ラドヤード・キップリングの犀はどのように皮を得たかの日本語訳 結城永人 - 2021年7月1日 (木) イギリスの作家、小説家で詩人のラドヤード・キップリングの童話集その通り物語(1902)の収録作品の犀はどのように皮を得たかの日本語訳を行った。 ラドヤード・キップリングの犀はどのように皮を得たかの英語の出典 How the Rhinoceros Got His Skin by Rudyard Kipling/ラドヤード・キップリングの犀はどのように皮を得たか原文:Wikisource(作品集)朗読:LibriVox(ティム・バルクレイ) ※一部に誤字があってcalm-tree→palm-treeが正しいようだ。 両方ともパブリックドメイン(著作権なし)だから無料で自由に使って構わない。 関連ページラドヤード・キップリングの犀はどのように皮を得たかの原文と注解 ラドヤード・キップリングの犀はどのように皮を得たかの日本語の訳文 Illustration to How the Rhinoceros Got His Skin from Garden City, N.Y. : Doubleday & Co., Inc / Public domain Illustration to How the Rhinoceros Got His Skin by Kipling, Rudyard, Gleeson, Joseph M. (Joseph Michael), or Bransom, Paul, 1885- (ill.) / Public domain 昔々、紅海の沿岸の無人島に太陽の光が東洋を越える輝きに映し出される帽子を被るパルシーが暮らしていた。そしてパルシーは帽子とナイフと誰にも特に触れられたことがないに違いない類の調理用焜炉だけで紅海のそばに暮らしていた。すると、ある日、彼は小麦粉と水と酸塊と李と砂糖と何かを取って自分のために幅2フィート、厚さ3フィートのケーキを一つ作った。それは実際に「優れた食べ品」(〈つまり〉魔法)で、〈彼〉は焜炉で調理することが可能だったからその焜炉の上に置いて焼くと全体が茶色になって甚だ感情を動かされる匂いがするまで焼いた。しかし、丁度、食べようとしたときに「全く誰も住まない奥地」から岸辺へやって来たのが鼻に角と二つの貪欲な目と殆ど無作法な一頭の犀だった。 Illustration to How the Rhinoceros Got His Skin by Kipling, Rudyard, Gleeson, Joseph M. (Joseph Michael), or Bransom, Paul, 1885- (ill.) / Public domain これはパルシーが自分のケーキを非常に暑い日に紅海の無人島で食べ始めている絵だ;そして犀が全く誰も住まない奥地という真に見えるように岩石の多いところから来ている。犀の皮は全く滑らかで、それを留め上げる三つの釦は下にあるので、見えない。パルシーの帽子の波打って捻れたものが東洋を越える輝きに映し出される太陽の光だ、もしも本当の光を描いたら絵全体を満たしてしまうだろうからね。ケーキには酸塊が入っている;そして紅海を渡ろうとしたときにファラオの戦車のものだった車輪が前面の砂の上に横たわっている。パルシーはそれを見付けて遊んでいた。パルシーの名前はペストンジー・ボモンジーで、犀の名前はストロークスだ、鼻の代わりに口で息をするからだよ。〈私〉が君ならば調理用焜炉については何も訊かないだろう。 当時、犀の皮は自身にぴったり張り付いていた。どこにも皺はなかった。正しくもノアの方舟の犀みたいだったが、尤ももっと大きかった。やはり、そのときに作法はなかったし、今も作法はないし、どんな作法も持つことはないのだろう。彼が「どうやって!」というとパルシーはあのケーキを残して椰子の木の天辺へ登り、帽子だけ被っていたが、そこからは太陽の光がいつも東洋を越える輝きに映し出されるのだった。 すると犀は石油焜炉を鼻で引っ繰り返してケーキを砂に転がして自分の鼻の角を打ち込んで食べると尻尾を振りながらマザンダラン州とソコトラの島と大分点の岬に隣接する人気ない「専ら誰も住まない奥地」へ立ち去った。