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室井佑月は性分からの正論が面白いと橋下徹とのテレビ番組を止めた水道橋博士への言葉で良く分かった

かれこれ、十年以上、不可解だった気持ちが納得されて来た。小説家の室井佑月をテレビのバラエティー番組のコメンテーターとして見かけ出してから様々な意見を聞くたびにいつも良く分からない人だと感じていたんだ。珍しくも一つの魅力だったはずの正論の面白さに気付いてみるとしかし頷かれたので、やっとの思いにせよ、かつて直ぐに理解できなかった現実が改めて考えさせられてしまう。


途中で帰ったら、小金を貰いはぐれちゃうよ。いいの? ええ、あたし、コメンテーターで稼いでおりますが、そのことでなにをいわれてもべつに構わない。んじゃ、橋本さんがあたしの家族を食べさせてくれるのかって話で。


室井佑月/室井佑月さん「水道橋博士さん、キレる所そこじゃねーから」 via dot.

橋下徹が大阪市長だった頃にテレビのバラエティー番組の社会討論で共演していた他の代議士ではない芸能人などのコメンテーターへ向けて意見が合わなくて見限ったように「小金稼ぎ」と発言したのを受けて番組の終了間際に「違います」と水道橋博士が真剣な顔付きで突如として止めてしまった。


見付けた室井佑月の「小金を貰いはぐれちゃうよ」に僕は凄く共感を抱いた。あれ、何だろうという感じの水道橋博士の言動だったけれども心情に重なったせいだ。お笑いとしてのパフォーマンスならばバラエティー番組といえども橋下徹こそ社会討論に真剣そのものだったから詰まらない中で、なぜと疑念が生じずにいなかった。


調べると世の中でも相当に叩かれていて多くの人たちから水道橋博士は逃げている(卑怯者)と思われたらしくて最終的には殺人予告さえも出て来たみたいだ。恐ろしいけれども内容が内容だけに日本が弱腰の認識力で駄目になったら死ぬのは自分たちというか、全ての日本人だから見習うのは危ない言動だったのは殆ど確かだろう。穏便に捉えても人間的に潔くないし、僕としては本当になぜとしか水道橋博士の気持ちは受け取れなかった。世の中へ只単に歯向かうのがキャラクターならばそれこそ小金タレントだったかも知れないにせよ、取り立てて企画されてもなかったとするとやはり違うわけなので、非常に分かり難い。橋下徹も傲岸だから理解に苦しむにせよ、黙っていられなかったのは常日頃から非難を非難を浴びせられていた不快感のせいだったらしい、断固として退けながら自分から率先して想定外なまでに番組を降板した理由とは何だったのか。


今の世の中でせっかく意見のいえる仕事をさせてもらっているのに、自分の立場を貶(けな)されたぐらいでキレんなや。そこじゃねーから。


室井佑月/室井佑月さん「水道橋博士さん、キレる所そこじゃねーから」 via dot.

正論を覚える。真面目に努力して欲しいのではないか。相手が悪ければ正々堂々と立ち向かって貰わないと先ずは悲しい自分だろう。どこでも同じだと思うけれども「違います」の一言で消え去るのでは怠けている。反対に断罪されるんだ、道徳から。水道橋博士の橋下徹への思いは頂けない。


驚いたのは室井佑月に正論があると知らなかった。例えば「あたしの家族」とか「仕事をさせて貰っている」なんて言葉遣いは生活感というか、庶民感情に触れている自己表現なのは間違いない。神経が細か過ぎて受け取り難かったようだ。他人を説得するために正論を持ち出すのは柔らかい人柄だけど、口振りが強調してないから聞いても直ぐに忘れてしまいそうだ。論法が甘い趣きで、場合によっては怠けても別に構わないみたいな響きが個性的な考え方だろう。


注意すると人間は「家族」や「仕事」のためでなくても怠けなくても良い。詩的かも知れないにせよ、地球のためにどう生きるべきかの知恵が正論そのものだ。僕自身ならば怠けるときは逝くときだ。


