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1月, 2018の投稿を表示しています

cssはどう使えば良いのか|タグ自体とidとclassの指定先とstyleタグとインラインstyleの記述法

サイト作成でコンテンツのマークアップを行ったhtmlにデザインを付けるのがcss(cascading style sheets/カスケーディングスタイルシーツ)だ。記述がhtmlのようにタグで囲むだけではないからちょっと難しい。
僕は基礎を覚えるのに十年くらいかかった。デザインはテンプレートに任せておいて構わないと見向きもしなかったせいだけど、しかしcssはレベル3から色んな表現が可能だと気付いてから新しく学び出した。サイト作成が創作活動としてさらに面白くなる。
今再び初心へ帰りながらcssは実際にどう使えば良いのかを入門として簡単に纏めておきたい。

目次
デザインの設置についてCSSの三つの指定先CSSの二つの記述法cssの内容の記述についてstyleタグでデザインする例インラインstyleでデザインする例styleタグならではのデザインstyleタグのcssの複数の指定先複数の指定先を細かく絞り込む複数の指定先を広く組み合わせる

デザインの設置について
cssはhtmlのマークアップにデザインを付けるからどこで何を変えるかを指定しなくてはならない。
cssの三つの指定先
タグ自体:<div>などidのタグ:<div id="post">などclassのタグ:<div class="check">など
タグ自体にcssをかけるとページで使われる該当の要素のデザインが全て変わる。
idのタグとclassのタグはhtmlの規定ではなくて作成者が任意で割り当てる。何れもcssの効果は同じだけれどもページで使える回数が違う。すなわち割り当ての種類についてidは一つのページで一回しか使えなくてclassは一つのページで何回でも使えるんだ。htmlのマークアップからいうとidのタグは種類毎に一回ずつ、classのタグはどんな種類でも幾らでも割り当てるように働くので、前者は他とは混ざらずに、後者は広範囲に使えるのが特徴になっている。
idとclassの任意の割り当ての文字はそれぞれとそしてhtmlのバージョンでも個々に異なっている(id名/class名に使用できる文字の種類)けれども共通点から何れの場合でも半角の英字で始めて英数字や半角のハイフンや(-)や半角のアンダーバー(_)を使うかぎりは問題はないと思う。
ただしidだ…

松岡宮の大田区というひとつの完結した世界がありに掴み取る自然の儚さの詩情

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松岡宮は詩人で良いと思うけれどもポエトリーアーティスト(詩的な芸術家)を名乗っていたり、駅員が好きでいつも追いかけ続けているとか如何にもキャラクターが濃いらしくて注目してしまう。
桐蔭学園ー代ゼミー東大理2-保健学科ー修士卒業 (博士課程は受けずに、放浪しますと言い残して大学を去ったような去らないような・・・) いつも真面目にやってるのだけど、劣等生で・・・ついてゆくのが大変・・・
松岡宮 活動歴・受賞歴等 via 駅員観察日記
経歴が凄くて東京大学を卒業していた
IQ(知能指数)が非常に高いのではないか。日本一、そして世界でも指折り大学に数えられるのは間違いなさそうな気持ちがする。
情報によると東京大学でも理科二類の保健学科は理科三類の医学部などよりは入学するのは大変ではないみたいに聞かれもするけど、驚くのは驚くし、しかも松岡宮は修士卒業だから進学して大学院の半分(修士/博士前期過程)まで行っていて勉強家だと唸らされる。
二十代前半、コンビニでアルバイトをしていた頃、同僚の二人の東大生と出会って一人はちょっと遊んだりもしたくらい仲良くなれたけどーー夜勤明けに相手の家でスーパーファミコンファミリーテニスを愉快にやってから他のゲームを貸すか何かで自分の家に来る途中で、駅を降りると腹が減ったといわれるので、朝早くから開いている店が少ないとちょっと悩んだ、近場のリンガーハットへ連れて行くと長崎ちゃんぽんを平らげた後に美味しかったと又いわれるのが嬉しくこそ微笑ましかったーー何れも普通の印象を与えた。ただし話し込むと神経過敏な面に驚かされながら凝り性みたいな人柄を受け取った。何かに打ち込む能力が長けているから受験勉強にも功を奏して超難関の東京大学に入学できるのではないか。いい換えると精神の集中力に優れているわけだ。
松岡宮もそうなのか、駅員への執拗なまでの拘泥りとかやはりと合点するし、凝り性みたいな人柄を明らかに示している。別に東大生だけではないにせよ、知り合いの二人と似通っているのが面白い。
松岡宮/大田区というひとつの完結した世界があり(2017年音源) via Miya Matsuoka
詩では大田区というひとつの完結した世界がありYouTube)に甚く引き付けられた。
青春期に大田区へ良く行っていた
僕はアルバイトで通っていたんだ。最初は電車が多くて山手線の五反田駅から東急池上線に乗…

ブログの内部リンクをクローラーが数多く辿ったら検索エンジンからの訪問者が増えた

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昨日、ブログのアクセスが一日二百人を越えた。順調に成長していると数週間振りの喜びを味わっている。たぶんラベルページへの検索エンジンのクロールを容認したのが最大の要因だろう。リンクが知られてページランクがラベルページから記事ページへ流れ始めたとするとGoogle検索に好かれるのは正しく尤もではないか。検索エンジンから記事ページに訪問者が増えているからページランクこそ強力な力を発揮しているに違いない。
平均ページの滞在時間も記事ページの下段に人気の投稿の表示を増やしてからしっかり延びて一分を越え続けているし、記事名の下に著者名を付けたのも著者のオーソリティーに好影響を与えながら何れも検索エンジンでのサイト評価を上げていると思う。
クロールの統計情報 via Search Console
Search Consoleでクローラーの平均巡回数が激増している。ラベルページのクローラーの拒否を止めたのが切欠だと思う。Googleのデータだけど、面白いのはクロールバジェットは変わらないと思う。つまり外部サイトからのリンクが増えたわけではないし、サイト評価もいきなり上がるわけがないんだ。
検索エンジンがサイト評価のために些細な日常をどのくらい訪問するかの頻度がクロールバジェットで定まっているに等しい短期間にクローラーの平均巡回数が急上昇を遂げるのはなぜか。
矛盾している、明らかに。さもなければかつてクロールバジェットが十分に使い切れずにクローラーの平均巡回数も限界までには遠く及ばなかったせいだろう。サイト内のリンク構築が大事なのは確かだった。Googleにかぎらず、検索エンジンのクローラーはサイトのリンクを辿ってインターネットを移動する。考えるとまだブログを閲覧できる状態にも拘わらず、クローラーがサイト解析を早々に切り上げて他のサイトへ出て行ってしまうのが不味かった。
些細な日常のトップページではヘッダーに四つのラベル(人生、健康、芸術、創作活動)を置いているし、記事ページの本文の終わりにはラベルをいつも多めに置いている。クローラーは目立ったリンクを辿り易いわけなので、数日前からラベルページへのブロックが解除されたためにブログ内の他のページへ移動しながら以前よりも長く残るように変わったと捉えたい。
だからこそやっているし、狙い通りの結果かも知れないと笑う。ちょっとだけ怪しくてGoogle検索を…

