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6月, 2017の投稿を表示しています

TwitterのGoogle検索へのSEO効果は良いよ

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Twitterにブログのリンク付きのツイートを行うとGoogle検索からのアクセスが伸びる。風が吹けば桶屋が儲かるみたいで、良い意味ならば本当に有り難いし、ブロガーにとっては嬉しいかぎりの状況が訪れている。
Google検索からブログのアクセスが伸びるのはブログのサイト評価が上がっているせいだ。検索エンジンの利用者のキーワードに相応しいコンテンツとして記事があると判断されて検索結果で紹介され易くなる。
ツイートが好影響を与えるとするとなぜかを知っておきたくなる。闇雲に行うよりもブログの検索エンジンでのサイト評価を上げられるようになるはずだ。
TwitterのSEO(検索エンジン最適化)効果 といって良い。検索エンジンにサイト内容をしっかり伝えられればサイト評価はコンテンツの品質に相応しく得られる。
Google検索で個人的に難しいと思うのはページランクで、外部サイトからのリンクが重視されるために少ない場合にはコンテンツの品質とは別にサイト評価は下がってしまう。所有サイトで相互リンクを行ったり、ランキング/検索エンジンに登録しながら幾らかは増やしているけど、実際にアクセスが伸びなくて足りないと不安視される中で、どうやってカバーするかがいつもが問われてしまう。
TwitterのGoogle検索へのSEO効果がサイト評価を高める一つの方法として役立つと気付いたから積極的に活用するべきだと思う

実際には分からない部分こそ大きい。SEO効果そのものは検索エンジンの検索結果を作り出す計算式のつまり検索アルゴリズムを知らなければ確かなことは何もいえないわけで、Google検索では二百以上の項目に基づくらしいけれども謎に包まれていて正確には掴み切れない。
僕が感じるだけに過ぎないにせよ、アクセスが伸びているし、TwitterにはSEO効果があるので、どうしてかと考えるとツイートで取り上げられたブログのコンテンツの文脈(コンテキスト)が向上してそうなんだ。
Search Consoleのデータでは掲載順位が特に上がるかも知れない。ブログがそれまでにないキーワードで新しく引っかかり出すような傾向が認められるし、表示回数が多方面で増えている感じがする。
Google検索はページランクと同じくらいコンテンツの品質をサイト評価に重視している。というか、当たり前だし、コンテンツの品質を無視したら検索結果は滅茶…

明るい笑い声もオドラデクを思わせるうちはまだ安定しない精神だ

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姪が入院中の精神科の病院から家に二回目の外泊に来た。前回よりも随分と元気で安心した。疲れが減った。病院から外へ出ることが殆どなくて家に来るのも十年振りで、前回は相当に疲れていたらしい。病院に戻ってから一週間くらい寝込んでいたと聞かされた。大変な疲れによってまるで倒れるように動けなくなったに違いない。
二回目の来訪では微妙な変化でしかないけれども明るい笑い声に真実味が増して生きる喜びの兆候が膨らんだのが非常に嬉しい。全体的な気分としてはどうもカフカの「オドラデク」を思わされて小説的には面白いけれども人生的には厳しいと悩まされざるを得ない。
それは、屋根裏部屋や建物の階段部や廊下や玄関などに転々としてとどまる。ときどき、何カ月ものあいだ姿が見られない。きっと別な家々へ移っていったためなのだ。けれども、やがてかならず私たちの家へもどってくる。ときどき、私たちがドアから出るとき、これが下の階段の手すりにもたれかかっていると、私たちはこれに言葉をかけたくなる。むろん、むずかしい問いなどするのではなくて、私たちはそれを――なにせそれがあんまり小さいのでそうする気になるのだが――子供のように扱うのだ。
「君の名前はなんていうの?」と、私たちはたずねる。
「オドラデクだよ」と、それはいう。
「どこに泊っているんだい?」
「泊まるところなんかきまっていないや」と、それはいって、笑う。
ところが、その笑いは、肺なしで出せるような笑いなのだ。たとえば、落葉のかさかさいう音のように響くのだ。これで対話はたいてい終ってしまう。それに、こうした返事でさえ、いつでももらえるときまってはいない。しばしばそれは長いこと黙りこくっている。木のようなだんまりだが、どうもそれ自体が木でできているらしい。
フランツ・カフカの家長の心配(原田義人訳)
姪の笑い声に「肺なしで出せるような」感じが付き纏っていて生きる喜びが明るく伝わり切らない。
孤独を愛するカフカと似た思いを抱いているのではないか、逃れても逃れても逃れ得ない人生の寂寥か何かに心が大きく包み込まれているような印象を与える。
年齢のせいだとも思う。児童期のような無邪気さはもう失われて明るい笑い声が生きる喜びと完全に結び付くはずもないというのは人間にとって決して珍しくないし、むしろ一般的な傾向として認められる。二十歳を過ぎれば誰にでも「肺なしで出せるような」感じ…

人間と人工知能が並立する社会とは何か

NHKスペシャルの人工知能 天使か悪魔か 2017を観て人工知能への理解が深まった。一言では世界の未来を予測するために人工知能は多く使われ出している。
番組内では将棋でponanza(ポナンザ)という人工知能のコンピューターと人間の現役の佐藤天彦名人が対局しても勝てない事実を基軸として世の中の他の様々な方面でも人工知能が物凄い力を発揮しているように紹介されていた。
タクシーで乗客を探す、金融の取り引きで利鞘を伸ばす、裁判所で再犯の可能性を示す、派遣で退職者を見抜く。
本当に役立っているというか、NHKスペシャルとしては本当に良いのかと人々の問題意識を高めたいみたいな感じでやっているし、確かに人工知能で生活が変わる状況で考え直すべき点は多いだろう、およそ人間性の判断材料に使われるのが怪しい。
社会で学校や会社の人事(面接、配置など)に人工知能が入り込めばそれこそ皆は僕と全く同じ苦しみを味わうことになりそうだ。
ホームページやブログはどうして検索エンジンで上位表示されないのか。アクセスアップが捗らないからサイト広告で生活費を稼げないままに死にかけている。Google検索が中心だけれどもサイト評価のサイト解析に人工知能が搭載されているために人間だけではなくてコンピューターにも理解できるサイト作成が欠かせない。考えても考えても、中々、上手く行かないから首吊り用のロープのばかりが目の前にちら付く。
いつか皆も学校や会社で上手く行かない悲しみを人工知能のせいと当たり前に呼んでしまう日がやって来ないとはかぎらない。
人工知能から人間性が勘案されると受験に失敗したとか昇給に落胆したなんて関連する様々な悲しみを引き起こす原因になるのは間違いない。
コンピューターに合わせないと人々は裕福な生活を得られ難くなるのではないか。
僕にとってはもう既に当たり前だし、Google検索に好かれないと生き延びられないわけで、検索エンジンの人工知能を精確に理解するために、日夜、努力を重ねて続けている。
現行の人工知能の特徴が人工知能 天使か悪魔か 2017で分かって来て入力された教師データを膨大に解析して物事に一定の結論を出すように設計されている。未来を予測するのに役立つと世の中に少しずつ広まっているけど、とにかく膨大な教師データから過去に何が起きたかを計算していて同じように当て嵌まる世界を取り出して未来を予測する。
原…

花々のマクロ撮影は世界が変わる瞬間を色鮮やかに写真に残せるのが嬉しい

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マクロ撮影はどんな被写体でも世界が変わる瞬間を写真に残せるのが面白いと思うけれども取り分け花々だと色鮮やかに仕上がるから今正に見方が新しく生み出されていると求められるリアリティーが増して来るようでいつも嬉しい気持ちが大きい。
ミラーレス一眼カメラのα5100にさらに等倍マクロレンズのTouit 2.8/58Mを購入して以来、写真のマクロ撮影の作例がどんどん増えて行くばかりだ。
最初は世界が変わる瞬間に怖がっていたかも知れない。被写体を傷付けるのではないかと一つの慣れ親しんだ見方の崩壊、または逸脱に心を僅かにも苛まれずにいなかったような感じがする。しかし常日頃のイメージだけが正しいわけでは決してないはずだし、写真のマクロ撮影は被写体に隠された新しい真実をはっきり引き出せるところが良いんだと考えるほどに積極的に取り組めるようになった。
とはいえ、実際に取り組んでみるとマクロ撮影によって被写体への一つの慣れ親しんだ見方が余りにも変わり果ててしまって何が写っている写真なのかも咄嗟に分からない場合には精神的な混乱を招くのが心残りだと悲しみながら又躓くように狼狽えずにもいなかった。
写真家として何をどう捉えるかのどうだけでは不味いと考え込んでしまうし。何をが改めて問い直されるんだ。

