貧乏を抜け出すための仏教的な心構え 結城永人 - 2022年6月23日 (木) 仏教講師の菊谷隆太の金銭問題に関する動画を観ていたら共感する部分がとても多くて良く覚えておいて決して損はないだろうと認めた。 お金に困っても絶対してはならないこと5選【仏教の教え】 僕は何年も貧困生活を強いられていて死ぬことしかリアルに感じられない人生にうんざりだけど、それでも平穏無事に生きられるのはなぜかと考えたときの理由に菊谷隆太の認識は繋がるから本当に凄いと思う。 お金に困っても絶対してはならないこと5選【仏教の教え】|仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 安易な借金をしないうまい話には乗らない卑屈にならない自暴自棄にならない金に魂を売らない 普段の金銭問題への仏教的な心構えを学んでせめて普通の暮らしができるような小金持ちになるための基盤を整えておきたい。 仏教的な心構え①安易な借金をしない 正にですね、お金がないのは借金するからお金がないんだなと。カード会社、所謂、銀行や消費者金融に貢いでいるようなもんですよ、せっせせっせと。ということなんですよね。これは何年もやり続けるほどですね、借金の年利のために働かされてる。こういう事態なんです。正に、この投資の逆ですよ。 お金に困っても絶対してはならないこと5選【仏教の教え】|仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 当たり前のことだけれども本当に深いと驚く 僕は十五年くらい信販会社のカードローンをリボルビング返済で使っていた。元本が百万円くらいまで行って借金の年利18%だから最終的に三百万円くらい余計に返したと思う。 貧困生活から捉えると大変な金額を手放していた。 作家活動の時間が必要だから他の仕事をやる代わりに借金で生活しようと思った。十年くらい経って自作の詩や小説が売れるのは難しいと認めてから他の仕事を増やして利子だけでなく、同時に元本も的確に減らしながら数年で完済した。 無事だったけれども収入なしの借金生は特に危なかったと思う。 僕は親がいて何かあれば助けてくれるだろうというのが安易な気持ちだった。作家活動が捗ったのは確かだったし、必ずしも無駄ではなかったにせよ、振り返っての三百万円くらいの追加返済は勿体なさ過ぎる。加えて元本が多めのリボルビング返済は死ぬまで終わらない借金地獄という不安もあって辛かった。作家という生きる目的のためでも収入を絶って良いのは貯金があるかぎりと今は肝に銘じる。 仏教的な心構え②うまい話には乗らない 只で国からお金を貰えるそうだよとかいわれるとつい身を乗り出して欲しいと思っちゃうんですよね。だけど、ここはですね、仏教の因果の道理といいまして「撒かぬ種は生えない。撒いた種は必ず生える」、自分の蒔いたもの以外は出て来ないんだと、蒔いてないのに結果が入るということは、絶対、ないんだということを、これは仏教の教えの基本なんですけど、ここに立ち返るということですね。 お金に困っても絶対してはならないこと5選【仏教の教え】|仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 かつて苦い経験があって心に痛切に響く言葉 僕は二十代後半で、もう既に借金に慣れ切って返済分を含めて借りるような状態で、元本が直ぐに膨れ上がって不味いと焦って働こうとした矢先に罠に引っかかってしまった。 給料が高めだから家庭教師のアルバイトに応募したら面接で学校嫌いの大変な子供を紹介するといわれて自信がなくて止めたくなったけれども借金を返すために止めるわけにも行かないと板挟みの心境から家庭教師の契約書にサインした直後に取り消したいというおかしな状態になってしまった。すると相手から、三万円、必要といわれて直ぐに振り込まないと駄目と急かされたり、振り込み先が個人口座だったり、もはや騙されているとしか思えなかった。警察か誰かに相談するべきと悩みつつも自分が家庭教師の契約書にサインしたのが失敗だったのは明らかだから二度と繰り返さないために人生の授業料として自戒を込めて三万円を振り込むことに決めてしまつた。敵の思う壷かどうかは何れにせよ、後にも先にも本当に痛過ぎる余りの出費だった。 世の中には苦しい人こそ騙し易いみたいに自分の金儲けの餌食にしたがる悪党がいることは確かだと思う。 契約書にサインするとか他人の負債の連帯保証人になるなんて社会的に取り返しの付かないことは慎重に慎重を重ねてやらなくては行けない。金があるときもないときも同じなんだ。恐ろしいのは貧乏でさえも黙し取られて死へ追い遣られるのが人間社会に他ならない。現世は決して天国ではないし、善人だけとしか触れ合わないことはおよそ無理だということを知るべきだ。 分けても金絡みの付き合いは本当に酷い目に遭い易いからいつでもどこでと油断なく対処したい。 仏教的な心構え③卑屈にならない それでついつい私たちはもうお金があると自惚れ、お金がないと卑屈になる、こういうこと、あるんですけれどもこのときはですね、良く知っておいて頂きたいことは私たちが目指すべき人間像というのはお金がある人ではないということです。貴方はどんな人になりたいですかとなったときにお金のある人になりたいんじゃないんです。幸せになりたい、幸せな人になりたいんですよ。 お金に困っても絶対してはならないこと5選【仏教の教え】|仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 心の底から認める以外に何もない素晴らしさ 僕は人生は金ではないと思うし、金がなくても生きられるのが人間の真実――極端にいえば自給自足で暮らせよう――だから当然で、一人でも多く人が金持ちが偉くて貧乏人が卑しいと誤らないで欲しいと願う。 