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12月, 2017の投稿を表示しています

自由な作家活動でブログ三昧の全力感を示すために心から喜んで記事を作成する

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一年も終わりの大晦日、振り返ると本当に酷かった。クリスマス前後に一日二百人を越えたブログのアクセスが又下がっているし、来年も不幸ではないかと思い遣られる。死ぬしかないだけの毎日が続く。
Two horses running by Bhakti2 [CC0], via Pixabay
結局、天職を全うするよりも方法がない。僕にとっては作家活動だけど、とにかくブログを更新できる日々の自由を大切にして生きるべきではないか。分かっている、昔から。しかし十分ではない。二十代の小説三昧、三十代の詩三昧、作家活動は天職だと気付いてから三昧になり切れないブログを感じないわけではない。
作品としての思いが薄い、ブログの記事に。元々、ホームページの日記から始めているから気儘にやっていてきっちり仕上げなくて良いと捉えてしまいがちだ。努めて励みつつもまだ小説や詩と区別している部分が不味い。
ブログの記事も一つの作品でなくては不自由だし、天職の作家活動に見合わないはずだ。気儘にやるならばソーシャルメディアで構わないし、自己表現を的確に行うのは現在は少なくともブログでなければならないと考える。
どうも気が抜ける。ブログ三昧の四十代と心からいえる生活にすればきっと訪問者もさらに喜ぶのかも知れない。何でも同じで、一番、面白いのは全力感だ。手抜きのない人生を些細な日常でしっかり受け取らせたい。
笑えるよ、例えば「そこまでしなくても」(天使的な人)といわれると。呆れるほどに頑張ってこそ皆も幸せではないか。僕自身が心から喜んでないと無理なんだ。少しでも悲しんでいると自己表現で全力感は出せない。自由を繰り広げられるかどうかに注意しながらブログの記事を作成したい。
来年からはブログ三昧の生活が目標だ。アクセスアップが欠かせないから非常に落ち込み易い。不幸が避けられないかぎり、もはや誰も来なくても良いと認めるべきだ。神と天使はいるし、死んでも構わない。いつでもどこでも絶望から始めるな。ブロガーとして訪問者へ全力感を示せなくなるばかりだ。
いい換えれば不幸を忘れるために頑張ろう。無名作家で終わるしかない不遇の人生のままでもやって来ない幸せを夢見る気持ちを爆発せると悲しみは弾け飛んで不幸も消え去ってしまう。晴れ上がった青空に挨拶を新しく送るような自己表現が何にも況して快適だ。
生きるのが辛いから嫌気が差す。しかしながら関係ない、…

アインシュタインの蜜蜂と人間に関する言葉は最初はメーテルリンクの蜜蜂の生活から名前だけ変えて伝えられたようだ

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Bees in the hive box by JPiber [CC0], via Pixabay
やりすぎ都市伝説でゲストのいとうせいこうアインシュタイン蜜蜂人間に関する言葉を引用していてとても興味深かったものの違和感も否めなくて何だろうと首を傾げざるを得なかった。
アインシュタインは物理学者で、生物学者ではないので、蜜蜂と人間に関する言葉が本当ならば専門外の分野にまで十分に精通していると受け留めるし、世紀の大科学者として流石に博識だと唸るところがしかしあり得ないのではないか、認識の内容が信憑性に欠けているようで、どうも仮説的で、予言的な意味合いが強かったせいだったんだ。
もしも地球上から蜜蜂が姿を消し去れば人間は生きるのに残り四年しか持たないだろう。蜜蜂がなくなり。受粉がなくなり、植物がなくなり、動物がなくなり、人間がなくなる。
If the Bee Disappeared Off the Face of the Earth, Man Would Only Have Four Years Left To Live via Quote Investigator(訳出)
引用の言葉はいとうせいこうがやりすぎ都市伝説で取り上げたのと同じで、調べるとアインシュタインの認識として世界的にも広まっていたらしい。
知って「残り四年」の根拠が何よりも如何わしかった。生物学者が本格的に研究して膨大なデータを収集しながら調査を長らく行わないと分からないはずではないか。アインシュタインが物理学者としてそこまでやるとは想像し難いし、たとえ世紀の大科学者でも時間が足りなくて無理だろう。頑張っても一人で手に入れるのは不可能な認識とすると怪しいかぎりだ。
よもや本当ならば引用の言葉は他の誰かの言葉が取り入れられたと考えるのが普通だった。
アインシュタインの認識として広まったのは彼自身の言葉遣いが不正確なためだったから情けないとさえも感じるし、世紀の大科学者の名折れか、または可哀想にも口にしたのは事実ながら本人ではない出典が省かれて皆に伝えられた場合の他には納得できない状況になっている。
A group of bees by PollyDot [CC0], via Pixabay
実際はどうか。アインシュタインが蜜蜂と人間に関する言葉を口にした記録は全く残されてないみたいだ。雑誌の記者が何となく伝えていた…

