昭和天皇の第二次世界大戦の戦争責任を巡る曖昧な一般論と明確な特殊論 結城永人 - 2023年7月16日 (日) 昭和天皇の第二次世界大戦の戦争責任は本人の幾つかの言葉からあると考えられる。それは一般論として、従来、是非が問われるように考えられて来たものとは全く異なっている。第二次世界大戦の当時の明治憲法(大日本帝国憲法)から明確に導かれる認識としては本質的なものといって良い。昭和天皇の戦争責任が曖昧な一般論とは正反対で、特殊論と呼べる。 本稿はそれぞれがどのようなものかを見比べて分かり易くするために一緒に纏めておく。 昭和天皇の戦争責任についての一般的な認識 陸軍始観兵式で白雪号に跨って閲兵を行う昭和天皇 from 朝日新聞社 / Public domain 昭和天皇の戦争責任についての一般的な認識は人々が明治憲法の第一条の統治権と第三条の神聖不可侵と第四条の立憲君主制などから練り上げたものだ。 明治憲法で天皇の責任はどのように考えられるか 天皇は国の統治権を持つ主権者と定められているから日本の全ての事柄に責任が発生する。しかし神聖不可侵だからそれは打ち消されて何かあっても責任を問われることはない。すなわち君主無答責と呼ばれるような免罪された状態になっている。 非常に分かり難いんだけれども天皇は日本の主権者だとしても、所謂、結果責任を問われる存在ではないことが神聖不可侵で明らかにされている。 これは妥当な認識で、天皇は日本人の活動そのものではないし、人々がやることの責任は人々に負わせなければならないように国については政府と分けるのが良いと思うし、実際、明治憲法はそのようになっていた。 文面上、統治権と神聖不可侵だけでは例えば天皇は日本に対して好き勝手に何をやっても許されるみたいな感じが残ってしまう。極端にいえば明治憲法自体を打ち壊しにしても構わないという無政府主義的な可能性が否定できない。そうなると法治国家の発想そのものが瓦解する。 明治憲法で天皇の統治権と神聖不可侵による国の自己破壊的な不合理さは理念としては立憲君主制で回避される。憲法に従って統治権を振るわなくてはならない。しかしどのように為されるのか。一つの政体において統治権と神聖不可侵によって明治憲法に内在する矛盾が完全に解消されるために必要なのはは第五十五条の国務大臣の輔弼だと思う。国務大臣が政府を担って天皇に責任を持って進言する。だから天皇は明治憲法を自由に書き換えることはできない。あらゆる活動は政府が行うし、政府が選挙で国民を代表する存在と見做されるかぎり、それと国全体と連動して統治権を神聖不可侵で発揮することになる。 一言では君民共治になる。憲法の打倒や改正の動きも必ず政府を通して出て来るとのであるために天皇は憲法の不断の擁護者のような立場を示す。もっと強くいえばそうした義務を果たしてこそ統治権を神聖不可侵に発揮して良いし、立憲君主制が根拠付けられるのかも知れない。 天皇の憲法擁護義務は断定すると完全に法体系に従属する天皇しか合理性を持たなくなるので、あらゆる文脈で、天皇とは何かという思考を人々に停止させる危険性もあるだろう。 余談、現行憲法の象徴天皇の最大の問題もそこにあるに違いなくて国の実権を有さず、色んなことを承認するだけみたいな感じなのはいきなり自衛隊や警察を動かすような政治的な危険性がない一方で、そういう存在でしかなく、法体系を越えた独自性や何かが忘れ去られると日本人の生き方を過去から未来へと狭めてしまうとも憂われる。 昭和天皇の戦争責任は一般的にどのようなものか 天皇御服を着用した昭和天皇 from 朝日新聞社 / Public domain 明治憲法に基づくと昭和天皇に戦争責任はない。確かに国の実権はあるし、天皇の意思に背いて何も起こされてはならない日本なんだけれどもやっているのは人々と政府であって天皇の意思を反映しているのではない。謂わば天皇は国全体の観想者であって逆に人々と政府を反映しているに近い(本人を除けば等しい)。だから戦争に関しても責任を問うことは無理がある。 これが昭和天皇が第二次世界大戦の戦犯として起訴されなかった一つの大きな理由になった。 国際上、体外的に見れば結果責任しかないと思うし、昭和天皇は日本の主権を有する君主として外面的に成り立っていたから日本の戦犯を罰するための東京裁判(極東国際軍事裁判)にそれこそ真っ先に訴追されるのが妥当だろうけど、しかし内面的な整合性が幸か不幸か加味されて戦犯リストから除外され易かった。 何よりも東京裁判の判決に最も大きな影響力を持っていたダグラス・マッカーサー(連合国軍最高司令官)の意向が働いたと考えられる。昭和天皇との最初の面会で、全責任は自分にあると認めるものの英米への開戦は首相の東條英機が自分の詔勅(官報 1941年12月08日)を利用して行ったから止められなかった(日本の対米英宣戦布告)と聞かされたらしい。さらに日本を速やかに立て直すために天皇制を維持したい――国内の動揺や内乱を防ごう――と望んでいたから天皇は不起訴という流れになった。 