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アニタ・ベイカー|ソウルシンガー

アニタ・ベイカー/Anita Baker。1958年1月26日生まれ。アメリカのオハイオ州トリードの出身。R&B、ソウルを歌う。

ピアノに凭れてマイクを持つアニタ・ベイカー
Anita Baker performs at the 17th Annual Salute to Freedom aboard the Intrepid Sea, Air & Space Museum by MC2 Erica R. Gardner, USN [Public domain], via Wikimedia Commons

二歳で母親に捨てられ、ミシガン州デトロイトの里親に育てられた。サラ・ヴォーンナンシー・ウィルソンエラ・フィッツジェラルドといった女性のジャズシンガーを聴きながら成長した。十二歳で里親が亡くなるとその実子の姉に成人まで育てられるようになる。

ゴスペルの合唱団で歌い始めた頃だったけれども十六歳の頃には幾つかのバンドに参加したり、地元のナイトクラブでR&Bを歌うように変わった。するとファンクバンドのチャプター8――デトロイト州で一番の人気を集めた――のデイヴィット・ワシントンが見付けてオーディションへ誘ったんだ。やってみると受かってチャプター8のリードヴォーカルとして参加して巡業に加わったり、注目される中での音楽活動の大きな一歩を踏み出した。

1979年にアリオラレコードと契約してチャプター8はアルバムのChapter 8を引っ提げてバンドデビューを果たす。シングルのI Just Wanna Be Your GirlReady for Your LoveDon't You Like Itと立て続けにヒット曲を出した。バンドは順風満帆のスタートを切ったけど、ところがアニタ・ベイカーに不幸が襲いかかるのは同年にアリオラレコードがアリスタレコードを買収するや否やスターの素質がないとクビにされてしまう。故郷のデトロイト州へ帰って喫茶店のウェイトレスで日銭を稼ぎ、次いで法律事務所の受付という益しな定職を何とか見付けた時点では歌手で生活するのはあり得ない感じになった。

しかしアリオラレコードの仲間だったオーティス・スミスが自身の音楽レーベルのビヴァリー・グレン・ミュージックを立ち上げる際、1982年、ソロでの再デビューの声がかかった。翌年にファーストアルバムのThe Songstressを発表してシングルも立て続けにヒットして以前と変わらない人気振りどころかAngelでは遥かに上回りさえもするほどの成功を収めた。

他方、売れても印税が貰えない契約とか次のアルバムの制作か遅れて何もできないなんて悲しみからアニタ・ベイカーはレコード会社を変えようとした。オーティス・スミスは拒絶して法廷闘争に巻き込まれるけれども無事に退けられると晴れてエレクトロレコードから音楽活動を気持ち良く再開できた。

自由にやらせてくれるレコード会社で、これも前回とは違う、アニタ・ベイカーは昔のチャプター8のメンバーのマイケル・J・パウエルとの制作を望んだ。レコード会社の幹部はさほど知られない音楽家だからもうちょっと実積がある人を選んで欲しかったらしい。

しかしアニタ・ベイカーは1986年にセカンドアルバムのRaptureを気に入りのマイケル・J・パウエルのプロデュースで出すと驚くべき凄まじい売り上げを記録することになり、押しも押されぬトップスターの地位を固めるに至ったんだ。

1970年代の中盤からアメリカでクワイエットストーム(静寂の嵐)という黒人音楽の新たなジャンルが現れ始めてリズムとテンポがゆったりしたジャジーなR&B/スムーズでロマンチックなソウルという感じの曲調を持つのが一つの特徴だけれどもそれにぴったり嵌まって代表的な歌手と見做されたのがアニタ・ベイカーだった。

WHURのラジオ番組でDJのメルヴィン・リンゼイが大学の友達と夜間にイージーリスニングに近い黒人音楽を流していたのがクワイエットストームの大本とされる。最初は誰かの代役でやっていたものの聴取者に好評だったから別枠のレギュラーに変わってスモーキー・ロビンソンQuiet Storm(アルバムのA Quiet Stormに収録の表題作)から番組名を取って番組のテーマソングとしても捉えられた。メルヴィン・リンゼイは「beautiful black music」(美しい黒人音楽)と呼んで同じような曲調のものを選んで流していた。何よりも都市のアフリカ系アメリカ人の富裕層に受けたけれどもラジオ局にとっても聴取者の少ない深夜帯の穴埋めの番組作りに好まれた。いつしか全国のラジオ局でクワイエットストームのやり方が追従されて人々に知れ渡り、四十年が過ぎた今現在でも一部のラジオ局では続けられているようだ。

アニタ・ベイカーの活躍はアメリカでクワイエットストームが人々へ広まって行く時期に重なっている。ソロのセカンドアルバムのRaptureからはWatch Your StepSweet LoveCaught Up in the RaptureSame Ole Love (365 Days a Year)No One in the Worldの五つのシングルが発売されて何れもクワイエットストームの楽曲として大ヒットしている。歌声の魅力もさることながら人々が強く求めたそうした音楽への時代の申し子とも過言ではない。

大人の雰囲気を持つ世界観があってジャンルとしては落ち着いた魅力のコンテンポラリーミュージックという要素からたぶん黒人だけではなく、白人にも良く受けるのかも知れない。必ずしもポップ寄りではなくてR&Bの面はしっかり残っていると感じるけれども乗りが穏やかに打ち消される分だけコテコテの黒人音楽にはならなくて誰でも取り付き易くて無理なく聴ける仕上がりなのがユニークだ。

以降、十八番というか、アニタ・ベイカーはクワイエットストームの核心を突いたようなスローからミディアムのテンポの人気曲が増えるし、歌手としての明確な方向性が示された音楽活動を行っていいるようだ。

代表曲はSweet Love(1986)やGiving You the Best That I Got(1988)やTalk to Me(1990)やBody and Soul(1994)やI Apologize(1994)などがある。

強く、細やかなアルトがソウルのクワイエットストームを正しく定義付けて売り上げと賞の強い成功を遂げた。

原文

Strong, sensual alto who virtually defined soul's quiet storm and achieved strong success with sales and awards.

アニタ・ベイカーはバラードの持ち歌が特徴的で、取り分けクワイエットストームのソウルシンガーとして大きな活躍を見せた。懐が深い、または全てを包み込むような優しさがなくては出せない声ではないか。優れたソウルシンガーならば当たり前かも知れないけれども楽曲と相俟って染々と胸に響くのが他でもなく、やはり随一だ。

1987年の第二十九回グラミー賞でアルバムのRaptureが最優秀R&B女性ヴォーカルパフォーマンス賞、楽曲のSweet Loveが最優秀R&B楽曲賞、1991年の第三十三回グラミー賞でアルバムのCompositionsが最優秀R&B女性ヴォーカルパフォーマンス賞、1996年の第三十八回グラミー賞で楽曲のI Apologizeが最優秀R&B女性ヴォーカルパフォーマンス賞を受賞するなど、十八回のノミネートと八回の受賞を数える。

ジェームズタウンのShe Got Soulの二十二人の正真正銘の黒人女性ソウルシンガー

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