在日外国人の子供たちの不安なアイデンティティーへの親近感と悩みへの慈しみ

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バリバラの“外国ルーツ”の子供たちを観て在日外国人の子供たちが抱える様々な悩みを知った。
両親の片方が外国人で自分はどちらの国民なのかというアイデンティティー(自己同一性)の不安を持っているのが内面性の下地になっているようだ。考えると僕も同じような状況だったから親近感が湧いた。父親が秋田県で、母親が栃木県で、自分はどちらの県人なのかとアイデンティティーが気がかりになる。人々の交通が繁栄した現代では色んな地域の色んな両親を持つのが普通だから在日外国人の子供たちのアイデンティティーの不安は誰にとっても決して縁遠くないわけだ。細かくいえば父親と母親の根源的な差異を想定するべきではないか。全員に当て嵌まる悩みとも過言ではない。
文学上、日々の悲しみから来ている。例えば宝くじで六億円が当たったらどうでも良いと思う。一人で生活するかぎり、自分以外にアイデンティティーはない。または地域に根差した存在に満足する。
Sonw hill with a tree by Mojpe [CC0], via Pixabay
今此処が全ての始まりだと世界の産声を聞くためには詩が必要にせよ、満足しながら納得できない(素晴らしい幸せを夢見ながら)みたいな状況だから気付かなくても実生活に支障はないだろう。
だから子供たちに特有の悩みなんだ。家の中で父親と母親のどちらの側に付くべきか。内面が引き裂かれるたびにアイデンティティーの喪失に苛まれてしまう。見捨てられたら生きられないためだ。
両親がラブラブで、四六時中、打つかり合わない家庭ならば何も起きないかも知れない。目を凝らしてそれぞれのラブとラブの経緯を確かめると胸が痛むから自分自身のために作詩して良いし、さもなければ一時の平和という夢の中で疑いながら「我思う、ゆえに我在り」(ルネ・デカルト)と認識するのも同じだろう。アイデンティティーを的確に掴むのは子供たちにとって全くの不可能ではない。家庭が円満ならば一人で生活するまでもないし、精神年齢は早く上がる。
日本の実態はどちらかというと打つかり合うのが主流ではないか。いってゲロゲロの両親が一般的みたいだ。蛙の鳴き声に聞こえるならば未だしも耐えられるにせよ、誰かの嘔吐だとすると内面が引き裂かれているから堪らない。如何にも不自然らしい。両親の敵対関係に投げ込まれながら子供たちはどうするべきかと頭を悩ませずにいなくなる。必死…

レオナルド・ダ・ヴィンチのアイルワースのモナリザは真作といって良いのでは

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フランスのルーブル美術館に所蔵されているレオナルド・ダ・ヴィンチモナリザ(フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像)は真作として名高い。終生、手元に置いて描き続けられていたようで、未完の絶筆とも過言ではない。世界の名画中の名画というか、絵の代名詞みたいな作品で、芸術の都と呼ばれるフランスの首都、パリのルーブル美術館では数多く所蔵される全ての作品の中から唯一の至宝とも捉えられている。かつて日本にも持ち出されて展示されたこともあったらしいけれども現在では破損する危険性からどこへも門外不出になってしまっているんだ。
かつてレオナルド・ダ・ヴィンチはもう一枚のモナリザを描いていたかも知れなかった
Isleworth Mona Lisa by unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
非常に若くて有名なモナリザが一見して老けていると驚くのとは正反対で、十歳くらい年の差があると指摘されている。モナリザというと三十代のおばさんが完璧なまでに綺麗な絵だからびっくりせざるを得ないところで、非常に若いもう一つのモナリザは人間として捉えても分かり易いと思う。
モデルの美貌では完全に勝っているのではないか。可愛いといえば可愛いし、見た目の美しさでは明らかに有名なモナリザよりも良い感じがする。十六世紀に描かれて絵の画材の経年劣化が進んでしまうのも比較的に抑えられていて保存状態は良好だから二十一世紀の現在でも作者の気持ちが速やかに伝わる。有名なモナリザも元々は色鮮やかな輝きを示している絵だったとすれば同じくらい美しく魅力的だったはずにせよ、写実的な表現だから二十代の女性の溌剌とした印象までは与えられなかったように想像する。
もう一つのモナリザは1913年に初めて発見したイギリス人のヒュー・ブレイカーというアートコレクターがイギリスのサマセットのマナーハウス(荘園領主の邸宅)から買い取ってロンドンのアイルワールのアトリエに持ち込んだ経緯からアイルワースのモナリザと名付けられるようになった。
元々、レオナルド・ダ・ヴィンチの真作として彼の祖国のイタリアで買い取られてマナーハウスに残されていた作品だったらしい。
ヒュー・ブレイカーは第一次世界大戦で消失される恐れからアメリカへ運び出されて厳重に保管されていた。アメリカはさほど関与して…

