ラドヤード・キップリングの鯨はどのように喉を得たかの日本語訳 結城永人 - 2021年3月15日 (月) イギリスの作家、小説家で詩人のラドヤード・キップリングの童話集その通り物語(1902)の収録作品の鯨はどのように喉を得たかの日本語訳を行った。 ラドヤード・キップリングの鯨はどのように喉を得たかの英語の出典 How the Whale Got His Throat by Rudyard Kipling/ラドヤード・キップリングの鯨はどのように喉を得たか原文:Wikisource(作品集)朗読:LibriVox(ティム・バルクレイ) 両方ともパブリックドメイン(著作権なし)だから無料で自由に使って構わない。 関連ページラドヤード・キップリングの鯨はどのように喉を得たかの原文と注解 ラドヤード・キップリングの鯨はどのように喉を得たかの日本語の訳文 Illustration to How the Whale got his Throat from Garden City, N.Y. : Doubleday & Co., Inc / Public domainIllustration to How the Whale got his Throat by Kipling, Rudyard, Gleeson, Joseph M. (Joseph Michael), or Bransom, Paul, 1885- (ill.) / Public domain 海に、昔々、おぉ、諸賢よ、鯨がいて魚を食べた。人手とガーフィッシュや蟹と真子鰈やヨーロッパ角鰈とデイスや雁木鱝と自分の仲間や若い鯖と若い川魳や本当に真実にグルグル巻きの鰻を食べた。海中に見付かるどんな魚でも彼はパクリと食べた――そう! ついに一匹の小さな魚だけが海中に残されるまで、彼は小さな明敏な魚で、危害を加えられないために鯨の右耳の少し後ろを泳いでいた。 Illustration to How the Whale got his Throat by Kipling, Rudyard, Gleeson, Joseph M. (Joseph Michael), or Bransom, Paul, 1885- (ill.) / Public domain ここにいるのは小さな明敏な魚、赤道のドアの敷居の下に身を隠している者を探す鯨だ。小さな明敏な魚の名前はピングルだ。彼は赤道のドアの前に生えた大きな海草の根の中に身を隠している。 私は赤道のドアを描いた。それらは閉じている。いつも閉じたままなのだ。なぜならドアはいつも閉じたままであるべきだからだ。正面のネバネバしたものは赤道自体だ;そして岩のように見えるものは二人の巨人のモアーとコアーで、赤道を整備する者たちだ。彼らは影絵を赤道のドアに描いてあれらのドアの下のくねくねした魚を彫刻した。 鉤鼻の魚は鉤鼻を持つ海豚と呼ばれる、そして奇異な頭の他の魚は撞木の頭を持つ鮫と呼ばれる。鯨は平静を取り戻すとそうして再び良い友達になるまで小さな明敏な魚を発見することはなかった。 そのとき、鯨は尾で立ち上がると「腹が減ったな」といった。すると小さな明敏な魚は「気高くも気前良い鯨類よ、かつて人を味わったことがあるか?」と小さな明敏な声でいった。 「ない」といった鯨。「どんなものなのか?」。 「美味しい」といった小さな明敏な魚。「美味しいけど、ゴツゴツする」。 「ならば何人か取って来い」といった鯨、すると海をその尾で泡立てた。 「一回に一人で十分だ」といった小さな明敏な魚。「北緯五十の西経四十へ泳げば(摩訶不思議と)筏の〈上〉は海の真ん〈中〉に座るままの一本の青いズックズボンと一本のズボン吊り(ズボン吊りを忘れてはなら〈ない〉ぞ、諸賢)とジャックナイフだけの一人の難破した船乗りだが、公平にいうと無窮の知恵者を見付けるだろう」。 そこで鯨は北緯五十の西経四十へ泳ぎに泳いでできるだけ速く泳いだ、そして筏の〈上〉は海の真ん〈中〉に着るのは一本の青いズックズボンと一本のズボン吊り(取り分けズボン吊りを思い出さなくてはならないぞ、諸賢)ばかり〈と〉ジャックナイフ〈で〉、一人の独身の孤独な難破した船乗りが己の爪先を水の中に引き摺るのを見付けた。(彼は母さんの許しを得て漕いだのだった、さもなければ無窮の知恵者だったからやることはなかっただろう)。 そのとき、鯨は己の口を己の尾にくっ付きそうなまで後ろに後ろに開くと難破した船乗りと乗っている筏とそのズックズボンと(忘れ〈てはなら〉ない)ズボン吊りとジャックナイフ一つを飲み込んだ――彼はそれら全てを己の温かく暗い戸棚の内側に飲み下した、そうして舌鼓を打った――そう、すると己の尾で、三回、回った。 