タイの菩薩像の眼差しの心洗われる美しさにマインドフルネスの到達点を覚える

タイの菩薩像の伏し目の顔

ブログでマインドフルネスを取り上げて引用する仏像の写真を探していたらタイの仏像の一枚が印象深かった。宝冠を戴いているからきっと修業の身としての菩薩だろう。何よりも眼差しに心洗われる美しさを湛えるほどの表情を見せていたのが息を呑ませた。


日本の仏像の造形よりもほっそりしているようで、慈しみの代わりに清らかさを多く受け取る。仏教の捉え方は国や地域によって千差万別だと思うし、信じる人たちの気持ちを反映して仏像の造形も逐一と変わるはずけれどもタイの趣向は本当に素晴らしい。


かねて写真家のジェス・フォアミで「透き通った世界の清らかさ」を知っていたんだ。タイの国柄と結び付いていると想像された真実が今やマインドフルネスの依拠する仏教的な瞑想の在り方と重なり合って一際と鮮やかに認められる。念、または気付きへの研ぎ澄まされた内面が重宝されているのではないか。


タイの仏像ならば全て同じではないにせよ、気に入ったタイの菩薩像の眼差しの心洗われる美しさにかぎっては高貴としか瞬く間にいえない。


御仏の有り難みが本当に良く分かるし、涙ながらに拝みたいばかりの風貌なんだ。


マインドフルネスは感じるままに生きる存在を得るための瞑想だから真っ先に受け取るというか、上手く行ったと認める到達点は何よりも清らかさに含まれているようで、心が淀みなく安定した状態とは何かをタイの菩薩像の高貴さを通じて計らずも教わってしまう。


望むかぎり、手に入れるべき清らかな世界の判断基準として心洗われる美しさを湛える眼差しを覚えておく他はない、もはや。


タイは仏教が非常に盛んな国で、国民の大半の九割五分近くが仏教徒らしい


ただし日本の伝統的な仏教とは宗派が違うんだ。釈迦が紀元前450年頃の古代インドで悟りを開いて始まった仏陀(目覚めた人)としての教えが主にアジアの各地へ広まる大本の源流から袂を分けている。


仏教が現代まで伝来した二つの源流


  • 上座部仏教(南伝仏教):スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなど
  • 大乗仏教(北伝仏教):チベット、ベトナム、日本など

最も明白な特徴として上座部仏教は修業が、大乗仏教では説法が重視されるらしい。前者は信者の全てが僧侶に近くて後者は僧侶とそれ以外の信者は遠い。日本だと大乗仏教が多くて末端の信者ならば僧侶の説法を受け取るだけでも教義が成り立っていたりする。タイだと上座部仏教が多くて僧侶を含めて個々の信者の修業によって教義が基本的に成り立っている。教団において僧侶とそれ以外の信者に立場上の格付けができ易いかどうかに著しい差があると考える。


オレンジの僧衣を着て瞑想するタイ人の仏教徒たち

タイでは仏教徒の男性の殆どが一時的でも寺院へ出家するんだ。上座部仏教だから信仰には修業が是非とも必要とされるので、国で奨励されるほどの常識になっている。出家した経験のない男性は一人前のタイ人と見做されないともいわれる。


修業でも取り分け瞑想が大事らしい。するとやはりマインドフルネスに近付く。仏教の瞑想に由来して欧米で生み出された生活改善の方法だし、タイの仏教徒の修業は本家といって良い。国に根差して伝統的に行われている瞑想だけに真実味が強いし、一つの経験として昔から長らく慣れ親しまれた清らかさが仏像に明らかに表現されるのも当たり前だったと頷かれる。


心洗われる美しさを湛える眼差しから極彩色の楽園を想像するし、花が咲いて鳥が飛んでいると詩的な感動が湧き上がりもする。


実生活でマインドフルネスをやるならば清らかさこそ到達点と覚えながら気に入ったタイの菩薩像の表情に込められた世界を目指したいと憧れる。

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