ジェイムズ・ジョイスの痛ましい事件の日本語訳 結城永人 - 2020年11月11日 (水) 十九から二十世紀のアイルランドの作家、小説家で詩人のジェイムズ・ジョイスの小説の痛ましい事件(1914)の日本語訳を行った。一つの文学作品として人間の洞察力に富んだ優れた内容を持つだけではなく、表現も意義深いから外国語の英語の聞き取りと読み取りの教材としても最適だと感じる。 目次ジェイムズ・ジョイスの痛ましい事件の英語の出典ジェイムズ・ジョイスとはどんな作家かジェイムズ・ジョイスの痛ましい事件の日本語の訳文 ジェイムズ・ジョイスの痛ましい事件の英語の出典 James Joyce by Alex Ehrenzweig: Alex Ehrenzweig derivative work: RedAppleJack derivative work: Missionary / Public domain ジェイムズ・ジョイスとはどんな作家か ジェイムズ・ジョイスは、1882年にアイルランドのダブリンで生まれた20世紀を代表する小説家、詩人である。 青年期以降の生涯の大半を国外で過ごしたが、ジョイスのすべての小説の舞台やその主題の多くがアイルランドでの経験を基礎としている。彼の作品世界はダブリンに根差しており、家庭生活や学生時代のできごとや友人(および敵)が反映されている。 ジョイスの代表作は、短編集『ダブリン市民』(1914)、自伝的小説『若き日の芸術家の肖像』(1916)、意識の流れや内的独白といった革新的な言語技法で知られる『ユリシーズ』(1922)、そして無数の言語を重層・混交・癒合させる作品『フィネガンズ・ウェイク』(1939)である。 ジョイスの作品は、意識の流れや神話的方法、音楽的技法、パロディ、造語など、言語の可能性をとことん追求し、実現した。その革新性は、20世紀文学に多大な影響を与えた。 ジョイスの作品は、その難解さゆえに、読者を困惑させることもある。しかし、その奥深い世界観と、言語の可能性を追求した革新性は、20世紀文学の宝である。 作成:Bard A Painful Case by James Joyce/ジェイムズ・ジョイスの痛ましい事件 原文Wikisource(作品集)朗読LibriVox(タイグ) 両方ともパブリックドメイン(著作権なし)だから無料で自由に使って構わない。 関連ページジェイムス・ジョイスの痛ましい事件の原文と注解 ジェイムズ・ジョイスの痛ましい事件の日本語の訳文 Phoenix Park, Dublin from Library of Congress / Public domain ジェイムズ・ダフィー氏は自分が市民権を持つ町のできるだけ遠くに住みたいのとダブリンの他の郊外の全てが意地悪く、現代的で、見栄っ張りだと気付いたためにチャペリゾッドに暮らしていた。地味な家に住んでおり、その窓からは使われなくなった蒸留酒製造所の中やダブリンが築かれた浅い川に沿った上流を眺めることができた。彼の敷物のない部屋の堆い壁に絵はなかった。彼は自身で家具全点を購入していた:黒い鉄のベッド枠組み、鉄の洗面台、四つの籐椅子、洋服掛け、石炭バケツ、炉格子と鉄器、二重の机が置かれた四角い卓。本箱は白木の棚によって凹所に作られていた。ベッドは白い寝具に覆われて黒と緋の絨毯がその足を覆っていた。小さな手鏡が洗面台の上にかかって日中は白い傘のランプが暖炉周りの唯一の装飾品になっていた。白木の棚の本は大きさに応じて上の方へ下から整理されていた。ワーズワースの全品が最下段の棚の片端に立ち、『メイヌースの教理問答』の写し、布のカヴァーに縫い付けられたのが上段の棚の片端に立っていた。