Illustration to How the Whale got his Throat by Kipling, Rudyard, Gleeson, Joseph M. (Joseph Michael), or Bransom, Paul, 1885- (ill.) / Public domain これは無窮の知恵を持つ船乗りと筏とジャックナイフとズボン吊りという忘れてはなら〈ない〉ものを飲み込む鯨の絵だ。釦が多く付いたものは船乗りのズボン吊りで、その直ぐそばにナイフが見える。彼は筏に座っているもののそれは横に傾き上がってしまったので、大部分は見えないよ。船乗りの左手のそばの白いものは鯨が現れたときに筏を漕ごうとしていた木片だ。木片はガフの顎と呼ばれる。船乗りは入って行くときにそれを外側に残した。鯨の名前はスマイラーで、船乗りの名前はヘンリー・アルバート・ビヴェンス氏、A・Bだ。小さな明敏な魚は鯨のお腹の下に身を隠している、さもなければ私は彼を描いただろう。海がとてもぐにゃぐにゃに見える理由は鯨がそれをヘンリー・アルバート・ビヴェンス氏と筏とジャックナイフとズボン吊りを吸い込むために己の口の中へ悉く吸っているからだ。ズボン吊りは決して忘れてはならないよ。 しかし船乗り、無窮の知恵者は鯨の内側の温かく暗い戸棚の内側の自分に真実に気付くや否や踏みつけて踏んで跳んでゴツンと打ってドンと当たった、そして跳ね回って踊った、するとドンドン叩いてガーンと鳴らした、しかも殴って噛んだ、さらに跳んで這った、またはぶらぶら歩いて喚いた、そしてひょいと跳んで倒れた、すると叫んで溜め息を吐いた、しかものろのろ進んで怒鳴った、さらに歩いて跳ぶと場違いにもホーンパイプを踊った、もはや鯨は全く何よりも嬉しくないと感じた(ズボン吊りは忘れて〈しまった〉かな?)。 なので彼は「こいつは非常にゴツゴツとしてしかもしゃっくりを起こさせられる。どうするのか?」と明敏な魚にいった。 「出て来るようにいいな」といった明敏な魚。 なので鯨は己の喉の奥へ「出て行て行儀良くしろ、しゃっくりが出るぞ」と難破した船乗りへ呼びかけた。 「しない、しない!」といった船乗り、「そうはしないが、遥かに他の場合ならば。出生の岸とアルビオンの白い崖へ連れて行ってくれればそれについて考えよう」。すると彼は今まで以上に踊り始めた。 「帰してやった方が良いね」と鯨にいった明敏な魚。「彼は無窮の知恵者だと注意しておいたはずだ」。 なので鯨は泳ぎに泳いで泳いだ、己の鰭と尾で、しゃっくりのためにできるだけ激しく;そしてついに船乗りの出生の岸とアルビオンの白い崖が見えた、すると岸辺の中程に突進して口を大きく大きく大きく開けて「ここでウィンチェスター、アシュエロット、ナシュア、キーン、〈フィッチ〉バーグ通りの駅に乗り換えろ」といった;すると「フィッチ」といったと同時に船乗りがその口から歩き出た。ただし鯨が泳いで来ていた間に船乗り、全くの無窮の知恵の人はジャックナイフを取りながら筏を全て十文字の走る小さな四角い格子に切り刻んでズボン吊り(〈今や〉なぜズボン吊りを忘れてはならなかったかが分かね!)で固く縛っており、その格子を鯨の喉へと上手くしっかり引っ張った、するとそこに嵌まるのだった! それから彼は以下の〈シュローカ〉を朗唱したが、誰も聞いたことがなかったようだ、今や話へ移ろう―― 格子を用いて お前が食べるのを止めた。 船乗りへ彼はアイル・ランド・人でもあった。そして玉砂利に踏み出すと母親、己の爪先を水の中に引き摺るための許しを与えた者へ帰った;すると彼は結婚してその後はずっと幸せに暮らした。鯨もそうだった。ただしあの日から喉の格子で、咳き込むことも飲み下すこともできず、とてもとても小さな魚以外は何も食べられなかった;つまりそうしたわけで、鯨は今日でも人や少年や幼い少女を食べることはない。 小さな明敏な魚は去って赤道のドアの敷居の下の泥の中に身を隠した。鯨に怒られるかも知れないと恐れるのだった。 水夫はジャックナイフを持ち帰った。玉砂利に歩き出たときに青いズックズボンを履いていた。ズボン吊りは取り残された、そうさ、格子を縛るためにね;そしてそれが〈そうした〉物語の結末だ。 客室の舷窓が暗く緑になるとき 外側の海のために; 船が〈悲しげに〉(小刻みに揺らめきながら)進んで 客室係がスープチュリーンに取りかかって、 トランクが滑り始めるとき; 保母さんがドサリと床に横たわって、 母さんから眠らせるようにいわれて、 自分は起こされも洗われも着せられもしないとき もちろん、そのときは分かるさ(見当が付かずとも) 「北五十の西四十!」にいるんだと。 参考サイトHow the Whale got his Throat 英語の小説の日本語訳 コメント 新しい投稿 前の投稿
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