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新井将敬の存在理由を喪失した正義感のための自殺

さっぱり分からないというか、かつて知って不可解だったのが国会議員で、テレビの討論番組で良く見かけていた新井将敬が、突然、他界された事実だった。


証券会社の借名口座から多額の金銭を代議士として不正に受け取っていたのではないかと警察から捜査されていてもはや逮捕される寸前まで来ていたので、闇の黒幕に口封じされたみたいに他殺という雰囲気が濃厚だったものの実際にはホテルの一室で首吊りの自殺を図ったと報道されていたし、取り立てて事件性はないとさらに追求されもしなかったらしい。


普通、汚職で自らの命を絶つ公務員は珍しい。日本の武士道からすれば国民への責任を痛感する余り、生き恥を晒すわけには行かなかったかも知れないし、自殺するのが当たり前の考え方を受け取るけれども民主主義においては必ずしも公務員に全ての責任を負わせるのは躊躇われざるを得ない。社会が病んでいるかぎりは事実を解明しながら同じ過ちを繰り返さないように努めるのが本筋ではないか。張本人が直ぐ様と自殺して人々の知りたい気持ちを現世に置き去りにするままではむしろ無責任として咎められ兼ねないだろう。


新井将敬が民主主義の政治家にとって必要な考え方を全く理解できなかったとは感じないし、特に相応しい人柄は思い付かないにせよ、僕も忙しくて個人的に細かく追いかけている暇はない、所謂、説明責任を果たさない気持ちで公職に就けるような世の中では古くて古くて現実にはあり得ないのではないか。


だからきっと汚職というか、そうした疑惑から逮捕されると目に見えている状況の中で自殺するならば苦汁の決断が受け取られてしまった。


死の前日、新井将敬は「最後の言葉だけは聞いて下さい。私は潔白です」といっていたらしい。


気持ちは証券会社での取り引きについて自分が持ちかけたわけではなかったけど、それが事件を捜査する警察においては反対の展開になっていた。新井将敬が意図的に汚職を目論んでいるという嫌疑が強まっていて逮捕されれば代議士として酷いだけではなくて地位も名誉も失ってしまうはずだった。どっちもどっちではないか。誰かに唆されるのがまだ益しと納得するのも訝しいけど、新井将敬の口振りでは自分から汚職に手を伸ばしたと人々に受け取られるのが物凄く耐え難かったんだ。


警察は取り調べで証券会社と新井将敬に尋問しながら事件性が前者よりも後者に大きいと判断したわけだけど、すると全ては騙されたと思ったとしかいえないだろう。多額の金銭の取り引きが互いにどう持ちかけられたかは抜きにしても結果的にどうなるかを新井将敬は十分に察知できなかった。証券会社は自分たちに汚職への動機はないと法律的に示すだけの実態が確保されていたのは間違いない。さもなければ警察も国民の治安を守るとは聞いて呆れるほどの回し者だろう、裏社会から送り込まれた。事実を無視して新井将敬に一方的に罪を擦り付けるだけではそれこそ証券会社と組んで汚職を働いているとしっかり調査されざるを得ない。途中でボロ(職務上の失態)しか出なくても大事だし、最初から妄想だから追求しても無駄だと面倒臭がってばかりいては害悪の大元もいつも確実に逃げ去ってしまう。だから警察が根幹的に腐敗してないかぎりにせよ、自分が証券会社に聞いた話と違うみたいに不服を唱えていたと想像される。


ただしやはり自殺には及ばないのではないか。駄目ならば駄目で、仕様がないのが人間だろう。汚職から人々に愛想を尽かされて代議士には戻れなくなるとしても他で同じように頑張れないわけではない。政治こそ志した人生のかぎり、国や地方での立法が全てでは決してあり得ないし、悲しみを余儀なくされた生活を必死に立て直すという方法は代議士以外に幾らでも見付かるはずだ。


