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ラベル(些細な日常)が付いた投稿を表示しています

ティツィアーノの本当は禁じられた美しさ

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ティツィアーノのフローラは数多くの画家に模写されていて後世に絶大な影響を与えたと知って俄然と見てみたくなったし、なぜなのかが気になって仕様がない感じがしてしまった。Flora by Titian [Public domain], via Wikimedia Commons目を引くのは何よりも肌の風合いだろう。細かい凹凸があるようではないか。自然の光を取り込んで色彩が千変万化する印象を与える。砂漠を想像させる美しさを宿しているし、特有の詩情を湛えた色塗りだ。風に吹かれながら表情を絶えず、変化させながら形を織り成している砂の魅力が心地良い。柔らかさが絶妙で、それに合わせて輪郭線が引かれているようだけど、輪郭線の風合いはただし固いからイメージのバランスが取れているかどうか、芸術性については世の中で評価が真っ二つに分かれるだろう。ミケランジェロがティツィアーノのアトリエを訪れて色塗りは絶賛したも…

霊感へ訴えかける言葉遣いは人々へ明け渡されたはずの真実から生まれた

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いっておくべきではないかと思う、先月の後半から些細な日常の言葉遣いが人々の霊感へ訴えかけているかも知れなかったと。貴方だけではなく、僕も認めているのだから実際には余り驚き過ぎないで欲しい。気付いた頃から数週間を経て最近はもう怪しまれもしなくなったようだ。ただし些細な日常というか、ブロガーとしての作家の僕自身の表現力が変わったわけではなさそうだ。考えるとむしろ言葉遣いの霊感への効果は完全に広がってしまってそれ自体で目立なくなっているに過ぎないはずだ。不思議な気持ちならば世界を部分よりも全体で味わうほどに違和感が薄らいでしまうのと同じだと思うよ。振り返るとブログのアクセスアップへ向けた人々のために猿でも分かる日本語で明け渡される真実を伝え届けるという自己表現の三つの段階を経てついに生み出されたようだ。僕は予測してなかったにせよ、文芸的に面白いし、霊感までは気付かない人もいるとしても記憶され易…

フェルメールの光り輝く親密さのイメージ

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青年期、雑誌で初めてフェルメールの絵を見て余りの目映さに美しさの驚異を感じた。それ自体が光を放つように仕上げられているフェルメールの絵という印象を直ちに抱いた。電球が入っていて内側から照らされているような気持ちさえもしたので、異例中の異例の芸術作品ではないか、僕にとってフェルメールというと出会いの素晴らしさと切り放せなくなってしまっている。それからしかし分かったのはメディアによって相当に違う、表示されているフェルメールの絵の質感が。好きだと気に入って本屋で画集を開いてみたら望むべき光のひの字もなさそうだと確かめるように瞬いては狼狽えたし、これも初めての発見だったかも知れないけれどもあからさまにはまさか絵は実物で見るのと写真では違うんだろうと僕は写真でしかフェルメールの絵を見てないにせよ、思い知らされずにはなかった。The lacemaker by Johannes Vermeer [Pu…

理解者に疑う余地はないから生活も安らぐ

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僕を心から応援してくれた人、貴方が理解者にも拘わらず、地獄の連中の仲間だと少しでも認めてしまって申し訳なかったと思う。やはりあり得なかった、理解者に背かれるなんて最初から。気付いて本当に良かった。何もかも落ち着くし、生活こそ本当に安らいでいる。切欠は些細な日常だろう、正しく。貴方が知らないはずの僕の事実を知っていてなぜかと訝られた。真っ先に思い浮かんだのは地獄の連中だった。聞かされたんだ、思いは貴方の陰湿さを囲い込むばかりだった。地獄の連中が知っている僕の事実に理解者の貴方が僕の目が届かないところで触れたに違いない。憤りに駆られながら貴方なんかどうにでもなれと地獄の連中と共に愛想を尽かさずにはいられなかった。詩人としても救いようがなかったし、いうと地獄の連中と貴方が理解者でも同類ならば相手にしないだけが唯一の悔い改めさせる道になるからまさか嫌われ甲斐でもあるみたいに神と天使と共に天国の幸…

