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些細な日常

谷川俊太郎の詩人としての可能性を巡って

透き通った心の持ち主は詩を書いていたけれども愛好していた詩人は谷川俊太郎だったらしい。どうして知ったのかを思い出せない。遺品に谷川俊太郎の詩集が含まれていた記憶がないから誰かに聞かされたのかも知れない。

谷川俊太郎は鳥羽/で「私は詩人ではない」といい切っているから詩人として完全に認めるわけには行かないんだ。

とはいえ、詩集を出すと口にしたり、プロフィールで詩人を名乗ったりする事実もあって混乱を招き易いので、別のどこかでは詩人は天職みたいな発言も残していたりした。

考えると心が歪んでいるけど、ただし皆から詩人と呼ばれるから何もかもそのように引き受けた結果でしかないという生真面目さが溢れているせいなんだ。

かりに本音が「私は詩人ではない」ならば相反する世間体の数々は自己矛盾に陥ってないばかりか人情を匂わせてすらもいるだろう。

谷川俊太郎の面白さは歪んだ心を言葉で開き展べるところにある

物事の目線が専ら自分と他人の二つに分かれていて自分の目線から作詩し得た。

実生活では他人の目線だけで過ごしているがゆえに詩へは鬼気迫るほどの形で取り組めるし、本気で歌っているとはっきり思わせる作品、または人生観が多いわけだ。

スタイルとしては日本語の格助詞の「は」の用法に特徴が大きく示されている。

人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがつたりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし、キルルし、ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがつたりする
それはまつたくたしかなことだ

万有引力とは
ひきあう孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしやみをした

谷川俊太郎の二十億光年の孤独

作中、日本語の格助詞の「は」によって「人類」や「火星人」や「宇宙」などの言葉がまるで定義付けられたような感触と共に伝わって来る。何れも詩作として哲学並みに概念的に論証されているわけでもなければ気持ちの熱さこそ味わわれずにいなくなる、むしろ。

谷川俊太郎は生真面目な性格から人生へ本気で力を尽くしていると見て良いと思う

面白いのは根本的に詩とは何か、詩人とは誰かを追求しようとすると実生活での思いが内面に逆流して来て自分の目線だけでは捉えられないし、心もまさか爆発を遂げてしまうという。

取り分け二十億光年の孤独が象徴的にせよ、延いては鳥羽での「私は詩人ではない」のイメージにも影を落としていた。

谷川俊太郎は持ち前の歪んだ心、すなわち《自分と他人の目線の食い違い》を通して言葉を掴んでいるために本当に詩人なのかはどうかは周りが決めるべきかも知れない。

透き通った心の持ち主がどんな詩集、または詩を受け取っていたかは謎だけれども一つの可能性を巡っては重視されるし、谷川俊太郎の詩人としての手がかりを与えているわけなんだ、僕にとっては。

心の爆発が二十億光年の孤独と呼ばれている点では生活感が何よりも大事にされていたのではないか

いうと内面のもやもやを作品に打つけているようだし、日々、谷川俊太郎は生き辛いばかりの煩悶を掻き散らす仕方で言葉を一生懸命に求めている印象が強い。

人々においては他人の目を気にするとか自分自身を見失っているなんて状態から参考になるはずなので、およそ社会を目線として捉えながら内省する生き方かどうか、自己表現ならばユニークな生真面目さにはかぎらず、共感を以て幅広く迎えられるべきだと思う。

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