昭和天皇の人間宣言によって生じた新たな戦争責任 戦後、天皇は存続して明治憲法の神聖不可侵の現人神から現行憲法の国と国民統合の象徴の人間に変わった。 昭和天皇は人間宣言を行って以前の状態を「架空なる観念に基づくもの」として完全に否定した。 すると人間としての戦争責任を道徳的に問う声が上がって来て現在でも続くような昭和天皇への疑問になっている。 サンフランシスコ講和条約期になると、天皇退位論が再浮上した。その議論の特徴は二つある。第一に、敗戦後一貫して主張されてきた天皇の「道徳」的責任論を引き継いでいたことである。天皇は日本という国家の「道徳」を示す存在と考えられ、天皇が退位という「道徳」的行為を行えば人々はその姿に感動し、象徴天皇制はより強力な支持を得ると考えられた。それは「一君万民」「君民一体」を目指す動きだったと言える。 第二に、「新生日本」の国家像と適合的な皇太子が戦争イメージを持つ天皇よりも選択され、その結果退位が主張されたことである。マスコミが清新な若いイメージで皇太子を捉えて大々的に報道したことが背景にあった。「新生日本」の目指す国家像と象徴天皇像は接合され、国家としての再出発の時期に天皇制も再出発すべきであるとして退位が主張された。結局退位は実現しなかったものの、講和条約期の退位論は、象徴天皇制/像の展開の中で皇太子の存在が浮上するきっかけとなった。 河西秀哉の講和条約期における天皇退位問題 : 明仁皇太子の登場と講和独立を背景として 昭和天皇の道徳的な責任は退位によって果たされるというのが一般的な認識としてあった。 結果として昭和天皇は退位することはなく、1989年1月7日に崩御されるまで、六十四年間、在位し続けることになった。 道徳的な責任の観点から巫山戯た感じが拭い去れない。日本人にとって「天皇は日本という国家の『道徳』を示す存在」ということを踏まえればその後の日本の政治や社会の馬鹿げた出来事の多くも説明できるのではないか。昭和天皇の無責任な印象が少なくとも一つの切欠になっている可能性を考えないわけには行かない。 昭和天皇がどうして退位しなかったか。一般論では退位しなくてはならないはずが退位しなかったという解決できない謎として――記録から本人の退位したい思いに触れて人間的に納得することはできるにせよ――残るだろう。しかし明らかに道徳的な責任を果たしていると理解することのできる特殊識もある。 昭和天皇の戦争責任についての特殊的な認識 昭和天皇の横浜市に行幸した際の様子 from 毎日新聞 / Public domain 昭和天皇の戦争責任についての特殊的な認識は僕が天皇ならではの道徳的な責任の捉え方を明治憲法の天皇の憲法擁護義務の一定の解釈から纏め上げたものだ。 人間として天皇の責任はどのように考えられるか 昭和天皇が退位しなかった第一の理由は敗戦国の主として連合国の軍門に下るというふうに戦争責任を取るためだったと考えられる。占領軍の最高司令官のダグラス・マッカーサーの意向を汲んで天皇に在位し続けて日本を立て直すための役割を積極的に果たすことは潔い精神以外の何物も意味しないし、人間的に偉いといって良い。 昭和天皇の退位の問題をめぐっては、これまでの研究で、昭和23年11月の東京裁判の判決に際し、昭和天皇が連合国軍最高司令官のマッカーサーに手紙を送り、退位せず天皇の位にとどまる意向を伝えたことで決着したとされてきました。 昭和天皇「拝謁記」―戦争への悔恨―|NHK NEWS WEB|NHK これは事後の責任の取り方で、前と同じ立場を引き継ぐ必要はないけど、ただし求められる天皇の仕事が他の立場で無理ならば引き継いで目的が果たされた時点で、 速やかに退位するのが責任の正しい取り方になると思う。 昭和天皇も分かっていたようで、できるかぎり、早く皇太子に皇位を継承するつもりで、いつになるかは皇太子の成長とさらに国民の意思が重視されていたと考えられる。 昭和26年12月13日の拝謁では、独立回復を祝う式典で述べるおことばの文案を検討する中で、昭和天皇が「国民が退位を希望するなら少しも躊躇(ちゅうちょ)せぬといふ事も書いて貰ひたい」と述べ、田島長官が「それは織り込みますれば結構でございますが余程六ケしいと存じますがどこかに其意味ハ出なければならぬと存じます」と述べたと記されていました。 一方で、昭和天皇はこの直後に「東宮ちやんは大分できてゝいゝと思ふがそれでも退位すれば私が何か昔の院政見たやうないたくない腹をさぐられる事もある。そして何か日本の安定ニ害がある様ニ思ふ」と述べ、当時まだ若い皇太子だった上皇さまに位を譲れば「院政」と言われ、日本のためにならないのではないかという認識を示したと記されています。 昭和天皇「拝謁記」―戦争への悔恨―|NHK NEWS WEB|NHK 昭和天皇は皇太子が成長して皇位を十分に継承できる状態になっても退位しなかった。だからもう一つの国民の意思に阻まれると捉えていたんだろう。