原因と認識するべきだし、ネロの清らかな心こそ誰よりも理解しながら一人ぼっちの極限…

昭和天皇は民主主義の理念を人間宣言で心から人々に知らせた

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邪馬台国の卑弥呼と共に古代日本を考えていたら天皇の重要性を知るに至り、現在と比べれば、丸っきり、違うと心密かに驚かされてもいた。
咄嗟に「天皇が神として崇められる風土が二十世紀の第二次世界大戦まで日本にはあった」と載せたものの天皇の捉え方の切り替わりが気になって来た。
第二次世界大戦の敗戦から日本は憲法が改正されて天皇も《国民の象徴》として規定されたとはいえ、調べていて驚いたのは当時から昭和天皇自身が声明を予め発表していた。
憲法に先立って日本神話の天照大神の子孫のイメージは保ちつつも宗教の開祖のように絶対視されてはならないと明らかに示していたので、心情的には非常に大きかったのではないか、歴史的にも画期的な認識が得られた瞬間だったと感じるんだ。
天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。
昭和天皇の新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ
天皇を以て現人神(あらひとがみ)とし、かつ日本国民を以て他の民族に優越する民族にして、延いては世界を支配するべき運命を有するとの架空なる観念に基づくものではあり得ない。
昭和天皇の新年にあたり誓いを新たにして国運を開こうと欲する国民は私と心を一つにしてこの大業を成就しようとすることを庶幾う
一般的には人間宣言と呼ばれている。メディアで別に名付けられた。昭和天皇の題名からすると「国運」(敗戦後の日本の立て直し)がキーワードだけれども本文の現人神ではないという所感が非常に注目された。
昭和天皇は前段で天皇と国民の関係について「終始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」(終始相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説によって生じるものではあり得ない)として思想的な立場を示した。さらに付け加えると「朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス」(私はこれら国民と共にあり、常に利害を同じくして休戚を分かとうと欲する)という気持ちから来ているわけだった。
文書そのものは占領側のGHQ(連合国軍総司令部)の働きかけで昭和天皇や当時の関係者によって詔書として国内を含めて全世界に公開されたらしい。
昭和天皇は記者の問いかけに対して人間宣言で本当に重要なのは冒頭に置…

巨大戦艦の武蔵に学ぶ人生を成功に導くたった一つの法則

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目的を誤っては何にもならないし、人生は百パーセント成功しないのではないか。よもや誤っていたはずの目的が本当は正しかったと喜ばしく受け入れる運任せも端から望むには余りに時間がかかり過ぎて呆れて終わってしまい兼ねない。正しい目的を持って無駄な努力をせず、いつも頑張って怠らないように情熱を持って実現に勤しむことこそが人生を成功に導くたった一つの法則だと考えられる。
テレビの戦艦武蔵の最期~映像解析 知られざる“真実”~(NHKスペシャル)を観ていて気付いた。
第二次世界大戦で日本軍の巨大戦艦として大和と共に主力中の主力だった武蔵がアメリカ軍とのレイテ沖海戦で五時間足らずで撃沈されてしまっていた。
あっさり潰えた夢という感じで、勇んで出港したものの大した戦績も上げられないまま、二千人以上の乗組員の大半は帰らぬ人となり失せたらしい。
本当に目的を実現する気持ちには遠く及ばなかった事実だけに国策だけではなくて人生も深く思い至らされたし、悲惨な過去に学ぶべきは学びながら未来へ繋げて行ければ良いと今現在を全力で味わう他はなくなっている。
Japanese battleship Musashi by Tobei Shiraishi [Public domain], via Wikimedia Commons
なぜ武蔵は大失敗を犯したのか
日本からすれば巨大戦艦の武蔵の沈没は期待外れそのものだったとしかいえないだろう。前評判では不沈艦として敵には厳しく恐れられるはずだったし、国民の誰もが勝利を信じて疑わなかったようだ。武蔵の沈没の衝撃は第二次世界大戦の歴史的な認識を根底から覆すほどに凄まじかったのではないか。やはり駄目だと、国土の大きさや人口の多さによって容易に察知されるけれどもアメリカと日本が一戦を交えても象と蟻の力比べに等しくて結果は火を見るよりも明らかだったと認められる。
ただし日本は当時からアメリカとの軍事的な実力差を全く知らなかったわけでもない。十分に弁えながら武蔵を考え出したし、これならば行けると気に入ったアイデアが実際には不味くてこそレイテ沖海戦での大失敗を引き起こしていたんだ。
人生はアイデアに酔っては行けなくてどんな物事も夢のままで判断しているうちは悲しみも何一つ変わらない生活だと凄く良く分かるけど、本当に反省したいのは武蔵が不味かった理由だろう。いい換えると大失敗したレイテ沖海戦で…

