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ツタンカーメンは病気がちの少年王だった

ツタンカーメンの死の真相が現代科学によって、大分、分かるようになって来たみたいだ。


ミイラの分析から最初は暗殺説が主流だったけれども次いで事故説が重視され出した。さらに詳しく分析が行われたところ、病気説が非常に大きいと核心的にも捉えられるに至った。


現代科学でも物事の分析に使用される機械、取り分けコンピューターが新しく作り出されて見えないものが見えるし、分からないことが分かるというわけで、考古学でも変革が齎されるに連れてツタンカーメンの死の真相は解き明かされたといって良いかも知れない。


敵を打ち倒すツタンカーメン王

ツタンカーメンの暗殺説の否定


ミイラの頭蓋骨に小さな骨が紛れ込んでいた。外側から入ったに違いないと考えられて撲殺されたのではないか、政治的に不安定な時代状況を踏まえながら関係者の誰かに暗殺されて古代エジプトの国を持って行かれてしまったと導き出された。


しかし小さな骨にはミイラの作成用の樹脂素材が何も付着してなかった。立体透視画像によって初めて分かったことで、旧来はレントゲン写真だったけれどもツタンカーメンの亡くなる前に入ったとは考えられない。亡くなった後にミイラとして完成してから小さな骨が紛れ込んだはずだから暗殺説は否定されるしかないという。


ツタンカーメンの事故説の否定


ツタンカーメンのミイラの左脚の大腿骨には激しい骨折の痕が見られて事故が原因ではないかと推測された、立体透視画像によって。馬車が墓にも副葬品として幾つも収められていたし、愛用されていたはずだから走行中に落下すれば十分にあり得るわけだった。


ところが左足の親指にも変形が見られた、立体透視画像によって同じように。ケーラー病という足の骨が脆くなって日増しに砕けてしまう症状の現れに等しいので、ツタンカーメンは普段から歩くことも儘ならならないくらい左脚に痛みを抱えていたのではないか。厳しい状態が悪化するほどに馬車にも易々と乗れたとは当時は立って自分が運転するしかないものだから考えられない。


墓には愛用されていたはずの杖が幾つも収められていたし、馬車についてはケーラー病が悪化するまでの名残かどうか、何れにせよ、もしも実際に死の間際において必要とされたのは杖こそだったとすると事故説はあり得ないと否定されるしかないという。


ツタンカーメンの病気説の可能性


死因そのものは左脚の激しい骨折が影響してそうで――傷口からさらに感染症を引き起こしたのが致命的だったかも知れない――なぜ生じたかが側頭葉癲癇(そくとうようてんかん)を患っていた発作で転倒したせいだと認められる。


ミイラの遺伝子解析によってツタンカーメンの父がアクエンアテン(アメンホテプ四世)で、母が彼の兄妹の一人と判明した。


王家の谷

王家の谷、ツタンカーメンの墓も発掘された場所のアメンホテプ二世の墓に身元不明の女性のミイラが安置されていたのが母親で、アクエンアテンの何人もいる妻のうちの一人だった。


古代エジプトの王は一夫多妻だけど、加えて兄妹婚も珍しくなくて純血を、文字通り、保とうとする余り、ツタンカーメンは病気がちに陥ったかも知れなかった、生まれながらにして。


九歳で即位して享年十九といわれるので、君主としての在位は十年だけど、それこそ短命な少年王だったわけだ。


側頭葉癲癇については父のアクエンアテンや曾祖父のトトメス四世にもそうした兆候が見られるらしくて――神のお告げの内情は幻覚ではないかとか腰回りが大きいのはホルモンバランスの乱れではないかなんて――遺伝的に受け継がれてツタンカーメンは発作に日常的に襲われていた可能性が非常に高いので、死に直結するような怪我を何等かの仕方で負ったのではないか、建物の高いところから落ちたりでもすれば脚の骨は不本意にも決して無事ではなかったはずだ。


ツタンカーメンの病気説が肯定されるとすれば起因となる左脚の激しい骨折への何等かの仕方が問われるべきだし、側頭葉癲癇の発作から招かれた結果として想像されるにせよ、どんな感じだったかまでは事実を明確に載せた文章などが発見されないと歴史上には痕跡を残さないままでしかない。


参考:ツタンカーメンの謎~死の真相に迫る~

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