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日常の些細な出来事に触れる幸せの味わいは小さいというイメージが欠かせない

窓際に咲いた白くて小さな花

誰にでも分かる些細な日常というと他でもなく、小さな幸せの味わいではないか。


永遠の詩人として本質的な認識に基づく命の尊さを伝え届けくてはならないと考えるけれどもアクセスアップのためには誰にでも分かる些細な日常のイメージも大事にするべきだろう。


小さな幸せの味わいをどこまで膨らませられるか。


考えると面白い。驚き捲りの人みたいになるしかなさそうな僕で、何かに触れては凄いとか素晴らしいなんて命が幾つあっても足りないほどの形相で日々を過ごしている。飛び上がり過ぎず、傍目にも親しみ易く映るならば些細な日常のブログとしての人気も増して来ないともかぎらない。


ある意味、それが薄いから常連も付き難いのではないか。


誰かが来て些細な日常に違和感を持たれては不味い。思ったのと違うとなると気持ちが離れてしまい兼ねない。小さな幸せの味わいがちゃんとあれば逆に引き付けられるわけで、見過ごせないどころか、注目してさえも決して損にはならない。実際に面白ければ本当に得だろう。やっている僕こそ気持ちは止められなくなる。


文体も変わる。音楽でいえばアンダンテ(ほどよくゆっくり)のテンポで、言葉を紡ぎ出して行く。親しみ易さに一役を買ってくれればもう何もいうことはないだろう。


アクセスアップに期待したい、小さな幸せの味わいを増やしながら。些細な日常の自分らしさは必ずしも永遠の詩人の何ちゃらが全てではない。または誰にでも分かるようなイメージから想像して貰っても良いはずなので、ブログで切り捨てる必要がないのは確かだと思う。


人々に手薄ならばもっとしっかり固めないと勿体ない。

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