アルトーは晩年に統合失調症を患っていた可能性が極めて高い

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アイルランドへ向かった四十代前半のアルトー(作家/詩人)がダブリンでホテルの部屋代を払えなくなって本国のフランスへ強制送還されるという事態に陥った。船に乗っているところで船員に襲われると感じて本人は身を守るために反撃するつもりだったけれども周りからは常軌を逸していると判断されて自宅へは帰り着かずに精神科へ入るようになった。
フランスのロデーズの精神科で、結果的には二年くらい入院して様々な治療を施されて開発されたばかりの電気ショック療法をまるで実験台のように受けたりもしていて晩年のアルトーを考える上では非常に大きな場面の一つに数えられる。
現今では電気ショック療法は安全性が改良されて電気けいれん療法と呼ばれているけれども危険性が小さいわけではなくて禁止する国も増えて来ている。
電気けいれん療法の治療としては重度の鬱病を主な対象としているようだ。
アルトーの場合は船員に襲われると感じた精神が病んでいたとすれば強迫観念に起因しているから統合失調症の可能性が極めて高い。人々に監視されているという変調が生じるので、そこから自分の身が危ぶまれる、生活が誰かに脅かされると感じてしまう。船の中での一件は精神病の症例とすると統合失調症が当て嵌まり易いんだ。
ロデーズの精神科で電気ショック療法を受けたのは基本的にはあり得ないはずだけど、しかしながら開発されたばかりで良く分かってなさそうな二十世紀前半の治療だし――アルトーは何十回も麻酔なしに受けて背骨を負傷したともいわれる――主治医だったフェルディエールがどのような診断を行ったかも資料が少なくてさらに追求するにはちょっと及ばない。
気になるのはアルトーが自分の名前というか、名字を母方にしていたらしい。元々は父方でアントナン・アルトーだったのにロデーズの精神科ではアントナン・ナルバと自称していた。
なぜなのか。資料によるとアルトーは精神科を転々としていてロデーズに至るまでに幾つか他のところにもいた。その間に名字をアルトーからナルバに変えていたらしい。
アルトーとしては母方の名字から自分の存在を大地に根差すように捉えたのかも知れない、たぶん。
Antonin Artaud jeune by Agence de presse Meurisse [Public domain], via Wikimedia Commons
幼少期の髄膜炎の治療の後遺症で、生涯にわ…

人生で最も影響を受けた映画のトップガンには素晴らしい気持ちがした

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僕は青春期から髪型が変わってない。三十歳頃から前髪が薄くなってイメージは多少ともずれているにせよ、気持ちとしてはもはや死ぬまで続いてしまいそうだ。喜ぶべきというか、自分に合っているために自然に選んでしまっていた。生活上、止められないのは確かだ。
映画のトップガンのマーベリックで主演したトム・クルーズの髪型で、短めの七三分けみたいな感じという。
いつの間にか気付いたら自分に取り入れていたなんて滅多にない世界だし、物凄く引き付けられてなければあり得ないはずけど、しかしながら自覚されてないから言葉にするのも甚だ難しい。
Official Top Gun Rerelease Trailer - HD via AMC Theatres
何かに影響を受ける経験は人生で数え切れないほどに色々とあるかも知れないにせよ、思わず、知らず、求めておいて後から打ちのめされるというと本当に衝撃的で、他には味わわれない素晴らしい気持ちのかぎり、振り返ってみては最もと特別視されざるを得ない。
主題歌のDanger Zoneケニー・ロギンス)からしてトップガンは本当に良い映画だった
とにかく切り放せないと思う。トップガンといえばDanger Zoneだし、Danger Zoneといえばトップガンだろう。YouTubeで動画を見付けて心密かに驚かされたけれども映画の場面が幾つも挿入されていた。
大抵、音楽が映画に使われたとしても音楽の動画には映画の場面は出て来ないわけなので、珍しかったのはもちろんにせよ、個人的にはトップガンが気に入っているからDanger Zoneの動画から振り返られるのも嬉しいかぎりだった。
トム・クルーズもそうだ。つまりトップガンのマーベリックがとても印象強くて他のどんな映画に主演してもトム・クルーズのイメージにはトップガンが脳裏に過ってしまう。風貌がマーベリックを彷彿とさせる、本人が狙っているかどうかではなく。
なので親心にも通じる。どんなに年を取っても子供は子供なんだ、両親にとって。赤ちゃんの思い出が胸に残されていて可愛いと感じながら世話も焼いてしまうわけだ。
映画として考えるとトップガンはエクセレントな恋を素晴らしく表現していたに違いない
丸っきりの恋愛物ではなくて戦争を通じての青春群像を描いているけれどもそこにマーベリックとチャーリーの男女の惹かれ合いが出て来て恋愛のイメージで大きいと…