Bloggerブログでアーカイブとラベルページにmetaタグのnoindexで検索避けをかける方法

ブログのSEO(検索エンジン最適化)対策としてアーカイブとラベルページに検索避けをかけたいと考える。
何れも記事の寄せ集めだから検索エンジンでのサイト評価に役立つかどうかは本当に良く分からない。
とはいえ、開設して一年を過ぎたのにアクセスが伸び悩むばかりなので、何かしら大きな変化を起こすべきではないか。
Search Consoleのインデックス登録の対象範囲で有効(警告あり)が新たにカウントされてしまったのも要因だ。
Bloggerを使っていてブログのラベルページは最初からrobots.txtの検索避けがかかっていたけど、ところが記事などからリンクが貼られているためにURLが検索エンジンにインデックスされる場合があったんだ。知らなくて参ったし、完全に検索避けを行うためにはrobots.txtを解除すると同時にページにmetaタグのnoindexを記載しなくてはならない。
従来、アーカイブページは普通にインデックスされていたので、ブログのアクセスが伸び悩んでいる原因かどうか、検索エンジンでのサイト評価に不要ではないとも判然としないかぎり、確かめるためにもラベルページと併せて検索避けを完全にかけるべきだろう。
アーカイブページの検索避けのソースコード
<b:if cond='data:view.isArchive'><meta content='noindex' name='robots'/></b:if>
ラベルページの検索避けのソースコード
<b:if cond='data:view.isLabelSearch'><meta content='noindex' name='robots'/></b:if>
Bloggerのhtml編集で、何れも冒頭のheadタグ内に記載するとブログのアーカイブとラベルページが検索エンジンにインデックスされず、検索結果には全く表示されなくなる。

追記:アーカイブページの検索避けはGoogleでのサイト評価を下げるかも知れないので、止めることにした。全ページからリンクされているからSEO対策として影響が大きくて残しておく方が有利と考えられる。
追記:Bloggerの2017年の公式テーマのC…

Bloggerブログでトップと記事/追加とアーカイブとラベルのページタイトルを変更するソースコード

Bloggerブログのページタイトルの変更、またはtitleタグのカスタマイズはトップと記事/追加とアーカイブとラベルの四種類に分かれている。テンプレートが公式テーマだと2017年のContempoなどからそれぞれのhtmlのタイトルの出力が変わっている。使われる独自タグが違うためで、 前以て注意しておかなくてはならない。

目次
新しいタイトルの独自タグと表示古いタイトルの独自タグと表示トップページとその他に振り分けた際のページ名の独自タグと表示インデックスページとその他に振り分けた際の古いタイトルの独自タグと表示ブログ名を日付やラベル名の前に付けて記事/追加名だけ順番を入れ換える四種類に振り分けたページのタイトルの表示を個別に変更する新しいタイトルの独自タグを使ったtitleタグの簡単なカスタマイズtitleタグのカスタマイズに使える振り分けの独自タグ
付録
ブログ内の検索結果ページに固有のタイトルを出すエラーページのタイトルのカスタマイズ

新しいタイトルの独自タグと表示
<data:view.title.escaped/>
トップページ_ブログ名記事/追加ページ_記事/追加名アーカイブページ_ブログ名ラベルページ_ブログ名
古いタイトルの独自タグと表示
<data:blog.pageTitle/>
トップページ_ブログ名記事/追加ページ_ブログ名: 記事/追加名アーカイブページ_ブログ名ラベルページ_ブログ名
テーマによらず、タイトルの独自タグはどちらでも使えるけど、表示が一つだけ異なる。記事/追加ページの場合に新しいのは記事/追加名だけで、古いのは先頭にブログ名が付け加えられる。
Bloggerではトップページのブログ名以外で振り分けの独自タグと共にタイトルの出力に使えるページ名の独自タグもあるんだ。
トップページとその他に振り分けた際のページ名の独自タグと表示
<b:if cond='data:blog.url == data:blog.homepageUrl'> <title><data:blog.pageTitle/></title> <b:else/> <title><data:blog.pageName/></title>…

