昭和天皇は民主主義の理念を人間宣言で心から人々に知らせた 結城永人 - 2016年12月7日 (水) 邪馬台国の卑弥呼と共に古代日本を考えていたら天皇の重要性を知るに至り、現在と比べれば、丸っきり、違うと心密かに驚かされてもいた。 咄嗟に「天皇が神として崇められる風土が二十世紀の第二次世界大戦まで日本にはあった」と載せたものの天皇の捉え方の切り替わりが気になって来た。 第二次世界大戦の敗戦から日本は憲法が改正されて天皇も《国民の象徴》として規定されたとはいえ、調べていて驚いたのは当時から昭和天皇自身が声明を予め発表していた。 憲法に先立って日本神話の天照大神の子孫のイメージは保ちつつも宗教の開祖のように絶対視されてはならないと明らかに示していたので、心情的には非常に大きかったのではないか、歴史的にも画期的な認識が得られた瞬間だったと感じるんだ。 昭和天皇が人間宣言で最も重視していたのは民主主義の観念だった The Imperial mausoleum of Emperor Showa: the Musashino Imperial Mausoleum by Bridgecross / Public domain 天皇を以て現人神とし、かつ日本国民を以て他の民族に優越する民族にして、延いては世界を支配するべき運命を有するとの架空なる観念に基づくものではあり得ない。 原文 天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニモ非ズ。 昭和天皇の新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ 一般的には人間宣言と呼ばれている。メディアで別に名付けられた。昭和天皇の題名からすると「国運」(敗戦後の日本の立て直し)がキーワードだけれども本文の現人神(あらひとがみ)ではないという所感が非常に注目された。 昭和天皇は前段で天皇と国民の関係について「終始相互ノ信賴ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳說トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ」(終始相互の信頼と敬愛とによって結ばれ、単なる神話と伝説によって生じるものではあり得ない)として思想的な立場を示した。さらに付け加えると「朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス」(私はこれら国民と共にあり、常に利害を同じくして休戚を分かとうと欲する)という気持ちから来ているわけだった。 文書そのものは占領側のGHQ(連合国軍総司令部)の働きかけで昭和天皇や当時の関係者によって詔書として国内を含めて全世界に公開されたらしい。 昭和天皇は記者の問いかけに対して人間宣言で本当に重要なのは冒頭に置かれた明治天皇の五箇条の御誓文で、「民主主義というものは決して輸入のものではないと示す必要が大いにあった」と応えていたとされるので、それを踏まえるとさらにもっと言葉遣いが分かり易いかも知れない。 民主主義の観念は明治天皇の五箇条の御誓文ではっきり示されていたし、日本人にとって天皇が現神人ではないとはいうまでもなかったわけだけれども敢えて口に出すことによって一つの理念としても認めていたはずの本音までしっかり明かすべく努めていた。 GHQは天皇が現人神ではないと第一に考えて人間宣言の文書そのものを意向したらしい Macarthur hirohito by U.S. Army photographer Lt. Gaetano Faillace (United States Army photograph) / Public domain GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーは天皇が現人神であることを天皇の日本神話の子孫としての特色から完全に否定して欲しくて英語版ではそれに相応しい言葉遣いが盛り込まれたから仕上がりが容認されたといわれる。日本語版では概して現人神ではない天皇としか読み取れないけど、ただし突っ込んで議論しようとすれば、元から神の子孫ではなかったせいではないかという解釈が全く成り立たないわけでもない。 実際には記述が逆さまの結果(主眼も人間宣言よりは「国運」に置かれた内容)だから昭和天皇は神ではないとは積極的に認めたがらなかったのではないかと受け取られるけど、しかしながら自己表現の精妙なスタイル(命題の定義/人間的な本音が後回しになる)から捉えると事情としては当て嵌まらないんだ、全然。 日本人の奥床しさが出ているとすれば日本語の最も美しいデザインが取られていただけだと考えて良いはずだし、文書そのものの主旨には影響してなかったというか、GHQの思惑と大差がなかったのは確かだろう。 どのように民主主義を人々に一つの理念として心から知って貰うべきか Mt. Fuji framed by cherry blossoms from National Archives at College Park - Still Pictures / Public domain 国民主権が大前提なので、GHQは神としての天皇の拒絶を真っ先に掲げるつもりだったけれども二の次でも大丈夫みたいな感じで昭和天皇は明治天皇の五箇条の御誓文という自国の歴史的な文脈に基づいて顕著に明晰に開展していた。 記者への応答を加味すれば人々への思いが非常に強いために人間宣言はやらならければならなかったと察せられるし、人柄は極めて真面目だったようだ。極めて真面目な人柄だからこそ民主主義の理念の提唱も人々の理性への暗黙の了解のうちには求め得ず、それこそはっきり提示しながらでしか求める気持ちにもなれなかったと思うよ。 昭和天皇の人間宣言は民主主義の理念を明治天皇の五箇条の御誓文から開展した、人々へ向けて。憲法でも天皇は《国民の象徴》として規定されるようになって国政とは完全に切り放されたわけだけれども内情的にも間違いなかったので、第二次世界大戦からなぜ神として崇められなくなったのかという日本での天皇の捉え方の切り替わりがやっと理解できた。 政治学上は天皇のために治世を行う国では日本が初めて正しくなくなったとすると――個人的に天皇をまるで宗教の開祖のように絶対視するかどうかは彼、または彼女の自由な生き方にせよ――人々のために国もなくてはならないはずの平等な社会が本格的に考えられ出した。 参考サイト天皇「人間宣言」対訳“人間宣言” コメント 新しい投稿 前の投稿
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