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5月, 2017の投稿を表示しています

セピア色の写真が懐かしいのは古びて汚れた感じが自然なほどに

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今年は気に入った鈴蘭の写真が色々と撮れた。小さな蕾から咲き出してさらに虫も来てついに見納めるまで嬉しかったと思い出しながら又一枚を仕上げた。
Photoshop ExpressのエフェクトでセピアⅢを使ってみた。格好良いイメージだ、鈴蘭は可愛いけれども。印象がガラリと変わって薄暗い雰囲気の中で懐かしさが切なくも込み上げるのが詩情だと思う。もう二度と手の届かない記憶の世界、言葉が心に染みて来るのは確かだ。愛と優しさがなければ成り立たないと分かるから改めて自分に取り入れたくなる。セピアⅢというPhotoshop Expressのエフェクトの一つの良さだろう。詩情と共に出会いから幸せを掴むかぎりの人生の素晴らしさに匹敵するような写真が得られる。

Photoshop ExpressのエフェクトにはセピアⅡもある。気に入ってセピアを探すとセピアⅠがなくてなぜと訝る。記憶の世界と捉えると白黒がたぶんセピアⅠに相当するのかも知れない。セピアがセピアⅡからしか出て来なくても可笑しくはない。色合いはオーソドックスで、茶色がかっているのが普通に考えると間違いないくセピアⅠだと感じるし、認めてはセピアそのものだろう。
セピア色は烏賊墨に由来する
西洋で古代ギリシャの時代から筆記用具に烏賊墨が使われていた。食料として烏賊を捕まえていて墨を吐くと気付いたせいか、インクに適していると考えられたみたいだ。最初はパピルスの紙に葦の筆で文章を作成することが多かったらしくてそこに烏賊墨のインクも必要だったわけだ。インク自体は他にも煤の黒や赤土の赤が使われていたかも知れないけれども次いで古代ローマの時代でも烏賊墨は黒として多用されていたらしい。
中世になると筆に烏賊墨を付けて紙に文章を作成していた。ただし悪臭を放ったり、劣化して色褪せたりするから必ずしも便利なインクではなかったんだ。少しずつ使われなくなってしまった。黒としては煤が良かったのかも知れないし、硫酸鉄などから新しいものも出て来ていたようだ。
ところが烏賊墨のインクは終わらなかった。完全に廃れるよりも品質改善を受けて二つの難点を克服しなが再登場を果たしていた。
近代以降、西洋では全土に渡って筆記用具の必需品と大きく広まったらしい。色も変わってしまってもはや黒ではなかった。品質改善から便利で、しかも初めて茶色として使われ出したといわれる。


セピア色のサンプル…

Photoshop Expressのエフェクトは色味に優れていて心に染みる写真が得られた

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ブログの白詰草の記事に合わせて載せる写真にPhotoshop Expressでエフェクトをかけたら非常に上手く行った。驚いたのは仕上がりだけではなくてアプリでエフェクトに付けられていた名前もそうだった。白詰草の記事では乙女心の恋物語を取り上げたけれども気に行ったPhotoshop Expressのエフェクトがコイだったので、凄いと感じた。
僕の恋物語とPhotoshop Expressのコイがイメージで結び付くとすると写真編集で相当に使い易いアプリに違いない。思い通りだから良いし、嬉しい。いうと詩情から心に染みるエフェクトを持っている写真編集アプリがPhotoshop Expressだと白詰草へのコイで大いに満足しながら分かって来たんだ。

Photoshop Expressのエフェクトは幾つもあるけど、作例は日陰躑躅にオートンをかけてみた。優しい印象を残しつつも明るいのが詩情だろう。日陰躑躅の淑やかさこそが生きている。被写体の個性を綺麗に羽搏かせるところが写真として素晴らしい仕上がりに繋がると思う。色味が優れてないと無理なはずだから写真編集アプリでは特徴的ではないか。他にも幾つか使っているけれども思い当たらない。加えてPhotoshop Expressは画質は非常に高いというか、設定によって上げておけば十分な画質を得られるので、安心して使えるのも間違いない。
オートンとは何かと調べるとタクシーらしい。アメリカのタクシーは黄色が多くてイエローキャブ(黄色いタクシー)と良くいわれるので、オートンは黄色に通じるのではないか。Photoshop Expressはアメリカの写真編集アプリだからオートンは黄色を盛り上げるエフェクトだろう。
日陰躑躅の黄色い花に相応しいと感じた。取り分け地面の茶色が華やかに変わったのと絶妙な趣きを醸し出している。花と土の幸せな関係が目に見えるようで、静かに胸打たれる。土なしに花はないし、花が咲くのも土のお陰なんだと思う。一つの感謝が心に染みるし、生きるかぎりの祈りを受け取ればやはり詩情としか呼べない。
Photoshop Expressはraw現像が可能なので、やってみている。通常のjpegファイルだとカメラでの画像処理がもう既に入っているわけなので、アプリとイメージが合わないとエフェクトをかけるのは写真編集において最も苦しい。全てが大きく変わるからそれ…

mineoを解約してeoID会員も退会する方法

格安SIMが、皆、そうかどうかはさておき、mineoは契約するのが簡単だったのと同じように解約するのも基本的には造作なくてやはり止めずに続けたいと思わせるくらい気に入った。されど止めるのを思い直すのはどうにも無理なので、有り難いと感謝するしかないし、二年程だったけれどもmineoを選んで良かったと振り返った。
後から気付いて驚いたのはmineoを解約してもホームページからログインできる。調べるともう一つのeoID会員が残っていたせいだった。mineoのSIMカードを使うのと同時に入っていたわけで、殆ど気に留めないでいたけど、万一を考えると個人情報が漏れないとはかぎらないから不要なかぎりはeoID会員も退会しなくてはならない。すると手続きはそれぞれに必要で、二回になるのが少し回りくどかった。
mineoを解約する方法
インターネットでmineoのホームページのユーザーサポートの解約・他社へのMNP転出ご検討中のお客さまへから入って行くけれども四つのスイッチがあってどれにするべきかで悩んでしまった。
故障した、紛失した、新しい端末を買いたい
利用する機会が少ない、使用しない
電波が入り難い、もっと快適に通信したい
月々の料金が高い
解約・他社へのMNP転出ご検討中のお客さまへ via mineo(帯文字は筆者)
やはりmineoを解約するのは止めようかと全く思わないとか感じないなんてわけではない。気持ちは寂しいかぎりで、個人的には四つのスイッチのどれも自分自身に当て嵌まるから迷った。何とかなるのか、今此処で身を翻しても。
しかし十分に考えて無理だからmineoを解約すると決めた以上、「利用する機会が少ない、使用しない」へ進むしかなかった。
ログインして通信契約を解除したい電話番号を選んで手続きは速やかに進められるけれども違約金が発生すると厳しいから再確認したくなる。
現時点で特になさそうだ。最低利用期間がないから契約して直ぐに解約しても違約金はかからない。通話付きのMNP転出手数料だけが十二ヶ月で振り分けられる。短いと一万円以上で、長いと数千円となっているようだ。
本当に通信会社の料金体系はいつ変わるとも知れないから直前に当該のホームページで正式に把握しないと駄目だった。
僕はただ退会するだけで良いので、mineoで違約金はかからないと分かって手続きは直ぐに終わると感じたけれども複数回線だと…