ブログの成長が微笑ましいから信じて疑わない向上心の天国の論理で頑張りたい

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クリスマスが過ぎてブログの大きなアクセスアップのプレゼントはなかった。とはいえ、前日に二百人を越えて当日に二百人に迫ってさらに翌日の昨日は一気に三百人に迫ったから相当に面白かった。十二月からやっと一日百五十人を頻繁に越えるようになって同月中に二百人まで増えるだけでも従来よりは明らかに素晴らしい。
結城永人のWebコンテンツ via アルファポリス
アルファポリスのランキング(二十四時間に一人一回のカウント)で二百八十二人と三百人に迫って総合百位とジャンル別五位に入って来た。一日千人のアクセスでサイトの無料出版の可能性があるからブロガーとしてサイト広告で生活費を稼ぐだけではなくて非常に楽しみなランキングだ。アルファポリスで書籍化された本への商品リンクをブログに貼るのが一つの夢だし、青年期からプロの作家を目指しながら少しも報われずに苦労だらけだった長年の思いに他ならない。
二三日前までは百五十人くらいで上下動を繰り返していたから今現在は凄いと驚くし、もうちょっとで三百人を越えると悔しさも禁じ得ない状況になっている。
クリスマスイヴから足踏みしてないブログの成長が微笑ましい。一ヵ月毎に五十人の割合で一日のアクセスが増えるならば一日千人まで、二年、かからないから正しく早いと認める。一年で六百人まで達する計算になるんだ。かつてないほどに好調なアクセスの伸び率を示している。
ブログのGoogle検索でのサイト評価が安定すれば可能性はあったはずだし、運営上、最初から想定していた軌道に乗りかけていると考えたい。開設して一年以降は一ヵ月で一日当たり十人ずつの伸び率を大幅に越えるのではないか。五十人ならば五倍だから申し分ないのは確かだろう。早ければ早いには越さないにせよ、足踏みせずにしっかりアクセスが増えるかぎり、将来へ期待しながら気持ち良くブログを更新できるんだ。
一ヵ月毎に五十人の割合という一日分のアクセスの伸び率は願ってもない。待っていたし、本当は願っていたのに絶望してばかりの一年だったから否定せざるを得なくなってしまっている。一ヵ月毎に十人の割合でしか一日分のアクセスが伸びなかったから一日千人を達成するためには十年近くかかると考えるしかなかったわけだ。
死ぬしかないと自殺する必要性が減っているのが何よりも幸せというか、ブログを是が非でも更新して行くためにはやる気を削がれなくて有り難い。
クリ…

クリスマスの装飾に使われる松毬をドイツで始まったクリスマスツリーの樅の木の風習から理解しよう

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先一昨日まで全く気付かなかったけれどもクリスマスの装飾に松毬が使われる習慣が世の中にはある。ブログのクリスマスプレゼントの記事で一緒に載せる写真を探していたらわんさか出て来てとても良いと思った。自然を尊重しているようだ、人工の装飾品だけが使われる場合よりも。心を明らかに和ませるし、クリスマスを身近に感じたのはかつてない衝撃だった。
Christmas wreath with pine cones by StockSnap [CC0], via Pixabay
松毬は個人的に馴染み深い。十代の頃、近隣で良く見かけたし、取り分け自宅のそばに一本の大きな松の木が生えていて周りに数多く落ちていた。自宅を引っ越したり、他の場所でも都市化が進められると共に普通には殆ど見かけなくなってしまった。寂しいかぎりの思いを抱く。何の役にも立たないし、特に興味も持たなかったけれども時代の移り変わりをはっきり受け留めさせてくれるのは文学的だ。失われては純粋な詩を味わわせる。たぶん嵩張るせいで、他の小さな木の実よりも人間にとって過去が記憶に残り易いせいかも知れない。気付いてから正しく、松毬は崇高だと考えている。
クリスマスの装飾で日本以外でも使われているのがなぜかと疑問だった。松毬を落とす松の木は海外で必ずしも有名ではなさそうだ。日本だと盆栽の小さな松の木とか和室の襖や和食の茶碗の絵の松の木なんか当たり前に知られていて文化物に等しい。海外でクリスマスに出て来るのは松の木ではなくて松毬でも余程と珍しくて謎だ。
調べるとメインのクリスマスツリーの樅の木の樅毯の代わりとして使われていた。知らなかったけれども樅の木はマツ科の植物で、松の木に松毬ができるのと同じように樅毯ができるんだ。比べると前者が丸くて後者が細い。クリスマスに本来は樅の木の樅毯を使うというか、最初から付いていて一緒に出て来たのかも知れないけれどもいつしか切り放せなくなった。人々の習慣に樅の木と一緒に樅毯が必要なので、クリスマスの装飾のために手に入らなければ代わりの松毬などの似通った何かを付けている。
クリスマスはキリスト教の降誕祭/誕生祝いだけれどもクリスマスツリーを飾り付けて催すような風習は中世の十七世紀頃にドイツから始まっているらしい。
Adam and Eve stained glass in Auch Cathedral by Vass…