マクロ撮影を本当に望んで積極的に取り組むと常日頃のイメージを狙いの部分に切り分けるくらい被写体に近付いて行く。全体に何なのかがもはや分からなくなる瞬間が薄気味悪く受け取られもするわけで、耐え難い苦しみを余儀なくされざるを得ない。止めるべきではないかとカメラを持つ手が震えて気持ちから引き下がろうと案じる。
するとしかし驚くのは美しさが閃いたりもするんだ。
被写体から薄気味悪くて離れ去った記憶の中にたとえ部分でしかなくても新しい世界の良さが写真家として経験されたせいだろう。
全体のイメージとは必ずしも合致しないという又別の美しさが諸々の部分には潜んでいる場合があるに違いないわけならばカメラに収めずに捨て去るのは惜しいし、または忍びなくも引き付けられるかぎりは追い求めて行くしかなくなるように気持ちは情熱的に切り替えられるんだ。
被写体の部分的な魅力を捉える写真は本当にマクロ撮影でなければ殆ど不可能なスタイルなので、醍醐味といって良いと思うし、そうした特徴的な素晴らしさに気付いて取り組むほどに面白いばかりで、新しい世界との…

切迫する死の感覚の著しい無力感の笑い

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もしかすると良いのかも知れない。無力感を著しく覚えながら生きている。今が変わる。幸せを受け取るためにもう何も行う必要がなくなったせいだと思いたい。

しかしあり得ない望みなのも確かで。呪われているのか、二十年以上も叶わない夢があり、絶望の淵も本当は磨り減って悲鳴のような泣き言も洩らさないとはかぎらなかったほどに荒くれている。
元気でいられたのは嬉しいにせよ、良い加減にして欲しい地獄と振り返って再び前を向いて歩き出そうとする心にとっては足場を失って落ちてしまいそうだ。
絶望の淵もない状態で、どうやって存在を保ち続けられるだろう。
心は認めてない、新しい自分をまだ十分に。悲しむべき生活しか世界に許されないにも拘わらず、一体、どのようにして地獄の外で暮らせるというのか。祈りの先で神は目を閉じて黙っていた。
自力で突破するしかなさそうだから頼るべき方法は思考だけみたいな境地だ
今正にどうしようもないままに存在を失ってしまおうとしている。ほんの僅かな可能性にしか支えられない心を想像しなければ世界は成り立たず、そして自分自身もまた納得し得る真実を確かに持たないかぎり、心は詩だと認める他はない。
寸分、違わず、僕は言葉で、生きるという情感に包まれている。気持ちは地獄の外で、人生の終わりを待っているようだけど、ただしほんの僅かな可能性が幸せを呼んでいるとも期待されて来るからどっち付かずに揺れている。止めて欲しいのは前者だとはいうまでもないだろう。ところが後者ももどかしくて未来は必ずしも明るくはないとするとやはり死ぬしかないと落ち込まざるを得なくなる。
どちらにしても存在を持ち堪えられない。切迫する死の感覚こそ著しい。八つ裂きの恐怖と共に現世ではもはや逃れれるすべもない無力感を余儀なくされている。
折角、叶わない夢の災いを尻目に嬉しがりさえもした元気から自力では遠いばかりの幸せに虫食いだらけの胸を味わわされてしまうとは不愉快なだけだ。
僕はどうなるのか、本当に。無力感に押し流されて著しく切迫する死の感覚に震え上がりながら毎日を過ごさなければならないのでは人生の終わりこそ自力で果たすのも一つの出口だろう。しかし生きていたいとも感じるんだ。悲しくも本当の気持ちではなくて幸せが訪れず、地獄の外で叶わない夢を抱えているのが不愉快で鬱陶しい余りの言葉でしかない。口に出すのも虚しいばかりでは自分に対しては嘘の上塗り…

やる気を高めるためには必死に頑張るだけではなくて失敗を恐れない勇気も欠かせない

ブログの検索エンジンからのアクセスが、二週間以上、足踏み状態に陥っている。掲載順位は落ちていたのが戻りつつあるから大丈夫だと思うし、来週から良さそうだけど、今週からそうなると予測したのが外れたから悲しくてやる気が完全に失せている。
落ちていた掲載順位が完全に戻るまでは検索エンジンからのアクセスが持ち直さないということならば笑ってしまうけれども来週からチェックするしかない。期待していると又肩透かしを食らって掲載順位が反対に落ちてしまうかも知れないので、本当にどうしようもないけど、やる気が失せていると碌なことを思い付かないわけで、とにかく未来は暗くなるばかりだ。明日、否、今直ぐにもうここから誰も来なくなるブログに他ならないのではないかと不吉な予感で生活そのものが覆い尽くされてしまう。
ブログには四百件以上の記事が掲載されている。だから一日百人で喜んでいる場合ではないし、本当は検索エンジンでのサイト評価が低くてアクセスは余りに酷過ぎるんだ。理想的には記事数に見合った人数を確保しなくてはならないブログのはずだ。検索エンジンに有利な記事もあれば不利な記事もある、キーワードによって。ただし全体で均せばそれぞれは相殺されて一つの記事で一日一人が理想的だから現状は四百人以上が求められる。
ブログを開設して、一年以上、経たないとGoogle検索でのサイト評価は安定しなくて底上げされないからたぶん考えても仕様がないんだけれども黙って記事を増やし捲るのも苦しいのは事実だ。少しでもアクセスアップが可能ならば一年後に全記事が一気に盛り上がるにしても潜在能力を高めておくには越さない。
人を数多く呼べる記事、ブログとは何かを前以て着々と整備し続けて行かないといつか検索エンジンに好まれてアクセスアップのスイッチがはっきり入ったとしても得られる結果は理想的な水準に遠く及ばないかも知れないわけだ。
巷ではブログを開設して三ヶ月で一日何千人も達成したと良く聞かれるし、全体から見ればほんの僅かなブロガーの発言にせよ、多少とも追い付くような手応えがなければ自分自身で期待しながらブログを更新するのも虚しいかぎりだ。
些細な日常は半年で一日百人も危ない。前のブログのSuper Leak(旧些細な日常)なんか一年半でその半分にも至らなかったし、検索エンジンに好まれない要素があれば少しでも見落とさずに修正できないと不味い。
両…

イースター島で気になるモアイの五つの鑑賞スポット

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イースター島(ラパ・ヌイ国立公園)のモアイについて好んで調べてみると先祖の霊を祀っていて島民の守り神だったと分かったけど、しかし一つの謎が解けても又別の謎が生まれて来るようで、モアイそのものの造形から芸術的な関心、または存在から文化的な興味を受け取りながらとても興味深い気持ちに駆られ続けてしまう。
モアイはイースター島のあちこちに点在していてそれぞれに趣きが異なっているので、気になるモアイの鑑賞スポットとして五つを選び出しながらどんな感じなのかを纏めておきたいと思う。
鑑賞スポット①アフ・トンガリキ
Easter Island, Ahu Tongariki by Arian Zwegers [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons
イースター島で最大の祭壇/アフで十五体のモアイが並んでいる。海を背にして著しく連なる巨大な佇まいが見るからに島民の守り神らしい様相を呈している。崇高そのものとも過言でないだろう。
胸を締め付けられる感じがする、計らずも。海鳥の声がどこからともなく聞こえて来るようで、果てしなく心に染みる詩情を湛えているモアイの魅力を象徴的に示している。
本当に行ってみたくならせる。モアイは不思議なロマンを与えるけれども顔自体が体というイメージの美しさに惚れる。気持ちが全てみたいな人々の生き方が反映してそうで、命が燃え上がる瞬間を未来永劫に捉えているのではないか。嬉しくて実物からかけがえのない幸せに肖りたいと引き付けられずにいない。
鑑賞スポット②アフ・アキビ
Los Moais de Akivi, Isla de Pascua by Claire Provost (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
七体のモアイが精妙に並んでいる。イースター島では珍しく海に向かって立っているらしい。高台から海を見下ろすような感じで、唯一ともいわれる。
大空と比べると流石に小さいようだ。七体ではモアイも祭壇では圧倒され過ぎないせいか、人間に近いという情緒が漂っている。余白が際立ってこの世とをあの世を結び付けながら魂が飛び交っていると想像してしまう。
正しく霊感が刺激される配置では目に見えない神殿の支柱そのもののモアイがアフ・アキビだろう。厳粛な祈りに誘われる。自分も先祖と同じようにいつかは死んで世界に別れを…