SomeoneやPersonなどで一人分の性別なしの人称代名詞には単数扱いの三人称複数形のSingular theyが使える

中学生から英語を学び始めて三十年以上も経って物凄く基本的な事柄に気付いた感じがする。
SomeoneやPersonなどで一人分の性別なしの人称代名詞はどうするのか。
本当に初めて気付いた問いかけだし、英語を考えながらかつて思いも寄らなかったんだ。
三人称の人称代名詞は単数形だと「he」か「she」と性別が分かれてしまっている。人間として性別なしに捉えるのは英語では難しい。というか、日本語でも思い当たらないのは同じだけど、相応しい単語がないんだ。物体ならば「it」で済んでしまうような文章が単数形の人称代名詞については得られなかった。
昔は「he」が性別なしの人間としても使われていた。人間そのものが「man」と呼ばれていたのと感覚は同じだ。どちらも性別は男性ながら人間も捉えていた。
しかし女性差別の英語として時代と共に避けられ出した。男性が人間そのものを捉える言葉遣いが当たり前ならば人間そのもののイメージに女性は含まれないのではないか。つまり人間は男性だけで女性は人間ではないといっているのと同じだ。是正するために英語では人間を「man」よりもHumanとかPersonなんて呼ぶのが今では常識になっている。
そのためにきっとSomeoneやPersonなどで一人分の性別なしの人称代名詞はどうするのかとも気付かされるのかも知れない。複数形だと「they」で事足りるけれども単数形だと「he」か「she」に性別が分かれるから両方とも含めた人間としてのイメージに繋がらなくて辛いという。
人間を「man」と呼ぶのを止めると人称代名詞の「he」も合わなくなる。一人分で性別なしの場合、改めて「he or she」と男女の両方を表すように変わった。どちらも取り上げれば平等だろう。ただし順番も問われずにいなくて「she or he」でも良いわけだけど、差別撤廃において二つ並べるとどうしてもイメージに凝りが残らないとはかぎらない。一挙に示さないと語順に偏りが僅かでも指摘され得る。言葉遣いも煩雑ながら文章で「he」と「she」を平等に取り上げても先に出て来た方が人間として正しいのではないか。後の方は誤っていて貶された印象が否定できないとすれば困らざるを得ない状況に追い遣られるのも確かだろう。
そして人間の単数形の人称代名詞は男女で二つ並べるのも止めてしまうのが現代の英語の主流になって来たといわれる。
Some…

白詰草の花言葉のイメージは乙女心の恋物語が微笑ましい

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公園の片隅に白詰草が良く咲いていて驚いた。大きな集落を見たいと以前からずっと思っていた。自作詩のCloverのせいだから十年以上も経った。敢えて探しはしてなかったにせよ、待ち望んでいた気持ちは嬉しかったし、白詰草の大きな集落は素晴らしい出会いなのは間違いない。
白詰草の花言葉はとても可愛いらしい
私を思って約束
乙女心を如実に思わせる。聞くや恋物語を彷彿とさせて微笑ましいかぎりだろう。どちらも慕わしさが溢れている。二人の世界が相思相愛ならばいうことはないのではないか。恋が人を詩人に変えるとしたら透き通った言葉しか出て来ないし、受け取らないはずで、情感は沈黙にかぎりなく近付く。穏やかな日々と思いの清らかさという緑と白から白詰草を、常々、感じるんだ。花言葉も同じならば心から見出だされる詩情に相応しい。
四つ葉のクローバーだと白詰草の花言葉に「幸運」や「私のものになって」が付け加わる。花の色が赤や紫でも同じだけれども非常に興味深い。恋物語として決定的な瞬間へのリアリティーが想像される。二人はどのように結ばれるのか、それぞれの世界において。乙女心にとっては一つの思いが祈りに代えて示されているようだから本当に素敵だ。普段は珍しい。祈りに代えて一つの思いを抱くという生活は滅多になくて恋物語においては如何にもの真実だろう。相手が他の誰でも良いわけではない。思いが一つの世界は特別なんだ。四つ葉のクローバーの「幸運」や「私のものになって」のイメージは特別な世界を捉えていて思いで結ばれる間柄を教えている。恋物語からは二人の絆といって良い。
翻って四つ葉のクローバーを見付け出すくらい尊いと分かるのも素晴らしい。二人の絆の有り難みこそ永遠の恋物語ではないか。本当に手に入れるというと難しいにせよ、白詰草から想像するだけでも嬉しい。四つ葉のクローバーには詩的な夢を受け取る。
白詰草の花言葉はクローバーとして全般的には「私を思って」や「幸運」や「約束」や「復讐」が含まれる。目を引くのが「復讐」なんだ。白詰草自体と四つ葉のクローバーの花言葉にも共通してない。他のイメージと比べて恐ろしい響きを持っている。乙女心から捉えるならば恋物語に及ばない貴方との出会いの以前の自分自身が「復讐」ではないだろうか。知らなければ知らないで何も感じてなかったかも知れないにせよ、かけがえないのない二人から振り返ると悲しみなのは間違…

ブログのアクセスアップのコツは記事を増やして増やして増やし捲るだけで良い

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日毎に記事が増えて行き、ちゃんと更新されているブログは訪問者にも検索エンジンにも好まれる。だからアクセスアップのコツはブログを更新しながら記事を増やす以外には考えられない。
するとブロガーに問われるのは根気強さなので、優れた記事が少しでもあれば放置しても人気爆発と思わないことが必要だろう。有料で大々的に宣伝しても駄目かも知れなければおよそブログのアクセスアップに欲深さは禁物ではないか。サイト広告を付けるならば楽して儲けようなんて望むべくもないと僕は感じる。インターネットが普及してマスメディアが崩壊するばかりの時代に人々の興味や関心はそれぞれの思いから多様化の一途を辿るしかない。どんなに優れた記事を載せても少しだけではブログの未来は浮かないし、アクセスアップは遅々と捗らないままに暗いといわざるを得ないはずだ。
ブログのアクセスアップのコツは実質的に人気爆発とまでは行かない程度での良質な記事の大量生産に他ならない。ところが大量生産というと道具や機械が真っ先に想像されるから人間の手作業だけではとても難しいと避けたくなる。不味い、最初から参っていては。根気強さに加えて意気込みが求められる。ブロガーとして道具や機械に負けないくらい頑張らなくてはならない。ゆっくりでも着実にブログの記事を増やして行けると良いに違いない。諸々の品質については必ずしも不利ではないどころか上回ってさえも驚かないというイメージが湧いて来る。意気込みから気合いも入るかぎり、大丈夫だから安心しながら人間の手作業を積極的に活かすように考えるべきだ。
日本では下手な鉄砲も数打ちゃ当たると聞かれるのと基本的に一緒だろう
すなわち可能性が低い物事において成功を収めるためにはチャンスを増やすことが大切だと思う。ブログのアクセスアップのコツはそうで、少しだけの記事で人気爆発こそ無理だ。ブロガーにとって記事とはチャンスだから増やせば増やすほどにアクセスアップという成功を収めるかも知れないし、人生の期待値も上がって来る。
良質な記事とは何かと検索エンジンを踏まえればタイトルにキーワードを入れるのと二三千文字の文章が大前提だろうと気付いてからブログに取り入れて実際にアクセスアップに繋がっている。しかし訪問者にも有意義な印象を与えるのではないか。タイトルから内容が分かり易くて読み応えも得易いという記事に仕上がるのは有り難い。アクセスア…

