織田信長が非業の死を遂げた理由は明智光秀の恨みを恐れた森蘭丸を宥め賺した人間の大きさにあり 結城永人 - 2017年9月20日 (水) 戦国時代に日本の天下統一の野望を真っ先に掲げて誰よりも近付いて行った織田信長が本能寺の変で自らの志した道半ばに倒れた歴史は非業の死を遂げたと捉える他はないと思う。 明智光秀が謀反を働いたわけだけれども信長公記(太田牛一)によれば大軍勢が押し寄せると本能寺の変で異変に気付いた織田信長が「是れは謀反か。如何なる者の企てぞ」(これは謀反か。どんな者の企てだ)と森蘭丸に訊ねて「明智が者と見え申し候」(明智の者と見え申します)と応じられると「是非に及ばず」(どうしようもない)で口を閉ざしたらしかった。 そのまま、亡くなったので――最後の最後、炎に包まれた本能寺で臨終間近には「女どもは苦しからず。急ぎ罷り出でよ」(女たちは構わない。急いで出て行きなさい)と逃がすためにいったかも知れない――織田信長の最後の言葉にもなっている。 聞くや否や物凄い弱気な発言ではないかと違和感を受けた Nobunaga Oda by Soshu Kano / Public domain 数え切れないほどの人たちを殺して来て戦国時代の申し子みたいな様相を呈しているはずの織田信長が「是非に及ばず」では戦う前から負けを認めたに等しいだろう。武力で圧倒的なまでに身を立てた稀代の名将としての自分らしさを完全に損っているような印象が拭い去れない。 普段から信頼を寄せる家臣に寝返られた気分的な落ち込みが普通ならば考えられるし、ちょっとした一言に過ぎなくて直ぐに猛烈な反撃に打って出たにせよ、別人の様相を呈しているのが何だろうと訝らせて止まない場面だった。 調べると本当かどうかは定かではないものの明智光秀の本能寺の変で織田信長へ働いた無謀という下克上そのものは森蘭丸によって恨みに基づいて生じると数年前から先読みされていた可能性があると分かって驚いた。 明智が恨みを持つことをも察し、密かに信長の前に出て、「光秀は飯を食いながら深く思慮する様子で箸を取り落とし、稍あって驚いてしまった。これほど思い入れていることに特別なわけはよもやありません。お恨みになることが然々だから大事を企てるだろう。刺し殺すべきだ」といったのに、信長は「否、佐和山をついに君に与えよう」といわれたそうだ。何とも森が、これより先に「父の討ち死にの跡ですから、坂本を下さい」と申したのに明智に与えられたので、讒言すると思って信じられず、果たして弑せられた。 原文 明智が恨あることをも察し、潜に信長の前に出で、「光秀飯をくひながら深く思慮する体にて箸をとり落し、やゝ有て驚たり。是ほど思ひ入たる事別の子細はよも候はじ。恨奉る事しかじかなれば、大事をたくむならん。刺殺すべしといひけるを、信長「いやとよ。佐和山をば終に汝にあたふべし」といはれけり。此は森、これより先に「父が討死の跡にて候へば、坂本を賜れ」と申けるを明智に與へられしかば、讒言すると思ひ信ぜられず、果して與える弑せられき。 湯浅常山の常山紀談(訳出) 森蘭丸は織田信長に最も信頼されていた家臣で、抜きん出て有能だったらしい。人間観察の鋭さから明智光秀の只ならない気持ちを恨みとして受け取っていて何れは寝返るかも知れないように織田信長に「大事をたくむならん」(大事を企てるだろう)と恐れ多くも進言していた。ところが織田信長は誰よりも必要だと全てを認めていた森蘭丸の意見にも拘わらず、耳を少しも貸さなかった。明智光秀を今直ぐに追い払うよりもむしろ亡くなった父に所縁の領地がどうしても欲しくて頼んだのに叶わなかったせいで、貶めるために悪くいっているんだと受け取りながら「佐和山をば終に汝にあたふべし」(佐和山をついに君に与えよう)と宥め賺すような振る舞いを行ってしまっていた。 まるで文学作品のような人間模様というか、ドラマチックに芸術的な湯浅常山の常山紀談の【森蘭丸才敏の事】の筆致で、明智光秀の恨みを介しての織田信長と森蘭丸の二人の心理的な交錯が余りにリアルに描写されていて興味深いばかりの世界のイメージなんだ。 