アレクサンダー・セメノフの壮麗なかぎりの水中写真と野生動物を撮影する際の心構え

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一度、目にしたら容易に忘れられない美しさとはこれではないかと感じさせて止まない壮麗なかぎりの水中写真の数々を生物学者で写真家のアレクサンダー・セメノフの写真撮影から驚きながら覚えたんだ。
Pegea confoederata by Alexander Semenov via Flickr
色鮮やかで不可思議な形の生き物たちが幻想的な印象を与える。さながら御殿のようだ。思い起こすとやはり壮麗なかぎりだけれども手放せない幸せが人生で尊く示されていて足を踏み入れた誰も彼もが心から喜んでいる。極楽とも過言ではない様相を呈していて現世での不満は吹き飛ばさてしまう。苦しいだけの毎日からは嘘みたいな本当の世界としての住処だ。もはや立ち去ろうとは認められず、去り難いかぎりの思いに駆られる。幻想的な印象と共に御殿とそっくりの生き物たちも胸一杯の真実こそそれぞれに固有の仕方で体現しているわけだ。
しかし人々の美しさへの発想が自然界から取り込まれているとすれば自己表現の事情はおよそ反対かも知れない。素晴らしい建築物のイメージは生き物たちの魅惑する様子にこそ最初から含まれていたと考えて良い。美しさとは何かの問いかけに改めて気付かされるほどに愛しさが増して来る。根源的にいえば些細な日常の触れ合いの奇跡、つまりは好運な恵みだろう。身近な愛しさによって美しさもさらに遠大に生み出され得るに違いない。少なくとも魅惑する様子の生き物たちから目が離せなくなる気持ちは他の世界よりもずっと身近で、抜き差しならない状態を示していると認める。美しさは愛しさだと呼ぶだけの今此処が正しく楽園のようで、よもや尊べばいっそ何もかも抱き締めたくなるくらい衝撃的に感じ入る。
One Lesson I Learned in Photography - Episode 3: Alexsander Semenov via EIZO Grobal
アレクサンダー・セメノフによれば驚きながら受け取らざるを得ない壮麗なかぎりの水中写真の数々をどのように撮影するのかで最も大切なのは生き物を知ることらしい。
野生動物の写真を撮影する場合はまず第一に被写体を知る必要があります。
カメラを設定することやとても良質な望遠レンズを幾つも揃えたりすることでは全くないんです。
まず第一に必要なのは動物の行動やいつどこで出会えるかを知ることです。
One Less…

睡眠が中心の生活は睡眠負債を抱えない

僕は睡眠時間は成長ホルモンと結び付けて五時間以下では先々も健康寿命が百歳以下ではないかと危惧するけど、ところでNHKスペシャルの睡眠負債が危ないを観たら巷では又別の視点から五時間以下の睡眠時間に警鐘が鳴らされてもいるようで、実に興味深かった。
ところが、1日6時間程度ねむり、自分では睡眠に問題はないと思っている人でも、実はわずかに睡眠が足りておらず、その影響がまるで借金(負債)のように蓄積することがわかってきました。いま睡眠を研究する専門家たちは、この「蓄積する睡眠不足」を「睡眠負債」と名づけ、対策の重要性を指摘しています。睡眠負債がたまっていると、自分では気がつかないうちに仕事や家事のパフォーマンスが落ちてしまったり、命にかかわるような病気のリスクが高まってしまったりする可能性があるというのです。
睡眠負債が危ない via NHKスペシャル
テレビ番組では専門家の一人が五時間以下の睡眠時間になると危険性が遥かに高くて駄目だと強く訴えていた。
僕は自分と意見が重なっているからなぜだろうと殊更に注目した。
健康に必要な睡眠時間が不足しているだけで、人間は調子を落とすわけで、当たり前だけれどもそうした習慣が長引くほどに身体に定着してしまって偶に睡眠時間を増やしてみても簡単には抜け出せなくなる。
睡眠負債で懸念されるのは人間が能力と健康で低下したままの状態を余儀なくされる。前者は脳のごみと呼ばれるアミロイドベータが睡眠中に除去され難くなるらしい。認知症の主要な原因と目されている物質なんだけれどもアミロイドベータが増えると脳の活動が低下する恐れがある。後者は免疫力が衰えるから癌や他の様々な病気を引き起こし兼ねなくて寿命も縮むかも知れない。どちらも厳しくて六時間の睡眠時間から一般的に確認されるので、七時間以上ならば大丈夫と睡眠負債はないと推奨されている。子供はもっと長く必要だし、老人はもう少し短くても構わないみたいなので、年齢によってばら付きがあるとも指摘されていた。
毎日の睡眠時間が六時間でも能力や健康に悪影響を及ぼすというのは恐ろしいと思う。
どうやって確保するのかは生活を立て直すしかない。
専門家の一人がいっていて面白かったのは睡眠を中心にして毎日の時間割を立てる。夜に七時間以上の睡眠時間を真っ先に確保しておいてから日中の予定を初めて付け加えて行くように考える。見方が完全に逆転している…

睡眠時間を伸ばすために就寝前の深呼吸が欠かせない

どういうわけか、睡眠時間が望ましい七時間を下回ってばかりいた。六時間くらいで起きてしまって嫌だと悩んでいたら暫くすると五時間まで落ちてしまった。健康と長生きへの危険信号に他ならないと焦りながら自分自身に問いかけるように注意してみて気付き出したのが息苦しさだった。
ブログのアクセスが速やかに伸びなくてサイト広告で生活費を稼げないから死ぬしかないと追い詰められる日々のストレスが余りに大き過ぎて呼吸が無意識から弱ったのではないかと考えた。
何とかもう一度、七時間の睡眠時間を確保したくて日中もそうだけれども息苦しさを減らすために呼吸の仕方をはっきり身に付け直さなくてはならないと深呼吸を増やすように就寝前に確実に取り組んでみると睡眠時間が六時間くらいに直ぐに回復したんだ。
就寝前の深呼吸は睡眠時間を伸ばすと覚えておくべきだと思う
望むままに眠れないというのはストレスの影響が大きいはずだし、悩みながらさらに眠れなくなれば睡眠薬を使うしかないと不眠症にかかったりする。ストレスは呼吸を無意識から弱めるので、知らない間に呼吸が荒れたり、乱れたりしながら酸素不足に陥っていては他の様々な不調も引き起こし兼ねないけど、息苦しさが睡眠時間を減らす要因なのは間違いない。
起きてしまう、もう眠っていられないと、息苦しさを強いられながら。
五時間以下の睡眠時間は危険信号だけれども本当に厳しくて避けずにはいられなかった。というのは成長ホルモンが危惧される。健康と長生きのために是非とも欠かせないと考えている。成長ホルモンは就寝してから数時間後に出て来るといわれるので、全身の隅々に行き渡るようにもう数時間は眠っておきたいと願う。すると六時間の睡眠時間が最低線になって来るし、万全を期すならば七時間以上が求められずにはいない。