ラガーフェルドの白猫は10カラットのダイアモンドだ

シャネルのデザイナーのラガーフェルドを考えながら非常に好ましいとセンスに脱帽しながら尊敬の念を覚えたけれども極め付けが飼っている白猫だった。 KARL LAGERFELDさん(@karllagerfeld)がシェアした投稿 - 2017年 1月月1日午前5時33分PST 可愛いとしかいいようがないし、益々というか、むしろ途中で気付いて――公式のInstagramの一枚――引き付けられながらラガーフェルドは何者なのかを、俄然、知りたい気持ちが募らずにもいないわけだった、実際上。しかし白という色も謎めいていてラガーフェルドの髪も白いので、何かあるのではないかとほんの些細な爪楊枝の先程度でも気がかりな疑問に躓きながら直ぐにはブログに取り上げられなかった。結局、シャネルのファッションブランドの創設者でデザイナーのシャネルが遺言で白い花を求めていたから特別な思いがあると想像されたので、一つの純粋さだけ…

日常の些細な出来事に触れる幸せの味わいは小さいというイメージが欠かせない

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誰にでも分かる些細な日常というと他でもなく、小さな幸せの味わいではないか。永遠の詩人として本質的な認識に基づく命の尊さを伝え届けくてはならないと考えるけれどもアクセスアップのためには誰にでも分かる些細な日常のイメージも大事にするべきだろう。小さな幸せの味わいをどこまで膨らませられるか。考えると面白い。驚き捲りの人みたいになるしかなさそうな僕で、何かに触れては凄いとか素晴らしいなんて命が幾つあっても足りないほどの形相で日々を過ごしている。飛び上がり過ぎず、傍目にも親しみ易く映るならば些細な日常のブログとしての人気も増して来ないともかぎらない。ある意味、それが薄いから常連も付き難いのではないか。誰かが来て些細な日常に違和感を持たれては不味い。思ったのと違うとなると気持ちが離れてしまい兼ねない。小さな幸せの味わいがちゃんとあれば逆に引き付けられるわけで、見過ごせないどころか、注目してさえも決し…

ブログを開設しても三ヵ月くらいは伸び難いのがアクセスらしい

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TumblrからBloggerにメインのブログ、些細な日常を移転してもうそろそろ一ヵ月に差しかかっている。アクセスはというと一日二三人がやっとの状態で、成長する気配が全く見えないし、まさか頭髪の悩みと被るほどに手立ては余りにも遠い。相変わらず、閑古鳥も鳴き続けているわけだ。個人的に恐ろしいのは前サイトと同じになるのではないか。アクセスが一日五人をコンスタントに越えるのに一年以上が費やされたブログだった。色々、考えながら掴んだ新しい方法を全て取り入れながら再出発しているので、もっと早くアクセスは伸びて欲しいし、さもないと心が折れてしまい兼ねないだろう。失敗を繰り返してばかりの挫折続きの人生は厳しい、いうまでもなく。本当に勘弁して貰いたい、神に祈るべき言葉は他には何もないと思う。検索アナリティクス via Search Consoleアクセスアップの本命はGoogle検索で、ブログの記事が検…

人生を賭けたチャレンジブログに明日は訪れるか

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ブロガーで良いというか、もう本当にブログに人生を賭けて作家活動をやるしかないと鮮烈に思われて来た。二十代から小説で十年くらいやってプロにはなれず、三十代から十数年くらい詩をやり出したもののやはりプロにはなれずに今現在のブロガーに至るまでには四十代中盤からだけれども本は出版できないままながらサイト広告でプロへのスタートラインに立つことが何とかできたわけだ。作家としてプロへの夢を叶えるとすると三度目の正直だったと気付いた、目覚ましく。かつて小説家よりも詩人を求めたように詩人よりもブロガーを求めて生まれ変わるように作家活動の主力をブログの些細な日常として人生も考えるべきではないか。ブロガーの域に達したと詩や他の創作がメインで、ブログがサブという位置付けを取り払って少なくとも同じくらい一生懸命に頑張りたくなったと示したのが一昨年の暮れの約一年前だったけれどもまだ足りないし、アクセスは遅々と芳しく…

