スキップしてメイン コンテンツに移動

些細な日常

ラベル(いじめ)が付いた投稿を表示しています すべて表示

サヘル・ローズの孤児と虐待とホームレスといじめを潜り抜けた生い立ちの奇跡

イメージ

テレビで見かけてイラン出身の芸能人で日本で活躍するのは珍しいと思っていた サヘル・ローズ の生い立ちがドキュメンタリーの砂浜に咲く薔薇(ばら)のように(こころの時代~宗教・人生~)を観た。 サヘル・ローズとフローラ・ジャスミン| サヘルローズ 今の煌びやかな姿からは想像し難いほどの過酷な経験を強いられていたと知って非常に驚かされた。 イランで戦争孤児となったサヘル・ローズさんは、養母と救いを求めて来日後も、壮絶ないじめやホームレス生活などの過酷な体験を重ねた。自ら命を絶とうとした時、母子関係に劇的な変化が生まれる。「生かされている意味」を考え続けて格闘してきた人生。難民地域など世界の子供たちを訪ね、自分が「今」を生き抜く「種」をまき、育てる旅を重ねる。次々と襲い掛かる現実を乗り越え生きる思いを聞く(2019年11月初回放送) こころの時代~宗教・人生~「砂浜に咲…

薬害エイズ事件の被害者で国会の参議院議員の川田龍平が結婚してから免疫力を標準値まで上げていた

イメージ

今まで見て来た同時代の政治家で最も心を動かされたのは 川田龍平 だった。 薬害エイズ事件 の被害者として血友病の血液製剤からエイズに感染してしまったものの積極的に声を上げてそうした団体と共に当時の血液製剤の基準を監査していた厚生労働省や提供した製薬会社を法的に訴えて勝ったんだ。以降、国会の参議院の選挙にも立候補して当選を何度か繰り返しながら政治活動を続けて現在に至っている。 川田龍平は命の尊さを体現する政治家だ 川田龍平 メッセージ|Ryuheiouen エイズは発症しないだけで、感染したままらしくていつ死んでもおかしくないような状態だから生きているのは奇跡だと感じさせるのが詩的だし、命の尊さを体現する存在に他ならないから素晴らしく気に入っている。 川田龍平は2008年2月に三十二歳でジャーナリストの 堤未果 と結婚したけれども 川田龍平 堤未果と結婚して起こった変化と…

東京都江戸川区女子高生殺人事件の青木正裕は生活設計の成り立たない借金に苦しみながら気持ちが死んでいた

イメージ

テレビで東京都江戸川区女子高生殺人事件の裁判のニュースを観た。女子高生が興味本意で首を絞められて殺害されたという内容だった。知って相当に気がかりな感じがした。 犯人の青木正裕は 極貧状態のどうしようもない生活 だった。もはや死ななければならないから自殺するよりも他殺して裁判で死刑になる方を選んだらしい。特徴的なのは誰かの首を絞めてみたいと女子高生を狙って興味本意から犯行を企てていた。猟奇殺人の一種だけれども必ずしも主要な動機ではなくて極貧状態から来ているというところが何なのかと訝らせる。 常日頃から胸にもやもやを相当に抱え込んでいた性格だったせいだと推測される。 借金が百万円以上もあったみたいだ。自分で返せなければ投獄されてでも人生をやり直すしかなかったのではないか。どうしようもないと何もかも諦めて死ななければならないと考えてしまったんだ。 僕もかつて同じよう…

嫌いな人間は本当は人生で役立っている

イメージ

面白いのは良さを持っている、好きなだけではなくて嫌いな人間でも。だから余りに逆らい過ぎると自分こそ良さを失いながら死ぬしかなくなりもするのではないか。 地獄の道理、すなわち閻魔の悪知恵ならば流石にやはり人間を破滅させるように神から上手く作り出されていると驚く。 懇意、止めてくれれば助かるのに人間だけが確実に生き延びるのも不合理なためだろう。 人間同士でも力関係があって嫌いな人間が強いほどに人生は厳しくなるわけなので、弱いままで倒れないためにはそうした力を認めながらむしろ自分にしっかり取り入れて完全には敵視しないように努めるべきだと思う。 なぜ人は人を嫌うか 根源的には思想に反するせいで、人々は敵対する。世の中で討論会にかぎらないし、さもなければ却って真実を見落とし兼ねない。 思想は人間の存在を形成している。生死を懸けて宗教戦争でも何でも起きるわけだ、互いに嫌い…

いじめは平和によって救済される本質を持つ

イメージ

人々は知らない、平和とは何かを。だからいじめは行われる。世の中の紛れもない真実だし、知覚の大前提が倒置法で表現されなかったらおよそ猿でも分かる日本語でしかなかったに違いない。 平和を知っていれば人々はいじめを行わなかったはずだ。注意すると戦争と対置した平和の心だけがいじめを救済すると僕は考えているのではない。平和が争闘と対置されるかぎり、争闘の一種としてのいじめが平和そのものによって起こり得ないと読んで聞いて貰わないと困る。 すなわち戦争の対義語の和平からはいじめの本質は掴まれないのではなかったか。僕は平和の心で人々を救済するつもりはないし、世の中を改善しようともしていないので、神と天使に祈って気がかりなのは何よりも争闘の一種としてのいじめだと断っておく。 考えてみると平和を知らない誰かがいじめに巻き込まれるだけではなく、知っていてもそうなのは本当は知ら…