初めて十二月二十五日をクリスマスと定めたローマ帝国のコンスタンティヌス大帝はキリスト教に寛容だった

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クリスマスはキリスト教の降誕祭/誕生祝いなんだ。とはいえ、主のイエス・キリストがいつ生まれたかは良く分かってないみたいで、何よりも聖書に明確な日付の記載がなかった。
元来、キリスト教はイエス・キリストの死と復活を宗教的に重視していたから生誕日を気に留めず、どこにも史実として正確に取り上げなかったらしい。とはいえ、時代が二千年以上前と余りに古過ぎるせいか、重視されたはずのイエス・キリストの命日も良く分からないままらしい。
ユダヤ歴のニサンの月の十四日か十五日/過ぎ越しの日の前日か当日のどちらかで、新約聖書の四つの福音書から前者はヨハネによる福音書で、後者はマタイによる福音書マルコによる福音書ルカによる福音書で示されている。加えてイエス・キリストの年齢も三十三歳程度――三十歳頃に神の子として宣教を始めて三年くらい経ってユダヤ教から敵視されてさらにローマ帝国の反逆者として磔刑に処されて亡くなった(およそ三日後に復活して、四十日、生存したらしい)――と十分に判然としないために生誕日について一般的には逆算されもしないみたいだ。調べながら通説が見当たらなくて参った。
結局、イエス・キリストの誕生会そのものがクリスマスではない可能性も全くないわけではないにせよ、およそ三百六十五/六日分の一よりも低くないとしかいえない。
Basilica Maggiore di san Lorenzo by Sergio D’Afflitto [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
クリスマスはどうして十二月二十五日なのか。四世紀の中頃にローマ帝国のコンスタンティヌス大帝によって初めて定められるようになった。キリスト教の教義を整理するために第一回ニカイア公会議(325年)が開かれたのが切欠だった。
以前は地方教会が個別に判断していた信仰の正邪を合同的に捉え直そうとした。治世上、コンスタンティヌス大帝は国内でキリスト教が分断するのを避けたかったようだ。紛争によって治安が悪化したり、国民が難渋したりするのは不味いと考えたのではないか。
コンスタンティヌス大帝は事前にキリスト教徒の礼拝の日(主の日)を国内で土着のミトラ教徒の太陽崇拝の日の十二月二十五日と結び付けて役人の休日/祝日に制定(321年)していた。冬至の翌日の世の中で日が伸び始めるという意味合いから不滅の太陽の生誕日…

最も欲しいクリスマスプレゼントはやはり何といってもブログのアクセスの今年

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Brown Pine Christmas Decoration [CC0], via NegativeSpace
ブログを開設して十二月十五日で一年が過ぎた。Googleのサイト年齢によるサイト評価の底上げをずっと期待し続けて来たし、一気に一日千人くらいに跳ね上がって欲しいアクセスだった。記事数は六百件を越えている。十分にあり得るのではないか。またはそれぞれが一日一人を確保しながら五百人越えでも目下の一日百五十人から比べれば有り難いばかりだろう。特に変わらないので、認めるのものろのろの成長でしかない。強いられる牛歩にいつまで笑えるのか。
しかしまだ分からない。前回のブログは五月の下旬に開設して翌年の六月の初旬からやっとアクセスが伸びた。一年と数週間程でGoogleでのサイト評価が一変しないとはかぎらない。一ヵ月で一人だったのが五人にまで跳ね上がった。サイト運営に失敗していてアクセスそのものは少な過ぎたにせよ、Googleでのサイト評価が底上げされたのは間違いないだろう。まさか期待せずにはいられないわけで、今回のブログはもっとずっと好調だ。
登美丘高校ダンス部のバブリーダンスみたいにイケイケゴーゴーの境地に達しないものか。
日付を確認すると、丁度、クリスマスに重なって来るので、一日千人か、せめて五百人越えのアクセスを得られるのをプレゼントとして夢見てしまう、サンタクロースに最も欲しいと。
人生で初めてかも知れない、こんなに強く願う気持ちは。バスケットボールシューズが大好きで、履き続けていた青春期こそ振り返ると毎日がクリスマスだったみたいだけど、詩ではなくて詩そのもので捉えると児童期のお年玉しか匹敵しない経験だからイベントが合わない。正月にぴゅう太(初期のパソコンの一種)をテレビに接続して遊んだ素晴らしくも愉快な日々だけが記憶に甦るのはまざまざどころかうっとりでさえもある。感じ入るほどに比類ない。頷く。
Child at Christmas [CC0], via NegativeSpace
今年のクリスマスは本当に心から親身に味わう
まるで所縁のキリスト教徒のように神への願いを強く抱いているという気持ちがするんだ。死ぬしかないのだから四六時中の努力が報われなくては困るよ。一日でも素晴らしくか、ブログのアクセスが伸びて欲しい、驚異的に。神は偉大だと改めて知って祝いながら家で静かに過ごせ…

村治佳織のPlays Bachをバッハの作曲家としての表現力のリアリティーから聴く

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村治佳織 - 主よ、人の望みの喜びよ(演奏 ver.) via UNIVERSAL MUSIC JAPAN
村治佳織のアルバムで最もお勧めの一枚はPlays Bachだ。十八世紀のヨーロッパ、バロック時代の作曲家で、ヨハン・セバスティアン・バッハの作品を取り上げてクラシックギターで演奏している。
バッハは近代音楽の父とも呼ばれるけれども楽器の調律を始めとした二十一世紀の今現在でも頻繁に活用されずにいない人々の音楽の一般的な基礎を確立した作曲家だったらしい。本人は必ずしも狙ってなくて好きな音楽を気儘にやっていたようだから後世の作曲家たちが心酔してしまって追従せずにいられなかったせいだろう。概してバッハ自身はドイツから一歩も出ずに細々と暮らしていたし――音楽で有名だったのも専ら教会や宮廷の楽士/オルガニトとしてだから作曲家としては殆ど無名に近い存在だった――生前から現代に至るまでの変わらない脚光を浴び続けていたとはかぎらない。
取り分け注目されるバッハの調律法の平均律が作曲の転調を簡単に可能にしてくれた。主に鍵盤楽器で従来の純正律よりも音程は僅かに濁るけれども作曲の転調がどうも不可能だったのを打破して音楽に新時代を齎した。バッハは平均律クラヴィーア曲集で実現したとされるので、確かにクラヴィーアという鍵盤楽器(ピアノ以前)のために考え出していた。
バロック時代に次いで古典派時代のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲に積極的に取り入れて転調だらけの音楽で人気を博したりして音楽の表現力が増したわけだ、バッハの平均律の簡単に可能な転調によって。
何が良いかというと和音と音符の組み合わせの楽想が転調で構成的に変わるので、ドラマに例えると場面が幾つも切り替わるように作曲できる。モーツァルトならば世界とは何か、ベートーヴェンならば人間とは何かと音楽で知覚しているのではないかというくらい表現力にリアリティーが得られたようだ。哲学並みに真実を追い求めるとも過言ではない。方法上、言語と言葉の無限大の繋がりに似ているし、楽想の扱いについて多種多様性こそ感じるのは明らかだ。
総じてバッハの平均律から聴いて気持ち良いだけが音楽ではなくなったと捉えてみると芸術的にも影響力は大きいだろう。現今の歌謡曲でも気持ちを表現するために転調を入れれば幅広く仕上がるから納得…