Twitterアナリティクスで分かる人々の注目

Twitterにアカウントのツイートのインプレッション/アクセス解析が付いていてTwitterアナリティクスという。ツイートにグラフのアイコンで付いていたりもするから全く知らないわけではなかった。インプレッションの他にもエンゲージメント/ツイートへのアクションが幾つも出て来る。Twitterアナリティクスのサイトからだとアカウントの全体の動向が掴み易くてメニューの「ツイート」で所定の期間内の記事の一覧が、さらに記事毎に「ツイートアクティビティを表示」で詳細が確認できる。
Twitterアナリティクスの表示データ
インプレッションフォロワーリンクのクリック数リツイートいいね返信プロフィールのクリック数ハッシュタグのクリック数詳細のクリック数メディアの再生数
使わない手はないと思うし、取り分けアクセス解析でどんなツイートに人々の注目が向けられているかを知りたくなる。サイトのアクセスアップのために取り上げる記事の取捨選択に役立てられそうなのが良い、僕としては。するとツイートにリンク付きで記事を載せてもインプレッションが高まるはずだから本当に有利だと認める。
#ミヤネ屋#小出恵介 の謹慎の話題をやっていてコメンテーターの #杉村太蔵#剣幕 が凄い。未成年と酒を飲むなんてあり得ないと捲し立てる。久々に観たけれども昔の #小泉チルドレン の頃とは余りにかけ離れた姿に #ビックリ した。— 結城永人 (@nagahitoyuki) 2017年6月12日
Twitterアナリティクスで調べたらミヤネ屋を取り上げたツイートが断トツに伸びていて四桁の千回以上のインプレッションを稼ぎ出していたた。
俗にいうワイドショーネタが受けているせいではないかと調べてみてもインプレッションが比較的に多くてテレビや雑誌などの商業メディアで大きく取り上げられているテーマが人気を集めるようだ。
Twitterにミヤネ屋について二つ載せていて耳かきのツイートはさほど伸びてないので、サイトのアクセスアップと同じでキーワードが大事だと思う。断トツに伸びているのは杉村太蔵のツイートだけれども実際に人々の注目が向けられるのは小出恵介が入っていたせいだろう。
巷でミヤネ屋にかぎらず、あちこちのワイドショーで一斉に取り上げられているところで――未成年との不純異性交遊が明るみに出されてしかも俳優としての善良なイメージが打ち…

スマホの電池残量の表示が異常に崩れる不具合の原因

Moto G5 Plusを使い出して暫くしてから電池残量の表示が飛んだのが悲しかった。電池残量が0%に切れかけたところから充電して一気に100%の満タンに上り詰めてしまった。異常に崩れていて不味いと思った。
そのまま、使っていてどうなるか。買ったばかりで故障したのかも知れないし、気がかりで本当に仕様がないけれども今度は逆にというか、充電済みの状態からガタンガタン落ちて従来とは比べようもない電池持ち悪さを露呈した。
電池が壊れたのでは自分ではどうしようもなくて修理に出すか、買い換えなくてはならないけれども実際の症状としてはスマホの電池残量のプログラムが乱れたから表示が異常に崩れたように考えた。
以前も似たような電池残量の表示の不具合に見舞われていた経験がヒントになったんだ。
最初のスマホでシステムアップデートを受けてから電池残量がぐちゃぐちゃで、充電済みからガタガタに落ちるし、充電時間も飛んだのかと早過ぎて使い続けるのも嫌気が差して来たので、一年くらいで予想外に買い換える一因になってしまったという感じだった。
原因は殆ど明らかにシステムアップデートで、調べると同一機種で他の人たちにも報告されていたし、やはりかと確信を覚えるに至った。
スマホの電池残量の表示が異常に崩れる原因はアプリの影響が相当に大きいのではないか
最初のスマホはシステムアップデートの後の不具合だからシステムアプリを変更すれば改善されたかも知れないにせよ、初期化しないと駄目なのも本当に辛いかぎりで、スマホに保存されたデータを事前に移し替えて戻さなくてはならないから手間もかかるにせよ、どこかで何かが抜け落ちるのが最も困るし、万一の失敗する危険性を避けるためには買い換えも選択せざるを得なかった。
Moto G5 Plusの場合はどうか。電池残量の表示が異常に崩れるという不具合の直近にシステムアップデートは受け取ってなかった。すると自分でインストールしたアプリのどれかがスマホのそうしたシステムアプリに干渉しているのではないかと推測された。
現今、スマホの電池持ちを徹底するべく、アプリというとソーシャルメディアとか創作用なんて必要でも入れないものが増えている。
気持ちはタブレットのお陰で、スマホには必要なアプリを全て入れておかなくても良いのではないかと思えたせいだ。電池持ちからするとタブレットは必要なかぎりでしかインターネットに…

Google検索で表示回数が上がって掲載順位が下がったサイトのクリック数は少しずつ伸びて行くように感じる

ブログの検索エンジンでのサイト評価が下がっているのか、アクセスがちょっと前の水準まで落ちて停滞しているんだ。一日百人が又厳しいし、成長が止まるのはやる気がなくなる。
先週辺りの何もかもが糠喜びに過ぎなかったようだ。というか、好調だったYahoo!検索からのアクセスが完全に落ちながら元に戻ってGoogle検索だけが頼りみたいな印象も再び濃厚だ。
何が良くなかったのか。ブログのヘッダーにラベルのリンクを四つ増やしただけでサイト評価にさほど大きな影響が出るとは思わないから最初から偶々の上昇だった可能性も否定できない。
すれば世の中で一時的に盛り上がったキーワードに引っかって検索エンジンからアクセスを突発的に多く稼いだんだろう。
Google検索での状況は先月よりは良いけれども相当に揺れ動いていてクローラーの平均巡回数は八十回を越えて期待感は強まっているものの表示回数と掲載順位の開きが不吉に増しているんだ。前者が上がって後者が下がっている。良く起きる現象で、大体、ブログが成長する、検索エンジンでのサイト評価が優れるというと表示回数が上がったところで暫く止まっている間に掲載順位が少しずつ上がると 共にクリック数も伸びるような感じで進んで行くようだ。いつもSearch Consoleでブログの検索エンジンのデータをチェックしていると表示回数がどっと上がって掲載順位も同じくらい下がるというパターンは本当に多い。
逆にいうとこれから良いはずだし、ブログのアクセスに直結するクリック数が伸びて行く前兆でないとはかぎらない。表示回数が多いと検索エンジンにキーワードで拾われるページ、またはページに当て嵌まると解析されるキーワードが増えているせいだと考えられる。サイト評価は明らかに上がっているに違いない。掲載順位と共にクリック数が少しずつ伸びるのはGoogle検索が検索結果に載せるのに相応しいブログかどうかを綿密に確かめているみたいだ。
実際、検索エンジンで表示回数が増えて新しくどのくらい訪問者を得るとかサイトでの滞在時間は長いかなんて様々な要素が加味されながらサイト評価も上がって行くんだろう。下がるのはは殆どないというか、一回もない。最初からキーワードに全く外れてサイト評価を下げるようなページは紹介されないためだろう。Google検索の精度が昔よりも上がっている証拠ではないか。良いと予測されるページ…

モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークを聴いて出会える神様への無邪気な心へ

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いつ頃からかは良く覚えていない。たぶんしかし高校時代だったのかも知れないというのがモーツァルトの音楽を聴きながら神様と出会った。
当時、ベートーヴェンが大好きだったので、何といっても交響曲第五番《運命》のジャジャジャジャーンが印象強いばかりだった、モーツァルトへの記憶は殆どない。クラシック音楽というとベートーヴェンが代名詞みたいな状態で、他にはチャイコスキーマーラーくらいしか聴いた感じがしなかったはずだ。
興味や関心からいうと十代の少年期にクラシック音楽を欲したのは僕の場合はオーディオが大きかったと振り返られる。とにかく良い音とは何かを知りたかったのではないか、世の中で。愛読書も月刊HiViだったり、どんなシムテムで良い音が聞けるのかを知りたくて探し回っていた。
なのでクラシック音楽は色んな音が細かく入っていて自前のオーディオが良い音を出しているかどうかを確かめる意味合いが非常に強かったし、真っ先に捉えるべき第一条件とするとやはりベートーヴェンは音の強弱が激しくてダイナミックレンジが超人的な音楽を作り出していから引き付けられない理由もなかったと認める他はなくなる。
モーツァルトへは逆に対照的な印象を微かに持たされながら不思議がっていたようだ。今にして思い返してもベートーヴェンとは似ても似付かないところの静けさがユニークな作曲家だろう。どんなに大人数の楽団を擁する交響曲やオペラを作曲しても心の空白地点というか、何となく時間が止まったような思いを抱かされるんだ。
気に留めると音も聞こえない感じがするから正しく不思議がりもするわけだけれどもイメージが音楽を越えて生み出されているとしかいいようがない。または楽想が素晴らしくてクラシック音楽はメロディーが分かり難くて何をやっているのかと考えても詰まらなくていつも聴かない人にとってはベートーヴェンの運命のジャジャジャジャーンみたいな明白なフレーズこそ好ましいかぎりにせよ、もうちょっとだけ重なり合う同じような部分もモーツァルトの作曲には含まれていたせいだろう。
Mozart: Eine Kleine Nachtmusik: McGill Symphony Orchestra Montreal conducted by Alexis Hauser via MGSOconcerts
人々に最も有名なモーツァルトの音楽はアイネ・クライネ・ナハトム…