それからパルシーは自分の椰子の木から降りて来ると焜炉を脚の上に置いて次の〈シュローカ〉を朗唱したが、それは誰も聞いたことがなかったようだ、今や話へ移ろう: パルシーの者が焼く ケーキを取る者たちは 恐ろしい間違いを犯している そして考えられる以上に多くがそこには含まれていた。 五週間後、紅海に熱波があった〈ため〉に皆が着ていたものを悉く脱いだ。パルシーは自分の帽子を抜いだ:さてや犀は自分の皮を脱ぐと水浴びに岸辺へ行きながら肩に引っかけた。当時、それは三つの釦で下から留められており、防水のように見えた。彼はパルシーのケーキのことは何もいわなかった、なぜなら食べ尽くしたからだった;そしてどんな作法を持つこともそのとき、それ以来、その後に全くなかった。彼は水の中へ真っ直ぐよたよた歩くと鼻から泡を吹いた、自分の皮を岸辺に残したまま。 間もなく、パルシーが立ち寄って皮を見付けると顔中に走る一つの微笑みを、二度、見せた。それから皮の周りで、三度、踊って揉み手した。それから野営地へ行くと帽子をケーキ屑で一杯にした、というのもパルシーはケーキしか食べたことがなかったし、野営地を掃除したことがないためだった。彼はその皮を取ると振ってゴシゴシ擦って、丁度、古くて乾いて腐りかけてむずむずするケーキ屑と幾つかの焼いた酸塊がやっと〈何とか〉保たれるくらい十分に揉んだ。それから椰子の木の天辺へ登ると犀が水から出て来てそれを身に着けるのを待った。 Illustration to How the Rhinoceros Got His Skin by Kipling, Rudyard, Gleeson, Joseph M. (Joseph Michael), or Bransom, Paul, 1885- (ill.) / Public domain これはパルシーのペストンジー・ボモンジーが自分の椰子の木に座って犀のストロークスがその皮を脱いだ後に全く誰も住まない奥地の岸辺の近くで水浴びするのを見ている絵だ。 パルシーはケーキ屑を皮の中に入れてしまってストロークスがそれを再び身に着けたときにどんなにむずむずするかを考えて笑っている。皮は涼しい場所の椰子の木の下の岩の直ぐ下にある;そんなわけで、見えないよ。 パルシーはパルシーの者たちが被る類の新しい東洋を越える輝きの帽子を被っている;そして自分の名前を椰子の木に彫り付けるためのナイフを手に持っている。島の外の海の黒いものは紅海を行きながら難破した船の残骸だ;しかし船客は、全員、助かって帰宅した。 岸寄りの水の中の黒いものは難破船ではない。それは皮なしに水浴びする犀であるストロークスだ。彼は皮の下が外側と全く同じように黒かった。 ついに犀は行った。三つの釦でそれを留め上げた、すると寝床のケーキ屑みたいにむずむずした。それから引っ掻きたくなったが、それでもっと酷くなった;そうすると彼は砂に横たわりながら転がりに転がりに転がった、もはや転がる度にケーキ屑に酷く酷く酷くむずむずさせられた。それから彼は椰子の木へ走ると自身で擦りに擦りに擦った。多く激しく擦った余り、肩の上に大きな襞、別の襞が下、釦があったところ(だが、擦れて取れた)に、さらに脚の上に幾つかの襞ができた。もはや機嫌は損なわれたが、ケーキ屑が変わることは微塵もなかった。それは皮の内側にあってむずむずした。そこで彼は家に帰った、実際に非常に怒りながら物凄く痒がって;そしてその日からこれまで一切は内側のケーキ屑のせいで、あらゆる犀は皮に大きな襞と非常に悪い機嫌を持っている。 さてやパルシーは自分の椰子の木から降りて来、帽子を被っていたが、太陽の光が東洋を越える輝きに映し出されるのだ、調理用焜炉を荷造りするとオロターヴォ、アミグダラ、アナンタリーヴォの山地草原、ソナプットの湖沼の方へ立ち去った。 この無人島は グアルダフィ岬の沖にある。 ソコトラ島の岸辺と ピンクのアラビア海のそば: しかし君と僕みたい者には 暑々過ぎてスエズから P&O汽船で 行けやしない ケーキのパルシーを訪ねに! 参考サイトHow the Rhinoceros got his Skin 英語の小説の日本語訳 コメント 新しい投稿 前の投稿
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