邪馬台国の卑弥呼は日本の国内に資料が全く残されてない

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古代日本の女王だったとされる邪馬台国の卑弥呼(やまたいこくのひみこ)だけれども詳しく調べてみたら国内に資料が全く残されてなくて古代中国の書物に記されただけの人物だった。
昔から存在は良く聞かされていたし、歴史上の出典が他国にしかなかったなんて物凄く驚かされた。
弥生時代の終わり(紀元前二世紀後半)に卑弥呼の邪馬台国が日本で一大勢力を誇っていた。それが後続の古墳時代のヤマト王権に繋がる切欠になってさらに飛鳥時代の君主制/推古天皇が齎されて日本も生まれた/名付けられたのではないかと考えられる。
以前の古代日本は倭(わ)と魏(ぎ)の古代中国から歴史書の三国志の「魏志倭人伝」などで呼ばれていた。因みに当時の中国大陸は魏の他に蜀(しょく)と呉(ご)の三つの地域に人々が大きく分かれていて三国志ならば題名の由来にもなっていたわけだ。
天皇そのものは神武天皇が最初で、弥生時代から認められていたようで、日本の祝日の建国記念の日(二月十一日)も神武天皇が即位した日が採用されている。ただし実在感が乏しくて神話上の人物かも知れない。
神武天皇は古事記(日本最古の歴史書)や日本書紀(日本初の正史)に記されていて初代天皇として認められているけれども天照大神(あまてらすおおみかみ)との触れ合いがある。日本神話の太陽神で、人々や天皇も崇めている。現在ではそうした所縁の神明神社が全国に広がっていて伊勢神宮が総本社として捉えられている。
様々な調査から神武天皇は弥生時代でも終わり頃の人物だったかも知れない。すると卑弥呼との関連性が出て来る。一説によると卑弥呼は日本から見た天照大神ともいわれている。卑弥呼を神話化した人物が天照大神だったならば国内に資料が全くないのも当然かつ自然だろう。何もかも天照大神として語られてしまい、中国からのみ卑弥呼として書物に記された。物凄く分かり易くて良いと思うけど、ただし卑弥呼が天照大神だったかどうかの信憑性が歴史学では喧々囂々の議論の只中にあって確実視されるわけには行かないんだ。
Yoshinogari-iseki minami-naikaku ounoie by Saigen Jiro (Own work) [CC0], via Wikimedia Commons
弥生時代を考えると農耕が非常に栄えていて食糧難が前代の狩猟が主体だった縄文時代よりも避け易くなって人口もさらに大きく賄え…

パブリックドメインの作品は勝手に使って良い

芸術/創作活動のどんな作品にも作者の著作権が付帯している。サイトで引用などの正当な理由もなく、勝手に使えば裁判所に訴えられて投獄される可能性があるから厳しく注意しなければならない。
ところが著作権のない作品も世の中にはあってパブリックドメインと呼ばれている。非常に有り難い。パブリックドメインの作品には著作権がないから誰のものでもないというか、名前通りに「公共の範囲」(public domain)に著作権が移行していて作者はそれに紐付けられないので、サイトで他人の作品を勝手に使っても法的に侵害する恐れは全くないわけなんだ。
パブリックドメインの二つのタイプ
作者の死から長期間が経過している作者が自作の著作権を放棄している
パブリックドメインの作品は勝手に使って良いけれども実際には難しくて手が出なかったりもしてしまう。
作者の死に基づく場合は国の法律によって定められていてどのくらい経てばパブリックドメインへ著作権が移行しているかが問われなければならない。
国際的に五十~七十年が多いようだ。日本では五十年と定められている。作者からすれば没後五十年までが自作の著作権の保護期間に相当しているわけだ。
第五十一条  著作権の存続期間は、著作物の創作の時に始まる。
2  著作権は、この節に別段の定めがある場合を除き、著作者の死後(共同著作物にあつては、最終に死亡した著作者の死後。次条第一項において同じ。)五十年を経過するまでの間、存続する。
著作権法 via 法令データ提供システム
なぜかは芸術/創作活動の作品の作者は国民だから彼、または彼女にとっての著作権も最終的には国に帰属させられるという認識から来ているらしい。
パブリックドメインで厄介なのは作品の所有者が作者以外にいるかぎりは勝手に使うの不味い。
例えば美術館のパブリックドメインの作品には作者の著作権とは別に美術館の所有権も付随しているので、誰も盗んではならないように認められなければならない。
写真が出回っていてサイトに載せるのも所有者が承諾してなければ気持ち悪いから良く分からないと僕は引用の範囲でしか勝手には使わないようにしている。所有者以外から出回っている写真だと本当に良く分からなくて怪しむほどに手も伸び難くなる、しかも。さもなければ問い合わせて所有者に承諾されるべく頼むしかないだろう。所有者が不明ならば突き止めてからになる。
作品によって「…