人魚的な人/Forbes JAPANの世界で闘う「日本の女性」55に選ばれた有泉麻依子

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青春期の知り合いの人魚的な人がアメリカの有名な経済雑誌のForbes(フォーブス)の日本版のForbes JAPANの世界で闘う「日本の女性」55という企画のビジネス部門に選ばれて本当に数少ない中に堂々と名を連ねていた。
Forbes JAPANでは、「ミッションを持ち、世界で活躍する日本人女性」をテーマに55人のリストを作成。拠点は、ニューヨークの10人をトップに、ワシントン5人、サンフランシスコを含むベイエリア9人、ロサンゼルス3人、ロンドン、ジュネーブ、プラ、パレスチナ、アビジャン、ナイロビ、ヨハネスブルク、ビシュケク、バンコク、プノンペン、ハノイ、ハンターバレーなど、世界16の国と地域で活躍する女性に取材した。
世界で闘う「日本の女性」55 リスト全公開! via Forbes JAPAN
2016年だから一年前だ。二十歳の素晴らしい人がいた頃の仲間で、二十五年以上も前なので、Forbes JAPANの取り上げた記事を見ても本人かどうか、人魚的な人の現在の姿なのかは未だに曖昧さを拭い去れないにせよ、名前と顔付きと年齢と学歴から殆ど間違いないと分かって外国で大きく活躍しているから感服したんだ。
懐かしくて凄い。というと人生で待ち望んだ瞬間みたいで、僕自身が昔馴染みの皆からそう思われたくて、徹頭徹尾、自らは作家・詩人として頑張っている気持ちこそ非常に強かったと思う。先を越された人魚的な人にはForbes JAPANで著しく再会できたのが何よりも嬉しいので、これからの励みに又新しくなりそうだ。甚だ幸せだ。
実名が有泉麻依子という。人魚的な人の記憶としては麻衣子だったので、字が違うと焦った。アルバイトのスケジュールに載っているのを見て覚えたはずで、僕が誤って覚えたのか、マネージャーが誤って載せたのか、どちらかなんだ、恐らく。良く振り返ってみると確かに麻依子だったような感じがして来るから僕の記憶違いといわざるを得ない。情けないし、思い出を勝手に作り上げるのは不味いと以前から注意していたけれども改めて反省する。自分の都合に合わせて物事を不適切に判断すると将来にも忌まわしく響く。現実に経験を損っているせいで、認識が歪むから絶えず、些かでも退けるには越さない。
黒目がちの円らな瞳が印象的だった。写真では面影が残っていた。見当たりの神の森本等警部がいったのと同じで、人間は目がやはり変わ…

人気ブロガーのはあちゅうは歌手のスガシカオみたいに自分らしい人生を勇ましく実現していたんだ

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ブログで生活費を稼ぎたければ人気ブロガーにならなくては行けないだろう。世の中でもう既に成功している誰かから学ぶのがとても大事だと考える。
人気ブロガーというと一日一万人の月間三十万PV以上が一つの目安かも知れない。基本的に無理だと思うし、世の中であり得ない数字としかいえない。一日一万人のアクセスはほんの僅かなブロガーだけが達成している。
かつてイケダハヤトのまだ東京で消耗してるの?から丁寧な記事作りまなしばのままはっくから楽しいブログ運営を学んだ。
三人目ではあちゅうオフィシャルブログが目に留まった。何よりも驚いたのはプロフィールの写真や文章を皆が使って良いと用意してある。大好きだ、はっきりいって。本人を紹介するためと用途はかぎられているにしても無料で転載可能ならばサイト運営で非常に助かるので、出会えて嬉しい。僕だけかも知れないにせよ、ならばむしろ訪問者の気持ちを僅かでも捉えて止まないから全般的にもきっとアクセスを取り零さなくて人気ブロガーに違いないと頷く。