BloggerでTwitterカードを使用する方法

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2017年からBloggerブログにはOGP設定の基本項目/URLとサイト名と説明文と画像の全てが自動で挿入されるように変わった。なのでTwitterカードのサイトへの一般的な導入と同じように、最低限、カードタイプをhtml編集のhead内に記載してTwitter検証ツールに合格すればTwitterカードを使用できる。
<meta content='カードタイプ' name='twitter:card'/>
最も簡単な方法ではTwitterのカードタイプのソースコードを追加するだけで済んでしまう。
基本項目を表示する場合のカードタイプは「summary」(サムネイル付き)か、「summary_large_image」(大きな画像付き)かのどちらかだろう。
<meta content='@Twitterユーザー名' name='twitter:site'/>
どちらの場合でもmetaタグに「twitter:site」でTwitterユーザー名(アカウント)を記載するとサイトとTwitterのアカウントが結び付けられるから推奨される。
<meta content='@Twitterユーザー名' name='twitter:creator'/>
カードタイプで「summary_large_image」の場合に限ってmetaタグに「twitter:creator」でTwitterユーザー名を記載するとサイトのコンテンツの作成者が示されるから推奨される。
結城永人 via Twitter
BloggerのOGP設定の基本項目は独自タグで出力されていてテーマ/テンプレートによって違うかも知れないけれども公式のものならばそのままで大丈夫だし、さもなければ他のサイトと同じように一般的な導入として細かく行わなくてはならないと思う。
<b:include data='blog' name='all-head-content'/>
BloggerのOGP設定の基本項目の独自タグは他にも幾つかのサイト情報を含んでいて、ファビコンやRSSやURLの正規化など、外すとそのままでは機能しなくなるからカスタマイズする際には注意しなくてはならな…

心の真っ直ぐな人でなければ流産した女性の悲しみを純粋な気持ちのみで知らなかったようだ

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もう変わってしまったけれどもGoogle+の基本情報にかつて「自慢できること」という項目があった。載せるために考え付いたのが「詩が心の真っ直ぐな人から誉められたこと」だった。昔の詩のホームページでの経験で、十年以上前に自作詩へのメールを貰ったのが心に響いたんだ。
直ぐに分からなかった。というか、初めてで驚いたし、ちょっとしたメールから相手の詳しい事情は受け取れなかったというとしっかり分からなくても決して珍しくなかっただろう。
どんな自作詩が誉められたか。ホームページに載せてないけれどもこいのうただった。恋愛での純粋な気持ちが人々に分かり易く仕上げられたから普段よりも引き付けるのではないかと密かに喜んでいた。
たった一言、好きだよと
伝えに向かう。
この想いは終わらないよ
なくさないよ
生きているよ。
走り抜けた
並木道。
穏やかな日差しがこぼれていた、
バス停に立つ君の姿がとても眩しくて
口も重く開かなくなりそうだけど、
勇気を出して告白しよう
またとない
チャンスを信じて。
結城永人のこいのうた
初出とは言葉遣いを幾らか変えて詩の音感が上がった。以前は目に浮かぶ情景から純粋な気持ちがもっと万人向けの仕上がりだったはずなんだ。現在は歌心から詩が好きな人にしか分からないようにに調整してあるので、僕自身も皆を引き付けるかも知れないと密かに喜びもしなくなった。人々には分からなくて良いし、純粋な気持ちなのに誉められなくても仕様がないと納得している。
十年以上前、ある人が初出の分かり易かったこいのうたを気に入ってメールで誉めてくれたわけだけれどもどんな人かまでは知り得なかった。しかし他の人のホームページの掲示板に同名で書き込みが見付かったんだ。本人のホームページのURLも載っていたので、幸いながらどんな人に自作詩が尊ばれたか、こいのうたがなぜ引き付けたかの理由を覚えて将来の詩人生活のために作詩の長所として役立てたいと感じながら見に行った。
当時の思いならば声をかけて詩のホームページの常連になって欲しいというのが最重要だったけれどももう一つは間違いなく将来の詩人生活のためだったし、知らない人にメールでいきなり自作詩を誉められるというのは本当に初めてで驚いたから喜びに勇んでどうなるかと掲示板に残されたホームページへのリンクを押した。
すると最初は何のホームページか、一瞬、分からなくて戸惑ったけれども…

火事場の馬鹿力は炸裂する胸のエネルギーの後からではもう出さなくて良いさ

一昨日のブログのアクセスが百五十人に達して一週間前の百人以上を大きめに上回った。
ブログの一日当たりのアクセスが一週間で、数十人、増えるというのは相当に素晴らしい伸び率だし、それこそ二週間連続の快挙だったと振り返る。
来週も再来週も同じならば一ヵ月で百人程度の上乗せが見込まれる。一年ならば千二百人程度だし、すると遅くても十年で一日一万人のアクセスが得られると推測される。
しかもブログに記事をどんどん増やして行くから実際にはもっとずっと早くなる。アクセスといってもGoogleなどの検索エンジンから得られるのが大部分なので、記事が多ければ多いほどに検索結果に出て来る可能性は上がって行く。

サイト評価が上がればアクセスの伸び率も上がるし、数年で一日一万人も達成できそうな予感がしてしまう。
一昨日の一日百五十人のアクセスは二週連続で一日当たりのアクセスが、数十人、増えたという点で、物凄く嬉しかったし、受け取りながらブログへの気持ちが大幅に変わった。
端的にいって火事場の馬鹿力をもう出さなくて良いのではないか。
頑張っても頑張っても誰も来ないとか来てくれてもジリジリしか伸びて行かないなんてアクセスに長らく苦しみ続けていたけど、開放されたように晴れやかな思いを抱かずにいられなかった。
昨日のアクセスは先週の一日百人程度のペースに戻ってしまったし、やはり上向きに、毎日、伸びるのは難しいという他はないにせよ、一日でも大きな期待を現実に抱いたかぎりは以前よりもスムーズにブログを更新するべきだと悟り出し得た。
何が火事場の馬鹿力だったか
今まで不可能を可能にするような境地からでしかブログを考えられなかった。どんなに頑張っても膨大なアクセスなんて死ぬまでに手に入らないのではないか。夢を掲げつつも可能性が見えない中で、希望を情熱的に保って記事を増やすだけだった。
翻って頑張れば何とかなりそうだと初めて実感が湧いたのが非常に大きい。
不可能ではなく、あり得る世界、真実に明るい未来を想定しながらブログをやって行けると気持ちが新しく炸裂して胸にエネルギーが広がるばかりなんだ。
いい換えると人生への迷いが完全に断ち切られたせいで、夢に全身全霊で向き合えるのが有り難くてブロガーとして将来性の高まりが味わわれるし、どうせ駄目だとかやっても無駄だなんて、日々、後退する感じが減らされるままに努力を少しも削がれなくなったのが純粋に…

イースター島のモアイは命の尊さを教えてくれる皆の守り神だった

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昔から何だろうと思っていたイースター島ラパ・ヌイ国立公園)のモアイだけれども建造された理由は現地の言い伝えによると部族の王の霊を祀るためだったらしい。偶々、小耳に挟んであっさり分かってしまうというのも詰まらないみたいな感じがしないではなかった。詳しい資料を欠いているので、ひょっとすると誤りともかぎらないにせよ、たぶん殆ど合っているように受け留める。
Plataforma ceremonial Ahu Akivi by Jantoniov (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
モアイは海を背にして立っていたり、内陸部では反対に海を向いていたりしながら住処を取り囲んで皆を見守っているといわれる。守り神として捉えるとやはり部族の王の霊を祀るために建造されたのではないか。考えても可能性は非常に高いだろう。
イースター島のモアイは意外と新しい。石像で非常に大きいから古代人のものかと思ったら古くても千年くらいしか経ってなくて新しいのは十七世紀頃まで作られていたらしい。

