吉岡里帆のグラビアに感じる色の白いは七難隠すの美しさ 結城永人 - 2023年8月9日 (水) 近年、最も好きな女性芸能人というと吉岡里帆で、去年の恋人にしたい女性有名人ランキングで、初めて一位に入ったり、二十代後半の見た目が最も良いだろう今こそ全盛期を迎えたと思う。 僕が吉岡里帆を初めて知ったのは2016年のUR都市機構の「URであーる」というCMで、全てが良いと思える本当に心から引き付けられる俳優が久々に出て来た――芸能界で天使好きな国分佐智子以来の衝撃か――と喜ばしく感じた。 しかしその後に驚かされたのはかつて男性誌のグラビアで、水着などのセクシーな姿を披露していてさらに全国的な人気を得てからも同じことをやっていたと分かって飛んでもなく優れた女性芸能人だと改めて感激した。 吉岡里帆の有名になってもグラビアを続ける心意気 ロングロングバケーション|集英社 俳優だと無名時代に売れるために男性誌のグラビアで水着やヌードをやる女性は少なくなくて大抵はそのまま、売れずに消えて行くような感じがするけど、しかし売れた場合は止めることが普通だろう。やってもドラマや映画の場面だけみたいな感じで、男性誌のグラビアからは基本的に遠ざかることが多い。 吉岡里帆はそうではない。大人しそうに見えるから男性誌のグラビアをやっていたことは無名時代だけでも非常に驚かされるけれども全国的に有名になったと思われる2016年の「URであーる」のCMの後でも、結構、やっているのが凄い。心を引き付ける魅力からすれば無名時代を支えてくれた人たちへの感謝を忘れないためではないか、またな恩返しとしてやり続けてくれているようで、素晴らしい好感を抱かずにはいられなくなる。 水着が嫌で泣きながらもやって良かったというグラビアへの思い 里帆採取 by Asami Kiyokawa|集英社 吉岡里帆は俳優として生きて行くつもりで、二十歳の2013年に週間プレイボーイから初めて声がかかったときは自分とは最も遠い世界のような気がして、危険な一歩を踏み出すみたいな心持ちでいたんです(注目女優・吉岡里帆が語った駆け出しの頃の“内緒話”--「危険な一歩」だと思ったのは…)とやりたくない感じが強くて号泣したらしい。 しかし大絶賛となり、俳優として注目される切欠になったようで、少しずつドラマやCMなどへの出演が増え、本人も納得しているし、有名になってからも止めない。 吉岡:あの時間もある種、文字通り切り売りの時間だったんです。だって私は水着姿なんて絶対出したくなかったし、両親からも、「本当に結婚するような人にしか見せちゃだめ」という教育を受けてきたから。それを、全国区の、ワンコインで買える週刊誌で披露して、1週間後には廃棄処分されて。こんなに脱いでも、翌週には別の女の子のことを見るんだろうなと思うと、自分のその「旬すぎる時間」みたいなものがすごく辛かったです。 吉澤:そうですよね……。 吉岡:でもこれを言うと、ファンでいてくれる方たちはすごく怒るんですよね。「応援している人をバカにしてる」という手紙をいただいたこともあります。でも決してバカにしているわけじゃなくて、やりたくないというのは私の偽れない本当の気持ちで、でも、そう思いながらも脱ぐことに意味があると思っていました。嫌なんだけど、自分の夢をつかむために、それをやってほしいと求めてくれる人がいる以上、その人たちに応えるのが私の生き方だということに抗えなかったんです。 私が本当に自分の好きなことだけをする人間だったらーーつまり、人に染まるんじゃなくて自分の色に染めたいような人間だったら、グラビアはやっていなかった。でも、誰かに染められたい以上は、これもやらなければと思ったんです。だから、自分で選んだという自信はあります。同時に、「私は最初にこういうハンデを抱えるんだ」というのもお芝居をしていくうえでの覚悟に繋がりましたし。 吉澤:ハンデと言うと? 吉岡:人は、脱いだ人を「脱いでる人が芝居している」って見るんですよ。脱がない人のことは、はじめから「この人は芝居する人なんだ」という目で見ます。その壁ってすっごく厚くて高くて、自分で自分の首を絞めるみたいな行為をしてしまったと思うこともあります。でも、時間が経って、それがよかったと言ってくれる人がいるのは、やっぱりすごく嬉しい。今となっては、グラビアは本当にやってよかったです。 吉澤:すごく素敵な話。 吉澤嘉代子×吉岡里帆 物語に救われた私たちは物語と生きていく|CINRA 僕も吉岡里帆のグラビアは良いと思うけど、しかしそれは普通の意味ではない。かつて見たこともなかったような魅力があるという特別な意味を持っている。 最も衝撃を受けたのが肌の白さで、諺の色の白い七難隠すという日本女性の昔ながらの固有の美的感覚を思い起こさせられた。和風美人とは何かを改めて考えさせられるし、吉岡里帆の水着姿は只単に考えると可愛いだけではなくて芸術性も発揮していると受け留める。 参考サイト吉岡里帆インタビュー「私が志村けんさんからもらった言葉」ドラマ、映画に大注目の吉岡里帆が初グラビアで泣いちゃった?「自分のお尻をじっと見られるなんて...」「水着なんてやりたくなかった」発言の吉岡里帆が『グラビア回帰』に国民が激怒するも「ただ見ないとは言ってないからな!」の声 色の白いは七難隠すという諺の成り立ちについて Make-up by Hashiguchi Goyô / Public domain 近年でも美白という言葉があって色白の女性が美しいという感覚が日本にはある。 