文房具がいつも机の上にあった。机の中にはハンプトマンの『ミヒャエル・クラーマー』の手書きの翻訳、紫のインクで書かれたト書きが置かれ、さらに小さな紙の束が真鍮のピンで一つに纏められていた。これらの紙には文章が、時折、記されており、皮肉な瞬間にはバイルビーンズの広告の見出しが最初の紙に糊で貼られた。机の蓋を上げると微かな香――新しいシダー材の鉛筆かゴム糊の瓶かそこに置き忘れたかも知れない熟れ過ぎた林檎の香が漏れ出した。 ダフィー氏は身体や精神の病気の前兆となるどんなものでも酷く嫌った。中世の医師ならば彼を鉛毒と呼んだだろう。彼の顔はその年月の全くの噂を流しながらダブリンの通りの茶色の色合いだった。その長くて相当に大きな頭にはパサパサの黒髪が生えており、黄褐色の口髭はその無愛想な口を覆うには至らなかった。彼の頬骨もその顔に厳つい性格を与えた;ただし目に厳つさはなく、黄褐色の眉毛の下から世の中を見るまま、しょっちゅう気落ちさせられる以外は他人の償いの本能を歓迎することにいつも余念がない人という印象を与えた。彼はその肉体から少し離れて生きていた、自身の行動を疑いの横目で見ながら。奇妙な自伝作家の習慣を持ち、心の中で、時折、自分自身についての短い文章を三人称の主語と過去時制の述語を含めながら作ることに繋がった。施し物を物乞いに贈ることはなかったし、頑丈な榛を携えながらしっかりと歩くのだった。 彼は、長年、バゴット通りの私立銀行の出納係だった。毎朝、市街電車でチャペリゾッドから入った。正午にダン・バークスへ行って昼食――ラガービール一瓶とアロールートビスケット小盆を取った。四時に自由の身となった。彼はジョージズ通りの安い料理店で食事した、そこではダブリンの富裕な青年たちの上流社会から免れたと感じられたし、そこでは品書きに確かで明白な誠実さがあった。夕べは己の女家主のピアノの前か町の郊外をぶら付いて過ごすのだった。モーツァルトの音楽への好みから、時々、歌劇か演奏会へ出向くことがあった:彼の生活の唯一の放蕩なのだった。 彼は仲間も友達もなく、礼拝も信経もなかった。自らの精神生活を他人との交わりなしに過ごした、親族をクリスマスに訪ねたり、彼らが亡くなったときに墓地へ付き添ったりしたけど。彼はこれらの二つの社会的な義務を古い品位のために果たしたが、市民生活を規律する仕来りを越えてまで認めることはなかった。特定の状況では自分の銀行を襲おうと考えてみたが、こんな状況が起きることはなかったようにその生活は平らに転がり出すのだった――何事もない物語。 ある宵、彼はロタンダで二人の女性の横に座っている自分に気付いた。建物は満たす人が疎らで静かで、衰退を苦しく予言していた。彼の隣に座る女性は寂れた建物を、一二回、見回すとそれからいった: 「こんな貧しい建物の今夜は何て哀れなんでしょう! 空っぽのベンチへ歌わなくてはならないのは人には余りにも辛いことです」 彼はその言葉を話すための招きと取った。彼女がさほどぎこちなく思われないのには驚かされた。話しながら彼女を自らの記憶にいつまでも留めようとするのだった。彼女の横の若い女性がその娘だと聞き知ったとき、彼は彼女が自分よりも一歳かそのくらい若いと判断した。彼女の顔は堂々としていたに違いなくて知性的であった。それは強く際立って特徴的な瓜実顔だった。目は非常に濃い青で、揺るぎなかった。視線は反抗的な調子から始まったが、一瞬で感受性の強い気質を露にしながら虹彩への瞳孔のゆっくりとした心酔のような何かで困惑するのだった。