十八世紀頃に西欧人が発見した当時、イースター島には完成したモアイが幾つも立っていたらしいけれども次第に倒されるようになった。島民の部族の争いで、守り神を率先して攻撃するためだった。モアイは目に霊力が宿ると考えられていたから何も見ないように目こそ破壊されて俯伏せに寝かされてしまった。全体を木っ端微塵にするのは非常に大きな石像のゆえに難し過ぎたか、または守り神の超自然的な祟りが恐れられたせいかも知れない。破壊されたのは目ばかりで、今では殆ど残されてないけど、地に落ちた破片が少しは見付かっていてモアイには元々は目があったと分かっている。いつしか全てのモアイは倒されていて十九世紀には完成品としては一つも立ってなかったんだ。
All the fifteen standing moai of Ahu Tongariki by Bjørn Christian Tørrissen [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
現在、十五体のモアイがイースター島の海岸付近に立っていて最も壮観な眺めを生み出しているのは1994年に考古学者のクラウディオ・クリスティーノがクレーンを持ち込んで実現したようだ。モアイは最大で20mの90tと計測されるくらいで…

ピザの人生で最高の瞬間だから大好物の素晴らしいイメージ

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ピザは大好物だ。昔から良いと思っていたけれども二十代後半に恋愛の短編小説を書いていてクリスマスの日にピザを食べるという場面が出て来た。恋人同士で素晴らしいイメージだと気付いてから自分でもピザを大好物にしようと決めた。
本当に好きだったし、強いて決めるまでもなかった気持ちにせよ、好きな食べ物は他に幾つもある中で、ピザが突出して格上げされる切欠が自作小説の一場面に含まれていたんだ。
珍妙としか呼べない。ピザ以外では普通に気持ちから定まるのが好きな食べ物だ。況んや大好物だけれどもピザは特別だと認めてしまう。素晴らしいイメージはそれ自体では詩的だから実物のピザにはメルヘンをいつも受け取る。世界が喜ばしく変わるような幸運が付いて回るのが面白い。
大好物のピザは素晴らしいイメージと切り放せない、僕にとって
姪が児童期に好きな食べ物は何かと訊いて来るからピザと応えていたら家で皆に僕はピザが好きなんだといっていた。すると不思議なのはクリスマスにピザが出されるように変わってしまった。なかったはずだ、記憶ではかつて。鳥の股肉とケーキしか特に思い付かなかったけれども姪に大好物のピザを教えてからクリスマスの食事にピザが付くので、小説の一場面の素晴らしいイメージと全く同じだと本当に驚きながら嬉しかった。
母親がやっているので、ピザとクリスマスを結び付ける感性があったと分かったのが新発見だった。

僕が恋愛の短編小説で考えたのは恋人同士の別れで全てが終わるという世界だった。登場する女性はクリスマスの直ぐ後に外国旅行へ向かう飛行機が墜落して亡くなるという筋書きになっていた。男性には最後の置き土産として万華鏡が受け取られながら振り返るとピザの思い出が美しく残ったみたいな感じで締め括られた。女性にとってクリスマスのピザが人生で最高の瞬間を象徴的に示していてほんの僅かでも気付き遅れた男性のためにもはや死なざるを得ないだけの展開だったとすると永遠の詩とも過言ではなかった。二十代後半では僕も永遠の詩人を自覚してなかったにせよ、心の繋がりの抜き差しならない真実を描き出していた。
良く分かると感心する、母親に。人生で最高の瞬間としての素晴らしいイメージからクリスマスとピザを結び付けられたに違いない。
すると僕の大好物がピザと知ったせいなので、皆に教えた姪の言葉を聞き付けて母親がクリスマスに出すと選んだのは期待感が大きいわけだ…

ブログは自分らしさを大事にすれば訪問者にもきっと分かって貰えるから検索エンジンの落とし穴にだけは嵌まるな

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ブログのアクセスが二日連続で一日百人を達成してから余り落ち過ぎずに同じくらいで持ち堪えている。やる気が増すし、夢に向けてさらに頑張りたい。
検索エンジンからのアクセスアップに手応えを十分に掴んだのではないか。誰も来ないところから半年で一日百人まで成長した。良い感じなのは確かで、死ぬまでに千人でも一万人でも達成できそうではないか。ブログのアクセスの伸び率も同じように上がって行けば現状から単純計算で、五年とか五十年なんて得るよりももっとずっと速くなると期待して止まない。
Google検索でのサイト評価はサイトを開設して一年くらい経たないと定まらないと思うし、経験上、そこで初めて爆発するんだ。コンテンツが良ければ全てが一気に好調を得る。雨後の竹の子に等しく、アクセスはあちこちで伸びる。ひょっとすると来年の一月には些細な日常は一日千人を越えるのではないか。今までのアクセスの伸び率を考えると数ヶ月で年内に達成するはずだけど、流石にそこまで甘くないのがGoogle検索なのではないか。さもなければ本当に誰にでもできそうなアクセスアップだろう。僕にとってBloggerの新しいテンプレートが肝心要ならば有料の独自ドメインのホームページやブログこそ間違いなく好調だと思う。サイト全体の底力を上げるためには無料サービスのサブドメインとかサブデイレクトリーなんて仕方ではなくて独自ドメインでのサイト運営が至上命令とも過言ではないくらい有利なはずだ。ところが巷ではやはり駄目で誰も来ないと聞かれる場合がある。検索エンジンからのアクセスアップはサイト全体の底力では計り知れない以上、一日百人は素晴らしいにせよ、うかうか喜びの落とし穴にだけは嵌まらないように注意しなくてはならないと思う。
今此処で覚えておくべきなのはGoogle検索の奥深さだ
ブログでどんな記事が検索エンジンに好まれるか。Googleの答えは簡単だ。訪問者に好かれるブログが良い。すると検索結果で目立って紹介されるし、アクセスアップに繋がる。実際には難しいし、検索エンジンがどこまで正確にサイト内容を把握できるかは未知数だけれどもGoogleは訪問者に好かれるブログを優遇するつもりで検索エンジンを改良して行くかぎり、ブロガーとしては合わせて記事を仕上げるのが重要というだけだ。
もはや初心に返る思いがする。どんなに訪問者のためにやっても検索エンジンに…

ドアーズのLight My Fireはサイケデリックに情熱そのもので

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ドアーズの記事を前のブログから載せ直すために久々に読み返しながら良いと感じた。
The Doors - Light My Fire via TheDoorsVEVO
色んな曲を聴いてみたいとYouTubeで探すと新しく配信されていてLight My Fire(ハートに火をつけて)が気になった。
ドアーズの代表曲の一つで、他の歌手にも数多くカバーされる世界の名曲というか、皆の懐かしいメロディーにもなっている。
しかし驚くのは合っている、今の自分に。ドアーズのLight My Fireは1967年の発表だけれども物凄く新しいし、面白いのではないか。イメージも本当に格好良いと思う。
ブログの訪問者が一日百人を越え出して生活感がガラリと変わったのは間違いない。綺麗なお姉さんではないにせよ、計らずも共通点を探りたくなってしまう、ドアーズと。人生の期待値が非常に上がって拝むべき富士山の天辺にいるみたいな心境だから以前とは打って変わって自分らしさが研ぎ澄まされたためではないか。
Light My Fireは一人の人間が自分自身の全てに燃え盛っている感じなので、サイケデリックなイメージが湧いて来て如何にもドアーズのロックに相応しいと納得するし、代表曲としか呼べないわけだけど、改めて気になったとすればそうした情熱そのものの生き方が今の自分にピッタリなんだろう。
可笑しいのは却って分かり難い、完全に燃え上がってみると自分からは。さながら赤い風に包まれていて火に焼かれた気持ちが当たり前になってしまうせいだ。空気が弾けているといっても良い。
嬉しいのは人生で努力する思いが自然に味わわれる。死に物狂いで頑張りたいと口に出すほどに疲れるし、実際に物事に励むのは大変だけれども以前よりも苦にならずに済んでいる。
情熱そのものの生き方が自分らしさに本格的に結び付くとほんの僅かな疑いも抱かない。どうせ駄目だとかやっても無駄だなんて絶望しないと助かる。願いが夢に向けて真実に得られなければ難しいはずだった。人生で目標を実現する可能性が高まると良いわけだけれども気持ちに自信が漲るまでは迷いが付いて回るようで、危うい。
ドアーズのLight My Fireで自分らしさを加速させたい。いうと魂の応援歌なんだ。聴きながら思いを羽搏かせよう。生活が苦しいほどに大切なのは他の何物でもなく、意欲だ。全ての力を振り絞ってこそ悔いの残らない…

