宜保愛子が教える守護霊の呼び寄せ方 結城永人 - 2022年12月30日 (金) どうも宜保愛子の霊能力は本物ではないかと考えるほどに人生を良くしてくれるとされる守護霊を重視したくなる。 守護霊は数世代前までの親族や知り合いか人間以外の動物などが死んだ後に自分の周りに付くのが一般的で、只、誰にでも付いているものではないらしい。付いていると日常的に良いことがあったり、または大きな事故に巻き込まれても死なずに済んだみたいな奇跡的なことが起きたりもする。幸せな人生を送るためには欠かせないとも過言ではない存在が宜保愛子が良く霊視する守護霊なんだ。 宜保愛子/幸福をよぶテレビ|日本テレビ 僕は作家・詩人を志して、数十年、一度たりとも安心して暮らしたことはない。いつでも死にたがっていて生きていても仕様がないという気持ちで一杯なんだ。本当に早く揺るぎない生活を実現して生きていることを喜べる状態になるにはどうするかを考えずにはいられない。 幸せへの藁にも縋る思いから宜保愛子の守護霊が役立つならば是非とも付いていて欲しいと願うわけだけど、たとえ付いてなくても新しく呼び寄せる方法があるんだ。テレビ番組の【幸福をよぶテレビ】の年越しの特番で紹介しているのを観たら本人が皆に守護霊が付くように東京タワーから全国的に念を送ってもいた。 自分を含めてどうにもならない悲しみから長らく逃れない人は特に宜保愛子が教える人生を良くする守護霊の呼び寄せ方を学んでおくと新しい未来が生まれるかも知れない。 宜保愛子の幸せになるためのアドヴァイス 私たち、本当に身近な人、例えばおじいちゃんやおばあちゃん、そしておじさんやおばさん、でもお友達っていうようなこともあるんですよ、でもそういう人たちが私たちの生活をね、もちろん私たちは努力をするんですが、その他に霊の力がうんと働いてそして私たちを助けてくれたならば新しい年を迎えるのに本当に今より、より幸せな時をね、過ごせると思います。 宜保愛子/幸福をよぶテレビ|日本テレビ 面白いのほ自分の努力に加えて「霊の力」が働くとさらに良いことが起きるというふうに捉えられている。逆にいうと何の努力もしない自分ではどんなに「霊の力」が強くても明るい未来は築かれないかも知れない。努力を不断に怠らない生活を大前提として上手く行かないかもっと成功を掴むために守護霊を尊ぶことが重要だと思う。 守護霊は誰にでも付いているわけではないけれども念じることによって新しく付いたり、もう既に付いている場合は「霊の力」をもっと高めることもできる。 守護霊を新たに呼び寄せるか付いた霊力を高めて人生を良くする方法 日常にですね、私たちの身近にいるその霊、あの、おじいちゃんがお好きだったもの、例えば熱いお茶とか、おばあちゃんのお好きだったもの、煮豆などね、私の母なんか大好きなんですよね、そういう霊に対して、私たち、今日、今、後本当に、あの、何分かで年が明けるんですけれどもでもお節料理を私なんか作りましたけれどね、そのお節料理の本当に好きだったものをね、ちょっと本当に家族がお祝いをするテーブルの上に一緒においてあげるとかね。それから私たち、今、年越し蕎麦を食べようかななんて思っているときにお蕎麦の大好きな仏様に、一本、そっとお皿に取ってそばに置いてあげる。そうして誰々さんっていうふうにね、あの、声をかけてあげることなんです。そうするとその仏様はとっても喜ばれてそして、あの、そういう、あの、ご供養を受けてね、あぁ、この人に対してね、あの、絶対、守ってあげようっていうふうに思わない仏様はいらっしゃらないと思うんですよね。 宜保愛子/幸福をよぶテレビ|日本テレビ 宜保愛子の人生を良くする方法、霊の供養は金がかからないし、普通にできないような、何か大変なことをするのではない。 それよりも何よりも必要なのは霊と情を介することなんだ。いい換えると心なく、上辺だけの作法で、手を合わせたりすることは無意味だし、人生を良くすることには繋がらない。 