新年から八時間も睡眠が取れたなんて幸先の良い一年のスタートが切れたようだ 結城永人 - 2017年1月1日 (日) 昨晩は疲れ切ってボロボロで午後十時半にはバッタリ倒れ込むように眠りに就くしかなかった。 早起きしても朝が冬で暗いからいきなり作家活動では目に不味いし、眼圧が上がって緑内障になり兼ねない、さもなければ部屋の照明を付けるべきだけれども紫外線やブルーライトを増やすのは嫌なので、夜だけにしたい。太陽光で一日を気持ち良く始めるためには午前零時に眠って午前七時に眠るしかないと考えていた。 体内時計も整えられてホルモンや自律神経のバランスに優れた生活が得られれば望ましいかぎりだし、何もいうことはないはずだ、寝起きについては。 一日の睡眠時間は七時間がベストではないかと考えていてその割りには昼寝も大事だからトータルでは七時間半くらいが長生きに相応しいかも知れなくて健康的と受け留めている。 しかし八時間でも本当は良さそうで、元々は求めていて三十代頃から最長でも一日に七時間くらいしか眠れなくなって、どういうわけか、起きてしまわざるを得ない毎日から慌てでもするように健康的な睡眠とは何かを根本的に追求してみたら八時間までは必要ないし、七時間くらいで別に構わないという結論したんだ。 普段から健康と長生きへ向けて生活を構想していると自然に七時間の睡眠になる どうしてそうなのかは分からないし、神による摂理、または宇宙の法則としかいいようがない、抽象的だけれども。七時間の睡眠で好調を維持しているかぎりは素晴らしいと認めざるを得ないという捉え方でしかないわけなんだ。 八時間でも同じだと思う。僕にはできなくて十数年を振り返って一回か二回しかなさそうで、本当に無理だという感じがしていたし、偶にできると物凄く嬉しかったりもする。 今朝の目覚めは新年から幸先の良いスタートを切れたようだ、奇跡的というか、正しくも久方振りに八時間の睡眠を得られたので。 Eurasian Tree Sparrow by Andy Reago & Chrissy McClarren / CC BY 天気も快晴で、澄み渡る空が広がり、家のそばでは雀の鳴き声が賑やかさを楽しげに添えていた。 日々の疲れが祟って睡眠時間が削られて六時間に終わることも増えたりすれば調子が、全然、違うと気付くし、七時間よりも八時間が良いけど、ただし疲れに祟られてばかりでは老い先は短いのではないかという点で、それぞれ、等しくは概念される健康観でもないだろう。 どちらかを選ぶならば日中の疲れを減らしながら夜の睡眠時間は七時間で足りるようにしたい気持ちがする。 八時間だから不味いわけではないから得られると嬉しいわけで、日中の疲れも普段よりも遥かに取れた印象が強まっている 睡眠は精神にも影響を与えるようで、記憶力が増すというか、物事が内面的に定着し易くなるらしい 面白いけれども昨日、大晦日にフィリピンのカランガマン島がブログに出て来て初めて知って名前が覚え難かったのに大丈夫になっている。 存分に眠れたせいで、今朝からはカランガマン島とすらすら口に出せるように変わったのかも知れない。 逆しま、とても素晴らしい海を見付けて気持ちが非常に和まされたからこそ睡眠も存分に取れたと考えてみても面白いだろう。 悲しくも上手く眠れないのは疲れだけが原因とはかぎらないし、精神が弱っている、気持ちが落ち着きを失っているためなのも大きそうだ。 知り合いには職場の人間関係で怒り狂って「昨日は全く眠れなかった」とぼやく人がいたけど、とにかく注意するには越さないストレスではないかと思ってしまわずにいない。 サイトのアクセスアップを死に物狂いで、気持ちだけではなくて様々な取り組みにも打ち出さなくてはどうにもならないから、日毎、それだけ調子も落ちるし、疲れは増して来るとすれば睡眠の重要性が高まるばかりなのは間違いないところだ。 神のお告げか、年明けから求めそのものに思い至らされたとも過言ではない。 八時間の睡眠はちょっと多めにせよ、喜ばしく迎えられた朝のイメージを肝に銘じてこそ作家活動は捗ってさらにサイトのアクセスアップにも繋がるはずだから元気な生活がスムーズに継続できるように努めるべきだ。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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