Search Consoleのインデックス登録の対象範囲のエラーと有効(警告あり)と有効と除外の四項目について

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GoogleのSearch Consoleのデザインが刷新されてスマホ/タブレットのモバイル対応で表示されるようになった。僕はパソコンを使わないので、従来よりも遥かに見易いのが気に入っている。
新しい Search Console は、ゼロからの再構築となりました。これは、可能な限り実用性のあるインサイトをユーザーに提供し、それらに沿ったガイドを行うことで、あらゆる未解決の問題をユーザー自身が解決できるような相互に作用する問題解決モデルを構築するためです。社内のコラボレーションをシンプルにするために、ご自身の組織内でレポートを共有する機能も追加しました。
新しい Search Console をご紹介します via ウェブマスター向け公式ブログ
使える機能はまだベータ版で十分に出揃ってないけど、しかし検索エンジンへのインデックスの状況が一覧表示されるようになったインデックス登録の対象範囲が便利だと感じる。得られるデータには有効(警告あり)という初めての項目も一つ含まれているんだ。従来の三項目と併せてどう使うべきかの見方を改めてしっかり覚えながら所有サイトの検索エンジンからのアクセスアップに繋げて行きたい。
インデックス登録の対象範囲の四項目
インデックス登録の対象範囲のレポート via Search Console
エラー有効(警告あり)有効除外
サイトが検索結果に出るための第一条件が検索エンジンへサイトの各ページのインデックスなので、不都合が生じてないかをいつでも注意深く確認しておかなくてはならない。
エラーはクローラーがサイト内容を読み込めない
サーバーに支障があるとか検索エンジンのクローラーにかぎらず、通常でも閲覧できないような場合にエラーが表示され易い。
早急に対応しないと検索エンジンでのサイト評価が下がってアクセスを得られなくなってしまうから最も警戒するべき項目だろう。
Bloggerブログでは偶に起きる。サーバーが不調なのか、クローラーのアクセスが一時的に滞ってしまうせいみたいだ。いつも直ぐに回復するので、何もせずに待っているだけで特に問題はないし、エラーは消える。
有効(警告あり)は管理人の承認が不明確なインデックス
僕は初めて知って驚いた。些細な日常で数値が上がっている。従来のSearch Consoleでは分からなかったはずだ。
見直すとインデックスステータスの詳細の「イン…

ドライアイのための自己診断の簡易テストと予防・回復・治療に役立つ目の体操

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ドライアイとは涙の量が減るのが原因で、目が乾燥して痛みや異物感を覚えたり、酷く疲れ易くなったり、表面に傷ができて視野が霞んだり、眩しかったり、様々な症状を引き起こす目の病気なんだ。
医学上は「ドライアイは、様々な要因により涙液層の安定性が低下する疾患であり、眼不快感や視機能異常を生じ、眼表面の障害を伴うことがある」(ドライアイ研究会)と定義されている。
日常生活で何れの症状も比較的に軽いかも知れないし、簡単に耐えられると放っておかれる場合も少なくないとはいえ、全身で風邪は万病の元といわれるように酷過ぎれば眼精疲労から網膜剥離や緑内障を引き起こして治し切れずに失明するみたいに考えると必ずしも長引かせて構わない目の病気がドライアイではない。
日本の国内ではおよそ八百万から二千二百万人程度の患者数が見積もられていて、そのうち、実際に病院に通っているのは二百万人くらいといわれる。非常に少ないし、やはり比較的に軽い症状だから敢えて専門的に治療しなくても耐えられるせいだろう。
Computer display by SplitShire [CC0], via Pixabay
テレビやパソコン、そして昨今ではスマホやタブレットの画面を長々と見続けてしまうのが主な要因になっている。目と画面との距離が近ければ疲れ目から近視になると懸念されるけれども同時に瞬きをしないのがドライアイに繋がってしまう。何時間も目を酷使せず、なるべく見開いたままにしないのが大事だし、途中で数分の休憩を挟んだり、常時、目を閉じるための瞬きを意図的に増やすように心がけるのが賢明だと思う。
他にもエアコンで湿気の少ない部屋で過ごしたり、年を取って涙が衰えたり、コンタクトレンズを常用したり、煙草を何本も吸ったり、別の病気のマイボーム腺機能不全(涙の油分が下がる)や結膜弛緩症(涙が溜まり難い)やシェーグレン症候群(涙を出す涙腺が弱る)など、薬の抗コリン作用(高血圧治療薬や向精神薬の一部)やテガフールギメラシルオテラシルカリウム(ティーエスワン:抗癌剤の一種)や角膜に障害を与えるような副作用(目薬の一種)などからも引き起こされる。
計らずもドライアイになってしまってどうしようもなければ眼科で治療するしかない。目薬で目の潤いを保たせるとか涙点プラグで目の涙の出口の涙点を塞いで乾き難くするなんて処方が一般的に取られているらしい。
ドライ…

自分らしい生き方だから一日十万人以上のブログのアクセスを目指して諦めない

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ブログの平均ページの滞在時間人気の投稿の表示を増やしたのと記事名の下に著者名を付けたのとで、一分前後まで上がって来ている。以前よりも三十秒くらい良いから考え通りに進んでいてブロガーとして本当に嬉しい。
難しいのは訪問者がブログ内のページを、二つ以上、開かないと計測されず、零になるのが平均ページの滞在時間なので、動き回り易いデザインが何よりも求められる。
人気サイトはメインのコンテンツの回りにパンくずリストなどの小さな内部リンクが、一杯、付いているし、確かに有利だと本当に良く分かるよね、検索エンジンからのアクセスアップに。
しかし実際に使われるのはブログならば記事の中に貼られた関連記事へのリンクが殆どだろう。一段落を取って大きく目立たせるデザインも見かけるし、文脈に合わせて上手くやっていると押さずにはいられないような感じがする。するとアクセスは一人一万人を越えてそうだと想像しながらもはや羨ましいかぎりだったりもしてしまう。
僕は手がけない、常套的に。記事の一つ一つを丹念に仕上げてこそ一日十万人を越えるのではないかとWikipediaのデザインを最も参考にする。テーマによるけど、飛んでもない仕上がり、過度なまでの情報量で圧倒される内容も昨今では珍しくなくなっている。見習って訪問者に物凄くしっかりやっているブログ、そしてブロガーだと思わせるほどの創作活動を何よりも重視するべきだと感じている。
些細な日常で信頼性を勝ち取るのは大変な時間がかかるとしても命懸けで頑張ればきっと実現できるはずだ
Lust for life by geralt [CC0], via Pixabay
アクセスの最終目標は常識的にあり得なくても一日十万人を目指すからデザインもなるべく質実剛健というか、相反する場合、例えば平均ページの滞在時間のために訪問者が動き回り易くするかどうかには率先して拘泥らないようにしたい。
訪問者を引き付けるために個性存在感が大事だと考えて来た。ブログのスタイルについても華やかに賑やかに気持ちを盛り上げるよりも文章を極めるみたいな印象を与える向きが自分には合っているんだ。僕が作家・詩人を天職としてやりたいし、できるのは他にはないのではないかと気付いた。結局、皆に本当に知って欲しいのは日本語の新たな可能性とか思考のかつてなかった到達点なんて喜びそのものだろう。未知へ向けて文章に取り組まな…