瞳孔は再び素早く幅を利かせ、この半ば明かされた本性は用心深さの支配下に又落ちた、するとアストラカンジャケットが確かにゆとりある胸を象りながら反抗的な調子をもっと明確に起こさせた。 彼は彼女とアールスフォールテラスの演奏会で数週間の後に再会した、すると彼女の娘の注意力が逸らされた瞬間に親密になる切欠を掴んだ。彼女は自分の夫を、一二回、仄めかしたが、その口調は警告を仄めかすほどではなかった。彼女の名前はシニコ夫人だった。夫の高祖父はリヴォルノから来ていた。夫はダブリンとオランダを定期的に往復する商船の船長だった;そして彼らは一人の子供を儲けた。 彼女と図らずも三度目に会ったときに彼は思い切って約束してみた。彼女は来た。これが多くの逢瀬の始まりとなった;彼らは宵にいつも会うと最も静かな方面を一緒に歩こうと選んだ。ダフィー氏はしかしながら人目を忍ぶ仕方を嫌悪したし、自分たちがこっそり会わざるを得ないと気付いてからは彼女に家に招待するようにせがんだ。シニコ船長は彼の訪問を奨励した、娘の方が目当てと考えたので。妻は喜びの画廊から本気で払い除けてしまっていたために他の誰かが興味を示すだろうとも思わないのだった。夫がしょっちゅう離れて娘が音楽の授業を行いに出かけるほどにダフィー氏は夫人との交際を楽しむ多くの機会を得た。彼も彼女もそんな冒険を、以前、全く経験しなかったし、不適合を全く覚えなかった。少しずつ彼は自分の考えを彼女のものと巻き込んだ。彼女にその本を貸した、知識を与えつつ、己の知性的な生活を彼女と共にした。全ては聞き入れられた。 時々、彼の理論のお返しに彼女は自身の生活の何かの事実を発表した。殆ど母親らしい心遣いで彼の本性を心行くまで開くように促した。彼女は彼の聴罪司祭だった。彼は暫く前に自分がアイルランドの社会党の会合に出席して効果のない灯油ランプに照らされた屋根裏部屋の二十人の謹直な労働者の只中で自分自身を独特な人物に感じたと彼女に話した。党が三派、各々がそれ自体の指導者の下とそれ自体の屋根裏部屋の中に分かれたとき、参会を打ち切ったのだった。労働者の議論は彼がいうには臆病過ぎた;賃金の問題で彼らが持つ関心は法外だった。彼は彼らが強面の現実主義者だと、しかも己の手の届かない有閑の産物である厳正さに腹を立てているのだと感じた。社会革命は彼が彼女に話すにはダブリンに、数世紀、到来しなさそうなのだった。 彼女はなぜ自分の考えを書き出さないのかと彼に訊いた。何のためか、彼は彼女に訊いた、入念な嘲笑と共に。口達者、六十秒、連続して考える能力がないのと競い合うために? 警察に自らの道義とか監督に自らの美術なんて任せた鈍感な中流階級の批判を甘んじて受けるために? 彼はダブリンの外側の彼女の小さなコテージにしょっちゅう行った;しょっちゅう彼らは夕べを彼らだけで過ごした。少しずつその考えが巻き込まれるに連れて隔たりのない題目について喋るのだった。彼女の付き合いは異国風に近い暖かい土みたいだった。何回も彼女は闇が自分たちに訪れるままにした、ランプを灯すのを控えながら。暗く目立たない部屋、彼らの孤立、尚もその耳に響き渡る音楽が彼らを結び付けた。こんな結び付きに彼は高揚し、己の性格の角を磨滅させ、内面生活を情緒的にした。時々、気付くと自らの声を聞こうとしていた。彼は彼女の目の中で自分が天使並みの力量へ向上するのだと思った;つまり自分の仲間の熱烈な本性をもっともっと近くに繋ぎ留めるに連れて魂の癒えない孤独を主張するけれども自分自身と認識される不思議な非人称の声が聞こえるのだった。私たちは自らを渡し得ない、それはいった:私たちは私たち自身である。これらの談義の終わりというと尋常ではない興奮の様子ばかり見せていたある夜のシニコ夫人が彼の手を情熱的に取り上げながら自分の頬に押し当てるのだった。 