生まれ付きで鼻のない赤ちゃんだったイーライ・トンプソンが残した笑顔

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Timothy Eli Thompson via Facebook
イーライ・トンプソンという赤ちゃんに生まれ付きで鼻がなかった。無鼻症という非常に稀な病気にかかっていた。出生児の一億九千七百万分の一の確率で、かつて世界中で三十七例しか確認されなかったらしい。生後五日で気管を切開して人工気管を通して呼吸が確保された。人々からは「Miracle baby」(奇跡の赤ん坊)と呼ばれて可愛がられていた。無鼻症の影響で病弱だったために二歳で亡くなってしまったけど、しかしあどけない笑顔を残していて写真から著しく引き付けられた。
アラバマ州モービルの赤ちゃんイーライ生後六ヶ月のイーライ赤ちゃんイーライのベスト
目にしながら逆しま泣いたようで、心がよもやまさか可哀想でしかないと感動し切れない部分へは詩的に素晴らしいと認めるばかりだった。
本当に詩情に満ち溢れた写真だし、何よりもドキュメントなのが驚かされずにいない。信じられないほどの笑顔と出会って生まれ付きで鼻のない悲しみのゆえに命の尊さのみから世界が透き通って行くのを経験してしまう。すなわち現実に詩があるとはっきり味わわせるんだ、驚きながら見るだけでも端的に。
些細な日常としてはベーコンの絵に匹敵する強度が込められた真実に他ならないだろう。
美しさとは何かを問い直させる。人生において必要な芸術が自分らしさを基礎付けるとしたら表現力の真実と心から呼ぶべきだ。生きる喜びの夢見られた情熱を差し置いたような美しさはなくて良い。だから詩もやって来て魂を与えるに違いない。歌うかどうかはさほど重要ではないはずだし、気持ちは誰もが沈黙の詩人に成り代わっているような時空へ正しく送り込まれている感じがする。
精神の夜に抱き抱えよう、笑顔を残したという生まれ付きで鼻のない赤ちゃんだったイーライ・トンプソンを
See miracle baby born in Alabama with rare facial anomaly breathe and coo via AL.com
貴方はまるで一本の蝋燭のような存在を教えてくれる。炎と輝いた生きる喜びの詩が聞こえるかぎり、もはや涙は砕け散った星屑に席を譲るだけだ。金平糖が降って来るまで祈りを捧げる神様に初めて訪れる夜明けこそ懐かしい趣きではないだろうか。永遠ならばバッチリにせよ、瞬きと共に全ては色付いて行く透き通っていたは…

Bloggerの301リダイレクトは使えるもサイト内だけだ

Bloggerのウェブの編集から「検索設定」の「カスタムリダイレクト」で301リダイレクトが使えると分かった。
リダイレクト元とリダイレクト先の二つのURLを日付の前の半角スラッシュ(/)から入力する。そして「永続的」にチェックすると301リダイレクトで、何もしないと一時的な方法の302リダイレクトになる。全ての設定を保存すると動作して一つのページから他のページに飛ぶように変わる。
301リダイレクトが使えるとサイトを移転する際にはとても便利で、取り分けGoogle検索でのサイト評価をある程度は引き継ぐといわれるから検索エンジンからのアクセスも新しいサイトで一から出直さずには済みそうだ。
Bloggerは301リダイレクトが使えるから良いと思うし、無料のブログサービスでは殆ど聞かないから珍しくも有り難いけど、ただし設定の仕方から気付く通り、リンク先のURLを完全には入力できないから外部サイトへの301リダイレクトは無理なのがちょっと悲しいと思う。
サイトを移転する際にGoogle検索でのサイト評価を引き継ぐという使い方はできないので、予め注意しておかなくてはならない。
一般的に301リダイレクトの代わりとしてhtml編集で<meta http-equiv="refresh" content="0;URL">とhead内にmetaタグのrefreshで待機秒数を「0」にして移転先の「URL」を記載しておけば訪問者は直ぐに送られると共に検索エンジンにも少しは益しらしい。
Bloggerのカスタムリダイレクトはサイト内のページで機能する。使ってみると相当に良好で、ページのURLを変える場合には重宝する。普通に訪問者を古い方から新しい方へ簡単に移動させるためだけではなくてGoogle検索にも有効だと分かった。
301リダイレクトをかけておいてリダイレクト元のページをSearch ConsoleのFetch as Googleからインデックスに申請する。確認画面でリダイレクトと表示されるけれどもそのままで完了すると暫くしてリダイレクト先がGoogleの検索エンジンにインデックスをしっかり得ていた。つまり古い方から新しい方へ検索結果が切り替えられてサイト評価もある程度は引き継がれたに違いないと思う。
何もせずにリダイレクト元のページが検索エ…

BloggerでGoogleフォトから載せた写真が消えてしまうのは後からアルバムを操作したせいだろう

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本当に恐ろしいし、ブロガーとしては困ってしまうばかりだけれどもBloggerでブログに載せたGoogleフォトの写真がいつの間にか消えてしまうからなぜなのかと考えざるを得なくなった。
ウォークマンが雨に濡れてしまったよ
調べてみたら以前からBloggerブログではGoogleフォトから載せた写真が消えてしまうという現象があったみたいで、Googleフォトのアルバムの取り扱いが影響している可能性が高いと推測された。
振り返ると全ての画像が消えたわけではなくて一部だったけれどもGoogleフォトのアルバムへブログに載せた写真を後から動かしていた感じがする。
どこのアルバムにも入れてない写真をBloggerブログに載せてからGoogleフォトでアルバムに追加したのが良くなかったのではないか。
気付いたのは半年程前だったけれどもBloggerではGoogleフォトからブログに載せた写真を後からGoogleフォトのアルバムへ動かすのは不味いと止めてみたらずっと大丈夫なままなんだ。
たぶんGoogleフォトのアルバムに入っているかどうかで、ブログに載せた写真の画像URLが変わってリンク切れになるのかも知れない。
ブログに載せた写真がGoogleフォトでも消えるわけではないし、表示するための画像URLが使えなくなっているせいなので、どうしてリンク切れになるのかはアルバムの操作にかかっているとしか本当にいいようがないと思う。
BloggerではGoogleフォトの写真を載せる場合には最初からアルバムに入れておくのが安全だろう。
面白いのが同時に写真を整理し易くなる。Googleフォトにブログの写真のためのアルバムを作って使うわけなので、ブログに載せたかどうかが直ぐに分かる。
加えてアップロードする際にもどれにするかと選ぶのが予め専用のアルバムに纏められているとスムーズだ。専用のアルバムから確認すると早いし、Googleフォトの全体から他の写真に埋もれながら探し出すよりも疲れずに済む。
参考:Bloggerの画像がうまく表示されない…

html5の画像などのメインのコンテンツの一部へのfigureタグの使い方

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ブログのテンプレートをBloggerの新しいテーマに変えたらhtml編集でfigureタグが上手く使えるようになった。以前は周りに余白が付いてしまうのをcssで消し切れなかった。しかしBloggerの新しいテーマのテンプレートでは大丈夫だと分かった。figureタグはhtml5から追加されたメインのコンテンツで画像などを示すためのマークアップだけれどもブログの記事で改めて使い出している。
ブラウザには特に影響しない。figureタグが使われているかどうかはサイトを閲覧しても分からない。僕がサイト作成に取り入れたいのは検索エンジンのためだ。クローラー/解析ロボットにサイト内容をしっかり伝えられるのではないか。figureタグで囲まれたコンテンツは一部でもメインに構成されると的確に示されるので、サイト評価を上げると検索エンジンからのアクセスアップに少しでも期待できるのが嬉しい。
figureタグは一つだけで使うとはかぎらないところが、結構、面白い。他のタグと組み合わせるとさらに検索エンジンにサイト内容を分かり易く仕上げられる。

figureタグと関連するタグを使ってメインのコンテンツの図表としてマークアップされたサンプル画像。
Sony α5100 - Zeiss Touit 2.8/50M, 1600×1067, 302KB, 1/1667s, f/2.8, ISO 100
figureタグの使い方の基本
figureタグはサイトのメインのコンテンツの画像などを示すためのマークアップだからサブのコンテンツには必要ないし、たとえ同じものを載せるとしても付けなくて構わない。
figure要素は、任意でキャプションをもつ(完全な文のような)自己完結型であり、一般に文書の主フローから単独のユニットとして参照されるフローコンテンツを表す。
figure要素 via HTML5 日本語訳
figureタグの対象とは何か。W3C(htmlの勧告を行う)の仕様によると「自己完結型」だからメインの纏まった部分のコンテンツに限られている。本文に組み込まれているならば「単独のユニット」だからかりに抜き取っても十分に成り立つような対象にのみfigureタグを使うとhtml構文としては正確なんだ。
figureタグのマークアップ例
<figure><img src="url"…