一部では退位論が叫ばれていたにしても大勢として自分が退位することは望まれていないから退位しなかったといえる。 天皇の道徳的な責任の取り方は国民と少し異なる 昭和天皇の広島市に行幸した際の様子 from 朝日新聞社 / Public domain 道徳的な責任の取り方を考えると損害を与えた相手か不本意な自分に対して贖罪を込めて行われるのが普通だ。 すると昭和天皇は損害を与えた相手の代表のダグラス・マッカーサーの意向に即して戦後の日本の立て直しの役目を負って償って終えたら皇太子に皇位を継承して退位するだけで良いわけだ。 しかし本人の言葉で「国民が退位を希望する」ことがもう一つの条件になっている。 天皇ならではの道徳的な責任の取り方だと思う。自分の気持ちだけで道徳的な責任を果たせない部分がある。一般人にはない感覚だから理解するには注意しなくては行けないだろう。 天皇は存在自体が国民の意向から来ているので、人間として不自由だから可哀想だと天皇制廃止論に結び付くところだけど、辞めるかどうかも国民の意向に関わるといって良い。 昭和天皇は戦争と爆撃と困苦でズタボロの日本人を励ますために1946年から54年まで八年に亘ってアメリカに占領されと沖縄県を除いて全国を巡幸した。そこで人々の反応を最も知ることができたと思うけど、大体、凄まじい歓迎振りが映像では残されている。全員、現人神の思い出を持っていたはずだし、憲法での扱いが変わったから人々の気持ちも一日で入れ替わることはないに違いない。天皇を前にして感激の余り、泣き崩れたりするのも、全然、珍しくない。どんな有名人や著名人よりも喜ばれているようで、本当に圧倒的な人気を示していた。 これがたぶん一番の決め手になって退位しなかったのではないかと推測される。 本人の言葉はないようだけど、しかし退位するかどうかに国民の意向が関わっているかぎり、一部で叫ばれる退位論に与することは難しいだろう。 昭和天皇の道徳的な責任の思考はどこから来たか 昭和天皇の道徳的な責任の捉え方には国民の意向が関わっている。これによって退位しなくても巫山戯ているとはいい切れないし、人間として馬鹿だと決め付けるのも馬鹿だから避けるには越さないと分かる。一般人とは少し異なる思考に基づいていることが記録された本人の言葉から導かれる。 どうしてなのか。天皇ならではの道徳的な責任の捉え方がどこから来たのかを探ると明治憲法の天皇の在り方から理解することができると思う。 先述の憲法擁護義務の問題から一つの解答として得られるものではないか。 法体系に従属すると断定するかどうかで、天皇の社会的、または歴史的な意味合いが変わって来てしまう。 僕は断定しない方が良いと思う。法体系を越えて天皇を知ることは日本人にとって新しい社会の創造力と古い歴史への洞察力を高めることができる。只単に法体系で規定された天皇を知ってもそれぞれの特徴は得られるにしても分断されてしまう。そうではない方が過去から未来への流れから天皇を日本という世界に位置付けて包括的に把握することに繋がるし、認識の妥当性も高まる。 たぶん昭和天皇も天皇の憲法擁護義務を断定するつもりはないかも知れない。 自分自身が天皇として法体系を越える思考を持って存在することが考えられている。 だから道徳的な責任の捉え方も固有のものになるんだろう。法体系に従属するならば神聖不可侵だからそれこそ責任そのものが天皇にはないに等しいわけで、戦争に関してたとえちゃらんぽらんでも許されるみたいな感じになってしまう。何かしら償うだけでもそれが可能だとすれば天皇の憲法擁護義務から外れるかぎりでしかないんだ。 一般人と同じところだけでは気付き難かったけれども国民の意向に関わるという固有の部分に触れると取られ得る全ての戦争責任が明治憲法の法体系を越えたものとして理解することができる。 いい換えると天皇の一存が反映しているし、これは統治権や神聖不可侵や立憲君主制などの規定とは相反する性格を持っている。 天皇の戦争責任の一般論では天皇が人間になったから道徳的な責任が問われ得ると考えられるけれどもそれだけでは国民の意向に関わる部分が理解できない。たとえ人間になったとしても天皇ならではの固有の思考があるのはなぜか。現行憲法では象徴だから国民に何の責任も負ってないし、そうしたら天皇が逆に支配されている――退位するなと動かされている――みたいにおかしなことになってしまう。天皇の一存と呼べるだけの可能性があるのは明治憲法での憲法擁護義務の独自の解釈のためだと思う。 昭和天皇は法体系を越えて自分のことを自分で決めることができたからこそ戦争責任を誰よりも精確に捉えて独自の仕方で正しく全うすることもできたに違いない。 参考サイト昭和天皇の戦争責任論終戦から独立回復 昭和天皇を取り巻く状況南原繁における「戦後」(PDF)私たちがまだまだ知らない「東京裁判」とは何だったのか? コメント 新しい投稿 前の投稿
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