東京都江戸川区女子高生殺人事件の青木正裕は生活設計の成り立たない借金に苦しみながら気持ちが死んでいた

テレビで東京都江戸川区女子高生殺人事件の裁判のニュースを観た。女子高生が興味本意で首を絞められて殺害されたという内容だった。知って相当に気がかりな感じがした。
犯人の青木正裕は極貧状態のどうしようもない生活だった。もはや死ななければならないから自殺するよりも他殺して裁判で死刑になる方を選んだらしい。特徴的なのは誰かの首を絞めてみたいと女子高生を狙って興味本意から犯行を企てていた。猟奇殺人の一種だけれども必ずしも主要な動機ではなくて極貧状態から来ているというところが何なのかと訝らせる。
常日頃から胸にもやもやを相当に抱え込んでいた性格だったせいだと推測される。
借金が百万円以上もあったみたいだ。自分で返せなければ投獄されてでも人生をやり直すしかなかったのではないか。どうしようもないと何もかも諦めて死ななければならないと考えてしまったんだ。
僕もかつて同じように借金を抱えていて少しずつ返すのと借りるのを繰り返しながら十五年程で完済した。リボルビング返済だからちまちまやっていると利子が大変で、いつ終わるとも知れなかった。最終的には新しく借りないで、ドカドカ返し続けてこそ倹約だと気付いたわけで、そのためにはどこかで働くしかなかった。どこかで集中的に稼いで元本をしっかり減らす。さもないとリボルビング返済は利子ばかり返して憂鬱な心境に追い遣られる。百万円以上も借金があれば、大体、一ヶ月に二万円くらい利子が付いているかも知れないし――安物のスマホを、毎月、買い換えているに等しい――極貧状態において本当に大きい。十五年程、貯金していたらおよそ三百万円も残っていたわけで、どうにも借りずにはいられなかったにせよ、僕は物凄く損したと振り返るだけだ。
もしも借りるならば直ぐに返すのが良策だろう。リボルビング返済の借金は便利だけれども返しながら借り出すと毎日がもはや利子の支払いに終始し兼ねない。生活上、未来が狭められながらどうしようもないと気が滅入る。
青木正裕はコンビニでアルバイトをやっていたけれども犯行時点で無職だったから借金を返すというあてがなかったのは確かだろう。
極貧状態で借金百万円以上は間違いなく辛いけど、ただし自分が苦しいから誰かの首を絞めたくなったとしたら考え方は稚拙としか呼べない。
皆と自分は同じだと思い込み過ぎている。だから人生が望ましく送れないままに皆もそうではなくてはならないと青木…

金儲けに必要なのは気持ち良く過ごせる大きな木への誓いだけだ

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大きな木が日差しを明るく受けながら風に沢山の葉を戦がせているのを見ると気持ち良い。幸福を予感させる。昔は何とも思わなかったから僕が不幸を生きているせいだろう。手の届かない幸福の有り難みに胸打たれているんだ。ならばいつでも同じままの自分らしさが望まれる。落ち込んだ不幸でも浸り切った幸福でも味わえない気持ち良さが有り難くて素晴らしい。明るい日差しの中で風に沢山の葉を戦がせている大きな木は些細な日常の趣きそのものではないか。命一つが喜ばしいという詩的な真実に他ならないとすれば人生の微笑みと覚えておこう。
大事みたいだ、実際に不幸を免れるためにも。どうして失敗してばかりいるのか。不幸から幸福になるのは無理だというしかない経験を二十年以上も強いられ続けている。詩の世界は満ち足りているし、幸福そのものだけれども実生活に結び付いてくれない。
今はとにかく金儲けが求められるものの満ち足りるには程遠い。決して大金を願っているわけではない。世の中の貧困生活の一員が抜け出せないのが悲しいんだ。それこそ二十年以上の不幸のあからさまな所以だろう。日本の好景気がバブル経済と終わりを告げてしまった。すると僕は低迷した国と足並みを揃えながら裕福の欠片も掴めない日々を被っていた。災難だからもう本当に切り捨てたい思いで胸一杯だけれども駄目なんだ。死にたくなるし、自殺せざるを得ないという悲しみに包まれるだけだ。
どうするのか。素晴らしい大きな木に誓って日々を気持ち良く過ごしたい。すればきっと幸福が訪れる。信じるしかないんだ、神を。僕が元気な印象を与えるかぎり、同じような人たちが寄って来て仲良くしてくれそうだ。金儲けならば一人では本当に無理だし、仲間を増やしてこそ上手く行くように思う。よもや実生活を詩の世界と置き換えて生きるのが利口だったに違いない。不幸でも満ち足りているからきっちり耐えられるし、余程と頑張りながら裕福へも近付き易い。
人生が駄目で自分らしさを直ぐに否定するのが幸福を遠ざけるんだろう。生きたければ身も心も腐らなくて良い。自分らしさで駄目な人生こそ否定して直ぐに終わらせるくらい楽天家になると幸福もあっさり目に浮かぶ。免れないと記憶された不幸の忌まわしい広がりに掻き消されずに済んでいる。前向きに頑張るために真実を少しでも歪めてはならない。幸福のために重要なのは自分らしさのかぎり、もはや受け取ったどん…

白琉球の切なさの詩的で命の尊さに他ならない思い遣りの心に救われる雨上がり

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白琉球の花が咲いていた。雨が多くて満開だったけれどもあっさり萎れかけているようだ。琉球躑躅ともいわれる躑躅の一種で、他の種類でも似ていて雨で直ぐに変色する花が多い。しかし白だと本当に目立つし、雨上がりの白琉球には切なさを受け取らずにいない。花柄も大きいから、殊の外、衝撃的で、晴れやかな様子こそ却って強く目に浮かんでしまう。

花言葉は「愛の喜び」らしい。切なさから受け取ると人生を考えさせられる。愛の喜びが直ぐに終わるのか。または悲しみを含めて愛する気持ちが喜びならば深い意味を持っているに違いない。イメージとして前者は清純だし、後者は慈しみだろう。白琉球は切なさを帯びた花だから花言葉の「愛の喜び」も複雑な感じがする。清純な慈しみとすると人生では思い遣りの心が欠かせなさそうだ。素晴らしいし、見習うしかないと頷く。
ならば白琉球は素敵な詩人を彷彿とさせる花なんだ。

安らぎを感じるのも本当だ、見ていると。もはや思い遣りの心に出会っているかぎりで、想像すると涙が溢れる。白琉球の汚れなさに胸打たれるのは僕にとっては憧れの彼方だ。
少しでも近付きたい。願うほどに自分らしさと切り放せないし、心からの思い遣りは重要だと考える。生き甲斐とも過言ではない。不幸ばかり背負っているのになぜ死なないのかは思い遣りの心のためだ。救われない僕こそ誰かを救うべきではないか。いっそ自殺するわけにも行かない。思い遣りの心だけが人生を現世に繋ぎ止めているんだ。

白琉球の切なさは本当に詩的だし、思い遣りの心から素敵な詩人を夢見てはまさか命の尊さを味わわせる。頑張って頑張って駄目な人生を強いられても何もかも終わりではないとはっきり受け取るし、悲しみの果てで励まされる感じがするのは真実の「愛の喜び」のせいだろう。清純な慈しみを意に介して立ち上がるしかない。
救われるかぎり、覚え込んだ命の尊さから思い遣りの心を手放さずに生きて行くと良い。
参考:リュウキュウツツジ [琉球躑躅]

