工藤公康

1963年5月5日生まれ、愛知県名古屋市天白区高坂町出身、1982年に名古屋電気高等学校(1983年から愛知工業大学名電高等学校)からドラフト六位で西武ライオンズ(2008年から埼玉西武ライオンズ)に入団、1980から90年代の黄金期の中心選手となり、主に先発で高い勝率を誇り、十一回のリーグ優勝と八回の日本一を経験した。1995年にトレードで移籍した福岡ダイエーホークスでは五年目の1999年にチーム初のリーグ優勝と日本一に大きく貢献して前球団の1993年の分と併せると二回目の最優秀選手にも選ばれた。FA権により、2000年に読売ジャイアンツへ移籍した際は優勝請負人と呼ばれて確かに二回のリーグ優勝と日本一を引き寄せて自身の優勝回数をリーグ優勝が十四回と日本一が十一回まで積み上げた。その後は幾つかの球団でプレイして年齢的な衰えか成績は下降しつつも四十七歳まで息長く試合に出場し、最後の最後はメジャーリーグのトライアウトも目指したが、肩の怪我で断念して2011年に現役生活を退く。
左投げ
- サイズ
- 身長176㎝/体重80㎏
- フォーム
- ワインドアップ(プロ入りから1990年代中頃まで)かノーワインドアップ(1990年代中頃から引退まで)のスリークォーター
在籍チーム
- 西武ライオンズ(1982~94)/リーグ優勝(1982~83と1985~88と1990~94)/日本シリーズ優勝(1982~83と1986~88と1990~92)
- 福岡ダイエーホークス(1995~99)/リーグ優勝(1999)/日本シリーズ優勝(1999)
- 読売ジャイアンツ(2000~06)/リーグ優勝(2000と2002)/日本シリーズ優勝(2000と2002)
- 横浜ベイスターズ(2007~09)
- 埼玉西武ライオンズ(2010)
※一軍定着時に優勝があれば記載。
日本代表
なし
※トップチームでの世界大会のみ。
サイト
なし
※本人のホームページやSNSなど。
カーブ
120キロ台で、投げる腕の上の外側から斜めに落ちて来る。回転が良く利いていて鋭く曲がる。見分けが付かない140キロ台のストレートとのコンビネーションが非常に強力だった。

- 握り方
- ワンシームで中指と親指を縫い目にかけて人差し指は中指に添える。
- 投げ方
- ストライクゾーンを後ろに少し傾けた状態というボールが上から落ちて来るイメージで捉える(放物線を描く球筋をコントロールを付け易くするため)。
- ボールを投げ放す瞬間に中指と親指で指を鳴らすようなイメージで弾く。
- 腕の振りをストレートと変えない(打者から見破られないため)。
投げる形とか動きができてるから
ボールを投げる基本的な動作、手を上げて振り下ろす自分の投球フォームがしっかりできているとカーブなどの変化球を覚えるのも感覚的にスムーズになる。
参考:工藤公康の野球のススメ
工藤公康監督もまた現役時代は最高のカーブの使い手だった。そして監督となってからは投手陣にたびたびカーブの重要性を説いている。カーブを使えば緩急差が生まれるのはもちろん、浮き上がるボールを打者に追いかけさせることで顎が上がるなど打撃の形を崩す効果も期待できる。
工藤公康のカーブは小学時代から覚えて得意球として何十年も使われ続けた。変化球として強力なだけではなく、打者のフォームを崩したり、さらに投手のフォームが崩れると上手く曲がらないから修正にも役立つとされる。多くの試合でコンスタントに好成績を上げられる本当に凄いカーブだと感じる。
個人記録
通算成績
国内での生涯記録
- 年数:29(歴代一位)
- 登板:635(歴代三十五位)
- 先発:472
- 完投:116
- 完封:24
- 無四球:12
- 勝利:224(歴代十三位)
- 敗戦:142
- セーブ:3
- ホールド:10
- 勝率:.612
- 打者:13890
- 投球回:3336.2
- 被安打:3056
- 被本塁打:362
- 与四球:1128
- 敬遠:48
- 与死球:43
- 奪三振:2859(歴代八位)
- 暴投:81
- ボーク:5
- 失点:1379
- 自責点:1279
- 防御率:3.45
- WHIP:1.25
※歴代順位は2022年3月時点。
参考:“工藤公康”の検索結果
受賞歴
日本プロ野球
- 最優秀防御率(1985と1987と1993と1999)
- 最多奪三振(1996と1999)
- 最高勝率(1987と1991と1993)
- 最優秀選手(1993と1999)
- 最優秀投手(2000)
- ベストナイン(投手部門:1987と1993と2000)
- ゴールデングラブ賞(投手部門:1994と1995と2000)
- 最優秀バッテリー賞(1991/捕手:伊藤勤と1999/捕手:城島健司)
※年間成績による主なもの。
参考:工藤公康
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