aikoの最大のヒット曲のボーイフレンドの片思いの恋はキスから始まっても純粋なかぎりでしか分からない

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aikoボーイフレンドは2000年の9月20日に発売されてオリコンのCD売り上げの日間チャートで三度の一位、週間チャートで二位、年間チャートで五十四位、そして累計で五十万枚以上のセールスを記録して本人の最大のヒット曲になったといわれる。
aiko-『ボーイフレンド』music video short version via aikoOfficial
僕が初めてaikoを知ったのはボーイフレンドを聴いたせいだった。PVのデザインが凄く良いと感じたのが第一印象だった。全体に茶色みがかったキャラメルのように甘やかな雰囲気の中にaikoが赤いノースリーブと青い短パンと黒いロングブーツという可愛くも肌の露出が多めのセクシーな衣装で、それぞれのイメージは幾らか溶け合いつつも大振りのスタンドマイクを掴み込んでは頑として投げ捨て得ず、不図、左右へ柔らかく踏み込んで大きく揺れながら力強く歌っていたんだ。何もかもが衝撃的というか、本当に目を瞠らずにいられないPVのデザインだった。楽曲のボーイフレンドと同時に歌手のaikoが決定的に印象付けられる瞬間だったし、かつて他では経験しなかったかも知れないほどの楽曲と歌手との幸せな結び付きが受け取られた。人生においては素晴らしい世界というか、必要不可欠な真実が表現されているから胸打たれるばかりだった。
aikoという名前も斬新に感じた。それまでは名前に愛が入っていても気に留まらなかった。著名人で愛子というのも宜保愛子(霊能力者)しか知らなかったみたいに振り返る。とんねるずの石橋貴明がお笑いのテレビ番組のものまねで宜保タカ子と良くやっていたり、三十年くらい前に流行っていた。1980年代の世紀末へ向かう不穏な空気の中で人間味を持った霊視が特徴的で、人気を博しながら様々に取り沙汰された宜保愛子から十年くらい経ってaikoがついに出て来たわけだったけど、もう一つ挙げると英語の小文字だけを使っている名前の表記が類例がなかったんだ。今ではiPhoneなどで当たり前と驚かない。ただし固有名詞を小文字で始める英語は名前の表記を含めて一般的ではないので、普通はやらないのにaikoは逸早く取り入れていたといって良い。気持ちが可愛く捉えられるから日本で、愛、または愛子のイメージが新しく作り替えられるのを気付いて本当に斬新に感じたし、全ては今でも続いていると認めるとすると…

MISIAが徹子の部屋で大ファンの黒柳徹子と歓談しながら人生の夢を又一つ叶えて

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テレビには殆ど出ないはずのMISIAがまさか本業の歌手を差し置いてまでトーク番組の徹子の部屋を選んだ気持ちに驚いてしまった。
「徹子の部屋」への初出演が決定!
ついに今年デビュー20周年を迎えるMISIAが、テレビ朝日「徹子の部屋」へ初出演することが決定しました!!
放送は、2018年1月19日(金)ひる12:00~を予定。
ぜひお見逃しなく!https://t.co/34x2KWcjFSpic.twitter.com/Iqx3NSKo5e— Misia.jp (@MISIA) January 5, 2018
普段、観ないし、チャンネルを合わせたのも偶々だったので、これはもはや奇跡と呼んで良い。MISIAがテレビに出るのも偶々というか、殆どないわけならば滅多にないチャンスを予想外に掴んだ好運そのものだった。有り難い気持ちから真っ先に神を崇めるだけだ。
なぜMISIAは徹子の部屋に出たのか
知って驚くのはMISIAは黒柳徹子の大ファンだった。だから司会を務める冠番組の徹子の部屋に出るというのは偶々でもかねて待ち望んだ結果だった。
黒柳徹子は歌手ではないし、MISIAとは必ずしも結び付かないのが意外な衝撃で、一瞬、戸惑いながら左右の目が小刻みに揺れる感じもしてしまった。
実は子どもの頃から黒柳徹子の大ファンだというMISIA。デビューの頃からの夢は『徹子の部屋』に出ることだったそうで、以前コンサートに清水ミチコを招き『徹子の部屋』出たことを想定した予行演習までしていたという。
MISIAは黒柳の大ファン!清水ミチコを招き『徹子の部屋』を想定したことも via テレ朝POST
歌一筋の人生ではなかった。本業と無関係な方面でも同じような夢を思い描いていた。普通はそうだし、誰にとっても同じかも知れなければ凄いのは表現できた。面白いと思うし、異色の繋がりに触れるかぎり、良くやってくれたとまさか愉快に和まされもする心だ。
MISIAは黒柳徹子から種々と学んでいた
歌は複数の先生から教わる貧しい子供たちを助ける馬に耳元で声をかけて乗る
歓談しながら三つ挙げられた。他にもあったかも知れない。言葉に詰まりながら話していて抱え続けた長年の思いが溢れ出すような印象を与えた。歌手から人生の夢を又一つ叶えたと本当に良く分かった。
貰い泣きするのも吝かではないくらい素晴らしい世界が繰り広げられていたし、僕がMISIA…