Yahoo!検索からブログの訪問者が増えて一日百人のアクセスをついに得たと喜びながら

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ブログのアクセスが昨日と一昨日の二日連続で百人を越えている。経験してみると何事もない感じがするけど、長らく苦しんでいたはずだったし、つい最近まで誰も来なさ過ぎてどうにもならなかった。一日百人なんて嘘またいな数字だろう。今日も明日も、是非、続いて行って貰いたいと心から思うし、夢ならば決して覚めないでいて欲しいと切に願う。
目下、ブログのテーマ/テンプレートを新しく変えて検索エンジンに相当に向いているはずだからサイト評価が上がってアクセスアップを加速するのではないかと期待を込めながら見守っているところなんだ。
アナリティクスのアクセス解析を確認すると驚くのはYahoo!検索が躍進を遂げていた。アクセスが完全に倍増している。Google検索の三分の一くらいの訪問者しかいなかったのが半分くらいにまで達して来ているんだ。有り難いかぎりだけれども本当に不可解としかいいようがなくて将来のためにはなぜなのかを考えて知っておくべきかも知れない。
昔から謎だったのはむしろYahoo!検索からどうして訪問者が少ないのかだった。
日本ではGoogle検索よりもYahoo!検索の方が利用者が多いといわれている。しかもYahoo! Japanは検索エンジンとしてGoogleに基づいて検索結果を作り出している。独自の変更が加えられるにせよ、Google検索とYahoo!検索でサイトへのアクセスの増減は概して連動しているはずではないか。訪問者の数を捉えるならば検索エンジンの利用者の分だけ前者よりも後者が重いと予測される。
いつも違うし、今でもそうだけど、Yahoo!検索はGoogle検索よりも訪問者が少ない、サイトにとって正しく。
十数年来、初めての衝撃で、Yahoo!検索からGoogle検索の半分くらいにまで達して来ているアクセスについて考えると原因は新しいテーマ/テンプレートしかなさそうだ。検索エンジンでのサイト評価に物凄く良いと期待されていてYahoo!検索こそ的確に応じてくれたのではないか。
ブログのhtmlやSchema.orgという検索ロボットへのサイト内容の機械的な分かり易さがYahoo!に好まれるせいだと感じてしまう。
反対にGoogleには検索アルゴリズムの影響が強いと思うし、サイト内容への味付けこそ大きいとも浮き彫りにされる。
個人的な印象ではYahoo!検索はサイトのキーワードを素直に拾って…

サイトにジャンプリンク付きの目次を角丸の枠線や透過の背景色のデザインで設けるためにはどうするか

インターネットでジャンプリンク付きの目次を設けたサイトをブログの記事などで良く見かけていた。
僕もブログに長文の記事を載せる際に見出しで細かく区切られているとそれぞれへ向けてジャンプリンク付きの目次を冒頭に設けておくのが素早く移動できて便利だし、訪問者にも好まれそうだとやってみたら気に入ってしまった。
コンテンツが上下に長いほどにジャンプリンク付きの目次がサイトに必要になって来る。

目次
ジャンプリンクのhtml枠線のデザインのcss枠線のcssのサンプルコード角丸のcssのサンプルコード背景色のデザインのcss背景色のCSSのサンプルコード透過のcssのサンプルコード目次の完成版のデザイン

ジャンプリンクのhtml
一つのページ内で移動するのも他のページへのリンクと同じで、リンクのaタグを使う。
リンク元のサンプルコード
<a href="#heading1">ジャンプリンク</a>
ジャンプリンクはaタグのhref属性にURLではなくてidを入れる。cssで使うのと同じだ。するとページで共通の指定は一回しか出て来てはならない。クラス/classならば何回でも構わないけれどもジャンプリンクはidを使うからリンク先は全て別々に切り離して記載しなくてはちゃんと動かない。リンク元は複数で同じidへ向けても構わない。
リンクのaタグを記載する注意点としてはidを示す#(シャープ)から英字で始めなくてはならない。使える文字は半角の英数字と幾つかの記号(-と_と:と./ハイフンとアンダーバーとコロンとピリオド)になっているけれども最初の一文字は英字しか受け付けない。そして英字については大文字と小文字が別物として扱われる。幾つかのidに入れる英字は同じでも大文字と小文字を分けて記載すれば大丈夫なんだ。
リンク先のサンプルコード
<h3 id="heading1">見出し<h3>
これもcssと同じで、効果を与えるところ、htmlの要素に半角スペースに挟んでidを記載しておく。どんなところでも構わないし、html要素ならば何にでも記載しておける。
ジャンプリンクとしてはサイトの上から下への移動だけではなくて下から上に付けるのも便利で良いと思う。前者と同じように後者もインターネットで良く見かけるけれどもサイト全体での最下…

Google検索に色鮮やかな蝋燭が幾つも並んでいたイラストの誕生祝い

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Chromaブラウザで新しいタブを開くとGoogle検索が出て来て検索窓の上はロゴだけれども画像が付いている場合もある。Google Doodleのイラストで記念日を紹介している。
6月1日 via Google
今日は色鮮やかな蝋燭が幾つも並んでいて何だろうという感じだった。Google Doodleの記念日だったらそうした所縁のイラストなので、見ていて蝋燭だけでは想像力も働らなくて不可解だった。
Google検索の検索窓の上の画像を押すと何のためかと検索結果で分かるようになっているけれども今回は六月一日という只単に日付で本当に訳が分からなかった。
Wikipediaの六月一日が出ていて見に行ったらグレゴリオ暦で年始から百五十二日目とあるだけだから何の記念日でもなさそうだった。
誕生花がマトリカリアクレマチスが自分の花だとか自分と同じ誕生日に柔道家の山下泰裕(かつてブログにも出て来た)がいるなんて覚えながら少しずつすると気付き始めた、Google Doodleのイラストの色鮮やかな蝋燭とは何かを。
まさか僕への誕生祝いだったらしい
嬉しかったけど、とにかく驚いた。Googleから検索エンジンで誕生祝いがあるとは初めてで夢にも思わなかった。考えるとGoogleアカウントのプロフィールから来ていたはずだったんだ。誕生日も登録していて以前にはGoogle+やユーザーから誕生祝いの言葉を貰ったりもしていた。
今回は検索エンジンだったので、個人的に非常に面白いというか、サイトのアクセスアップのためにGoogle検索を努めて研究している日々で、好きな気持ちもあるし、ホームページやブログから繋がりを多く求めている中、偶さかながら自分自身が誕生祝いを貰えるというのは望んでいたのとは全く別の状況なので、喜びでは喜びでも逆立的な衝撃だったわけなんだ。
特別に頑張りたいと思う。ブログのテーマを新しく変えたばかりだけれどもGoogle検索に有利な感じだから選んだし、本当に満足しながらサイト作成は一段落して紛れもなく記事に邁進できるところに差しかかっていた。意中のGoogleから誕生祝いで尊ばれたとすれば願いの全てを後押しされるように受け取られずにいない。
背中に羽根が生えた心は自作詩のアンチ・ユニットで「飛んで行く/羽根を悟るや/清らかな天空へ」と歌っていたと振り返ってしまう。
素敵な人との出会いがモチー…