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ジャン=ミシェル・バスキアの無題(1982)という約百二十三億円で前澤友作が購入した大変な衝撃の絵

百万円を目当てに嬉々と応募した月に行くならお年玉のブレゼントは外れたけれども企画者の前澤友作のTwitterのヘッダー画像を見た瞬間に大変な衝撃を受けてもいた。

当初、誰が描いたかも、全然、分からなくて世の中に凄い絵があると出会ったのを驚くだけだった。ところが心に引っかかったまま、何日もあれは、一体、何だったのかと魅せられてしまわずにはいなかった。

調べてみたらジャン=ミシェル・バスキアという二十世紀のアメリカの画家の1982年の無題の作品だった

2017年に前澤友作がサザビーズのコンテンポラリーアートイブニングオークション(The Battle for Basquiat/バスキアの競争)から約百二十三億円で落札して購入したという現代絵画の傑作中の傑作の一枚だったらしい。

以前、ニュースで聞いていた記憶が少しある。前澤友作が何かのオークションで高額の作品を購入したとたぶんマスコミのテレビが伝えているのを覚えた。ジャン=ミシェル・バスキアに関連して良く知ると前澤友作は起業家:ファッションのネット通販のZOZOTOWNの社長と共に美術品の収集家/アートコレクターをやって――俳優のレオナルド・ディカプリオもそうだけれども互いに親交を持っているというのがびっくりする大富豪同士の繋がり(ZOZO前澤社長が62億円でバスキアを落札したらディカプリオの自宅に招かれた話)だ――他にブルース・ナウマンアレクサンダー・カルダーリチャード・プリンスジェフ・クーンズなどの現代絵画を種々と購入している。2012年に現代美術振興財団を設立して会長として若手アーティストを支援して芸術の方面へも力を入れているけど、さらに地元の千葉県に個人のコレクションを展示する美術館を建設する予定もあるんだ。前澤友作が格別に気に入って作品を欲しがる画家の一人がジャン=ミシェル・バスキアで、2016年に無題(1982)を約六十二億四千万円で購入した(「僕がバスキアの絵を62.4億円で買った理由」ZOZOTOWN前澤友作)のに次いで無題(1982)を手に入れた。

「Untitled」は、ジャン=ミシェル・バスキアにより1982年に制作された象徴的なキャンバス作品だ。数週間前にサザビーズにて一般公開されるまで、「Untitled」の存在はほぼ知られておらず、前のオーナーに1984年におし19,000ドルで落札されて以来、その前オーナーの個人コレクションに所蔵されていたというヒストリーを持つ。

ジャン=ミシェル・バスキアのマスターピース「Untitled」が高額で落札 via OCTANE

非常に興味深いのは世間的に殆ど未知の作品としてサザビーズのオークションに出品されたらしい。だから会場には初めて見た人ばかりで、前澤友作もジャン=ミシェル・バスキアを格別に気に入って普通よりも詳しいはずが全く知らなかったわけだ。作品の出来映えがそれまでとは比較にならないか圧倒的に優れていると証明するようにオークションでは彼の絵にしてはいつもの二倍くらいの約百二十三億円という歴史的な値段で落札されるに至った。

ジャン=ミシェル・バスキアの1982年の顔が一つだけ描かれた無題の絵

ジャン=ミシェル・バスキアの絵として最高額を記録して現代絵画で百億円以上で売れるというと画家自身は二十世紀の天才のパブロ・ピカソや巨匠のフランス・ベーコンに比肩されるような数少ない真のトップアーティストだろう。

バスキア落札しました。アートを好きになってよかった。このペインティングをはじめて見た時、心からそう思いました。みなさんにも見てもらえる機会を作れたらいいなと思っています。バスキアありがとう!

一見して僕が心を奪われて忘れ難いほどに引き付けられてしまうのは無骨で巨大な顔付きの威圧的な様子もさることながら色彩の驚異的な魅力を挙げなくてはならないと思う。画家として敬愛するヴィンセント・ヴァン・ゴッホを彷彿とさせるところがあってまるで言葉のように考えさせられるし、気持ちが素晴らしく込められているのが今此処の命の輝きとして美しい。心に語りかける宝石の色使いがジャン=ミシェル・バスキアの画家としての自己表現には認められる。または生きた絵を描く芸術家に他ならないと感じるんだ。

