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ニーナ・シモン|ジャズシンガー

ニーナ・シモン/Nina Simone。1933年の2月21日生まれ。アメリカのノースカロライナ州トライオンの出身。R&B、ジャズ、ブリーズ、ソウル、ポップ、ゴスペルを歌う。

椅子に座って微笑みを浮かべるニーナ・シモン

八人の兄弟姉妹の六番目で、貧しい家庭ながら三歳頃からピアノを弾き始め、数年後には母親が牧師を務める地方教会の日曜礼拝で演奏を披露していた。

生活費のために母親がやっていた家政婦の雇い主がニーナ・シモンのピアノを聴くと感銘を受けて給料を余分に出してくれたために幸運にも五歳からミス・マジー(ミュリエル・マザノーヴィック)のピアノのレッスンを受けることができた。そしてクラシックのバッハベートーヴェンブラームスショパンシューベルトの作品から学んだ。

他にも寄付に賛同する人が現れて「ユーニス・ウェイモン基金」(ユーニス・ウェイモンはニーナ・シモンの本名)か作られて貧しい家庭でも着実にピアノの教育が受けられる状況が整えられた。

十二歳のときに初めてピアノの発表会が開かれたけど、子供を良く観ようと会場の前列に陣取っていた両親が白人のために後ろへ下がらないと演奏させて貰えないという黒人差別に出会した。会場は白人しかいないのに敢えてやって来た両親は後ろへ下がってニーナ・シモンは無事にピアノを弾かせて貰えたけど、この悲しい出来事が後の人生に大きな影を落として音楽と政治の反抗的な表現に繋がる発端になったらしい。

人々の厚意の「ユーニス・ウェイモン基金」で高校を卒業すると黒人で史上初のクラシックのピアニストになりたいという彼女のためにミス・マジーがニューヨーク州ニューヨークのジュリアード音楽院の夏期講習の奨学金を取ってくれた。ウィーンフィルハーモニー管弦楽団との共演実績もあって優秀なピアニストのカール・フリードベルクの授業に参加することができた。

次いで進路をどうするかで、母親と二人の一対一の授業体勢と全奨学金の支払いを保証するというカーティス音楽学校がカペンシルヴァニア州フィラデルフィアにあり、そこは母親と二人の下の身内も引っ越していたから入学を希望したんだ。出願して入学試験を受ける予定で準備していたけれども数日後に除外されてしまってニーナ・シモンは行き場を失い、悲嘆に暮れる他はなくなった。

通常、あり得ない出来事で、黒人差別に基づくと推測されて本人も相当に悔しんだわけだった。それでも音楽活動によって大成した結果か、2003年にカーティス音楽学校は名誉学位を授与している。

しかしピアニストとして実力が不足するためかも知れず、再度、カーティス音楽学校への入学を求めた。一人で頑張るつもりだったけれども身内の応援もあり、カーティス音楽学校で教授をやっていたピアニストのウラディーミル・ソコロフの個人授業を有料で取って精進しようとした。

ニーナ・シモンは自宅でピアノ教室を開いて学費を稼いでピアノの勉強に一生懸命に励んだ。ところが、三年、続けてもどうにもならなかったらしい。偶々、自分のピアノの生徒たちから夏の間にニュージャージー州アトランティックシティーのホテルのラウンジでピアノを弾いて一週間に90ドルを稼ぐと聞かされた。今の状況と比べて二倍の収入になるし、客が気に入ってチップをくれればもっと儲かると考えるとやってみずにはいられなかったのがまさかスターへの扉を開いた瞬間だった。

紹介業者へ連絡してミッドタウンバー&グリルで夏の間だけ働けるようになったけど、ただし母親に見付かると良くなかった。クラシックのピアニストを目指しているのとは、全然、違って酒場で演奏するのは「地獄の火」に焼かれるのと変わらず、もはや聴くのは「悪魔の音楽」に他ならなかった。このとき、身元を隠すために本名のユニース・ウェイモンの代わりに使われ始めたのが芸名のニーナ・シモンだったんだ。名前のニーナは昔の恋人のチコからの愛称を使い、名字のシモンは、当時、映画のCasque d'Or肉体の冠を観て憧れの俳優だったフランスのシモーヌ・シニョレの名前から取った。

初日にクラシックの聖歌やゴスペルのピアノを弾いて、午後九時から午前四時まで七時間を休みなく、店のオーナーはとても喜んだけれども物足りなかったらしく、明日から歌も歌うかさもなければ仕事はないと伝えるとニーナ・シモンは後者よりも前者を選んで歌手の道へ進み出した。

ミッドタウンが&グリルでの人気は飛び抜けていてニーナ・シモンがやって来る夏の間は人集りが絶えなかった。身形もいつも正装して好感を与えていたけど、音楽上、本人にとってはクラシックだけではなくてジャズやブルースやソウルやフォークといった多くのジャンルを取り込んだのが歌手として斬新な個性を築き上げるのに役立ったようだ。