スマホのホーム画面の無効にしても消えないGoogle検索バーにホームアプリ/ランチャーを変えないでおこう

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スマホの電池持ちを考えるとGoogle検索はブラウザでできるし、アプリは要らない。しかしAndroidだと必ず付いて来る。Googleが出しているシステムソフトウェアだからGoogle検索も外すわけには行かないんだろう。自分で設定のアプリからGoogle検索のアプリを無効にするしかない。
しかしMoto G5 Plusにスマホを買い替えたらホーム画面のウィジェットのGoogle検索バーが出放しになっていた。オリジナルのデフォルトのランチャーとセットになっていてホーム画面のデザインから動かせない。Google検索のアプリを無効にすると反応しない検索バーだけ残ってしまって気分が落ち込む……。
Google検索バー via Google アプリ
調べるとデフォルトのランチャーに組み込まれているスマホはホームアプリ/ランチャーを変えるしかGoogle検索バーは外せないらしい。
スマホの電池持ちを考えると何もしないのが無難だし、パフォーマンスが安定しているのも間違いないので、どんな機種でもおよそ的確なものが搭載されているはずだ、ホームアプリ/ランチャーを変えるのは個人的に忍びない。
Playストアで他のランチャーを探してみたけれども使うと電池持ちが少し悪くなるようだ。Google検索のアプリを無効にするだけの場合よりも厳しいのは否定できない。動作も落ちたりし兼ねないし、中々、本当に選び切れないんだ。
結局、Moto G5 Plusでオリジナルのデフォルトのランチャーが気に入っているから変えなくても良いと思い直した。
Google検索のアプリはメモリに常駐するけど、せめてOK Googleだけ切っておけば――Googleの設定の「音声」から「『OK Google』の検出」の「Googleアプリから起動」のスイッチだ――電池持ちが何もせずに大幅に下がるわけではなさそうなので、改めて有効にした。
スマホのホーム画面に反応しないGoogle検索バーが残るのは辛いし、まるで死体のように不吉なので、ホームアプリ/ランチャーを変えずにデフォルトのままで消せなければ使えるようにしておきたくなる。Google検索はブラウザできるからアプリは要らないけれどもホーム画面に検索バーがあれば便利なのも本当だろう。もしも使うならばスマホの電池持ちに影響するのはブラウザとアプリのどっちでも同じだから気にしても仕様がない…

Zeissのマクロプラナーは光の流れを巧く捉えるマクロレンズだ

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菜の花が明るく咲いていた。黄色が眩しい。何輪も一斉に風に揺れていると如何にも無邪気な可愛らしさに胸を締め付けられる。自作詩のThe blueで歌った光の切なさを体現した花かも知れない。すると菜の花の一輪ずつが素晴らしい瞬間なんだ。堪らなく詩的で、心から見逃せないと思う。
写真はマクロ撮影が上手く行って気持ち良い。菜の花は細長いからまさかだけれども真ん丸でほわほわのイメージが手に入った。世界が見違える。望ましい光を象徴するように詩的に纏められたと納得する。
描き込みが少し足りないけど、明るくてコントラストが低いせいみたいだからそのままにしている。写真には自然さを何よりも出したい。些細な日常だし、見た目通りの仕上がりが気に入っている。
カメラとレンズのα5100Touit 2.8/50Mも実力を十分に出し切れたのではないか。写真の実在感は基本的に軽くならざるを得なさそうだから撮影では光の方向に配慮するか、または空気感に置き換えようと心がける。コントラストが低くても良いとすれば空気感を重視するけれども彩りの華やかさはバッチリだから成功している。
イメージがギクシャクしてないところが流石の色乗りではないか。Touit 2.8/50Mというマクロレンズ、すなわちZeissのマクロプラナーの個性を再認識させる。光の流れを巧く捉えるから写真の空気感が増してイメージの瑞々しさにも繋がるんだ。
もうちょっと描き込みがあれば申し分ないけど、カメラがレンズに追い付いてないせいでは仕様がないので、値段も比較的に安かったし、何れは買い換えても良いだろう。
菜の花のマクロ撮影からα5100の限界をはっきり感じてしまう。明るくてもコントラストが低いと線が弱いかぎり、付けるレンズは写真に粗削りの良さを出せるような明快なタイプこそ合っているはすだ。するとキットレンズのSELP1650単焦点のSEL35F18が様々な状況で安定して気に入った写真が撮れるに違いない。
Touit 2.8/50MについてはZeissのマクロプラナーとして光の流れを巧く捉えると分かったから写真撮影に活かしてさらに向上したいと感じる。
カメラのどんなレンズでもきっと同じように大事だし、写真撮影で被写体を光の流れから表現できれば色鮮やかで生命感を増したイメージが得られるはずだ。

MOTOROLAのスマホのデフォルトで画面オフから自動的に表示されるロック画面は止められた

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Moto G5 Plusを使い出してデフォルトで画面オフから少し動かしただけでロック画面が浮き出て来る設定になっていると直ぐに気付いた。自動化アプリが搭載されているせいで、とても便利だけど、しかしながらスマホの電池持ちが確実に悪くなるから止めたかった。何もしなくても自動化アプリはスマホのバックグラウンドで作動していていつでも反応できるようにメモリと電力を消費しながら待機しているわけだ。

Moto G5 Plusの設定のアプリからスイッチを探してもなかったし、分からなくて当初からそのままにしていたもののMOTOROLAのMoto Displayがロック画面の自動化アプリだと分かってついに止められた。
MOTOROLAのシステムアプリだからMoto G5 Plusにかぎらず、メーカーのスマホで共通していると思う。
Moto Displayを無効にすると画面オフからロック画面が少し動かしただけで浮き出なくなる。
スマホの設定のアプリの「アプリ」か、「メモリ」で選択したアプリのアプリ名からMoto Displayを無効にすることができる。
システムアプリなので、前者だと直ぐには表示されてない。メニューから引き出さないと見付からないんだ。そして後者だと自動化アプリでやはり作動しているからメモリを使っているというアプリのリストに並んでいる。
Moto Displayを無効にして画面オフから電源ボタンを確実に使うようにすると壊れた場合に嫌だし、万一に備えてロック画面の自動化アプリを付けておくのも良いので、どちらかにするかは迷わずにいられないにせよ、Moto G5 Plusを電池ボタンが壊れないように丁寧に扱いながら電池持ちを僅かでも上げておきたい。

見納めの鈴蘭の花へ耽る感慨と止められないくらい引き付けられる写真撮影での最も興味深いところ

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先週から雨が多くて満開だった鈴蘭の集落はどうなったかと確かめに行ったら枯れかけながら汚れているのが大半だった。色艶は落ちて姿形も崩れる。鈴蘭を理想的に写真に残すには咲いて直ぐの状態がやはりピカピカで丸っこくて良い。他の花でも同じだけれども鈴蘭だと分かり易い感じがする。白一色で花弁の動きが少ないので、イメージのちょっとした変化でも気に留まるせいだ。
辺りには雑草も増えて写真撮影は苦しいし、暖かくて蚊が出て来て刺されながらなのも厄介だったけれども今年はもはや見納めの鈴蘭だと思う。

そして感慨に耽る。気に入った花を失うというのは失恋にも近い。心の整理が必要ではないか。逃れるのも容易ではない悲しみに普段よりも多く包まれているようだ。来年までの別れならば貧困生活に打ち勝てるかどうかが僕には問われる。鈴蘭はきっと咲くはずだ。

振り返ると写真撮影が上達したのが嬉しかった。今年は去年よりも失敗作が明らかに少なかった。去年は二つしかブログに載せられなかった。静かに佇む一房朝露の透き通った花弁で、公園の山で鈴蘭の集落を見付けたのが遅過ぎて枯れかけた花ばかりだったからただ撮るだけでも苦労していた。しかし今年はカメラのシャッタースピードを上げて手振れを十分に減らしたし、天気も快晴を狙った。ピントが合って少しでも描き込みが増すように頑張ったわけで、慎重に取り組んだのが良かった。難しい被写体へはいつもと同じでは駄目だし、自分から写真撮影のスタイルを相応しく考えなくてはならなかった。

鈴蘭で最も興味深いのは光によってイメージが大きく変わるところだ。日向では葉っぱが黄緑で、花の白さも光沢が減るのに日陰では濃緑の葉っぱと光沢を増した白い花になる。暖色と寒色の色調の著しい相違から鈴蘭の表情は千変万化の趣きと切り放せない。本当に面白い。
花の付き方がどれも似た感じだから鈴蘭の写真撮影は二三枚で直ぐに飽きてしまいそうだけれども光と表情の組み合わせが奥深い。止められないくらい引き付けられるし、写真家としてはどんな世界が見出だされるかと胸踊らされてしまわずにいない。

