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生活感と掛けてロボットと解けばその心はどちらも可笑しくて切ない詩だ

赤い買い物籠を持った二つの太いタイヤ付きの可愛らしいロボット
Ryan McAmis, robot for Soho House magazine by Bernstein & Andriulli's Tumblr. via Tumblr

本当に良い思いを抱かせる。ロボットに生活感を受け取るなんてまさかとしか驚きようがない。笑いの絶えない日々が不意に幸せだったと振り返られるようで、心地良い風が柔らかく静かに吹き寄せると共に詩がどこからか舞い込んで来る、胸のうちへと。


金子みすゞ(詩人)の世界に近い。世間一般では「みすゞコスモス」と呼び習わされている。宇宙の捉え方に独自のスタンスが付き従って味わわれる言葉遣いが含まれている感じがする。


作品は童謡ばかりだけど、必ずしも子供向けとはかぎらなくて様々な認識が引き出され得る懐の深さが人々に与えるイメージの全てを包み込んでいるのではないか。


それはきれいな薔薇いろで、
芥子つぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。


もしも泪がこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでしょう。



言葉の連なりが分かり辛いので、纏めると終盤の「こんな笑い」が冒頭の「それ」なので、締め括りの「きれい」が詩として世界に潤いを呼び寄せていると読み取られる。


金子みすゞの笑いは「泪がこぼれるように」得られるので、一つの憐れみの結果として捉えられるし、詩の言葉ならば心の拠り所を示しているのではないか。


考えると生活感が凄く大きくてどうして「こんな笑い」があるのかまではわらいからは見出だせないにせよ、その心が「薔薇いろ」とか「花」なんて的確に認められたかぎりは真実とすると経験に根差しているはずだ。


心の拠り所が憐れみの笑いという感性がロボットに近い。人間と比べるといつもどこかが抜け落ちているというか、触れ合えばやきもきさせられる存在だったりするわけだ。


なので金子みすゞも詩人として自らの知覚の及ばない彼方を目指していたのかも知れないし、想像こそ逞しいにせよ、現実には物足りなさを抱えながら作詩してももどかしく暮らしていたようだ。


日々、情けない人生を送るほどに生活感に満ちたロボットのイメージには救われずにもいないし、有り難みを著しく受け取った。

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