新井将敬が絶望的だったとすれば責任感だけでなくて正義感も人間性に加味されずにいない。


およそ自殺が本当ならば正義感から来ている。証券会社と取り引きの実態について意見が一つも合ってないし、新井将敬は警察のそうした捜査を通じて人々に誤解されるぼかりというか、気持ちまで取り合って貰えない世の中に放り出されたとしたら存在理由が喪失されたようだ。


人間として終わらず、生活を続けるのは厳しいと思うし、通常では分かり難いけど、または内面そのものの欠落した状態と捉えるべきだ。


ホテルの亡くなった部屋にはウイスキーの小さな空き瓶が散らばっていたというから詩的にぴったりではないか。情景が存在理由のない国会議員の死に場所としか味わえない。驚くほどにリアルならば新井将敬の正義感が本物だったせいだ。


ウイスキーは言葉の代わりで、存在理由を喪失すると自己表現が不可能になるし、人間は自分以外の全てに人格を切り刻まれる。言葉を放って自己を取り戻すようにウイスキーで酔いながら部屋の通気孔へ紐を掛けて首吊りを行ったのではないか。バスローブの紐で、風呂上がりならばやはり内面そのものの欠落した状態のイメージというか、詩的にぴったりとすると《剥き出しの持続》を受け取るしかなさそうだ。自己表現が不可能なかぎり、誰にとっても世界に位置付けられる主体性を知覚する精神に真実はないに違いない。自分が本当に生きているかどうかを思考するならばもはや死んでないかどうかによって実験するしかなくなってしまったはずだと感じる。


本も落ちていたらしい。山本常朝葉隠という。江戸時代の武士道が著されていた。正義感としての自殺に繋がるんだ、まさか。生死を問わず、正しい決断が重要だと教えていた。武士道だけれども新井将敬は人間性に置き換えながら感化されたのではないか。生き恥を晒すわけには行かないという責任感において民主主義に必ずしも当て嵌まらないにせよ、人の世に事実を明らかにするべき正義感において命を懸けるという発想は得てして古くはないだろう。


孤独と呼ぶならば余りに文学的過ぎる人間性の欠落した内面そのものからどうして自殺が行われたかも神秘的な印象を与えるし、身体の因果関係が重要だ。虚無から死への能力が精神性を差し置いて引き出され得たわけなので、ひょっとしたら昔から個人的に慣れていて手段が首吊りならばそうした動作が身に付いてるように全身の細胞に染み込んでいた。欠落した内面そのものだけでは理解できないし、人間として神経が無軌道ならば主体性も偶々だから無限の可能性と共に生き残る未来は十分にあったはずだ。


新井将敬について調べると葉隠の正しい決断に生死を問わないという発想が熟知されていたようだ。国会議員の職務にも照らし合わせて物事に間違いを犯せば命を捨てる覚悟があったと頷かれる。一つの思想として真剣に抱きながら代議士の仕事に精力的に励んで来ていたのではないか。だから死ななくては行けない場合も長らく考え続けられたし、全身の細胞に染み込むまでに自殺への気持ちも身近だったというしかない。


命と引き換えであるからこそ、言葉は思想たりうるのである。



世間一般で思い付くよりも死が普段から当たり前に受け入れられていたために存在理由を喪失した正義感によれば恐らく最後は全ての感覚が麻痺するような状態だったにも拘わらず、行動上、持ち前の思想において必要なかぎりの信念として前以て求められた通りに首吊りという仕方で自殺が実際に果たされてしまった。


生い立ちは在日韓国人の二世で少年期に日本に帰化して国籍は日本だったけれども国内で差別に苦しんだようだ。しかしだからこそ政治家として人々を社会的な底辺から救い出すための動機付けも気持ちからしっかり掴んでいたのではないか。来歴は東京大学卒業で、大蔵省(現財務省と金融庁)も経ていて指折りのエリートだったらしい。本当にテレビの討論番組から感じたかぎりでも頭の回転が早いだけではなくて熱気を帯びた言動が優れて個性的な国会議員だったと記憶に残っている。


参考:逮捕直前の夫に死に場所を与えた「新井将敬」妻の覚悟 新井将敬代議士の孤独な自死 新井将敬さんの自殺について

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