ダフィー氏は大変に驚いた。自分の言葉への彼女の解釈に幻滅を感じさせられた。彼女を、一週間、訪ねないのだった;それから彼は彼女に手紙を書いて会ってくれるように頼んだ。自分たちの最後の面会をその破滅した告解聴聞席の影響によって煩わしくしたくなかったので、彼らは公園口の近くの小さな洋菓子店で会った。寒い秋の天候だったが、そんな寒さにも拘わらず、三時間近く、公園の道を行き来した。彼らは自分たちの交際を解消することに同意した:あらゆる絆は彼がいうには悲しみの絆だった。公園から出て来てから彼らは市街電車の方へ黙って歩いた;しかしすると彼女が激しく震え始めたために、そちらでは又別の衰弱の恐れもあったにせよ、彼はさよならを素早く告げると彼女から立ち去った。数日後、自分の本と楽譜を入れてある小包を受け取った。 四年が過ぎた。ダフィー氏は自らの平らな暮らし振りに戻った。彼の部屋は尚もその心の規律正しさを証言した。幾つかの新しい楽譜が下の部屋の楽譜台を塞ぎ、そして棚にはニーチェの二巻が立っていた;『ツァラトゥストラはこう語った』と『喜ばしい知識』。彼は机の上に置かれた紙の束に滅多に書かなかった。彼の文章の一つがシニコ夫人との最後の面会の後に書かれたけれども読めば;男同士の恋愛は性交渉があってはならないゆえに不可能だ、または男女間の友情は性交渉がなくてはならないゆえに不可能だ。彼は彼女と会うと行けないと演奏会を避けた。彼の父親は亡くなった;銀行の下級職員は退職した。そして、今尚、毎朝、彼は市街電車で町へ向かうと、毎夕、ジョージズ通りで適度に食事してはデザート代わりに夕刊を読んだ後に町から徒歩で帰宅した。 ある宵、彼がコンビーフとキャベツの小片を口に運びかけたときにその手が止まった。目が水差しに立てかけておいた夕刊の段落に注がれた。食べ物の小片を皿に置き直してその段落を注意深く読むのだった。それから彼は水を、一杯、飲み、自分の皿を片側へ押し、新聞紙を二つに折り畳んで肘の間の自分の前の下げるとその段落を再び何度も何度も読み返した。キャベツが冷えた白い獣脂を彼の皿に溜め込み始めるのだった。女子従業員がやって来て彼に食事はちゃんと調理されましたかと訊いた。彼は申し分ないというとその何口かを頑張って食べた。それから支払いを済ませると出て行った。 十一月の黄昏を抜けて忙しなく歩いた、丈夫な榛の杖を規則的に地面に突きながら黄褐色の『メール』の縁をぴったりのリーファーオーヴァーコートの脇ポケットから覗かせていた。パークゲートからチャペリゾッドへの孤独な道で、その歩調を緩めるのだった。杖は地面を力弱く突きながら息は不規則に吐くままに殆ど溜め息の音と共に冬の空気に凝結した。自宅に着いてから彼は寝室へ直ぐに上がって行くとポケットから新聞を取り出してから例の段落を再び窓の落ちる光で読んだ。声を出さずに読むのだった、ただ密誦の祈りを唱えるときの司祭のように唇を動かしながら。 『シドニーパレードの女性の死』 痛ましい事件 本日、ダブリン市立病院で検死官代理(レヴァレット氏が不在で)がエミリー・シニコ夫人、四十三歳で、昨夕、シドニーパレード駅で死亡した者の遺体を検死した。証拠から亡くなった女性は線路を渡ろうとした際にキングストン発の十時の鈍行の機関車によって打ち倒され、そのために頭と死に繋がった右半身に傷を負っていたことが明らかだった。 ジェイムズ・レノン、機関車の運転士は、五十年、鉄道会社に勤務ていたと述べた。車掌の笛が聞こえて列車を運行すると、一二秒後、大きな悲鳴に反応して停車させた。列車は徐行していた。 P・ダン、赤帽は列車が出発しかけたときに線路を渡ろうとする女性を目撃したと述べた。