七星天道の汚れて苦労する命の営みには神の視点から平家物語の憐れみまで考えられた

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鈴蘭七星天道が付いていた。好運な感じがする、ラッキーセブンなので。しかも赤だ。情熱の炎の輝かしい気持ちで、人生の期待値も上がらずにいないだろう。姿形も丸くて小さくて可愛いから嬉しい。
去年も見付けたけど、写真には残せなかった。ちょこちょこ動き回るからα5100ではタッチパネルの追尾フォーカスで狙うしかない。背中にピントが合ってくれたから良かった。日陰なので、描き込みは緩くても仕様がない。Touit 2.8/50Mのマクロ撮影ならではの被写体が背景から浮かび上がるような仕上がりを得たからとても満足している。
雨が多くて鈴蘭が汚れていて七星天道もそうなので、独特のイメージを認める。いうと花も虫も苦労している。ヴァン・ゴッホの馬鈴薯を食べる人々と被るような労働の崇高さを人間にとっては計らずも受け取ってしまうし、そして命の営みの地道な余りのリアリティーに気付かされる。
なぜ神は生き物に試練を与えるのか
スピノザ哲学ならば無限の可能性として自然に理解されるだろう。鈴蘭も七星天道も全く汚れないわけには行かないし、苦労する場合があると否定できない。悲しみについて免れるためには努力するしかない。
考えると幸せへ向けては人間が最も有能かも知れないけど、しかし世界を変えるだけが喜びではあり得ない。汚れて苦労しながら神への祈り、または自然への理解を失うならば酷薄なのも事実だ。どんな幸せも本当は奇跡でしか果たせないかぎり、すなわち無限の可能性という被造物から汲み尽くせない神の視点で世界を捉えるならば有能も全て相対的な認識に数える他はない。喜びを掴んでも完全に正しいのでは一つの思い込みだろう。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。裟羅双樹の花の色、盛者の必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
祇園精舎:平家物語の巻第一 via 平家物語
日本では平家物語の栄枯盛衰に命の営みを習う。強ければ何もかも良いと上手く行きはしないはずだ。自然の大きさから人間とは何かを捉え直している。長続きしない喜びだけではなくて認識の核心は「必衰の理」だから世界の本質に触れるほどの言葉遣いになっていた。人生の物悲しさにおいては憐れみを基調とした日本的な情緒にも通じるんだ。
山の中で七星天道の良い写真が撮れたと驚いた。鈴蘭と共に汚れているから美しく表現…

久留米躑躅の情熱の炎が燃え上がるような真っ赤な花に

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久留米躑躅が真っ赤で印象的だった。情熱の炎が燃え上がるようにまるで生きる喜びを鼓舞している。見ていて元気が出るし、輝かしい気持ちを味わう。将来への希望を受け取らせるかぎり、久留米躑躅は素晴らしいとしか呼べないだろう。今此処で花盛りの期待感は人生も確かに同じだ。
小学六年生に真っ赤な思い出がある。毎日、真っ赤な服を着て学校に通っていた。暫くして担任の先生に派手だから止めろといわれて驚いたものの従うしかなかった。自分でもいつも真っ赤な服ばかりで良いのかと訝っていたけど、しかしながら止めてみると本当に寂しかった。気持ちが萎えるようだった、以前よりも。真っ赤な服は気持ちが花盛りだったとすると着ないのは人生に暗雲がたれ込めそうではないか。不吉だったし、本当の自分を出せなくなるのでは将来も酷く感じたので、丸っ切り、避けてしまうのも忍びなかった
真っ赤な服は本当の自分を初めて社会的に見出だした経験だった。計らずもファッションで人々に本音をアピールしていたわけで、燃える情熱ならば幸福だったと考えてしまう。小学六年生の一時期が素晴らしい世界そのものだった。
なぜかはきっと恋のせいだろう。好きな人がいた、同じクラスに。片思いだったけれども嬉しくて嬉しくて真っ赤な服を着ていたと振り返る。本当に可愛い気持ちがしてメロメロだったようだ。出会った衝撃がとても大きかったゆえに、全身、赤ずくめのファッションで生きるしかなかったに違いない。自分の気持ちに嘘は吐けなかったと認めるんだ。
久留米躑躅の真っ赤な花は素晴らしい世界が本当の自分と切り放せないと教えてくれる。輝かしい気持ちが大事だ、いつでもどこでも前向きに努力するために。将来への希望がなければ人生は虚しいだけだろう。諦めて死ぬな。夢見ると良いと笑えるうちに情熱の炎を絶やしてはならない。

Androidの日本語フォントはマシュマロからGoogleフォントのNoto Sans CJKに変わった

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スマホをMoto G5 Plusに機種変更して日本語の表示が凄く良いと思った。見たことがあるようなフォントで、メインのホームページで取り入れているGoogleフォントのNoto Sans Japaneseにそっくりなので、Androidだからもしかしてスマホに日本語として新しく採用されたと感じた。

調べてみるとGoogleフォントのNoto Sans CJKがAndroid 6.0のマシュマロから標準の日本語フォントとして採用されていたらしい。中身はNoto Sans Japaneseと全く同じだ。素晴らしい気持ちがするし、凄く良いと思うので、Googleがやってくれたと個人的に拍手を送りたい。
タブレットがマシュマロだけど、しかし表示されてなくて機種によって独自の日本語が使われているからAndroidのスマホ/タブレットならば誰でもNoto Sans CJKを使用しているわけではないんだ。
Moto G5 Plusにスマホを買い替えて良かったという理由が一つ増えた。ちょっとした喜びにせよ、思い至れば愉快な気持ちに変わりはない。些細な日常の発見だから本当に面白いし、かねて考えていたよりも好運だった。
参考:Android 6.0 Marshmallowでは日本語フォントがモトヤフォントからNoto Sans CJKに変更される。

鈴蘭の集落で童心に返りながらヒラタアオコガネも見付けた詩人への思い

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公園の山の鈴蘭が、大分、咲いて来た。可愛いと思う。まるで天使が宿っているようだ。純真無垢な白い花、そして緑の健やかで大きな葉、人間にとって心に羽根が生えた様子を形象的に彷彿とさせるせいか。ならば鈴蘭は天使の家だろう。数多く咲いている集落ももはや幻想の国に他ならない。鈴蘭を見ていて微笑ましいのは天使たちの住む素晴らしい世界を感じ取って心を擽られているわけだ。詩的だし、気に入るのも当然だ、個人的にいって。

童心に返る。動物が好きで、取り分け可愛いと良かった。昆虫は小さいからいうまでもなく、気に入っていた。

鈴蘭にも見付け出しのは非常に面白かった。調べるとヒラタアオコガネらしい。体長1センチ程で、条の付いた背中が緑色や褐色の光沢を放つ。特徴的なのは全身を縁取るような毛並みだ。光の加減で見えない場合もあるけれどもふさふさしている。黄金虫の仲間でも他の似たようなスジコガネには珍しいので、見分けが付けられる。
ヒラタアオコガネは春から夏にかけて植物の葉を食べながら生きている。
鈴蘭の集落では公園の山で発見した去年から欠けた葉は殆ど確認されなかった。偶に葉先がないだけだ。ヒラタアオコガネは姫女苑紫陽花の葉が大好物らしいけど、鈴蘭の葉はさほどでもないのではないか。分けても鈴蘭にはコンバラトキシンなどの猛毒が含まれているといわれる。人間は取り扱いに厳しく注意するべきで、虫も基本的には付かない花らしい。ヒラタアオコガネは好んで食べないにも関わら、やって来て鈴蘭の集落に紛れ込んでしまったんだ。

