太古の芸術をラスコー洞窟の壁画に見て何を思う

フランスのヴェゼール渓谷にラスコー洞窟があって今から約一万五千年前に現代人の直近の祖先とされる新人類のクロマニョン人が描いた壁画が残されている。


ラスコー洞窟の通路

クロマニョン人が地球に姿を現したのは約二十万年前といわれていて旧石器時代の末期らしい。


人類全体の最も遠い祖先とされる猿人のホモ・ハピリスが二百年万程前に石器を作り出していた。四百万程前に同じように猿人のアウストラロピテクスが二足歩行を果たしていて両手が空いたせいだったかも知れない。ホモ・ハピリスは類人猿(現在ではチンパンジー、ゴリラ、オランウータン、ボノボなど)よりも確実に石器という道具を使って生きていたと考えられるので、そこから人類全体と共に旧石器時代が始まりを告げたわけだったみたいなんだ。


石器を道具として素材から加工して意図的に操るように作り出すと新石器時代の人類で、紀元前七世紀くらいから出て来たもはや現代人だけの特徴なんだけれどもそうした磨製石器(加工あり)にはまだ至らず、人類全体にとっては猿にも知られるような打製石器(加工なし)が主流だった旧石器時代が二百万年以上という長大な年月を経て漸く終わりを遂げかけていた頃にクロマニョン人が暮らしの中で描いていた壁画の一つがラスコー洞窟で見られる。


ラスコー洞窟の牛や馬の壁画

初めて目にして現代人ではなくても絵を描いていたという事実に先ずは驚かされるけれども何よりも上手過ぎるというか、写実性を伴っていて内容が速やかに分かるところが凄い。動物が多いみたいだけど、まさか偶々の色や線の集まりではないらしい。気分的に落描きでもないのではないか。クロマニョン人の思想が反映していて絵という芸術作品に完膚なく仕上がっている。美しさからすればいつでもどこでも見過ごせない個性を打ち出した自己表現そのものに他ならないし、心から魅了されるのも全く不思議ではないと思う。


クロマニョン人の壁画は他にもスペインのアルタミラ洞窟などに見られてさらにフランスのショーヴェ洞窟には人類最古かも知れない新人類の一つ前の旧人類のネアンデルタール人が描いてそうな壁画も残されている。


旧石器時代は猿人から来て火を使う原人の北京原人やジャワ原人に繋がってさらに旧人類のネアンデルタール人になるとイラクのシャニダール洞窟で医療や葬儀の可能性も見付かって社会的に文化の香が増しているんだ。


脳がどんどん大きくなって二足歩行だから頭が重さに耐えられるとか手を使うと知能が伸び易いみたいな仕方で、類人猿とはかけ離れるまでに人類全体は進化していると生物学的に認められるけれども同時に生き方も少しずつ変わって物事を立ち止まって把握するような精神性も旧人類には味わわれ出したとすると引き続いて新人類としてクロマニョンが描いた絵にはかつて芽生えた文化の先行きが注目されずにいなくなる。


ラスコー洞窟の馬の壁画

ラスコーの壁画はなぜ必要とされたか


モチーフは動物がメインなんだ。僕は児童期に絵が好きで、毎日、描いていて学校でも先生から絵が好きな生徒と特別視されるほどの状態だった。町内の展覧会にも声をかけられて出品していた。何を掻いていたは漫画のドラえもんを覗くと動物ばかりだった。縞馬の首に噛み付いているライオンが最も印象深い。動物しか描きたくないし、絵といえば気持ちは動物と同義だった。


なぜかは好きだからだ。子供は動物が好きな気持ちが大きいかも知れないけれども理由は二つある。人間ではないとした好奇心と動き回るとした憧れなんだ。前者は知識と共に減る。知った動物をさらに知ってもトートロジー(同語反復)だから面白くない。後者は人格と共に減る。自分こそ行動範囲が広がれば却って惹かれない。


動物の絵は文化的には子供が好きだから描く可能性が非常に高い。芸術的には大人でも描くし、または文化的にも必要ならば描くだろう。何気なく普通に好きで動物を描くのは子供が多いと思うわけなんだ。