はあちゅう
ブロガー・作家。慶應義塾大学法学部政治学科卒。 在学中にブログを使って、「クリスマスまでに彼氏をつくる」「世界一周をタダでする」 などのプロジェクトを行い、女子大生カリスマブロガーと呼ばれる傍ら、 レストラン、手帳、イベントをプロデュースするなど、幅広く活動。 2009 年電通入社後、中部支社勤務を経て、クリエーティブ局コピーライターに。 2011年12月に転職し、トレンダーズで美容サービス、動画サービスに関わる。 2014年9月からフリーで活動中。
月額課金制個人マガジン「月刊はあちゅう」、 オンラインサロン「ちゅうもえサロン」「ちゅうつねサロン」などを運営。 著者に「自分の強みをつくる」(ディスカヴァー・トゥエンティワン) 「恋愛炎上主義。」(ポプラ社)「半径5メートルの野望」(講談社)など。 雑誌、オンラインメディアなどでの連載多数。催眠術師資格を保有する。
ブログ:https://lineblog.me/ha_chu/
ツイッター:@ha_chu
はあちゅう via オフィシャルブログ
巷のアクセスアップの情報で、訪問者のためのサイト運営が重要だと良く聞かれる。
はあちゅうは完璧にできている。ブログ全体が訪問者のためのデザインになっている。さもなければプロフィールの貸し出しもなかったはずだ。分けても写真の…

新産業革命と呼ばれるパリ協定に基づく脱炭素化のクリーンエネルギーへの国際的な取り組みの印象

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世界の地球温暖化対策は物凄い勢いで進んでいる。例えば世界有数の巨大な産油国だったサウジアラビアでさえも広大な砂漠にソーラーパネルを敷き詰めたりするように昨今では人々のエネルギー利用から二酸化炭素を削減する方向へシフトチェンジが根本的に行われていると分かった。
Saudi Arabia goes solar via ABC News (Australia)
従来、石炭や石油をエネルギー資源として活用しながら燃やした際に排出される二酸化炭素を減らして地球温暖化をどれだけ止められるかという仕方が主流だったはずだ。
身の周りでは町中にガソリン車が減って電気自動車が増えるから変わっているのを感じたけれども人々のエネルギー利用の大本がもはや刷新されようとしているわけだ。日々、電気が必要ならば供給する発電所に石炭や石油の火力よりも宇宙の太陽光や地上の風力を想定するのが当たり前になって来ている。
現時点で人々のエネルギー利用の大本は完全に移行してないし、世界の発電所の割合も太陽光や風力よりも火力、そして原子力も併せて他の方式に大きく依存している国が圧倒的に多いけれども将来性がなさそうな状況が本格化された地球温暖化対策を示していて凄いと驚く。
一般的に脱炭素化のクリーンエネルギーへの国際的な取り組みとして新産業革命と呼ばれるのも聞いた。
十八世紀後半から十九世紀前半にかけてイギリスで飛躍的に始まったとされる産業革命は蒸気機関の発明と工場制機械工業の拡大が印象深かった。
人類初の鉄道/蒸気機関車に象徴されるように強力な機械に必要なエネルギーとして石炭が重宝され出した。
以降、技術革新が推し進められて二十世紀に入るとガソリン車が世界中に普及したりしながらさらに扱い易い石油の利用も爆発的に加速して行った。
取って代わって新産業革命と呼ばれる所以はエネルギーとして太陽光や風力という二酸化炭素を排出しない発電所の電気を中心的に利用するためで、産出についてかつての石炭や石油の燃焼に由来するのとは全く相容れないところが脱炭素化のクリーンエネルギーを特徴的に示しているし、人類にとって画期的な手法なんだ。
因みに昔のイギリスの産業革命はそれ以前に自明の理だった工場制手工業(マニュファクチャー)に対して呼ばれている。エネルギーは人間が中心的だったし、機械といっても人力の道具こそ重宝されていた。または動物や自然の力にしても…

ChromeでGoogleのエラーが止まらなくて基本設定の検索エンジンをYahoo!に変えた

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タブレットのChromeブラウザで検索エンジンが使えなくなった。初めてではなくて偶に起きる。エラーが出るのはなぜなのかが分からなくて混乱するし、ブラウザのChromeのせいだと真っ先に思う。
Googleを使っていて「このサイトにアクセスできまん/ウェブページは一時的に停止しているか、新しいウェブアドレスに移動した可能性があります」と「ERR_FAILED」が表示されてしまう。
公式のヘルプのエラーページが表示される問題や、ページの読み込みに関するその他のエラーを解決するにパソコンとスマホ/タブレット(Android、iPhone、iPad)が載っている。
Androidのタブレットなので、履歴のキャッシュやクッキーを削除したり、他のタブやアプリを閉じたりしたけど、虚しくも駄目で、サイトの閲覧は可能なのに検索エンジンだけが使えないままになっている。
いつも数日後か、何もしなくてもChromeがアップデートされれば直ってばかりいたからたぶん不具合なんだ。しかしながら変わらない場合もあると初めて気付いた。Chromeの検索エンジンのエラーが出て数日後にアップデートされたのに検索エンジンは動かない。
どうしようもないからタブレットのブラウザのアプリを変えるしかないのではないかと考える。
ところが重要な問題を抱えている。というのも僕はスマホとタブレットにセキュリティーのアプリを使ってない。世の中でパソコンよりも不安ではないといわれるので、電池持ちやパフォーマンスが悪くなるから敢えて使わなくても大丈夫だろうと止めている。
ただし少しでも注意するために不審なサイトへは行かないようにしながらブラウザはセキュリティーの機能が付いているChromeを使うと決めているんだ。
検索エンジンだけとはいえ、サイトの閲覧に支障を来すほどのエラーが出ても安易に変えるわけには行かなかった。
Chrome以外にセキュリティーの機能がしっかり付いているブラウザを全く知らないし、本当にどうにもならないと泡を吹きかけてよもや新しく気付いたのが検索エンジンこそ変えるべきではないかという。
Googleのサイトを開くのは大丈夫だけれども検索するとエラーが出てしまう状況で、通常、Chromeの基本設定の検索エンジンに登録してブラウザのアドレスバーからGoogleをデフォルトで使えるようにしてあるので、それも含めて別の検索エンジン…