駆け寄りながら大声を出したが、自分が着く前に彼女は機関車の緩衝器に捕まって地面に倒れた。 〈陪審員〉。「女性が倒れるのを見た?」。 〈証人〉。「はい」。 クローリー巡査部長は着いてから故人がどうも死んだらしくプラットフォームに横たわるのを見付けたと証言した。救急車が着くまで遺体を待合室へ運ばせた。 57E巡査が確証した。 ハンプトン医師、ダブリン市立病院の病棟外科医助手は故人が二本の下位肋骨を骨折して右肩に重度の挫傷を負っていたと述べた。頭の右側は倒れて負傷したのだった。その傷は健康な人に死を引き起こすほどではなかった。死は彼の意見では恐らくショックと突発的な心不全によるのだった。 H・B・パターソン・フィンレー氏、鉄道会社の代理は事故への深い遺憾を表明した。会社はいつも人々に高架橋以外の線路を渡らせないためのあらゆる予防措置をあらゆる駅での貼り紙の設置と踏切での新案の跳ね返り遮断機の使用の両面から取っていたのだった。故人はプラットフォームからプラットフォームへと夜遅くに線路を渡る習慣があった、さらに事件の一定の他の状況を考慮して彼は鉄道職員が咎められるべきと考えなかった。 シニコ船長、シドニーパレードのレオヴィルの故人の夫も証言を与えた。故人は自分の妻だと述べた。ロッテルダムからその日の朝に着いたばかりだったので、事故の時点でダブリンにはいなかった。彼らは結婚して二十二年で、約二年前に妻が習慣的に可成の酒浸りになり始めるまでは幸せに暮らしていたのだった。 メアリー・シニコ嬢は最近の自分の母親について強い酒を買いに夜中に出歩く習慣があったといった。彼女、証人は母親をしょっちゅう説き付けようと努めながら勧めて連盟に参加させていた。事故後の一時間までは家にいなかった。 陪審員は医学的な証拠に従って評決を出してレノンを全ての咎めから免れさせた。 検死官代理はそれは甚だ痛ましい事件だというとシニコ船長と彼の娘に大変な同情を表明した。鉄道会社には、将来、同様の事故の可能性を防ぐための強い対策を取るように促した。誰も咎められることはなかった。 ダフィー氏は目を新聞紙から上げると陰気な宵景色を窓から凝視した。川は空っぽの蒸留酒製造所の隣に静かに横たわって、時折、明かりがルーカンの道のどこかの家に現れた。何という最期! 彼は彼女の死についての話全体に反感を催したし、かつて自分が何を神聖に保つかを彼女に喋っていたと考えては反感を催した。使い古されたいい回し、同情の意味のない表現、記者の慎重な言葉遣いは彼の胃が襲われる有り触れた俗悪な死の細目を丸め込んで秘密にしておいた。単に己の品位を落としたのでは彼女はなかった;彼女は彼の品位を落としたのだった。彼は彼女の恥知らずで鼻摘みな悪徳の卑しい広がりに気付いた。己の魂の仲間の! バーテンに満たされた缶や瓶を携えてよろよろ歩く自分が気付いていた哀れな者たちのことを考えるのだった。神様よ、何という最期! 明らかに彼女は生きるには向かず、どんな達成力もないまま、習慣の好い餌食、文明が立てられた無残な人たちの一人になっていた。しかし彼女がそんなに落魄れてしまえたとわ! 彼女についてそんなにすっかり誤解してしまっていたなんてあり得たのか? 彼は彼女のあの夜の激発を思い起こすと自分がかつてしたよりも厳つい意味で解釈した。難なく自分が取った方針を今や満足に思った。 明かりが衰えて記憶が彷徨い始めたときに彼は彼女の手が自分のものを触ったと考えた。初めに胃を襲われた衝撃に今や神経を襲われた。オーヴァーコートと帽子を素早く身に着けると出て行った。冷たい空気に戸口で触れた;それはコートの袖へ忍び込んだ。