ブログの記事に著者名を付けて訪問者と検索エンジンへ信頼性を高めてアクセスを安定して伸ばす

ブログのアクセスが落ち続けて一日百三十人まで減ってしまった。どういうわけか。何ヵ月も前の状況に完全に逆戻りでは努力する気持ちは虚し過ぎる。散々も散々の忌まわしい苦しみを味わわされる他はない。
人気の投稿の表示を増やしたけれども良いかどうかは直ぐには判断し兼ねるところで、さらに著者名を新たに記事名の下に追加してみた。
訪問者へブロガーが誰なのかが分かり易いとブログの信頼性は高まるのではないか。検索エンジンにとっても著者のオーソリティーに影響する可能性があるんだ。些細な日常ではサイドバーに著者名が付いているけれども最初から表示されてないと必ずしも効果的とはいえない。検索エンジンは人間に合わせて開発されているから閲覧して直ぐに分からない要素はサイト評価でも切り捨てられ易くなっている。分けてもスマホでのデザインがモバイルファーストインデックスから最重要なはずなのに折り畳まれてしまっていた。
しかし本当に厳しい。ブログ全体の検索エンジンでのサイト評価が低過ぎるのが原因だ。雑記ブログだからテーマが定まらなくてGoogleも解析するのは大変なはずだけど、全体として押し上げて欲しい。
最近の記事が好調でも旧来の記事が反対に不調になるからアクセスアップは未来へ足踏みせざるを得なくなるんだ。
取り上げるテーマがコロコロ変わってしまうために検索エンジンでの記事毎のサイト評価がばら付くのを避けられないと考える。
どうすればブログ全体のアクセスを安定して伸ばせるかは著者名の表示が一つの支点になるかも知れない
雑記ブログでもイケダハヤトのまだ東京で消耗してるの?とかまなしばのままはっくなんて大人気な場合がある。訪問者だけではなくて検索エンジンにも好かれているわけなので、外部サイトからリンクが多くて有利なのはページランククローラーの平均巡回数から間違いないにせよ、近年はそれだけでは上手く行かないと推測される。ブログ内容の高品質なコンテンツからサイト評価を上げる部分を見付け出したくなる。
記事に著者名、または自己紹介へのリンクが付いているのは明らかだ。この人がブロガーだから良いとGoogleは思ってテーマが一致しないどんな記事でも同じようなサイト評価を行うという可能性がないわけではない。するとブログ全体のアクセスが安定するのではないかと感じてしまうし、些細な日常でも試さずにはいられない。
元々は記事の終わりに著…

社会的に自立するには笑顔に癒される凄く優しい理解者/とてもかけがえのない他者を信用するのが心強い

姪の七回目の外泊で、又更に調子が上がっていると驚いた。もう十分ではない。治療抵抗性統合失調症と比べると健康なのは間違いないだろうけれどもそうした中で元気が徐々に増しているわけだったんだ。明るい雰囲気だったのが光り輝きかけている。どうも鼻詰まりが収まらないから完全に元気な印象は与えないものの相当に近付いているといって良い。透き通った健やかさを持つのが新しい。
最も興味深いのは帰りに手紙を貰った。家に来てから姪は幾らか書いていたらしい。以前、養護学校で良くやっていて精神科に入院してからは殆どなかったかも知れない。およそいつも誰かにいわれるままみたいな文面だから主体性が懸念されるけれども僕へ宛てた初めての手紙を受け取って軽度の知的障害者だから二十代で小学生並みの言葉遣いを行っている可能性があると認め直してしまった。渡したのも小さく幾重にも折り畳んでいたり、成人では、普通、やらないような仕方だった。さもなければ芸術家とも過言ではない趣向を凝らした創作のせいだろう。
読んでみると姪は天使だと感じた通りの手紙だった
冒頭で面白いのが笑顔に癒されるという。精神年齢が子供とは思えない。小さく幾重にも折り畳まれていたのを破らないように指でゆっくり丁寧に開きながら無邪気な文章を予測していた気持ちがいきなり覆された。癒し系男子だと姪は僕がよもや分かっているのではないか。笑顔を見せているのは昔から変わらないけれども只単に喜んでいたはずが当たり前の幸せというか、生きるかぎりの些細な日常が自覚できなければ言葉にならない世界が表現されたんだ。人間的に成長したと感動せずにはいられない。
思考上、感受性の理論として軽度の知的障害者の姪には安らかな気持ちから知性を働かせて理性を拡大するのが重要視されていたので、昨今は永遠の優しさを与えるという僕との触れ合いの経験が功を奏したようにも捉えたい。

次いで注目されたのは凄く優しいという。僕が端的に聞かされるのはたぶん四回目だったかも知れない。振り返ると十九歳の「優しいな」(大人しい先輩:電車で多めの荷物を持った際)と二十歳の「優しいですね」(魔性的な人:歩道で大きな荷物を案じた際)と二十一歳の「優しいね」(天使的な人:車で家に送ると望んだ際)がとても印象深い。思っていても強いていわない人もいるとすると沈黙からは数え切れないくらい感じさせられているし、有り難いばかりの…

普段の自分らしさをブログでも実生活と同じように分かり易く伝えたい

ブログの記事が他のサイトからリンクを偶に貰っていて最も多いのはFacebookへの共有なんだ。すると何よりもFacebookの利用者に好かれるブログになっていると分かる。
僕は使ってないけれどもFacebookは実名でやるのが一般的みたいだから真面目な人が多いというか、ネットとリアルを切り分けず、ありのままに使われていて比較的に本心が強めに出されているように感じる。
Facebookで好かれるのは実生活が反映し易いとすると個人的に面白い。実生活では僕は人気が一つもないわけではない。癒し系男子と呼ばれたり、皆は普通に仲良くしてくれる場合もあるんだ。
ブログを、一年以上、続けて記事にコメントが殆ど付かないのもあり得ないかも知れないし、余りにかけ離れ過ぎる人当たりは悩ましい。
考えると笑顔が伝わらないのが最大の原因だし、しかもブログでは人々へ寡黙なままの他愛もない受け答えだけで済ませるわけには行かないからキャラクターが非常に分かり難い。
ネットとリアルで自己表現は本当に正反対だろう。誰かに死に物狂いで言葉を延々と尽くすとかなんて実生活では記憶にない。作家活動でなければ微笑みながら少ししか喋らないからブログの印象から捉えられると大違いとも過言ではないわけだ。
ブロガーとして考え直さなくては行けない。僕自身のイメージがもうちょっと分かり易く伝わるように雰囲気を実生活へ近付けるべきだ。
デザインは落ち着いて纏められたし、大丈夫なはずだから文章こそ相応しく変えるのが大切だ。たとえ数千字を並べても一瞬で過ぎ去るように仕上げられると良いと思う。読んで聞いて訪問者を考え込ませない。不思議に気持ち良いほどのスタイルが自分らしいのではないか。
いって永遠の些細な日常に他ならないイメージが求められずにいないし、ブログ全体が僕自身に一致する雰囲気を持つようにさらにもっと強化する言葉遣いを是非とも取って行きたい。
作家活動は灯台もと暗しだ。書けば書くほどにお喋りな人に思われて本心から遠ざけられてしまう。むろん当て嵌まれば持って来いの創作にしても全員には通用しないわけだ。お喋りではないのに書き捲るかぎり、本当の自分を完膚なく指し示す表現には工夫が必要だったと気付く。
たぶん僕は言葉数がどれだけ多くても基本的に味わわれる趣きは沈黙みたいな印象を与える作家、詩人、そしてブロガーになるしかないはずだ。
ブログにFacebo…