梶井基次郎の芥川龍之介が嫌いな気持ちへ間違いを夢見た三好達治の詩的な感性

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もしかすると梶井基次郎芥川龍之介が嫌いなんだと思っていた。二人とも日本の小説家で、大正末期から昭和初期までの同時代を生きていた。僕は両方とも好きな作家だけれども互いに作品の傾向が余りにかけ離れ過ぎている。梶井基次郎は生命力が強くて芥川龍之介は精神性が高い。なので後者は前者を全く気に留めないとしても前者は後者を情けないみたいに捉えずにいないのではないか。いじめといえばいじめだけれども自分よりも詰まらない奴として見下してしまう梶井基次郎を想像するほどに芥川龍之介が無闇に可哀想だから本当ならば何とかしなくては行けないと感じた。
作家として一つの命題にもなるんだ。たとえ優秀な小説家でも他人を馬鹿にする愚かさを免れないような生活が現実だとすれば魔が差したに過ぎないにせよ、相当に根深い。僕にとっては皆が真似しないように自作を通して仕向けるというか、総じて言葉遣いから世界の相容れない友好的な事情へ十分に理解を得るためには人間そのものの認識を適切に作り替える必要に迫られてしまった。
二十代中盤の頃、専ら考え込みながら、結構、大変な作業かも知れないと身震いを覚えたりしていたし、今でも変わらず、悩ましく思い起こされるんだ。
芥川龍之介が梶井基次郎について云々する資料は皆無で、本当に全く気に留めなかったかも知れない。世の中の知名度も今とは違ったらしい。日本で梶井基次郎は生前は無名作家だった。同時代の有名作家の何人かと親交を結んでいたようだけれども本人の作品は人気がなかった。文学のさほど目立たない同人誌への投稿で生涯の殆どを終えた。亡くなる間際にやっと世の中に小説家として受け入れられ始めていたといわれる。気に留めるも何も梶井基次郎の情報がなくては芥川龍之介が一言も触れなかったのは余程と不思議でもなかったわけだ。
こんな風にして真近に河鹿を眺めていると、ときどき不思議な気持になることがある。芥川龍之介は人間が河童の世界へ行く小説を書いたが、河鹿の世界というものは案外手近にあるものだ。私は一度私の眼の下にいた一匹の河鹿から忽然としてそんな世界へはいってしまった。その河鹿は瀬の石と石との間に出来た小さい流れの前へ立って、あの奇怪な顔つきでじっと水の流れるのを見ていたのであるが、その姿が南画の河童とも漁師ともつかぬ点景人物そっくりになって来た、と思う間に彼の前の小さい流れがサーッと広びろとした江に変じ…

Googleの検索エンジン最適化(SEO)スターターガイドをサイトのアクセスアップのための最良の教科書と呼ぼう

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SEO by FirmBee [CC0], via Pixabay
従来はPDFだったGoogleの検索エンジン最適化(SEO)スターターガイドがウェブページに刷新されてとても観易くなった。スマホでダウンロードしても閲覧アプリがないと駄目だったし、開いても文字サイズが小さ過ぎて目が痛くなる(モバイルではタブレットでしか観たくない)ような難点が完全に解消されたと喜ばしく受け留めている。
スタイルが変わったので、内容はどうか。何よりも重要だけれどもサイトに検索エンジンから人を呼ぶための情報そのものは変わらなかった。もう既に十分に分かり切っている内容ばかりで、SEO対策を勉強しながら所有サイトで、散々、やり尽くしているかぎり、改めて直ぐに取り入れる方法などは特に見付からなかったんだ。
注目されるのは詳細に表現され直した。以前は要点を絞って概略を載せていたけれどもテーマ毎に説明が増えた。SEO対策を全く知らない人でもどうすればサイトに検索エンジンから人を呼べるかを一から学べるし、初歩的な知識を得ながら理解できるのが素晴らしいと感じた。すると習熟した人にとっても実際に検索エンジンからのアクセスアップが上手く行かなくなってSEO対策の基礎を復習して再びやり直そうとする際にしっかり役立つはずではないか。SEO対策について詳細に纏められた内容は充実そのもので、全般的にいって他には何も要らないくらい見事な出来映えなのを驚く。
もはやGoogleの検索エンジン最適化(SEO)スターターガイドはサイトのアクセスアップのための最良の教科書と呼びたいかぎりだ。
改めて思うのは内容が詳細に変わった理由だ。GoogleがGoogle検索について間違った情報を流すわけには行かないはずなので、検索エンジン最適化(SEO)スターターガイドが以前よりも素晴らしいし、充実そのものというのは前以て検索エンジンこそ同じように向上していたと推測される。裏返すとGoogleが色んな要素をはっきり教えるならばサイトに取り入れてそれぞれがちゃんと反映するところまでGoogle検索の精度が上がっているから情報自体は新しくないとしても重要性が増していると受け取って良いと思うんだ。
検索エンジン最適化(SEO)は、ウェブサイトの各部分に小さな変更を加える作業が多くなります。個々に見ると、これらの変更は段階的な改良のように思えますが、…