霊を思い遣ることが重要で、宜保愛子は「ギブアンドテイク」と良くいうけど、そうした善意に応じるのが霊なんだ。思えば思われて守られる。普段の生活と同じといえる。良くすれば良くされる。ただし霊に対しては何かするよりも思うことが肝心で、思わずにやることは全て意味がない。 霊界は死んだ心が飛び交うだけみたいなところと想像すれば肉体的な動作の結果として何かをやっても霊の生活の足しにはならないだろう。 この世で霊に守られる人間になるためにやるべき三つの基本的な事柄 線香を、二本、立てる。一緒に正月を迎える。餅やお節料理を少し分ける。遺影や遺品を供える。故人を思い浮かべる。 線香を焚くことは仏教で心を清めるとか霊魂が食べるなんて考えられている。 宜保愛子は線香を、二本、立てることを推奨するけれども仏教の宗派によって作法が異なったり、線香自体を立てない家柄では必ずしも同じようにやる必要はない。宗派の作法で線香を立てるか思いを込めて他のことをする。何れにしても大事なのほ霊がいることを疎かにせず、たとえ見えも聞こえもしなくても心から認めて有り難く接する。 正月ならば餅やお節料理が良くあるけれども霊が生前に好きだった食べ物、または気に入っていたものを供えると喜ばれて自分に霊が寄り付き易くなる。 故人を思い浮かべるとやはり情が通うほどに霊が寄って来る。 宜保愛子は良くいうけど、とにかく霊はいないと考えると寄り付かないので、自分が守って貰いたければ少なくとも霊の存在を疑わないことが求められる。 実際、科学で魂などの超常現象が完全に否定されているわけではないし、むしろ「不完全性定理」(クルト・ゲーデル)や「不確定性原理」(ヴェルナー・ハイゼンベルク)などからはっきり分からないのは科学も同じというか、近現代でデカルトの懐疑を前提とすれば科学こそそれ自体で信用できないものなのは間違いない。 霊がいないと考えると自分が生きる世界も本当かどうかは怪しいわけなので、見えも聞こえもする世界を認めるかぎり、霊を認めることにも同じくらい妥当性はあるといって良い。 宜保愛子と共に守護霊が付くように念じる 皆さん、どうぞ私と一緒に、一生懸命、念じて頂きたいと思います。私も、今、一生懸命、皆さんに守護霊が来ますように、あの、念じますので、どうぞ皆さん、頭の中に自分の大好きな、この人に守護霊になって貰いたい、そう思う方のことを頭の中にしっかりと置いてみて下さいませんか。そして今一緒に念じましょう。 宜保愛子/幸福をよぶテレビ|日本テレビ 守護霊が付くことによって良いことか起きるかどうか、幸せな人生が導かれるかどうかを確かめることは難しいと思う。 宜保愛子は探し物が見付かったとか会いたい人に会えたなんて実例を挙げていたけれども何れも念じて直ぐに喜びが訪れていた。直ぐに来ないと守護霊のお陰とは気付かないし、かりに直ぐに来たとしても、偶々、そうなるだけみたいに分からないかも知れない。 現状、見えも聞こえもしない霊がどのように働いているかをいい当てることはできないから自分を守って欲しいと念じて上手く行っても行かなくても結果が霊によるものかは一つも確実ではない。 もしも霊が本当はいないか呼び寄せることに失敗したら全ては無駄な努力になるだろう。 僕が望むのは少なくとも誰かを思い遣って魂を感じることは善意の証だから役に立つということだ。人間としての励みになる。故人などを心から念じる自分は現実に素晴らしいのではないか。今此処で必ずしも悪者とはかぎらない真実の徳を知る。愉快に笑えば精神的に優れるし、明るい気持ちを得られるたけでも運は開かれると期待できる。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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