ものが傾いて見えるのは自分のせいだった 結城永人 - 2017年1月2日 (月) ブログに縦に真っ直ぐ線を引いた画像を載せると傾いて見えた。画像を失敗したと思ってやり直して又載せるけれども駄目で、何度、繰り返しても上手く行かなかった。 絵のアプリはSketchBookを使っていて描画のスタイルを直線にしても角度で線は傾くから四角にして縦の辺を垂直だから真っ直ぐな線として使うようにする。 細かく測っても傾いてないはずなのに縦に真っ直ぐに引かれているように見えないから混乱してSketchBookで絵を描くのは止めるべきとかブログのデザインそのものが可笑しいなんてあちこちに疑念が湧いてしまった。 しかし気付いた、漸くとばかりにも自分のせいだったと目こそ調べてみれば。 ものが曲がったり、歪んだりして見えるのは加齢黄斑変性の可能性があるけれども全体に傾いて見えるというのは特に病気ではなさそうなんだ。 当たり前だけれども自分が傾いていればものもそのように見えるわけだし、ブログに載せた画像の真っ直ぐな線も例外ではなく、確かめてみると大丈夫だった。自分が目の角度を変えるとちゃんと考え通りに見えたし、SketchBookやブログのせいなどでは決してなかったという。 恐ろしいのはなぜ気付かないうちに目が傾いてしまったのか 疲れが酷くて、毎日、ぐだぐだで過ごさざるを得ないためだろう。健康には注意しているけれども人生が不味い。大きな目標とされるサイトのアクセスアップが遅々と捗らないゆえに気落ちしてばかりいるし、首も肩も頭ももはや何もかもがガクーンと下がり続けるように姿勢そのものは悪くなりがちだったんだ、本当に。 どうなるかと全く考えないわけではなかったけれども不吉な兆候が目にはっきり出て来ているという他はないのではないか。 大体、首が曲がっていてスマホの画面を真っ直ぐ見られなくなっている。重い頭を心身共に支え切れないという感じで、直ぐに傾げてしまい易い。 すると絵の縦に真っ直ぐに引いた線も納得できるはずがなくなる結果は避けられなくなるに決まっている。 姿勢の歪みは病気の前触れとも過言ではないし、全身に無理が祟って日々の疲れも増して来るから矯正するにかぎる。 人生に気落ちせざるを得ないせいならば夢と希望を携えてこそ大事にするべきだ。 折角、歌ったのにまだ十分に内面には染み渡ってなかった。生活に役立たないままの詩ではゴミ同然でしかないと悔やまれるばかりだ、詩人としても。 考え直してなぜ生きているのか、気落ちした人生で自殺しないのは間違いなく大きな目標へ向かっているためだから夢と希望が溢れているとはいうまでもない心だし、明るい未来を想定しながら頑張らなくては道理に合わない、本質的に。 姿勢の歪みは精神からも来るので、さらに健康まで損うのでは弱り目に祟り目だけど、とにかくも気付いて良かった。不幸が又別の不幸を招くような悪循環の歩みは嫌いだ。苦しみだけが真実だと証拠立てるような生涯では僕ではなくて自分らしさの欠片も認められない。 目の傾きで分かるならば有り難いし、真っ直ぐな線に異常を受け取らないように注意しよう、常日頃から。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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