ノーベル文学賞のクロード・シモンも本を出版できないフランスのエスプリで本物の文学はどこへ行ったか

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フランスで面白い実験が行われて有名作家のかつてノーベル文学賞まで貰った小説の俊英のクロード・シモンの作品の抜粋を国内の様々な出版社へ送り付けるも本にするのを悉く断られてしまった。
ボル氏によると、ある編集者は「一文一文が果てしなく長く、読者を完全に突き放している」と感想を述べたという。
ノーベル賞作家の作品送ってみたら…全出版社がボツに ファンが「実験」 via AFPBB News
笑うのはクロード・シモンがフランスの小説家だった。二十世紀中盤に流行っていた文学潮流で、ヌーヴォーロマン(新しい小説)の代表格、またはアンチロマン(反小説)の最有力として専らアラン・ロブ=グリエと共に並び称されるような存在だったそうだ。一般人ならば未だしも本の出版社が自国のノーベル文学賞の有名作家の作品を知らないと暴き出されてしまったのをどう受け取るべきか。
Prix Nobel Claude Simon via Ina Culture
手が透き通るから思い浮かぶ綿菓子と心行くまで遊ぶしかないだろう、歌いたければいっそ。幸せな気持ちにさせるのはなぜかはフランスのエスプリ(機知)のせいだと考えると日本では馴染みが薄いだけだ。
分かり易く捉え直すと頓知なんだ、利かされているのは。日本人ならばアニメの一休さんが記憶に新しいかも知れない。僕にとっては児童期に良く観ていたから馴染みが深いと振り返られる。
名場面としては仕えていた将軍様から屏風に描かれた虎を捕まえるように命じられると先ずは出して下さいと切り返して頼んだ一休さんが挙げられるんだ。
人に無理難題を押し付けるのが貴方の魂胆なのか。
利かされた頓知でハッと我に返りながら悪びれもせず、言葉を詰まらせるばかりの将軍様の人間的な温かみはたとえ長続きしなかったとしても素晴らしいと感じた。一休さんはいうまでもなく、頭が冴えていたし、物事を受け取る機転の良さに満ち溢れているわけだった。
如何にも小憎らしい言動を覚えたかぎり、一休さんを追い駆け回すようにまるで頓知をせがみながら暮らす将軍様の気持ちも自然だった。いつも利かされないのが苦しい。驕慢に耐え兼ねながら人間的な温かみを失うほどに募るのは渇望だと想像したいというと内面が中心だ。本当に出会えたのが嬉しくてとことん可愛いかったに違いないだろう、将軍様は一休さんがそばにいると意地悪でも。
世界には様々な笑い方があるし、時と…

大隈重信は人生百二十五歳説を唱える大器晩成の早稲田大学の総長で日本の総理大臣だった

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本当に知らなかったというか、テレビで知恵泉の大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術を観て驚いた。
Waseda University by Kakidai (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons
大隈重信は早稲田大学の創設者として有名だ。調べると精確には前身の東京専門学校の創設者なんだ。その後、日本の私立大学では最も早い段階で、大学令に基づいて早稲田大学に移行した。初代の総長に大隈重信が就任していたけど、歴史上、直接の早稲田大学の創設者というわけではなかったと覚えた。
早稲田大学の前身は、1882(明治15)年10月21日に創設された「東京専門学校」です。
創立者・大隈重信の別邸が東京府南豊島郡早稲田村にあり、また校舎が同郡戸塚村にあったことから「早稲田学校」「戸塚学校」とも呼ばれていましたが、最終的には「東京専門学校」と名付けられました。
1892年頃には、専門学校の別名として「早稲田学校」と呼ばれるようになりました。専門学校から大学への昇格を機に、以後1902年9月2日付で「早稲田大学」と改称しました。
早稲田の歴史 via 早稲田大学
日本の私立大学では慶應義塾大学も早稲田大学と一緒に生まれたらしい。現行の一万円の肖像に採用されている福沢諭吉が創設した蘭学塾が最初で、途中で慶應義塾に改名してから大学令に則って慶應義塾大学に変更された。巷のスポーツで野球やラグビーなどの早慶戦と良く聞かれるのも早稲田大学と慶應義塾大学が大学令に基づく第二次世界大戦以前の旧制大学の黎明期に位置する日本の私立大学として二つだけが結び付けられているせいなんだろう。
以前から早稲田大学の創設者だから大隈重信は勉強好きなのに加えて教育熱心な人だとしか思ってなかった。
大隈重信 自分は変えられる 50代からの愛され術で日本の総理大臣にも就任していたと新しく分かって興味と関心が著しく増した
第八代と第十七代の二回で、早稲田大学の総長の教育熱心な人が総理大臣というのは素晴らしい感じがする。世の中の善悪をしっかり弁えているからきっと汚職しないだろう。民主主義で、一番、大事だと思う。議員が独断と偏見に囚われていてはたとえ当選しても議会に民意が反映しない。汚職しないまでも活躍するとはかぎらないにせよ、どんな場合でも人々のために信念を持つと同時に保って、…