ラスコーの壁画は洞窟内での位置取りや大きさを考えると子供が描くのは無理ではいか。


すると描いたのは大人だと推測される。理由は芸術か、文化的な必要しかない。前者ならば描くこと自体が好きでなくては不可能で、後者ならば日頃の生き方が問われるだろう。


ラスコーの壁画は芸術かどうかを策定するのは非常に難しくて子供だったら好奇心と憧れから好きで描いていると直ぐに分かるけれども知識も人格も今よりは広くないために絵に向かう気持ちは大人でも動物を重視していたというふうにしか理解されない。これだとただし自己表現が文化的な背景と切り放せなくなるので――大人と子供で感性に差がなければ芸術は社会的に誰がやっても同じになる/個人に記憶の概念が特異的に生まれないために――認識としては人々の必要性からしか妥当に条件付けられない世界だと考えざるを得ない。


ラスコーの壁画は生きるための何等かの必要性という文化的な背景に基づいているから自己表現ならば道具と意味合いは一緒だ。または石器や火が衣食住に直結するのと区別して精神性こそ踏まえると道具でも工芸品といって良い。


絵だけではなくて彫刻などもクロマニョン人はやっていたし、置き物や日用品の飾りがラスコー洞窟で見付かっているらしい。


もはやクロマニョン人の工芸品としての芸術が太古に遡って知られるのが本当に素晴らしいと思うかぎりだ。


ラスコー洞窟の牛の壁画

ラスコーの壁画の気持ちとは何なのか


芸術として凄く面白いのは作者の知覚が味わわれる。


絵は見たままに描くのは厄介だ。頭の中にイメージを構成しないと作品には出て来ない。だから見たままに描けない人もいるわけだ、世の中には。音楽の音痴と同じで、見えている世界のイメージを外して描いてしまう絵は本当に良く分からないし、ハーモニーへは気分が損われ兼ねない。


ラスコーの壁画は修練が窺われる。一朝一夕では身に付かないほどの職人芸に等しいのではないか。


現代人に置き換えると本当に好きで取り組んだ経験がないと与えられない絵の構成の確かさが一目で認められてしまうんだ。


クロマニョン人は大人でも現代人の子供のように動物への好奇心と憧れを抱いていたと考えると真面目さが際立っている。他には何も求めないくらい自然に全力を注ぎながら絵に取り組んでいたのではないか。見たままに描くとすると相当に仕上がりの良い絵だから普段の知覚が伝わって来て作者の日常生活が想像されずにいなくて凄く面白いとしかいえないんだ。


ラスコー洞窟の鹿の壁画

ラスコーの壁画に学ぶ世界の美しさ


些細な日常の絵だと思うし、見ながら本当に胸打たれるばかりだけれども暗闇の洞窟の中でランプを灯しながら描かれていた。


文化的な背景はたぶん動物が好きなだけだったし、いい換えると好奇心と憧れが人生を捉えているせいだから学びたくなるのはやはり大人でも変わらなかったところだ。


クロマニョン人は何歳になっても絵に描かずにはいられないくらい動物が好きな気持ちを失わなかった。知識や人格が現代人と比べて狭かったせいだと考えるけれども逆に見習って決して損はないはずだ。真面目さが美しいわけなので、見たままの世界を一生懸命に絵に描こうと努めておよそ誰の目にも良く分かるまでに成功していたし、意欲を欠かしては最初から上手く行かないと正しく思い知らされる。


普遍的にいえば人生の根幹に関わる意欲が自己表現として芸術的に示されているから人間の全てにおいて重要そのものだろう。


太古に描かれた絵は外気に触れると徐々に消えてしまうらしいので、どこの洞窟でも非公開で人々が見られるのもレプリカが多い。残っているのは数少なくて奇跡的だけれども何れも種々と考えるのに役立つばかりでは見付け出されてすこぶる良かった。


参考:ラスコー洞窟 人類の誕生 Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley 本当に2万年前とは思えない?!「世界遺産ラスコー展」はクロマニョン人のハイレベルなアートが驚きでした 監修者が解説!ココが見どころ「世界遺産 ラスコー展」

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