しかし意外と自分で嵌まっていると気付かされる。貧乏だからやりたいことができない、またはやっても仕様がないから止めるというのも卑屈ではないか。少しでも減らして行くことが大切だと考えさせられる。 かりに贅沢品が買えないとしたら金がないからではなく、自分が要らないからという捉え方に変えたい。金があっても買わないといっても良い。生きるために必要なものは何か。その全ての問いかけから金を除外して何もかも自分の気持ちだけで判断するのが幸せな生活を呼び込むに違いない。 菊谷隆太の認識で貧乏を抜け出すために最も衝撃を受けたのが貧乏だから卑屈になってはならないという部分だった。 金がないから不自由だと心のどこかで思っていたら僕は皆の心のどこかを悲しませたことだろう。謝らなくてはならない。僕が気付かなったら皆も気付かなかったとすれば笑いながら今日を最後に心を入れ替えることにしよう。もっと自由になるためだ。どんなに貧困生活を強いられても命を得ることが幸せに他ならず、自分を世界の全てに代えられない存在として認める。一点の曇りもない心で、自由だと皆から思って貰えること、自作詩のFreedomの生活をきっちり実現できることが永遠の詩人の僕にとって最高の幸せだと今此処に記しておきたい。 仏教的な心構え④自暴自棄にならない 私の大好きな言葉にこういう言葉があります。「忍辱は全ての道を通す」。忍辱というのは自棄にならないということです。苦しいことがあっても腹を立てたり、自棄になったりせずにじっと耐え忍ぶということです。これは全ての道を通すってことです。苦しいときにね、坂道、転げ落ちて行くのは簡単なんです。苦しいときに平坦な道を歩き続けるのが大変なんです。何もできなくても良い。何もできないときはただ何もできないまま、じっとしていることが大事なんです。 お金に困っても絶対してはならないこと5選【仏教の教え】|仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 次々と波が押し寄せるようだから注意したい 僕はブログで良く取り上げて来たけど、とにかく死にたいという自殺願望を拭い去れない毎日を送らざるを得ないのが貧乏人だ。 しかし自棄になって首吊りでも飛び降りでもしたら正しく人生の終わりだし、何としても本当に避けなくてはならないと感じる。 個人的にいえばあの世で作家活動を続けるために生まれて来たをけではないし、自分らしく生きる喜びはこの世で味わわなくてはならないものだろう。 問題は金がないだけだから働くしかない。なので貧困生活と共に自殺を考えるときは働くのが一番だ。幸い、まだ日本には簡単に就ける仕事もそれなりにあるだろうし、できるかぎり、挑んでやってみるしかない。 それでも就職できなくて厳しさに襲われたり、騙されたり、職場が酷かったり、次から次へと再び自棄になるほどの苦しい日々が訪れるかも知れない。 どうしても駄目ならば何もせずに待ちながら心を落ち着かせて何度でもやり直して行くしか仕様がないと考える。 仏教的な心構え⑤金に魂を売らない お金がないとついついね、もう詐欺とか騙そうと思って手に入れようと、その後ね、それ、バレないだろうか、発覚しないだろうかってビクビクしてもう生きた心地がしないということで、結果的にその人は損してる。しかも、実際、発覚するんです。そんなときに金に魂を売らないぞという決意で、こういうことを毅然とやらないということを貫いて行くとですね、それは自信になりますし、本当に自分が進むべき道に進めるようになるんです。 お金に困っても絶対してはならないこと5選【仏教の教え】|仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太 不本意ではない生き方こそ最も満足度が高い 僕は十代前半から貧困生活で、最も酷くて、数日、水だけで過ごすという状態まで追い込まれた。そのときは全くの金欠になったら犯罪を犯してでも生きなくては行けないとか思ったりもした。アルバイトで日銭を稼ぎながら何とか食い繋いで犯罪者にはならなかったけれども振り返るとぞっとするほどの恐ろしさを受け取る。 もちろんフョードル・ドストエフスキーの罪と罰やジャン・ジュネの泥棒日記などを読めば犯罪者がいつも完全に悪いなんて嘘だし、多くの場合、悪い社会によって予め仕向けられるのが犯罪の根底的な実態だ。しかしながら自分が積極的にやって良いかどうかは肯定し難いし、少なくともやりたいことではないのは確かだから今は本当に望まないには越さないんだ。 借金と似ていて犯罪も最初は警戒しつつもやり始めると慣れて何とも思わなくなりそうだけれども子供時代に友達の玩具を盗んだことを未だに覚えている。そういう小さな出来心ならば構わないと積み重ねて行かないことが犯罪から最も遠い真人間へ向かう道ではないかと感じる。些細な日常の悪を許さないという姿勢が結局は警察に捕まったり、裁判所に呼ばれたり、刑務所に入れられるような犯罪者になることを防いでくれそうだ。 菊谷隆太の貧困生活に対する仏教の教えは自分の経験や思考と照らし合わせても一致する部分が多くてとても良いものだと認める。 僕は幼稚園が仏教系で、例えば 小林一茶の俳句を通して親しんだせいもあるかも知れないけれども違和感がなく、受け留められる。 人生は金ではないにせよ、今、日本は金なしに楽に生きることのできない社会なので、末永く、自分らしく、幸せに暮らすために貧乏だけは一日も早く抜け出したい。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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