株式市場のマネーゲームで世界同時株高

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日本の株式市場が高騰していて日経平均株価が1992年の二万二千九百円台を二十六年振りに更新したといわれる。史上最高値はバブル経済と呼ばれた1989年の三万八千九百円台らしいので、まだ一万六千円以上の開きが残されているにせよ、1991年にバブル経済が崩壊した直後の水準まで日本の主立った企業/二百二十五社の株価が懐かしくも上昇している。不況が続いていて2008年に六千九百円台まで落ち込んでいたからさらに十年で三倍以上と急激に持ち直して来たんだ。
日経平均株価 via 日本経済新聞社
株式市場とは何か。会社で証券取引所に資本金の株式を公開している場合に売買が可能になって実際に取り引きが行われる状態を指している。株式を公開していて誰でも売買が可能な銘柄を持つ会社は上場企業と呼ばれる。証券取引所によって格付けされたりして例えば東京証券取引所(東証)ならば一部や二部やマザーズなんて分けられるようだけれども国内で有名な会社は大抵が一部上場企業に含まれる。株式は資本金だから買う人が会社の所用者(株主)だし、適宜、代表の社長を含めて取締役を選任するなどの会議(株主総会)が開かれて経営にも影響を及ぼすんだ。取り引きされる株式は買う人が多いと値段が上がって少ないと下がるので、人気によって商品と同じように変動する価格/値動きを持っている。だから市場だけれども株式は何かを生産するわけではないし、上場企業が魅力的かどうかの評価額を示しているかぎりの株式市場そのものは生産力に基づく商品やサービスの財市場とは区別される。他の債券(借入)と併せた証券市場、さらに財市場を生産力から実体経済と捉えると反対の資産市場の方面で、外国為替(通貨価値:貨幣の対外的な交換比率)も併せた金融市場の一つに数えられる。
僕は普段から投資と縁がないし、良く分からないので、この際、改めて復習しておきたい。貧乏だから生活費すらも危うくて無理とはいえ、将来、もしかしたら投資を行わないとはかぎらないから予行学習にもなる。何れにせよ、経済を理解するための知識を得られて嬉しいのは間違いない。
巷でマネーゲームといわれるのは金融市場の取り引きが主体で、株式市場も入っている。それ以外では不動産などの実体経済での過剰な売買が投機的な意味合い(売るために商品が買われている)からマネーゲームといわれたりもする。
たぶん数学者のジョン・フォン・ノイマン…

素晴らしい人がカラオケで槇原敬之のどんなときも。を歌ったら好青年の雰囲気に打って付けだった

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青春期、一度だけ素晴らしい人がカラオケを歌うのを聴いていて選曲が槇原敬之どんなときも。だった記憶があるんだ。驚いたし、余りに相応し過ぎるというか、好青年の雰囲気にとても良く重なっているせいだった。
加えてカラオケは自分の雰囲気に合わせて選曲するのが好ましいと学んだ。実行するのは大変なはずだし、気持ちがいつも周りからどのように受け取られているかの自己分析が欠かせないと考えながら密かに参ったりしたのも覚えている。
僕は皆でカラオケに出かけるのは初めてだったし、何をどうするべきかも定かではなかったので、振り返ってみると本当に新しい発見が多かったんだ。
最も気になるのは素晴らしい人と好青年の雰囲気が槇原敬之のどんなときも。で結び付くのはなぜかだった。率直にいうと何でこんなぴったりなんだと不思議に感じながらカラオケを聴いていたわけで、驚くだけではなくて内心では解き難い謎としてずっと残ってしまっていた。
槇原敬之 - どんなときも。 via Warner Music Japan
槇原敬之のどんなときも。はポジティブな人生の応援歌だ。歌詞で印象深いのは「僕が僕らしくあるために」の一節で、人間の気骨を物凄く感じさせてくれる。我が道を行くけど、ただしユニークなのは理由を的確に説いている。日本の歌謡曲ではありがちな趣向かも知れないけど、槇原敬之ならではのイメージの所以はラブソングではなかったんだ。どんなときも。は飽くまでも人生の応援歌と捉えるとポジティブな要因が恋人との約束だから二人だけの秘密みたいに閉じられなかったところが際立っている。一言では「夢」が重くて自分自身の全てを含んでいるのが良いと思う。頑張るとは何かがまるで文学作品のように伝わるし、人間の気骨によって本当に知るために経験されるべき月日そのものが集約的に表現されている。畢竟、目標実現に努力した結果が納得できさえすれば失敗しても構わないというと槇原敬之のキャラクターだろう。どんなときも。は世の中で弱者への慈愛に満ちた優しさがはっきり示されているから代表曲に他ならないと考える。
生活上、誰でも助けるみたいな懐の深い思いが好青年の雰囲気を呼ぶとすると槇原敬之のどんなときも。には認められるし、カラオケで歌ったらとても良く重なっていたとかぴったりなんて気持ちが本当ならば素晴らしい人にもあったためだと改めて想像されて来て胸に染みる。
思い出を挙…