三年が過ぎた1957年にキングレコードの設立者のシド・ネイサンの目に留まり、ジャズの子会社のベツレヘムレコードからデビューすることができた。

ニーナ・シモンは自分が好きな曲をやらせて欲しいと主張して以前からビリー・ホリデイのアルバムで知って友人のために歌っていたI Loves You, Porgyを1958年に発表した。すると大当たりしていきなり全国でスターへ上り詰める成功を遂げてしまった。乗りに乗った中、ファーストアルバムのLittle Girl Blueを出すとやはり大当たりしたけど、ところが印税の契約を結ばずに著作権を三千ドルで譲渡したからニーナ・シモンの収入は変わらなかった。以降、他のレコード会社へ移って音楽活動を続けることになる。

因みにLittle Girl Blueの印税に関して収録曲のMy Baby Just Cares for Meが1980年代にイギリスでシャネル五番という人気の香水のCMに使われた結果、ニーナ・シモンが貰い損ねた金額は百万ドル以上といわれる。

ジャズシンガーとしての個性を世の中に強く印象付けたのは1964年にフィリップスレコードと契約してからで、黒人差別の解放を求める強力な政治的なメッセージを込めた作品が著しく増えて来る。象徴的なのは同年に発表されたMississippi Goddamで、これは前年6月12日のメドガー・エヴァース(黒人解放の指導者)の暗殺事件と前年9月15日の十六番通りバプティスト教会爆破事件(黒人の子供四人が死亡)に基づいて国内の白人の卑劣な黒人差別を忌々しくも真剣に糾弾する内容だった。折しもキング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)の公民権運動の真っ只中の時代で、ニーナ・シモンも参加していて――彼が暗殺された際にはWhy? (The King of Love Is Dead)を歌って追悼したんだ――Mississippi Goddamはアンセムソング(応援歌)として広く受け入れられた。ただし黒人差別の激しいアメリカ南部では放送禁止になるし、全米のラジオ局へ流すように宣伝用のレコードを送ると真っ二つに割られて送り返されたそうだ。

アルバムではNina Simone in Concertというカーネギーホールでのライヴ盤になる。

一時期、住んでいたニューヨーク州マウントヴァーモンの近所に黒人差別の解放の指導者としては非暴力で穏健なキング牧師よりも過激なマルコムXがいて彼のイスラム教に由来する暴力も辞さないブラックナショナリズム(黒人国粋主義)の主張こそ好んで賛同したり、本当に音楽と同じくらい政治に加担する気持ちがあって徹底的に反抗した。

後年、本人は1960年代の後半と1970年代の前半の時期が自分は生きていると実感できたし、皆から必要とされて救うために歌うことができたと振り返って述べている。

Mississippi Goddamが怒りに任せて歌われてアメリカの白人優位の社会から大きく反感を買われたために居辛くなったようだ。1970年代から外国で生活して音楽活動も録音やコンサートで偶に戻る他ほアメリカには帰らなかった。カリブ海のバルバドスを経て西アフリカのリベリア、1980年代はヨーロッパのスウェーデンからオランダへ移り住み、さらに1993年のフランスが終の住処となった。

リベリアで一緒に住んだ娘が母親から虐待されると出て行ったり、気性が荒かったけど、1985年にレコード会社の幹部に印税を盗んだと発砲事件を起こしてから心理疾患の双極性障害の診断を受けた。1995年には近隣住民の笑う子供へ集中力を阻まれたから空気銃を打つというトラブルも起こしている。

実は身近な何人かしか知らなかったけどもニーナ・シモンは1960年代の半ばから薬物治療を行っていたようだ。すると普通よりも力強く、可成のインパクトを与えるメッセージソングが生まれた一因だったかも知れない。病気の躁状態の経験も手伝って個性が尋常ではなく、素敵に伸長した歌手だったのは確かだ。

代表曲はI Loves You, Porgy(オペラのPorgy and Bessポーギーとベスの劇中歌/1959)やMississippi Goddam(元の題名はMississippi *@!!?*@!だ/1964)やDon't Let Me Be Misunderstood(1964)やAin't Got No, I Got Life(1968)やTo Be Young, Gifted and Black(1969)などがある。

特有の声が五十年に亘って折衷主義の比べ得ない水準に達したアフリカ系アメリカ人の真実の歌姫。

原文

An African-American icon and true diva whose distinctive voice brought an unmatched level of eclecticism across five decades.

ニーナ・シモンはジャズシンガーだけれどもクラシック仕込みのピアノの腕前も超一流で、作詩作曲も熟すし、楽曲の音楽性はどれも非常に高いと思う。従来の音楽を総浚いして全く新しい世界を作り出すように自分らしさを自然に打ち出す表現は生き方として綺麗で見習いたくなる。

関連:ジェームズタウンのShe Got Soulの二十二人の正真正銘の黒人女性ソウルシンガー

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