鈴蘭のヒラタアオコガネはあてどない人生の風変わりな旅情を思い起こさせた。数奇な流れで、どこからことなく、辿り着いてしまったような感じがする。詩的な光景を目にしたというとありふれたイメージにせよ、鈴蘭が天使の家で、その集落も幻想の国だと受け取られる素晴らしい世界の中では、殊の外、感慨深い。

僕は詩人として生きるためには童心を身に付けようと考えた。なぜなら命の尊さを知っていたからだ。可愛い動物、小さな昆虫に惹き付けられる気持ちは本当に詩的だった。捨て去っては自分らしくないし、どうしようもないと危ぶまれた。本性から改めて命の尊さを身に付けてこそ詩人として生きられるに違いなかった。童心に返るというのはだからとても大事な経験だろう。良い思い出に懐かしく憧れるだけではなくて人生観を自分らしく再構成するためにも必要なん…

初夏の光の花々:山躑躅(朱色/赤)と鈴蘭と日陰躑躅と淀川躑躅

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ゴールデンウィークに写真撮影に出かけた。快晴で初夏の光を思う存分と味わえたようだ。前回も快晴だったものの今回は上回っていて写真の仕上がりはさらに明るい。嬉しいし、目覚ましい。α5100Touit 2.8/50Mで、結構、多めに撮ったけれども失敗作もいつになく少なかった。

山躑躅早く咲いていたのが枯れて他の木が満開だった。日差しを受けて光り輝く朱色の花が可愛いし、日本的な情緒を与える。錦鯉を思い出す。白と朱色の錦は良い人生を予感させる。自作詩でもを歌っていた。錦の素晴らしいイメージが光り輝くと白っぽい朱色の山躑躅には受け取られずにいない。

赤い山躑躅の花も増えていた。目を引いた。心を掴まれた。写真を長々と撮っていると山道の階段を人々が歩きながら良い色だというのが聞こえて笑みが溢れた。同じではないか、気持ちは僕と。良い色だから写真を長々と撮らずにいられなかった。朱色の山躑躅が多い山なので、引き立てられて尚更と素晴らしく伝ったようだ。

鈴蘭も相当に花が目立ち出した。一房の下から咲いて行くけれども上まできっちり花を付けるのも多めに見られた。写真のピントが合わないから普段よりも多めに撮影するけれども作例は気に入った。上の花弁の縁から下の花にかけてぼけている。鈴蘭の花の縦の並び方が気持ち良く表現できた。独特の曲線を描いて花を付けているのが分かり易くてしかも陰影がしっかり捉えられた。光と反対に落ちて行く影の様子が鈴蘭の花の縦の並び方にリアリティーを与えている。作詩する代わりに写真を撮っていると実感する、自己表現としては。鈴蘭とは何かを理解する気持ちが大事だし、イメージの的確な仕上がりが求められる。

日陰躑躅は淡い黄色が可憐だ。写真に収めるのはしかし流石に難しかった。実際に日陰に咲いていて描き込みに光が足りないせいだ。前回の写真撮影で全滅してブログに一つも載せられなかった。加えて構図も見付かり難い。どう撮るのか。花同士が微妙に離れ合っていて躑躅としては満開でも隙間が多いので、密集し切らない感じを表現したくなる。そして名前通りの日陰に咲いている薄暗い特徴も加味すると正しく厳しいといわざるを得ない。背景に日差しを入れておけばコントラストが利いて分かり易いけれども空が晴れ上がってないと駄目だ。作例は好運だ、だから。狙い通りの一枚を得た。

淀川躑躅はほわほわの花柄だ。八重咲きで、大きめだ。し…

室井佑月は性分からの正論が面白いと橋下徹とのテレビ番組を止めた水道橋博士への言葉で良く分かった

かれこれ、十年以上、不可解だった気持ちが納得されて来た。小説家の室井佑月をテレビのバラエティー番組のコメンテーターとして見かけ出してから様々な意見を聞くたびにいつも良く分からない人だと感じていたんだ。珍しくも一つの魅力だったはずの正論の面白さに気付いてみるとしかし頷かれたので、やっとの思いにせよ、かつて直ぐに理解できなかった現実が改めて考えさせられてしまう。
途中で帰ったら、小金を貰いはぐれちゃうよ。いいの? ええ、あたし、コメンテーターで稼いでおりますが、そのことでなにをいわれてもべつに構わない。んじゃ、橋本さんがあたしの家族を食べさせてくれるのかって話で。
室井佑月/室井佑月さん「水道橋博士さん、キレる所そこじゃねーから」 via dot.
橋下徹が大阪市長だった頃にテレビのバラエティー番組の社会討論で共演していた他の代議士ではない芸能人などのコメンテーターへ向けて意見が合わなくて見限ったように「小金稼ぎ」と発言したのを受けて番組の終了間際に「違います」と水道橋博士が真剣な顔付きで突如として止めてしまった。
見付けた室井佑月の「小金を貰いはぐれちゃうよ」に僕は凄く共感を抱いた。あれ、何だろうという感じの水道橋博士の言動だったけれども心情に重なったせいだ。お笑いとしてのパフォーマンスならばバラエティー番組といえども橋下徹こそ社会討論に真剣そのものだったから詰まらない中で、なぜと疑念が生じずにいなかった。
調べると世の中でも相当に叩かれていて多くの人たちから水道橋博士は逃げている(卑怯者)と思われたらしくて最終的には殺人予告さえも出て来たみたいだ。恐ろしいけれども内容が内容だけに日本が弱腰の認識力で駄目になったら死ぬのは自分たちというか、全ての日本人だから見習うのは危ない言動だったのは殆ど確かだろう。穏便に捉えても人間的に潔くないし、僕としては本当になぜとしか水道橋博士の気持ちは受け取れなかった。世の中へ只単に歯向かうのがキャラクターならばそれこそ小金タレントだったかも知れないにせよ、取り立てて企画されてもなかったとするとやはり違うわけなので、非常に分かり難い。橋下徹も傲岸だから理解に苦しむにせよ、黙っていられなかったのは常日頃から非難を非難を浴びせられていた不快感のせいだったらしい、断固として退けながら自分から率先して想定外なまでに番組を降板した理由とは何だったのか。
今の…

附属池田小事件の宅間守の悲しみの権化という凶悪犯罪の人間性

凄惨な人殺し、附属池田小事件が起きたのは二千一年の六月八日だった、犯人は宅間守という。大阪教育大学附属池田小学校へ包丁を持って侵入し、八人の児童を殺害した。負傷者も他の児童と教員で十五名に上った。校長と他の教員に取り押さえられると駆け付けた警察官によって現行犯で逮捕された。裁判では死刑を速やかに宣告されたけれども自分でも欲していたらしい。そして判決を受けてから一年ほどで執行されてしまった。大阪拘置所で迎えた最期は四十歳だった。
どうしてなのか。自分よりも力弱い相手を手当たり次第に攻撃するという仕方が凶悪犯罪を象徴しているようだ。しかも人間の犯罪の全てに当て嵌まるかも知れない。攻撃すると悪いのは世界のどんな方面でも同じだろう。
なぜ可能なのか。附属池田小事件は犯人の宅間守に皆と仲良く過ごす気持ちが全く感じられないゆえに犯罪の反社会性という前提条件を示しているようだ。他人への憎しみがあからさまに出ていて実際にやるか、やらないかという以前の内面の罪そのものを人間性からはっきり味わわされてしまう。
イメージは衝動の塊だろう。世界が悪いと思うと同時に攻め立てるような状態だ。附属池田小事件は無慈悲なまでの出来事として包丁を持った存在が子供たちへ雄叫びを上げながら偶さか通り過ぎて行っただけだと捉えられる。人間ならば言動が単刀直入で最も恐ろしいはずだ。宅間守は彼自身が災いで、丸ごと酷くて凶悪犯罪といえども比類なく悲しみの権化だった。
ずる賢いのは場所を選んでいる。本当に嫌らしいし、世界の犯罪でしかない内面の取り組みの卑劣さを物語っている。附属池田小事件の宅間守には皆と仲良く過ごす気持ちが全く感じられないけど、衝動の塊だからもはや思考は停止しているにも拘わらず、自分よりも力弱い相手を狙いながら予め目論んだ凶悪犯罪だけは確実にやり果そうとしたわけだ。
人間にとって存在は精神なしに不吉だと思い知らされずにいない。
死ぬ気になったら何でもできる
これは正しくないでー、ウソや
みんなもようわかっとるやろ
死ぬ気になったら何をやってもええ
これや。これが真理や
死刑にしてくれや!
そう思えるようになった時、
君の立場は逆転するでー
宅間守/宅間イズム via 宅間守まとめwiki
日常生活が不自由な余りに気持ちを失ったといって良い。裏返して気持ちを失わなければならないほどに不自由な日々を強いられていたのは本…