些細な日常の素晴らしさは生きる喜びに他ならない

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些細な日常の二番目の基本バナー:使用中些細な日常の二番目の記事用バナー:使用中ブログにTwitterカードを導入してインデックスページや記事に画像がない場合に固定で別の画像を付けるためにバナーを新しく作り直した。今回のバナーを載せたGoogleフォトからの画像URLをTwitterカードのソースコードに当て嵌めておけば大丈夫なんだ。最初のものはサイズが小さ過ぎて画質が悪いから止めざるを得なかった。色使いが淡くてブログのイメージに合わない感じもするのに採用してしまうのが不思議なバナーだと首を傾げる。端的には些細な日常の素晴らしさを詩的に表しているとしかいいようがない。地球を動かしているのは誰か。僕一人では無理だし、世界をどんなに正しく認識しても動かすとなると地球へは力不足なので、何もかも些細な日常だと考える。ブログのアクセスが遅々と伸びないとかなんて災いも絶えないにせよ、生きる喜びのかぎり…

マラパスクア島の青い海と白い砂浜と瑞々しい空の広がりに

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フィリピンの小島の一つで、カランガマン島も素晴らしいけれどもそのそばにマラパスクア島というやはり同じように引き付けられる場所がある。Beach at Tepanee Beach Resort, Malapascua by Matt Kieffer [CC BY-SA 2.0], via Flicker青い海と白い砂浜と瑞々しい空の広がりに感動を覚えざるを得ない心持ちがして生活も安らぎで一杯になりそうだ。フィリピンにはセブ島という観光の世界的な目玉があってその他にカランガマン島やマラパスクア島などの小島が幾つも点在している。何れも亜熱帯の美しい光景が堪能できる。地球上で自然の織り成すかけがえのない世界の一つに甚だしく数えられるのではないか。些細な日常も視野を広げるほどに新しい喜びに触れられるとまざまざと思い知らされるようだ。マラパスクア島の素晴らしさにはぐうの音も出ない綺麗なもの、透き通っ…

ブログは書き残す楽しさが止められない

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感じられる、ブログに記事を書き残す楽しさを。止めたくないし、止められないと正しく思う。作家活動が天職だからというよりも鳥が空を飛ぶように自然にできるように変わったのではないか。天職もそうだし、楽しいといえば楽しいわけだけれどもやはり神に決定されているかぎり、なぜ自分がやらなくてはならないのか、疑問が少しも生じないはずの気持ちではなかった。いうと能力的に向いているに過ぎないし、天職としてのブロガーは本当に些細な日常の一幕の思考によって結論付けられるだろう。生まれ付きの作家・詩人で、全ての創作への取り組みも生得の世界なので、やらない方がむしろ不思議なくらいに頷かれ捲ってしまう。改めてしかし胸のうちにブログへの思いが湧いて来た真実を受け留めながら驚いているんだデザインが大きそうだ。心から気に入っている。Bloggerのデフォルトのテンプレートは日本語に合ってない感じがしてかつてない調整を強いら…

Bloggerでブログを開設しても直ぐにはアドセンスのガジェットが使えるようにアカウントの関連付けはできない

Bloggerはサーバーのサイト広告がないだけではなくてテンプレートのレイアウトのガジェットからアドセンスのサイト広告を貼り易くなっている。提供元が両方ともGoogleだから速やかに最適化されているという感じがする。しかしアドセンスのライセンスを持っていてもBloggerでブログを開設して直ぐにはウェブの編集で「収益」からのアカウトの関連付けができなかったんだ。他にもBloggerでブログをやっていて予め分かってはいたもののどのくらい待たされるのかまでははっきり突き止めてなかった。些細な日常はメインのブログだからアクセスを期待しながら収益化へ向けてアドセンスのサイト広告は是非とも貼らなくてはならないし、万一、無理だったらBloggerを止めるしかない感じになってしまうので、短期間でもアドセンスのガジェットが使えない状態は肝を冷やすほどの恐怖でしかないわけだった。調べてみると人それぞれで違…