織田信長のために言葉を放った森蘭丸に対して織田信長も全く変わらずに森蘭丸のために言葉を放った。 命を狙われているはずならば織田信長の人間の大きさを憂える森蘭丸よりも感じ取るべきではないか 何もかも分かったかぎりで敢えて明智光秀を放っておいたとすると織田信長は流石だと唸る。稀代の名将としての面目躍如に他ならなかった場面のようで、森蘭丸に沈黙を保ちながらそれこそ自力でどうするかと奇しくも思案に耽り出す切欠を掴んだかも知れなかったんだ。考えるほどに孤独の内側に包み隠された凄まじい精神力をまざまざと受け取ってしまう。 織田信長は森蘭丸から恨みによって明智光秀が反旗を翻して攻め込んで来るとかねて知っていたと想定すると最後の言葉の「是非に及ばず」は正しく本当の気持ちだったはずだと腑に落ち捲るのも造作なくなる。 いつか命を落とし兼ねない不吉なかぎりの悩みの種として「明智が恨みあること」(明智が恨みを持つこと)を口添えした森蘭丸を親愛ながら遠ざけてまで一人だけの生き方の凄まじい精神力を奮って取り除くつもりだったのではないか。 本能寺の変の発覚に際しては悔しさこそ広がり続ける心だったし、織田信長の自分自身で全てを守り切れなかった情けなさ、無力さが武士道ならば生き恥を晒すわけには行かないほどの《人生の臨界》に達せずにはいられなかったと想像したい。 人間の深さにも頷く、大きさだけではなく。悔しさが「是非に及ばず」ならば真実以外ではあり得ない。万策が尽きたし、やるだけのことはやった後で、それでも「明智が恨みあること」を止められなくて駄目だったわけなので、いうまでもなく、無念な状態だけれども志した日本の天下統一の飽くまでも野望からすれば神様の高さよりも人間の深さにおいて理解するのが精確だろうと考える。 もしも湯浅常山の常山紀談の【森蘭丸才敏の事】が史実だったとしたら本能寺の変の織田信長は人間の大きさを非業の死を遂げながらはっきり示していたはずだ 何気なく聞いて最後の言葉の「是非に及ばず」は不可解なので、誰がいったのかと織田信長の人殺しが三度の飯よりも好きみたいな戦国時代を代表するほどの来歴と咄嗟に結び付かないし、強気に出られなかった理由が求められるかぎり、もう既に手を打っていたのに避けられなかったような自分自身への裏切りを取り上げるしかもはや納得できないと思う。 武士としての潔さが逆に出ていたのではないか。厳しいのは他人への振る舞いではないというと実情を知るのは難しくて明智光秀も復讐心を抱くのは已むを得ない血塗れの折檻を何度も受けさせられた織田信長だったらしい。しかし戦国時代では本当は違うし、森蘭丸が恐れた恨みは明智光秀が織田信長よりも天下人に相応しいという国からの目線のせいで、個人的な感情ではなかったはずだ。だからこそ織田信長は何もいえなかった部分に武士としての潔さが自分に厳しいと明らかに認められてしまう。すると本能寺の変で幾らかでも往生際が悪い気持ちを示したならば生きることと考えることの内面そのものに嘘偽りがなくて人間としても全うだったと反対の様相を呈するのは良い。 織田信長は自らの死への思い、すなわち永訣の声が逃げ腰では戦乱の世に生まれ付いたにせよ、非情なまでに残酷な仕方で頑なに天下統一を目指しながら甚だしく戦い続けた分だけ漫画染みていて笑われずにいない。 真実はどうか。ヒントを与えてくれるのは森蘭丸の口添えで、いい換えれば親愛の情を込めた耳打ちへの《筋の通った優しさ》から認識するのが妥当だろう。 心では聞き入れていたのに明智光秀には特に何もしなかったのは人間の大きさから滅亡の不安は避けられると予測されていた。 知らない振りで怪しい気持ちを表には見せなかったところが織田信長という歴史を途方もなく動かした空前絶後の日本の新たな個性の真骨頂だったと湯浅常山も常山紀談で伝えたかったようだけれども格好良さが物語るままに受け取るのを気に入る。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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