毒物カレー事件の林眞須美の可哀想としか呼べない死刑の冤罪の可能性

毒物カレー事件の林眞須美は死刑を宣告されたけれども冤罪の可能性があると聞かれる。町内の夏祭りのカレーに亜砒素を入れて何人も死傷したのは誰か。林眞須美は保険金を目当てに亜砒素を濫用していたから非常に疑わしいにせよ、毒物カレー事件では動機がなくて目撃者がいないんだ。使われた亜砒素の物質鑑定で、本人の自宅や髪の毛から似たものが出て来たのが犯行の決定的な証拠として裁判の審理に採用されて有罪になったらしい。
もしも冤罪だったら飛んだ災難だろう。死刑だと執行された後に裁判の誤りに気付いても取り返しが全く付かないから怖いと思う。国際的な風潮として死刑はどんどん減っているので、日本も廃止するべきではないか。考えても専ら復讐心でしかないから死刑は安全な国の刑罰として違和感が大きいし、実質的に役立たないはずだ。現代の人道的な法律の在り方を踏まえて作り直すと生き易くなるよ。
林眞須美は毒物カレー事件の真犯人なのか
本人は裁判で無罪ばかり主張しているけれども事件に直結する証拠がない事件は複数犯の可能性こそ高いのではないかと僕は感じる。物凄い手品と同じで、どうにも無理だと思うのは一人でやってなさそうだろう。真犯人が他にいても長らく見付からないままなので、新しく出て来るはずもないという現時点では林眞須美が死刑で亡くなるしかない。
人間にとって犯罪は命懸けの対象ではないはずだから林眞須美は死刑を宣告されてまで嘘を吐いているわけではたぶんないと思う。毒物カレー事件が複数犯ならば真犯人を知らなくて罠に嵌められた格好ではないか。すると又別の犯行という見方が浮上して来てしまう。林眞須美、本人がいう通り、無罪でも可笑しくなくなるし、事件への関与がないのに逮捕されて拘束されるのは不当だろう。どんな思いで過ごしているかは可哀想としか呼べない。真犯人が他にいるならば今からでも決して遅くないから自首して欲しい。
日本が死刑の国だと凶悪犯罪の犯人が自首するわけはないから本当に難しいにせよ、いっておくのはほんの僅かな期待でも捨て去ってしまっては事件の解明に繋がらないためだ。
漫画ならば誰かが林眞須美を普段から密かに付け狙っていて保険金の詐欺で亜砒素を濫用していると見付けたから町内の夏祭りのカレーに入れて皆に気付かせたという筋書きが思い付くだろう。
余程の執念深さだからあり得なさ過ぎるけれども何等かの恨みを晴らすために全くやらない…

綺麗な心で生きる天使は驚きの望み通りだ

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誰かに殺される感じがする。姪と再会した後から不吉なのかも知れない。本当にもはや天使なので、離れてしまうと気持ちが逆に恐ろしくなるみたいだ。一人で大丈夫なのかと心配の極致に達しているせいで、世界に殺気が漲っている。
振り返ると望み通りだった。元々、天使として姪とは触れ合っていた。願ってはいなかったし、普通に人間で良かったわけなのに果たしてそうなってしまうというのが驚きだ。僕の思いが伝わったせいだろう。
姪は天使の人生を選んだならば素晴らしい。応援するしかない、他でもなく。綺麗な心を個性として尊重しながら接するべきだ。将来が楽しみだし、軽度の知的障害でも天使のかぎり、姪は幸せな暮らしを手に入れるに違いない。愛される存在には平和こそ訪れる。
安心しながら神を有り難く信じるほどに誰かに殺される感じも減って行くようだ。
かつて赤ちゃんの姪が天使だった。僕が天使として姪と触れ合わずにいられないわけだけれども考えると天使的な人のお陰なんだ。天使的な人が綺麗な心を僕に伝えてなかったら赤ちゃんの姪が天使だと分からなかったのではないか。とても感謝している。赤ちゃんが天使というと世間一般では珍しくないイメージだけど、どんな状態が相応しいのか、生きられた詩情から腑に落ちたし、綺麗な心だと気付いたわけだった。
僕は思うよ、姪が治療抵抗性統合失調症にかかったのも天使になるために避けられなかったと。
人間においては精神が崩壊するところまで行かないと生き延びる優しさも極限的には身に付かないわけだし、天使と真実に呼べない。二十代前半で、詩人になるために極貧だった僕と同じように命懸けで本物の悲しみを学んでくれた。
人生で最も苦労するというか、個人の思想の全てが詰まっているような経験が得られるのはきっと二十代前半だから自分らしさへ活かして行かないと勿体ない。
僕にとって天使だから姪には本当に綺麗な心で頑張って欲しい。

秋葉原通り魔事件の加藤智大の性格は短気そのものだった

かつて秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んで刃物を振り回しながら何人もの死傷者を出したという秋葉原通り魔事件があった。
犯人の加藤智大は現行犯で直ぐに捕まったけれどもテレビのニュースで観ながら本当に可哀想だし、被害者も本当に不幸だと感じた。
振り返ると何だったのか。普通の人が只単に暴れ捲っているという印象が強くて日常生活で異様なまでにストレスを溜め込んだ結果だと理解した。考えてみるとしかし驚くべき状態だったわけで、ストレスの恐ろしさを知るためには詳しく明かしておくのも損はない。
秋葉原通り魔事件の切欠は加藤智大のインターネットの掲示板に成り済ましが現れたらしい。気に入っていた掲示板が廃墟になって誰にも相手にされないみたいな窮地に追い込まれながら一つの凶行に及んだんだ。
本人は成り済ましへ心理的に復讐するつもりだった。不可解な発想というか、言葉遣いだけれども生活そのものを引っ括めて掲示板を捉えていたんだろう。掲示板なしに生きられないみたいな気持ちがあったとすると分かり易い。成り済ましによって何で自分だけが邪魔されなければならないのか。生活そのものが成り立たないとすればそうした全体を条件付ける社会へ怒りの矛先が向けられる推論は不合理ではないし、成り済ましへ心理的に復讐するというイメージは湧いて来る。
殺人ほどの重大な事件の動機としては短絡的で、取るに足らない感じがするし、どうしても耐えられないかぎりは自殺しても気持ちは同じだったかも知れない。
加藤智大の人間性についてはなぜ他殺を敢えて選んだかに尽きる。調べると以前からちょっとしたことで会社を直ぐに辞めるというふうに短気だった。何回も繰り返しているから正しく短気そのものだったと断定せざるを得ない。
だから気に入りの掲示板を成り済ましに邪魔されてどうにも耐えられないままに社会へ自殺よりも他殺を選んだようだ。
短気はなぜ起きるか。簡単なことが上手く行かないのが腹立たしいせいだ。本当は上手く行かないかぎり、簡単なことではないし、自分にとって困難だから気長に努力するしかないけど、しかし短気だと通り越してしまう。腹立たしいばかりの状態から言動が上手く行かないことを破壊するという向きへ移行する。
加藤智大は短気そのもので、人々の殺戮を招いたとすると実生活では自力を過信しないように適切に思い止まらなくては行けないだろう。何にせよ、できけなければなら…

