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些細な日常

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ビスフェノールAは低用量でも脳への危険性が懸念される

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環境ホルモン/内分泌撹乱物質の一つの ビスフェノールA (BPA: Bisphenol A)は前世紀後半から健康への悪影響の恐れがあると不安視された。 ビスフェノールAが人体に取り込まれる原因となるもの ポリカーボネート製のプラスチック容器など エポキシ樹脂の防腐塗装の缶詰め食品など ビスフェノールAは女性ホルモン(エストロゲン)様作用があって健康被害を齎すかも知れないと研究が行われた。 ビスフェノールAの従来の生殖毒性は殆どない マタニティフォト by こっとんママ ビスフェノールAに通常の使用で環境ホルモンとしての有害性はないと考えられる。 ビスフェノールAは元々、1998年に環境庁(現・環境省)の”環境ホルモン戦略計画SPEED’98-化学物質リスト”で内分泌系への影響が懸念される化学物質の一つとしてリストアップされたことから環境ホルモンと言われるようになりました。 その後の環境省の調査・研究により、…

白い恋人という北海道の人気の土産物の菓子を食べてみた感想

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北海道で人気の土産物として菓子の 白い恋人 (石屋製菓)が挙げられる。1976年に発売が開始されてから現在では年間に二億枚程度を生産するほどに良く買われているようだ。国内ではもはや白い恋人という名前を聞いたことはない人はいないくらい北海道の菓子として知名度は高いかも知れない。加えて海外からの旅行者にとっても日本を代表するものの一つに数えられる。 僕は買ったことはないし、北海道へ行ったこともないけれどもそうした人から土産物として貰うことは偶にあった。大抵、一枚だけ挙って食べて終わりで、何ということもない菓子だからむしろどうして国内や海外で物凄い人気なのかを訝っていた。記憶に残るような格段の印象はなかった。 しかし初めて一箱貰って九枚入りの定番のホワイトをしっかり味わいながら食べてみたらこれは確かに人々が唸って店に殺到してもおかしくないくらい素晴らしい菓子だとついに認めるに至ったんだ。 ラングドシャと…

ネオニコチノイド農薬は蜜蜂の大量死・失踪/蜂群崩壊症候群と人間の神経障害の原因になる

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ノーベル文学賞のクロード・シモンも本を出版できないフランスのエスプリで本物の文学はどこへ行ったか

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フランスで面白い実験が行われて有名作家のかつてノーベル文学賞まで貰った小説の俊英の クロード・シモン の作品の抜粋を国内の様々な出版社へ送り付けるも本にするのを悉く断られてしまった。 ボル氏によると、ある編集者は「一文一文が果てしなく長く、読者を完全に突き放している」と感想を述べたという。 ノーベル賞作家の作品送ってみたら…全出版社がボツに ファンが「実験」| AFPBB News 笑うのはクロード・シモンがフランスの小説家だった Prix Nobel Claude Simon|Ina Culture 二十世紀中盤に流行っていた文学潮流で、ヌーヴォーロマン(新しい小説)の代表格、またはアンチロマン(反小説)の最有力として専ら アラン・ロブ=グリエ と共に並び称されるような存在だったそうだ。一般人ならば未だしも本の出版社が自国のノーベル文学賞の有名作家の作品を知らないと暴き出されてしまったのをどう受け取るべき…

デカルトの「我思う、ゆえに我在り」は現実そのものを掴んだ哲学の第一原理だ

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哲学の命題で最も分かり難いというか、どうとでも受け取れるように人々が自由気儘に捉え易いのは「我思う、ゆえに我在り」( デカルト )の他には滅多にないだろう。只単に言葉としてもとても有名で、口に出した本人、デカルトの代名詞にも等しい。 Portrait of René Descartes by Frans Hals / Public domain 数学や物理学などもやっていたようだけれども「我思う、ゆえに我在り」の一言で哲学者のイメージが物凄く強いんだ。思考と存在を単刀直入に結び付けた表現は如何にも簡単らしい。ところが謎めきも凄まじくて何なのかと真剣に向き合うと全ての理解を弾き返すほどの印象を与えて止まない。 デカルトの「我思う、ゆえに我在り」という言葉は何を意味するか この土地での最初の省察を諸君に語らねばならぬかどうか私には分らない。それはあまりに抽象的なもの、かつあまりに一般的ならぬもので、それ…

ヴィヨンの死刑と共に歌われた不幸な詩へ

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生活苦に苛まれるほどに親近感が湧いて来る詩が ヴィヨン の 首吊り人のバラード だった。 十五世紀のフランスの詩人で、ならず者みたいな生き方だったらしい。窃盗や暴力/殺人などによって幾度も投獄された。それこそ悪の詩人を地で行くという形で、三十歳を過ぎた頃に止まらない犯罪からついに絞首刑を宣告されてしまった。 ヴィヨンは現世に別れを告げるような思いで自らの死を控えながら 首吊り人のバラード を歌ったとされる。 墓碑銘 ともまさか題されている。モチーフはいうまでもなく、自分らしさそのものだ、果てしなく、悲しい気持ちだったにせよ。 François Villon from the Grand Testament de Maistre / Public domain 結果的には減刑されて絞首刑は執行されずに地域:パリの十年間の追放処分だけで済んだみたいだけど、ただし後の消息は歴史的に途絶えていて三十二歳で亡くなったこと…