色の白いは七難隠す肌の色が白い女性はその他に醜い部分があっても気にならないくらい美しい。 色の白いは七難隠すが諺として最初に出て来たと確認できるのは江戸時代の江島其磧の浮世草子の世間娘容気(1717)で、「色の白きは十難隠す」という表現だった。 色の白きは十難隠すといって。素肌で耐えられる顔にも白粉を塗り付けた。見えない所はそのままにして。顔と首筋と安楽庵の袋を見るようで。片方ずつやるのも見苦しかった。 原文 色の白きは十難かくすとて。生地にてかんにんのなる顔にも白粉をぬりくり。目の行かぬ所はそれなりけりにして。顔と首筋と安樂庵の袋見るように。片身がはりなるも見苦しかりき。 ※安楽庵の袋:安楽庵策伝が命名した袈裟裂やそれに類する古金襴で作られた袋。 江島其磧の世間娘容気(訳出) 色の白きは十難隠す、その他にも米の飯と女は白い程良いという表現もあるようだけど、しかし現代では色の白いは七難隠すしか聞いたことがない。 江戸時代では色白の女性が美しいという感覚が広まっていて顔を白塗りにする化粧法が流行っていた。 人は生まれながら三十二相揃った美人というのは至って少ないものだ。化粧の仕方、顔の見せ方によって巧く美人にするべきである。その中でも色の白さを第一とする。色の白きは七難隠すと諺にいう。 原文 人生まれながらにして三十二相揃いたる美人というは至って少なきもの也。化粧の仕様、顔の作りようにて、よく美人となさしむべし。その中にも色の白きを第一とす。色のしろきは七難かくすと、諺にいえり。 佐山半七丸の都風俗化粧伝(訳出) 江戸時代の美容指南書の都風俗化粧伝でも色の白さは七難隠すが出て来た。三十二相は仏教で仏陀や転輪聖王が身体に持つとされる優れた特徴のことで、生来、そんな謂わば絶世の美女はいないから化粧をしなくてはならない。最も重視されるのが色白だった。 日本の女性の多くが顔だけではなくて耳や首にも白粉を塗っていた。 江戸時代以降も続いて昭和時代の第二次世界大戦が終わる頃から欧米の肌色の化粧法が優勢になって白塗りは廃れて行った。現在、見られるのはおよそ芸者や歌舞伎役者などの伝統文化だけになっている。しかし色白が美しいという感覚は残っていて素肌の白さを美人の条件と捉えて美白効果の化粧品が人気だったりもする。 日本人の白塗りは平安時代の貴族の礼儀から千年以上も続いた Yuzuha by Akihito Miyaji / 舞妓さん 撮影会 (55maiko.net) / CC BY-SA 日本人の白塗りが始まったのは七世紀の飛鳥時代といわれる。中国から白粉が伝えられた。ハラヤという軽粉(塩化水銀)とハフニという鉛白(塩基性炭酸鉛)があった。世の中に定着したのは八世紀の平安時代で、貴族が礼儀の一種の身嗜みとして白塗りを日常生活に取り入れた。 平安時代になり、中国文化の影響が薄れてきたこと、基本的に暗い部屋のなかで顔をきれいにみせるためには白が映えるということで、白化粧が盛んになったと考えられています。 日本における化粧の歴史とその色彩。古典的な赤化粧から、白粉を使った白化粧について|iroai.jp 貴族は身分が高いほどに屋敷の簾で仕切られた奥にいることが多くて昼間でも周りが暗かったので、顔を真っ白にすると明るくて見易くなったから好まれたようだ。さらに上流階級の外に出て野良仕事などをしない身分、すなわち日に焼けない生活による白い顔を象徴するものとしても使われた。主に女性がやっていたけれども男性もやっていた。 舎人の顔が地肌も露わに、白粉が行き届かないところは本当に黒い庭に雪が疎らに消えた心地がして見苦しい。 原文 舍人がかほのきぬもあらはれ、白きものゝゆきつかぬ所はまことに黑き庭に雪のむら消えたる心ちしていと見ぐるし。 清少納言の枕草子(訳出) 平安時代の舍人は貴族に仕える下級役人なので、貴族の周りの従者も男女を問わず、白塗りをやっていたんだろう。 その後、貴族が衰退する戦国時代を経て天下泰平の世とされる江戸時代に入ると初めて白塗りが庶民にも幅広く受け入れられ始めた。 顔だけでなくて耳や首、場合によって胸元や背中までやるので、安価なハフニという鉛白の白粉が普及した。 ところが鉛中毒が増えて母親から胎児の悪影響も出るなどの社会問題になって1934年に鉛白の白粉は禁止された。 色白の美しさは日焼けをしないという印象があって平安時代の貴族はそれを上流階級の身分を示すものとして捉えて白塗りに託した。しかし外で、齷齪、働かないことが家で落ち着いて過ごす上品さや優雅さに通じるものとして捉え直されたのが江戸時代なんだろう。加えて力仕事をしないことが男性に比べればずっと女性に近くて向いている。 参考サイトベースメイクはいつから始まったの?伝統化粧の完成期化粧の文化史「色の白いは七難隠す」ということわざがありますが、このことわざの由来... コメント 新しい投稿 前の投稿
細川慎二のどうにも泣けて来てしまうストリートライヴのアルトサックス サックス奏者の 細川慎二 のYouTubeチャンネルの Sax in the Night City で出ているサックスのストリートライヴの動画が美しい音色と相俟った街角の雰囲気の良さで心底と泣けて来るほどの感動を催させる。 細川慎二のアルトサックスの美しい音色が響き渡る街角の...