もしも水道橋博士をそこからコメンテーターとして自分勝手に止めて社会人としてもちゃんと働いてないと責めるとすれば少なくともテレビ番組の去り際に「違います」だけでは皆へ言葉が足りなかったと取り上げざるを得ないだろう。別れの気持ちが怪しいほどに道徳的に問題視されもする。前以て改善される余地はなかったか。思いから捉えると橋下徹は見限って社会討論に役立たないと示したわけならば、はい、そうですかと水道橋博士は世の中の多くの人たちが感じ取るように逃げているに等しいし、素行としては大人げないの一言に尽きる。もっとしっかり成長できるように手助けしないと不味い。考えても橋下徹が本当に悪いとしたら逆に許してはならないはずだし、止めて欲しいのも水道橋博士ではなかった。今此処で真実を誤るのは恥ずかしいと哲学者にとって当たり前の生き方ながら誰でも気付かなければ世の中は変わらず、悲しみを免れない。


しかし面白いのは室井佑月は見逃してしまっている。水道橋博士は貶されてキレたわけではないのではないか。気持ちはむしろ呆れられながら橋下徹から叱られた状態に近かった。社会討論に芸能人などのコメンテーターは必要もないのに出て来るなでは身も蓋もないけど、ただし代わりに「小金稼ぎ」と口に出していた。ある意味では優しいし、人間に能力で優劣を付けたがらない言葉遣いだから人柄は素敵だった。キレるならば可笑しいし、かりに水道橋博士が貶されたと感じたとするとテレビのバラエティー番組として顔だけ出しているつもりではないせいだから幾らでも反駁したはずだったんだ、立ち去るよりも。しなかったのはキレてないよね。馬鹿にされないまでも能力を見限られたように邪魔者扱いされたのが居たたまれなかったに違いない。つまり悔しかった、一人の人間として計らずも。皆でテーブルに同席しているにも拘わらず、役に立たなければどこかへ行っちゃえ(消えても誰も困らない)みたいな仕置きに耐えられなかったのではないかと内面的には橋下徹の横暴さに匙を投げたように推測されるんだ。


室井佑月はきっとそれが嫌なんだ。誰かに邪魔者扱いされるというと一般的にはお前呼ばわりと見做されるかも知れない。命令口調でああだこうだ指図されるのは鬱陶しいわけで、本当に面白いのは彼女だったら真逆に強固に居座るはずの世界が認められたのではないか。だからこそ終了間際でも番組中に立ち去った水道橋博士が腹立たしくて「キレる所そこじゃねー」と罵ったようだ。すると「家族」や「仕事」を放り出して怠けていると断罪するほどの正論にも性分が加味されずにいない。僕は気に入るし、好きな感じかする。


いい換えると道徳が憎らしくて責める精神ならば本気度は高いし、気持ちが倫理的に素晴らしいためだ。室井佑月は水道橋博士を否定しながら嘘を吐かず、善行を教えてくれるように感情が間違ってない。本気度が低いと道徳はお仕着せとして強欲の隠れ蓑になるから自分にとっても他人にとっても気持ちに速やかには馴染まない。独り善がりに陥り兼ねないので、人生を幸せに送るためには避けるのが賢いと認める。


室井佑月は正直者ならばおよそ言動はぶっきらぼうでも接する人々へは信頼感を与えるのが本来の姿みたいだ。


性分からの正論は面白いと気付いたのは僕は初めてだったかも知れない。見逃してしまっていて論点がずれていたのは本人が狙うと正直者のキャラクターと矛盾するから天然だし、ユーモラスだとすると室井佑月の人気の最大の秘訣とも過言ではないだろう。視点は合っているから洞察力は鋭いはずなのに計算高いよりも和やかな雰囲気を漂わせる。どんな策略も立てず、言動にリアリティーが著しく乗って来るところは場の空気を揺るがさずにいないから小説家だけではなくてコメンテーターとしても新鮮味があると重宝されるのではないか。正論を打っても性分から同じくらい感情が出ていると考えると人間としては微笑ましい存在だ。


参考:橋下市長「小金稼ぎ」発言撤回、謝罪 水道橋博士「途中降板」騒動収まらず

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