Cath Kidstonのオイルクロス加工のバッグは黄ばんで汚れたように劣化するらしい

姪に贈ろうと数年前にCath Kidstonのバッグを購入していた。再会するのが遅れて、先日、やっと渡した。可愛いととても喜んでいたから良かったと思うけど、しかし後から気付いたのはバックの表側のオイルクロス加工が汚れ易いらしくて予想外だと失敗してしまった。
一生物のバッグを考えていて予算も二三万円の価格帯で選ばないと不味いと探していてCath Kidstonはデザインの花柄がイメージ通りだったものの値段が安過ぎたのがちょっと焦った。普通の大きさのバッグが量販店で一万円を切っていたからもしかすると長持ちしないと不審感を覚えたのは確かだった。
結局、ちゃんと調べないで、買ってしまったから仕様がなかった。
Cath Kidstonのオイルクロス加工のバッグは接着剤が染み出して端々の縫製の辺りから黄ばみが酷くなる。分けても糸の縫い目から水分が染み込むとどんどん変色すると聞かれるんだ。他にも日差しや高温なども影響するみたいだけど、とにかく湿気に弱いとすると使っても使わなくても暫くすると汚れたように劣化してしまい易いとしかいいようがない。
僕は押し入れに二年くらい保管していて確認した際には少しだけ違和感はあった。生地の端が微妙に茶色ではないか、全体にうっすら翳りが増してないか。特に目立たないから姪には渡したし、本当に後から調べた結果こそまさかの悲しみだった。長持ちしないバッグを贈るとは望んでなかった。
人によって漂白剤で洗うとか古びた味わいを認めるなんて意見がある。
本来ならばアンティークが益しだけど、Cath Kidstonのオイルクロス加工の劣化したバッグを目にすると汚れているだけみたいな感じが大きいからそのままで使い続けるのも相当に難しそうだ。
姪は精神科を退院しなければさほど使わないとすると当面は大丈夫かも知れないので、バッグが長持ちしなくても明るい気持ちを増すためにCath Kidstonの花柄が必要だったという点で割り切るしかないと思うよ。
又別に引っ越す際には二三万円の長持ちするバッグを、予定通り、贈るしかないのではないか。
白に近い淡色のバッグを選んで比較的に汚れが目立ち易いのは分かっていたので、アンティークから思い遣りの尊さを学んで欲しかったし、使い難くなれば姪が自分でバッグを新しく買っても良いはずだけど、プレゼントが嬉しいのに日毎に劣化する一方では可哀想だから二個目を求める…

軽度の知的障害での自立心と社会への適応

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姪が精神科の外泊で家に来て又帰って行った。治療抵抗性統合失調症としてクロザピンを投与されて非常に心配されたけれども数ヶ月を経ながら別段に異常は見受けられなかった。
十年振りに再会して性格は相当に暗くなってしまった。病院や保護施設で見知らない人たちと暮らすのを絶望しているせいではないかと感じた。
姪は軽度の知的障害なので、親離れが難しくて必要以上に悩んでいるようだった。再会して二十代中盤なのに考え方は小学校低学年と変わらないとはっきり分かった。十年前は中学生だったけれども違和感は少なかった。現在では精神と身体の食い違いが目立った。
どうすれば自立心を養い育てられるか。生い立ちで性格が歪んでいる部分から優しさを与えて矯正するしかない。とにかく精神を病むという可能性を減らさなくてはならないし、治療抵抗性統合失調症を繰り返すのは脳にダメージを増やして取り返しが付かなくなり兼ねない、次いで良い世界を教えることが大事だと感じた。
姪の考え方は子供だけれども感性は大人びている。身体の成長に合わせて世界との関係性が変わるためだろう。スピノザ哲学では「働きを受ける能力」といわれるけれども感性から世界が認識されるから諸々の対象を理性に組み込んで行けば判断力は高まり得る。認識力の正しさを知らなくては行けない。そのためには良い世界とは何かという真実への経験を持つか、哲学者として独力で発見するしかない。軽度の知的障害では後者は不可能なので、前者が欠かせなくて僕も含めて人々との素晴らしい出会いが物凄く重視されて来る。
物事の判断力が高まれば社会への適応は易しくなるし、理性が働けば知性が弱くて認識に時間がかかっても直観で十分に補える。善悪が分かりさえすれば人間は不幸に陥り難いわけだし、他人と和合するかどうか、そうした社会への適応そのものは精神的に判断力の性質に全てかかっている。
MISIA Super Best Records -15th Celebration- SPOT via MISIA
姪がCDを聴きたいというので、良い世界を教えるチャンスだし、選曲に熟考した。MISIASuper Best Recordsを渡した。僕が持っているCDはクラシックか、洋楽が殆どなので、普段とは全くの別物の音楽で理解されなくては不味いと日本語の歌を聴かせようと参った。
MISIAを知らなかったみたいだけれども姪は収録曲…

競馬予想は人生で夢を勝ち取るのと同じくらい難しい

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昨日、競馬の天皇賞(春)をテレビで久し振りに観た。キタサンブラックが一番人気で、僅差で二番人気のサトノダイヤモンドと二強対決の様相を呈していた。
昨年末の有馬記念でサトノダイヤモンドがクビ差でキタサンブラックを負かしていたらしくて物語性も強かった。キタサンブラックは雪辱を果たせるか、サトノダイヤモンドはやはり寄せ付けないのかと否が応にも興奮が高まった。
2017 天皇賞(春) via jraofficial
馬齢が一つ違っていて有馬記念ではサトノダイヤモンドの斤量(馬に課される重り)が若くて少なかったけれども今回の天皇賞(春)ではキタサンブラックと同じなったからレースを予想するのには注目だった。サトノダイヤモンドが競走馬として十分に成長してないとすると厳しくなるし、キタサンブラックが老いて力を落としてないかどうかと考え合わせなくてはならない。
僕は何の気なしにサトノダイヤモンドが勝つと感じた。馬券は買ってないけど、しかし簡単に当たるならば後から実際にやってみても面白そうだとちょっと予想して試したくなった。競馬はゲームのダービースタリオンで覚えて育成してばかりだったから本物でも馬券を買うという気持ちはいつも非常に少ない。
伸び盛りのサトノダイヤモンドならば斤量が増やされてもキタサンブラックよりも速いのではないか。馬齢も四歳なので、一般的には全盛期を迎えて行くはずだし、競走馬の上り調子の成長に期待したんだ。
結果は外れた、あっさり。キタサンブラックが圧勝に近いレース展開で、自分のペースで最初から最後まで素晴らしい走りだった。天皇賞(春)のコースレコードも叩き出したし、非の打ち所が見当たらなかった。
馬群の前方に付いてゴール前の直線では早めに抜け出したまま、一気に押し切るという形だった。サトノダイヤモンドは追い込みが以前に負かしたようには利かなかったし、しかも三着だったから成長が足りないせいでなければレースの距離適正が問われずにいなかった。天皇賞(春)は完全に長距離の3200mなので、中距離で2500mの有馬記念とは事情が違ったんだ。
僕もそれ自体は分かっていてサトノダイヤモンドは天皇賞(春)の前哨戦として3000mの阪神大賞典に勝っていたので、大丈夫そうだったけど、しかし相手がキタサンブラックでは強過ぎて追い付かなかったとしかいいようがないだろう。
三着では息切れしたみたいな感じなので…