人生を共に歩んで来たドラゴンクエストに明かされる自分らしさへの八つの真実

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ゲームのドラゴンクエストが三十周年を迎えてしまった。狼狽えるのは中学時代に初めて夢中になったせいで、何といっても年月の長さを重々しく受け留めざるを得ない。人生を共に歩んで来たに等しい。ドラゴンクエスト30周年プロジェクト 紹介映像 via スクウェア・エニックスシリーズはⅧまでしかやらなかったけれども三十代中盤だから、都合、二十年程は著しく身近だったし、いつもいつも心の片隅を占める存在だった。珍しいだろう、ゲームは好きならば、皆、そうかも知れないにせよ。驚くのはやはりドラゴンクエストはとても長い。二十年程も心の片隅を占め続けたゲームなんて他に思い付かないから記録的だし、振り返っても圧倒される。振り返って人生で何があったのかドラゴンクエスト毒の沼地にズボズボ嵌まるのが嫌だった。ダメージは小さくても受けたくないという。しかし目的を達成するためには嫌でも通り抜けなくてはならないし、やらなくては…

ツタンカーメンの黄金のマスクはなぜ美しいのか

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一度、見たら忘れられないような感じがしてしまうツタンカーメンの黄金のマスクだけれども本当に美しいとしかいいようがないわけなんだ。TUT-Ausstellung_FFM_2012_47 by Carsten Frenzl from Obernburg, Derutschland [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons古代エジプトでは珍しくなかったはずの王の煌びやかな副葬品の一つながら盗賊によって殆どが持ち去られてしまって現代まで残っている黄金のマスクはツタンカーメンの他には二つ(プスセンネス一世とアメンエムオペト)くらいしかないらしい。心から感動するのは民芸品のせいだ。現物はエジプトのエジプト考古学博物館に所蔵されている。美術的な価値は高くて値段を付ければ数百兆円とも聞かれるにせよ、制作動機はやはり飽くまでも些細な日常だろう。ツタンカーメンの黄金のマスクには人…

ピラミッドは正しく尽きない魅力の宝庫だ

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昔から引き付けられて仕様がない。形といい、色といい、そして何よりも大きさという。一度、見たら忘れるのも容易ではなかった、振り返ってみると威圧されたようで。青空に突き刺さる先端のピラミッドは小さいけれども相似形を保ちながら底辺を広げてどっしり構えている。想像するほどに抽象的な美しさ、幾何学の謎めいた魅力に胸を打たれざるを得ない。All Gizah Pyramids by Ricardo Liberato (Own work) [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commonsなぜ存在するのか。ピラミッドの三角形を通じて哲学的な気分が味わわれるのも我と我が身を重ね合わせた探求心の賜物だろう。個人的に興味深いのはやはり何といってもクフ王の大ピラミッドだ。大きさの魅力に溢れている。エジプトのギザの砂漠に高々と聳え立つ。しかしながら他にもさほど変わらない大きさのカフラー王の…

アクセスアップは人生を学ぶために

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ブログの記事が六百件を越えた。Google検索での状況は依然として芳しくない。一日の表示回数で百五十回とクリック数で十五回というところで止まっていて抜け出せない。サイト評価の数字としては記事十件で達成しなくてはならなかったと思うし、六百件でそれでは開いた口が塞がらない。ブログを更新してもどうしよようもないかぎりは死にたいとはまさかいうまでもないほどに気持ちこそうんざりさせられるばかりだ。結局、ページランクが低いと頑張っても頑張ってもアクセスアップの成果が出ないのではないか。自分の運営サイトやドメイン(Tumblrブログならばtumblr.com)からのリンクでは駄目みたいなので、他のサイトからたぶん十本くらい貼っておくしかなさそうだ。Parent and child of emperor penguins by MemoryCatcher [CC0], via Pixabay多いんだ、自…