久保田早紀は異邦人しか売れずに五年で本名の久米小百合に戻ってキリスト教の音楽宣教師として歌い直していた

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今聴いても本当に素晴らしいと思う日本の古い歌謡曲の一つに久保田早紀異邦人が挙げられる。発売日が1979年10月1日だから四半世紀を軽く過ぎた。思い出すと児童期にテレビから良く流れていて気を引かれたし、耳に残った。歌詞の冒頭が「子供たち」なのが身近だったせいかも知れない。改めて調べると副題がシルクロードのテーマと付けられていたけれども中近東アジアの異国情緒の溢れる音作りが特徴的だったのは確かに覚えている。ユーラシア大陸の東西へわたって幾つもの国や地域を越えながら長い旅路に就くという感じが幼心にも先々の人生に重ね合わされたのが懐かしい。
Caravan proceeding in the desert of Dunhuang by Immanuel Giel (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
残念というか、こんな良い曲を作るならば他にももっと久保田早紀の歌を聴きたいと思ったのに待ち構えながら何もなかったようで、寂しかった。
まさか異邦人しか売れなくて本人はシンガーソングライターとして曲作りに全面的に頑張ったけれども鳴かず、飛ばずの五年間を経て芸能界を引退していたらしい。
当時、日本の音楽界で新たな人気を博していたフォークソングやニューミュージュクをやりたいと考えていたようで、久保田早紀は取り分け荒井由実(松任谷由実)に憧れながら大学時代にレコード会社に自作曲の録音テープを送ったら運好く採用されて二年後にCBSソニー(ソニーミュージックエンターテイメント)のオーディションを経て異邦人でデビューしていたんだ。三洋電機のCMの楽曲が求められていてディレクターの酒井政利が久保田早紀を相応しく見付け出した。楽曲の原題は白い朝だったのが変更されたり、アレンジも実力者の荻田光雄が起用されてシルクロードをコンセプトにエキゾチックな仕上がりが取られたりしながらプロデュースに相当に拘泥って売り出されるに至った。当たり前といえば当たり前かも知れないけれども作詞作曲の久保田早紀はピンと来なくて異邦人はむしろ駄目だろうと期待してなかったともいわれる。ところが百万枚以上のビッグセールスを記録して巷で聴かれない日はないほどの人気曲になってしまった。二十代前半で仰天しながら過ごさざるを得なかったというのが実情らしい。歌手はたとえデビューしても…

水野真紀がカルロス・トシキのファンなのは純然な幸せのイメージが分かるせいだと考える

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爆報!THEフライデー水野真紀が出演していてカルロス・トシキのファンだと夢中になって話していた。かつてボーカルを務めたバンドの1986オメガトライブの大ヒット曲だった君は1000%を口遊んだりしながら如何にも憧れているらしい様子が微笑ましかった。現在は歌手を辞めて日本から本国のブラジルに帰って農業の会社で働きながら種の品種改良を手がけていて最も偉大なニンニクのスペシャリストの一人と呼ばれるくらい素晴らしい業績を上げているのを教えてくれた。気になってブログを観に行くと1986オメガトライブの完全版ボックスとか「カルロス・トシキにハマった乙女」(今夜「暴報!THEフライデー」)なんて載っていたから相当に本気だと感じてしまった。
君は1000%/1986OMEGATRIBE via vap official
僕もカルロス・トシキを良く知っていた。元々は杉山清貴&オメガトライブふたりの夏物語 -NEVER ENDING SUMMER-などで大人気だった。海を感じさせる作風でヒット曲を連発していたけれども暫くするとボーカルの杉山清貴が抜けたらしくて代わりにカルロス・トシキが入って1986オメガトライブに変わった。杉山清隆が爽やかな歌声だったのとは又別に甘やかな歌声なのをちょっと驚きつつも作風は同じように海を感じさせる仕上がりで、取り分け君は1000%が印象深かった。さらにカルロス・トシキ&オメガトライブに変わってアクアマリンのままでいてが再び爆発的にヒットしたのを覚えている。
当時、大して気に留めてなかったし、世の中の流行歌として聴いていただけだった。
ところが三十代前半に作詩していてアクアマリンが完成した時点でカルロス・トシキの歌が思い浮かんで来た。君は1000%やアクアマリンのままでいてなどは情感が被っているのではないか。僕は詩人として永遠を歌っているから永遠から捉えた1000%やアクアマリンという言葉遣いに通じ合う部分が受け取られるので、カルロス・トシキの歌はとても素敵だったと改めて認めるに至ったんだ。
簡単にいうと青春期を振り返った夢の世界が永遠の詩と似通っていて例えばファッションブランドのForever 21もそうだけれどもカルロス・トシキの歌は懐かしくも今正に手に入れたままに止めておきたくなる新しい真実を打ち出しているようだ。
僕にとってアクアマリンは重要な作品で、昔の…

ブログに人気の投稿の表示を増やして訪問者と検索エンジンを一挙に引き付けるべきだ

昨日はブログのアクセスが一日百五十人にも満たなかった。何とかしなくてはどうにもならない。ブログのアクセスが一日百五十人を越えた頃から気がかりだった平均ページの滞在時間を上げるように記事ページの下段の人気の投稿の表示を二つ増やして五つに変更してみた。
人気サイトでは全てのページに人気や関連の投稿を多めに表示するのが主流だけど、しかし反対に表示速度/ページのダウンロード時間が遅くなるのも不味いのではないかと少なめに控えている。
初めての訪問者に印象が薄いとしたら逆効果だし、ブログ内の回遊率が上がらないわけで、平均ページの滞在時間は下がるしかないだろう。
ブログのアクセスが一日百五十人を越えた頃から一分を下回っていて追い詰められている。二分前後が人気サイトの傾向らしい。だから一分以下ではアクセスアップで成長する期待感を失わざるを得なくなる。
以前は一分ちょっとだったので、どうなるかと注目していたけど、検索エンジンから来る人が増えるに連れてキーワードで記事の本文しか興味がないというパターンに囚われているようなんだ。ブログ内の他のページに引き止めないと訪問者への印象が薄くて二度と来ない可能性が高い。
アクセスが継続して伸びないのに加えて直帰率が上がったり、平均ページの滞在時間が下がったりするとGoogleにも嫌われ兼ねなくて検索エンジンから来る人が改めて減らされそうだ。
些細の日常の前身のSuper Leakには関連の投稿を付けていて平均ページの滞在時間が一分ちょっとで推移している。移転した現在の些細の日常が一分以下では頂けない。ブログの内容は殆ど全く変わらないので、デザインの影響こそ大きいに違いないと推測される。
どちらかというと人気の投稿よりも関連の投稿を出したい。検索エンジンからの訪問者はキーワードに著しく興味を抱いているので、雑記ブログで無関係の記事を出してもすんなり注目されないはずだ。残念なのは使っているBloggerには人気の投稿の機能しか備わってない。関連の投稿を出したければ他のWebサービスを導入する方法があるけど――Milliard関連ページプラグインが日本製で便利だし、サイト広告のGoogleアドセンスもアクセスが多いとか一定の条件を満たすと関連コンテンツ機能を設定できるらしい――ただしソースコードにJavascriptを追加しなくてはならない。ブログの表示速度が余計…

