佐藤義則

1954年9月11日生まれ、北海道奥尻郡奥尻町出身、函館有斗高等学校を進学して1977年に日本大学からドラフト一位で阪急ブレーブス(1989年からオリックスブレーブス、1991年からオリックスブルーウェーブ)に入団、初年度から20試合に登板すると7勝を挙げて新人王を獲得して黄金期のチームの先発の主力となる。四年目の1980年に調子を落としてから、一時リリーフに回ることもあったが、1984年から先発で調子を取り戻すと1985年に21勝で最多勝、1986年に防御率2.83で最優秀防御率のタイトルを取るなど、全盛期を迎えた。その後、チームの先発の柱として勝ち星を積み重ね、毎年、10勝前後の安定した活躍を見せ続けた。1995年に史上初の四十歳越えのノーヒットノーランを実現したが、力の衰えが見え始めた頃でもあり、徐々に登板機会を減らしながら1998年に現役生活を退く。
右投げ
- サイズ
- 身長181㎝/体重86㎏
- フォーム
- ワインドアップのオーバーハンド
在籍チーム
- 阪急ブレーブス(1977~1988)/リーグ優勝(1977~78と1984)・日本シリーズ優勝(1977)
- オリックスブレーブス(1989~90)
- オリックスブルーウェーブ(1991~98)/リーグ優勝(1995~96)・日本シリーズ優勝(1996)
※一軍定着時に優勝があれば記載。
日本代表
なし
※トップチームでの世界大会のみ。
サイト
- 佐藤義則オンラインサロン(ホームページ)
- 佐藤義則チャンネル(YouTube)
※本人のホームページやSNSなど。
ヨシボール
カーブのような握りからフォークのように投げるというオリジナルの変化球、ストレートに近い軌道で、10キロ程度、低い球速で、縦に落ちる。
- 握り方
- フォーシームで縫い目の繋がる方を外側にした位置から人差し指と中指をもう少し外側の縫い目、親指をもう少し内側の縫い目にしっかりかけて握る。
- 投げ方
- ボールが浮かない(上の方へ出て行かない)ことを心がけながら腕をストレートパンチのように伸ばして(目の前に突き出して行って)投げる。
- 投げ放す瞬間はボールを指先で引っかけながら捩じ込む(およそ上の外から下の内へ回転をかけるため)。
真ん中、狙ってどっちかに行きゃ良いんだ
最も大事なのは球道をストレートに近付けることで、独特の腕の振りができれば後は投げ放す瞬間の手の動きで、左右へ逃がしたり、強く落としたり、回転を付けて様々な変化を付けることもできる。
参考:伝説の魔球・ヨシボールの投げ方を初公開!!(社会人編)
佐藤氏は指が短く、フォークを投げるために人さし指と中指でボールを挟むことができなかった。その代わりに親指と人さし指で挟み、リリース時に抜くようにして回転を抑えて投げたのが「ヨシボール」。1メートル81の長身から投げ下ろすこともあって、大きな落差ができるのが特徴。微妙なコツがあって習得が難しく、普通に投げると縦のカーブのようになる。
佐藤義則のヨシボールは大学時代に開発されて習得するのは難しいけれども指が短くてスプリットやフォークが苦手な投手の落ちる球として使える。本人によればプロ野球での現役生活を、三年以上、伸ばしたかも知れない唯一無二の得意球で、通算165勝を支えた本当に凄いヨシボールだと感じる。
個人記録
通算成績
国内での生涯記録
- 年数:21
- 登板:501
- 先発:335
- 完投:141
- 完封:27
- 無四球:10
- 勝利:165
- 敗戦:137
- セーブ:48
- ホールド:0
- 勝率:.546
- 打者:11244
- 投球回:2608.2
- 被安打:2568
- 被本塁打:308
- 与四球:1055
- 敬遠:32
- 与死球:75
- 奪三振:1755
- 暴投:73
- ボーク:3
- 失点:1251
- 自責点:1152
- 防御率:3.97
- WHIP:1.39
参考:“佐藤義則”の検索結果
受賞歴
日本プロ野球
- 最優秀新人(1977)
- 最多勝利(1985)
- 最優秀防御率(1986)
- 最多奪三振(1984と1985/表彰前記録)
※年間成績による主なもの。
参考:佐藤義則
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