自然倍音列を活かしたハーモニーに優れた音楽世界を念頭に置いてエレクトロを作曲している

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Original 26 Demo: Electronic via 結城永人楽器の音には倍音が含まれていて実際の音の他にも音が高く含まれているらしい。長調の音階に当て嵌まって和音(一度、三度、五度、七度)にも影響を与えている。自然倍音列といわれるんだ。例えばハ長調だとドレミファソラシのどの音を鳴らしても全ての音が含まれている。高くなるほどに倍音は人間には聞こえないし、一つの音が大きく聞こえていて楽器の音階が分かるわけだった。自然倍音列から音楽を考えると長調の音階と和音の世界がハーモニーに満ち溢れ捲っているのではないか。自作曲のOriginal 26をロ長調のエレクトロとして追求してみたくなった自然倍音列のハーモニーは基音から五度が近くて三度が遠いらしい。三和音(一度、三度、五度)に含まれる二つの音程が離れているから特徴として捉えて作品に取り入れている。音楽で五度の音程は非常に安定していて三…

ブログ二つで象と蟻の力比べ

AKIOBLOGは【ブログ開設から1年】ブログで月10万円稼ぐための戦略を真剣に考える。によるとブログを開設して一年で二百件の記事で一ヶ月に七万七千ページビューで約二万五千円を稼いでいるらしい。
信じられないというか、僕は何をやっているのか。同時期で五百件以上の記事で一ヶ月に三百ページビューで二三円程度しか稼いでないからもう追い付くなんて正しく不可能だろう、まさか物語の兎と亀に準えられるにせよ――。
本当に飛んでもない差が付いてしまうものだ、現実的に。
ただし僕もあっさり白旗を上げるわけには行かないし、降参してだらだら更新するつもりは全くないので、超全力で何としてでも食らい付いてアクセスアップに励みたいと逆に鼓舞されてもいるよね。
これはもはや象と蟻の力比べに等しいほどのブログの違いだけれどもだから真正面から取っ組み合っても駄目だろう。蟻が象に勝つためには又別の競技で例えば土潜りならば立場は逆転…

酷い悩みに死にたいほどの一日が有力だ

ブログに表したいことが表せなくて一日を棒に振った。酷い悩みに全てを苛まれている。神様も気の毒だ。それとも僕か。世界で僕だけが悲しみに包まれながら神様こそ優しく迎え入れる存在だったと考えると気分が和らぐのを感じる。最初から生み出さないで欲しかったはずだけれどもいじけるほどに逆らっていたようでもある。神様に愛される生き方を求めておけば良かったのではないか。希望の光が本当に素晴らしい。生きる喜びに付き従いたくなるばかりだ。
人生よりも一日が大事というか、一日なしに人生はないから比べれば小さくても台無しにしてはならない。些細な日常に道を発見した。一日を棒に振らないと気付かないなんて馬鹿らしい。台無しにしないと分からないなんて生活も阿呆だろう。しかし頷く、失敗して。失敗しなければ僕は神様だとも容易く思えたに違いない。嬉しい、自分は神様ではないとはっきり知り得たから。酷い悩みが人間性を心底と作り替えて…

無料ブログと有料ブログはどちらが検索エンジンからのアクセスアップに有利なのか

調べてみると有料ブログが無料ブログよりも検索エンジンからのアクセスアップに有利という意見が大半を占めている。
というか、キーワードの検索結果で直ぐに分かるし、独自ドメインの有料ブログがランキングの上位を埋め尽くしているので、本当に無料ブログと検索エンジンで出会う機会は滅多にないと正しく認めざるを得ない。
何でなのか。多く聞かれるのはサイトのドメインがGoogle検索でのサイト評価に重要なためだった。
無料ブログだとサイトをサブドメインやディレクトリーとして提供しているサーバーのサイトにドメインのサイト評価が分けられてしまうから上がり切らないらしい。
僕は違和感を受けた。それならばサーバーのサイトには途方もないドメインのサイト評価が集まって来て個人では得られないほどに優れた状態になっているわけで、サーバーの強烈なサイトからリンクを貰ってページランクを保てる無料ブログならば必ずしも悪くないのではない…