ナサニエル・タウンスレーのドラムの演奏には飛んでもない集中力が漲っている

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Nathaniel Townsley Live at Triple Colossal Studios Part 2 via GMSDRUMSTV
ドラムはリズムを取るための楽器だし、たとえメロディーを奏でるように演奏しても音の強弱のみで高低まではさほど細かく変わらないものだと思っていたら完全に覆された。
物の見事に歌っているというか、もはや一つの世界を明らかに築き上げるほどのドラムの演奏は可能だったんだと気付かされて感動した。
ナサニエル・タウンスレーというアメリカのドラマーなんだ。数年前にModern Drummer Festival Weekend 2003のドラム演奏を観て初めて凄いと知った。微笑みながら背筋をピンと伸ばして正しく力強くも安定感のある素晴らしい音楽性に富み捲った正確無比な並外れたパフォーマンスを披露していたのが印象的だった。先ずは猛烈な速度の連打が何よりも目を瞠るけれども引き込まれて行くと次第に強弱と高低の組み合わせから成る個性的としか呼べない音作りの無限大の広がりが比類なく受け留められた。演奏そのものが千手観音さながらの畏怖を覚えるし、ステックを持つ手とペタルを踏む足が縦横無尽にドラムセットを鳴らし続けるんだ、何がどこから飛び出して来るのかも把握できないほどの魔術的な様相を呈している。名人芸とすると如何にも常人離れしているらしい。総じて飛んでもない集中力で実現されているドラム演奏ではないかと賛嘆しながらナサニエル・タウンスレーには人生を学びたい気持ちにもさせられる。
人間が望みを成し遂げるためには自己表現に漲る集中力こそ第一条件と考えて良いはずだからどんな分野でも教えて貰えるような世界に圧倒的なまでに触れられるのは有り難い。
ナサニエル・タウンスレーの生得の才能は父親の教会で年少時と途上ではなくて故郷へ帰る、この日に至るまで明らかだった、現今、世界で最も有能なドラマーの一人と考えられるが、ナサニエルの才能は音楽の本当の革新者の一人、ウェザーリポートのジョー・ザヴィヌルによって認められており、ジョーが亡くなるまでの年月を共に彼は演奏していた。ザヴィヌルのドラムの席を占めている人は純然のドラマーのドラマーと考えられてナサニエルの素敵な技巧、音楽性、そして信じられない感覚がザヴィヌルの目論見に完全に適合していた。
Nathaniel Townsley via…

貧乏暇なしだから人生はゆっくり続けながら日々を疲れ切るまでは頑張るなよ

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ブログの記事の作成に気乗りしない。昨日のアクセスが一日百五十人ちょっとで、今日はもっと酷い。朝から二十人以下だった。何ヵ月前に逆戻りなのか。一日百人も危ないのでは完全に急落だろう。
開設して一年を過ぎてまだ藻掻き苦しんでいる。成長する見込みがなさ過ぎて、愈々、馬鹿らしくなって来たようだ。サイト広告で生活費を稼ぐなんて膨大なアクセスを得ようとかやっぱり無理だと思う。
しかしやる。終わりではない。ブロガーの存在感を強く示せば人気を増すかも知れないと考え直したし、記事の作成に新しく挑まなくてはならない。
Highland cattle by RonBerg [CC0], via Pixabay
精神が四散しているというか、疲れ切って集中力を欠いているから暫くはゆっくり続けるしかない。本当は休むべきかも知れないにせよ、ゆっくり続けながら日々を疲れ切るまでは頑張らずに少しずつ持ち直して行くのも一つの方法だろう。アクセスアップに記事を増やすのも大事だし、集中力を保って休まずにできると相当に効率的だ。
または夢が叶えば幾らでも休める。古い記事に検索エンジンからどばどば人が来るようになるわけで、一日や二日くらい空けて痛くも痒くもないんだ。想像すると嬉しさの余り、反対にやる気が漲って、全然、休まないかも知れない。だからもはやアクセスアップが止まらないみたいに尚一層と捗るとすると人生は抜け道がなくて本当に厳しいと認める。
誰がいい出したのか、貧乏暇なしが金言だろう。不幸では頑張っても頑張っても辛い。幸せでは頑張れば頑張るほどに快い。どうすれば入れ替わってくれるのか。歯痒いばかりの人生、何ともならない毎日にいつ斃るとも知れない。
神よ。奇跡を起こし給え。今直ぐに百万人の訪問者が欲しい。駄目だと瞬く間に気落ちして何一つ聞き入れられない状態を見守られる安らぎこそ大事にするべきなんだろう、結局。叶わないから良い夢もあるというわけで、不幸の最中に知る神が世界で最も有り難いようだ。悲しくて笑う。
現状、出口の見えない生活ならば敢えて蔓延ってやろう。お先、真っ暗が何だ。死んだ未来なんか求めても果たして気持ち悪いだけではないか。もう苦しみながら生きれば良い。他にはないんだ。絶望する以外に残された道はなかった、勇んで気付いてみれば。死にはしないだけに大丈夫なかぎり、自分自分の全てを蔓延らせながら雑草の畑に共感できるの…