無題(1982)の色彩で取り分け嬉しいのは青と黒の組み合わせで、爽快さと厳重さを味わわせながら果てしなく透き通る優しさを覚える。胸打たれる衝撃も正しく甚だしい。そうして一つの人間性を超越するために構図もモチーフの顔の輪郭を野太いまでに誇張されているのかも知れない。手放したくない青、純粋な心を守り通したい黒、強固な意思を示していると見る。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホに匹敵する青と黒の扱いを認めて――前者はガシェ医師の肖像の瞳の色とか後者は烏のいる麦畑の烏の色なんて思い当たらる――これはもはや他のどんな画家にも無理だと思っていたから無題(1982)を描いたジャン=ミシェル・バスキアに等しく受け取るのは新発見だと個人的に微笑む。

感じて果てしなく透き通るけれども優しさそのものとの紛れもない出会いにおいて見て行くとさらに赤や黄や白が熱烈さや気楽さや潔癖さを味わわせ始めたり、あちこち目を向けるほどに塗りたくられた多くの色彩がどんどん細かく味わわれるようになるから本当に尽きない魅力の宝庫だと称えたい。

しかしながらジャン=ミシェル・バスキアはどうして無題(1982)という大変な衝撃の絵を描けたのか

表現の仕方から分かるのは何よりも爽快な青と厳重な黒のイメージだし、示される気持ちは優しさの一言に尽きる。画家が持たなければ絵にも出て来ないはずだからジャン=ミシェル・バスキアの性格の飛んでもない良さが無題(1982)を実現していると考える。ただし誰でも同じではないだろう。性格が絵に出るかどうかかは却って表現の仕方に制限されずにいない。

ジャン=ミシェル・バスキアの全身の正面向きの自画像

芸術上、センスが真っ先に問われる。ジャン=ミシェル・バスキアの場合は上手く行って実際に本人と対面してもそうかも知れないくらいリアルに全てが具現化されていて大変な衝撃を与える水準まで絵を描けたと深く感心させられる。

ホームページでは彼が口にした画家としての他でもない意気込みを受け取る素晴らしい言葉を見付けた。

信じられないかも知れないが、私は本当に絵を描くことができる。

ジャン=ミシェル・バスキア via Jean-Michel Basquiat(訳出)

いい回しが珍妙で、ちょっと分かり難いけれども意味合いはすこぶる面白いと思う。すなわちどんな絵でも自分には画家として可能なのを伝えているゆえだ。信じられない絵でも描くのは現実に大丈夫だし、あるいは絵でなくても構わないくらい/予想外なまでに斬新な絵を描けるような自分がいるとジャン=ミシェル・バスキアは捉えていたのではないか。信念として本人の内面に置き換えるともう本当に生きることが描くことだし、かりに一人の人間ならば画家でしか生きられないはずの宿命的な響きがして思い至らされる唯一無二の人生にも涙を禁じ得ない。

絵を描いて行きたい本音の中に世界のありとあらゆる物事が含まれるからどんな場合でも生きる自分は画家なんだと彼自身は考えていたと僕は考える。

知って尊敬しないわけには行かない。見習う、肖る、学び取る、ジャン=ミシェル・バスキアの画家の人生に幸福への真実を。些細な日常ならば自分らしさこそ自然のままの存在をどう確立できるかが大切だろう。彼が画家でしか生きられないように作家・詩人・ブロガーの僕も一人の人間として人生への固有の意気込みを高める暮らしを理想的に求めるべきだ。

自由を満喫する経験にも繋がるし、ジャン=ミシェル・バスキアの無題(1982)の全体から立ち上る雰囲気は正しく自分以外の何物にも囚われない壮大な世界の喜びだろう。目の前にして瞬く間に勇気を送り込まれる、胸のうちへ。北国で鷲が空を悠然と逞しく羽搏くようにどこまでも広がって行くという雄々しい力強さが悲しみに負けない自分に気付かせてくれるし、自由こそ高らかに味わわせるんだ。

総じて幸福を呼び込むに相応しい真実があるから幾ら見ても飽きないジャン=ミシェル・バスキアの無題(1982)と出会えた今此処の気持ちは有り難いばかりの現世最大の楽園とも過言ではない。

参考:ゾゾ前澤社長、123億円でバスキア買った理由 スタートトゥデイ前澤代表が123億円で落札したバスキア作品を一般公開 Basquiat: Though the Eyes of a Friend Beyond the $110 Million Basquiat: Yusaku Maezawa Redefines the Megacollector How a One-Painting Show Lets You Get Inside the Brilliant Young Basquiat’s Head Who Is Basquiat Buyer Yusaku Maezawa?

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