チラリズムの昔:浅香光代の肌蹴着物 結城永人 - 2023年3月15日 (水) 近頃はめっきり聞かれなくなった言葉にチラリズムというのがある。専ら女性の肌をチラリと見せるイズム(ism:主義)を意味する。オ・イネの半裸ドレスから新しく逆の意味で思い出したものの余り良く知らなかったから元々はどういうものだったのかを調べてみた。 昔のチラリズムはちょっとだけ見せるセクシー ドキュメンタリー映画「浅草どさくさ物語~浅香光代 芸一筋~」 CM 名古屋活動写真|名古屋活動写真円頓寺活動写真 チラリズムの語源は1950年7月に東京都の浅草の松竹演芸場へ初進出した二十二歳の浅香光代の着物を肌蹴る女剣劇の魅力を伝えるべく表現した報知新聞の記者の言葉で、翌年の流行語にもなって全国的に広まったらしい。 浅香光代というとテレビや雑誌で老人の姿しか知らかったので、そんなチラリズムと最初に呼ばれるほどの衝撃のセクシーさがあるとは俄かに想像し難かったけれども当時の映像を見ると確かに凄いと唸らされた。 こんなに可愛かったとわ。腰を抜かすような気持ちにさせられる魅力がある。流石に何年も人々の間に残る言葉を生み出させるものは違うと驚かされる。 個人的にチラリズムと聞いても余りピンと来なくて振り返ると1970年代の前後に大ヒットしたお笑いのテレビ番組の8時だョ!全員集合で、加藤茶の「ちょっとだけよ」というストリップのコントの印象で捉えてしまうせいもあったのかも知れないけれども実際のセクシーさを感じることが殆どなかった。 浅香光代の女剣劇の様子からは紛れもないセクシーさを感じるし、胸元や太腿など、言葉から想像される以上に露出度が大きかったので、チラリズムのチラリは肌の露出度が少ないだけではなく、剣劇芝居の中にお色気の場面が少し出て来るという意味合いも強そうだ。 浅香光代が肌を露出する着物を選んだ理由 ドキュメンタリー映画「浅草どさくさ物語~浅香光代 芸一筋~」 CM 名古屋活動写真|名古屋活動写真円頓寺活動写真 浅香光代は児童期に父親が株で負けて無一文になり、一家心中の手前まで行きつつも何とか生き延びた。しかし極貧で家を出されて十歳頃に浅香新八郎と森 靜子の新生国民座に入団して演劇を始める。1944年に座長の浅香新八郎が肺病で急逝して劇団が解散した後、試しにやるかということから十四歳で一座を興したようだ。 客が入らなくて不味いと思い付いたのが女剣劇と、当時、人気だったストリップとの融合だった。 そのころは,親子の役者を雇って,劇場に出してもらっていたんですけど,出演料の未払いが溜まっちゃったこともあって,その親子に出て行かれちゃったんです。それでも,鶴見の劇場に出なきゃいけない。そこで,ふっとロック座見に行ったときのことを思い出して,ちらっと見せてみたんですよ。パンツなんだけど,黒く見えるもんだから,お客も勘違いして。そしたらお客に受けて,また来るよー,って言ってもらって。それからですよね。その後,松竹にも出してもらえるようになって。あの親子がいなくなっちゃわなければ,ちらっと見せることはなかったですから,こうなってなかったでしょうね。人生,何がどうなるかわからないですよね。 浅香光代/わたしと司法シリーズ73|関東弁護士会連合会 浅香光代の着物を肌蹴るチラリズムの女剣劇はストリップ剣劇とも呼ばれる。下半身の極部(性器)は黒いブルマーを履いて出したように見せていたけれども上半身の極部(乳首)はさらしを緩めて実際に出したこともあったかも知れない。独自のストリップ剣劇は十六歳頃からやっていて人気を博すことになった。戦後の混乱期で、国も非常に貧しい時代を役者として生き抜くための苦肉の策がチラリズムに繋がった。 エロにはエロをだ。ストリツプ・シヨウが、そのものズバリの舶来のエロなら、私は、チラリチラリのチラリズムのニツポン的なお色気でいつてやろう。 浅香光代の女剣劇 そして松竹演芸場へ出たときは既にストリップ剣劇の人気者として声をかけられて、文字通り、一肌脱ぐような決意があったようだ。 チラリズムのイズムは本当にそうで、お色気チラリで売るという浅香光代の役者としての生き様が反映している。 肌蹴着物に受け取る民衆を導く自由の女神のようなエロティックな真実 Liberty Leading the People by Eugène Delacroix / Public domain 浅香光代の肌蹴着物は非常に魅力的だ。名画の民衆を導く自由の女神(ウジェーヌ・ドラクロワ)を思い起こさせる。フランスの七月革命を題材にして民衆の勝利をマリアンヌという自由の女神に託して描かれた。人々の生きる力を自由の女神がフランスの三色旗を振り上げて勇ましく、さらに胸も顕にエロティックに表している。浅香光代のチラリズムの女剣劇も只単に面白可笑しくやっているのではなく、正しくエロティックな生きる力の勇ましい真実に触れるものがあると感じるんだ。 ドキュメンタリー映画「浅草どさくさ物語~浅香光代 芸一筋~」 CM 名古屋活動写真|名古屋活動写真円頓寺活動写真 浅香光代の若い頃の美貌に目を丸くするけれどもチラリズムの世界は本当に素晴らしい。 セクシーさが生命感に繋がって行くのは女剣劇の人生はギリギリの戦いみたいな印象から来ている。たとえ面白可笑しい余興に過ぎないとしてもそれすらが一瞬の命の煌めきと捉えられなくはないのではないか。今此処に生きられることの有り難みとかけがえのない尊さを覚える。 お色気も格別に味わわれるし、死と隣り合わせの現世最後の喜びとしたらもはや嵌まらずにいる方が難しい。 参考サイト【敗戦直後の日本】「チラリズム」の起源について浅香光代さん 14歳で座長に “ポロリ”あり浅草女剣劇の人気者、門弟600人超浅香光代さん、21歳で一世風靡した「女剣劇の艶写真」本誌記者に語っていた「胸のサラシがハラリと落ちるように…」あの人に会いたい コメント 新しい投稿 前の投稿
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