宜保愛子は本物の霊能力者だと考えられる三つの真実 昭和から平成にかけてテレビや雑誌で何度も大きく取り上げられて物凄く活躍した霊能力者の 宜保愛子 がいた。何気なく昔のテレビ番組を観ていたら霊視は嘘だったと思えない内容で、本当にびっくりした。昔、そんなに引き付けられて観ていたわけではないし、改めて霊能力が本当かどうかを確かめようと...
平田監督の白井球審の誤審への抗議はパワハラへの強力な対処法に他ならない 日本プロ野球で 佐々木朗希が完全試合を実現して 次の試合も八回まで無安打と無失点の状況で、次の試合はどうかと注目した4月24日の対オリックスバファローズ戦は初回の先頭打者の初球にヒットを打たれて五回に二失点を喫して連続の無安打と無失点が両方とも途絶えてしまった。 しかし予想外...
伊良部秀輝が自殺した原因はミッドライフクライシスによる鬱と飲酒だと考える プロ野球選手の 伊良部秀輝 が自殺したと知ってショックを受けたことがあった。もう十年以上前になる。2011年の夏、享年四十二と早過ぎたのに加えて大好きな投手の一人だったので、とても残念に感じた。 目次 伊良部秀輝が大好きだった記憶 負けても自分のスタイルを貫き通した 野球への...
アドセンスのGDPRに日本でも対応しなくてはならない場合がある アドセンスの個人情報のCookieなどの使用に関してサイトの訪問者に同意を得なくてはならない法律としてEU(European Union/欧州連合)の GDPR (General Data Protection Regulation/EU一般データ保護規則)がある。外国の個人情報...
玉置浩二のメロディーは涙腺緩んで総毛立つ名曲中の名曲だ 玉置浩二 のYouTubeの公式チャンネルで、最も気に入りの メロディー のライブ版が追加されていた。曲自体をちゃんと聴いたのは約二十五年振りかも知れないけど、しかし初めての内容から以前にも況して大変な感動を覚えることになった。 玉置浩二 『メロディー』Live at Tok...
日本人がジャニーズ事務所で行われた性加害よりも恐れていること イギリスの公共放送のBBC(British Broadcasting Corporation/英国放送協会)が日本のジャニーズ事務所の創業者の ジャニー喜多川 の性加害について取り上げたドキュメンタリーの J-POPの捕食者:秘められたスキャンダル に衝撃を受けた。 目次 ジ...
沖雅也の涅槃への自殺と双極性障害 かつて俳優の 沖雅也 の自殺が伝えられたとき、遺書の言葉とされた「おやじ、涅槃でまっている」と共に何なのかと疑問を感じたのを良く覚えている。聞き慣れない「涅槃」という言葉が入っても何十年も過ぎた今振り返っても自殺者の遺書として本当に珍しい表現だったと改めて驚く。 沖雅也が書い...
Imgurで画像URLと埋め込みコードを取得する方法 Imgur は自分でアップロードした画像については画像URL/直リンクを取得して他のサイトにHTMLのimgタグで表示させられる。 そして自分と他の人たちも含めて画像の埋め込みコードを取得して他のサイトのHTMLに、そのまま、記載して表示させられもする。 目次 Img...
生島浩の5:55の心の目に光り輝く尊さ 日本の ホキ美術館 は日本人の画家の写真のように細密に描かれた写実絵画を中心的に所蔵している。その中で、絵を印刷したポストカードの売り上げがホキ美術館の設立当初から一位で、常に最高の人気を誇るのが生島浩の 5:55 (五時五十五分)といわれる。僕も一見して忽ち引き付けられる物凄い...
コメント