チャペリゾッド橋のパブに来てから彼は入って行くとホットパンチを注文した。 主人は諂って仕えたが、敢えて話そうとしなかった。五六人の労働者が店で、ある紳士のキルデア県の土地区画の価値について議論していた。間々、大きなパイントタンブラーで飲酒しては喫煙し、床にしょっちゅう唾棄して、時々、大鋸屑を己のブーツでその唾に引き摺っていた。ダフィー氏は腰掛けに座ると彼らを凝視した、見るとも聞くともなく。暫く後、彼らは出て行って彼はもう一杯のパンチを頼んだ。それで、長い間、座っていた。店は非常に静かだった。主人は『ヘラルド』を読んでは欠伸しながらカウンターに手足を伸ばして着いていた。時偶、市街電車が外の孤独な道でシュッと音を立てるのが聞こえた。 彼はそこに座ったときに彼女との生活を思い返して自分に今や抱かれる二つの心象を交互に呼び起こしながら彼女は死んだと、存在しなくなったと、記憶になったと認識した。居たたまれなくなり始めた。他に何ができたのかと自問するのだった。彼女を欺く喜劇は続けられなかったのだ;公然と彼女と暮らすことはできなかったのだ。彼は自分に最善と思われることをしたのだった。どうして咎められることになるのか? 彼女が逝った今となってそんな部屋に一人で、毎晩、座りながら彼は彼女の生活がどんなに孤独だったに違いないかを理解した。彼も死に、存在しなくなり、記憶になるまで彼の生活も孤独だろう――もしも誰かに思い起こされるならば。 店を去ったのは九時過ぎだった。その夜は寒くて陰鬱だった。彼は第一門から公園に入ると不気味な木の下を歩いて行った。彼らが四年前に歩いた吹き曝しの路地を抜けて歩くのだった。彼女が暗闇で自分の近くにいるようだった。折々、彼女の声が自分の耳に触れる、彼女の声が自分のものに触れると感じられるようだった。彼は聞こうとじっと立ち止まった。なぜ自分は彼女を生かしておかなかったか? なぜ自分は彼女に死を宣告したか? 彼は己の道義的な本性が瓦解すると感じた。 弾薬庫の丘の頂上に辿り着いたとき、立ち止まって川をダブリン、寒い夜に赤く愛想良く燃える明かりの方へ見遣った。坂を見下ろすと麓の公園の壁の影の中に幾つかの人影が横たわるのが見えた。彼はそんな金絡みの表立たない恋愛に絶望で一杯になった。己の生活の正直さを齧った;生活の宴からは追放されたのだと感じた。一人の人間が彼を愛すると思われながら彼は彼女の生活と幸せを否定していた:彼は彼女に不名誉、恥辱の死を宣告したのだった。壁のそばに這い蹲る人たちが自分を見詰めながら逝って欲しがるのが分かった。誰からも望まれなかった;己の生活の宴から追放された。彼はその目を灰色の光り輝く川、ダブリンの方へ曲がりくねるのへ向けた。川の向こうに貨物列車がキングスブリッジ駅から巻き付くのが見えた、暗闇を抜けて燃え立つような頭の芋虫が巻き付くみたいに頑強に齷齪と。それは視界をゆっくりと過ぎた;しかし尚も機関車の齷齪とした持続低音が彼女の名前の音節を何度も繰り返すのがその耳には聞こえた。 彼は自分が来た道を引き返した、機関車のリズムはその耳に激しく打ったとき;記憶が伝えることの現実味を疑い始めた。木の下に止まりながら例のリズムが弱まるままにした。彼は彼女を暗闇で自分の近くとも彼女の声が自分の耳に触れるとも感じなくなった。聞こうとしながら何分か待った。何も聞こえなかった:夜は完璧に静かだった。又聞こうとした:完璧に静かだ。自分は一人だと感じた。 参考サイト痛ましい事件(coderati訳) 英語の小説の日本語訳 コメント 新しい投稿 前の投稿
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