伊藤智仁

1970年10月30日生まれ、京都府京都市中京区出身、1993年に花園高等学校から三菱自動車京都を経てドラフト一位でヤクルトスワローズに入団、初年度から活躍したものの二ヵ月半の十四試合で1733球という登板過多による影響か七月に肩の痛みで離脱してシーズンを終えた。それでも0.91の防御率という圧巻の成績で新人王を獲得したが、暫くは同じような怪我で復帰と治療を繰り返しながらプレイした。1997年に抑えとして好成績を残してリーグ優勝に貢献すると共にカムバック賞を取り、さらに続く三年間は先発として十勝近く挙げたが、再び怪我で離脱せざるを得なくなった。2002年は二軍で過ごしながらもはや肩への負担の少ないナックルボーラーとして再起を目指すも一軍での登板機会はなく、2003年に現役生活を退く。
右投げ
- サイズ
- 身長183㎝/体重76㎏
- フォーム
- ノーワインドアップのスリークォーター
在籍チーム
- ヤクルトスワローズ(1993~2003)/リーグ優勝(1993と1997)・日本シリーズ優勝(1993と1997)
※一軍定着時に優勝があれば記載。
日本代表
- 夏季オリンピック(1992:バルセロナ大会)/銅メダル
※トップチームでの世界大会のみ。
サイト
なし
※本人のホームページやSNSなど。
スライダー
投げる腕の内側へ135キロくらいの速さで横に滑って行く高速スライダー、右打者が仰け反り、左打者がつんのめるほどの曲がりが鮮烈な印象を残した。
- 握り方
- 人差し指よりも中指を幾らか前に出したようなツーシームで比較的にしっかりと握る。
- 投げ方
- ボールの回転軸(横に曲がる球種の場合は縦軸)から曲がりを明確にイメージして構えたら人差し指で(縫い目を)パチンと切るように投げる。
- 大きく曲げるときは手首を(横に)寝かせて回転を増やし、小さく曲げるときはストレートのように手首を立てて回転を減らす。
- 落としたいときは腰を引き気味にして体重を後ろに残す感覚を持つ。
- ストレートよりも(二割増しくらい)腕を振る(打者に見破られないため)。
なるべく打者の手元で曲げることが大事になって来ます
ボールの回転数を増やすと良く曲がるものの遠くから大きく曲がると打者から見易くなるので、近付いて鋭く曲がる方が打ち取れる。
参考:プロ野球史に語られる"悲運のエース"伊藤智仁が語る「魔球」高速スライダーのすべて
彼の高速スライダーは本当によく曲がりました。ほかの投手と違ってトモの場合は明らかに腕の振りが違いました。大魔神・佐々木(主浩)や野茂(英雄)の場合は頭の上でパンと手首を返してからひじが落ちてくる。でも、トモの場合は打者の手元に近づいているのに、まだ投げない。イチ、ニ、サンの後にさらにニュッとひと伸びがある。これはかなり打ちづらいですよ。
伊藤智仁のスライダーは肘や肩の柔らかさも特別だったようで、飛び抜けた曲がりの良さに加えて球離れが非常に遅いために打つタイミングも容易に取らせない本当に凄いスライダーだと感じる。
個人記録
通算成績
日本での生涯記録
- 年数:7
- 登板:127
- 先発:70
- 完投:15
- 完封:7
- 無四球:2
- 勝利:37
- 敗戦:27
- セーブ:25
- ホールド:0
- 勝率:.578
- 打者:2242
- 投球回:558
- 被安打:421
- 被本塁打:39
- 与四球:176
- 敬遠:9
- 与死球:23
- 奪三振:548
- 暴投:24
- ボーク:3
- 失点:150
- 自責点:143
- 防御率:2.31
- WHIP:1.07
参考:“伊藤智仁”の検索結果
受賞歴
日本プロ野球
- 最優秀新人(1993)
- カムバック賞(1997)
※年間成績による主なもの。
参考:伊藤智仁
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