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異なった属性を有する二つの実体は相互に共通点を有しない|スピノザのエチカの第一部定理二

スピノザのエチカの第一部:神についての定理二を心からの敬愛を込めて理解する。 定理二 異なった属性を有する二つの実体は相互に共通点を有しない。 証明 これもまた定義三から明白である。なぜなら、おのおのの実体はそれ自身のうちに存しなければならずかつそれ自身によって考えられなければならぬから、すなわち、一の実体の概念は他の実体の概念を含まないから、である。バルーフ・スピノザのエチカ(畠中尚志訳) 実体の定義からするとそれ自身で存在し、認識される対象だからかりに複数の実体の属性が同じ場合でも「相互に共通点を有しない」という第一部定理二の内容は明白だろう。 しかしスピノザは「異なった属性」という状況に敢えて固執している。なぜか。複数の実体の属性が同じだとそのこと自体が実体同士の共通点として捉えられる可能性があるためだと推察される。認識を裏返すと属性の同一性は複数の実体の共通点を保証する概念として…

実体は本性上その変状に先立つ|スピノザのエチカの第一部定理一

スピノザのエチカの第一部:神についての定理一を心からの敬愛を込めて理解する。 定理一 実体は本性上その変状に先立つ。 証明 定義三および五から明白である。バルーフ・スピノザのエチカ(畠中尚志訳) 第一部定義三と定義五はそれぞれに実体と様態/実体の変状の概念を示している。 三 実体とは、それ自身のうちに在りかつそれ自身によって考えられるもの、言いかえればその概念を形成するのに他のものの概念を必要としないもの、と解する。バルーフ・スピノザのエチカ(畠中尚志訳) 端的にいうと単独性を持つ対象が実体で、存在と認識において独立性を持つ可能性によってスピノザは定義している。独立性がないと単独性は個別性と区別できない。従って実体は複数かも知れない場合が出て来る。スピノザは可能性でも実体に独立性を与えることによって個別性と複数という特徴を切り捨てている。実体はもしも数えるならば唯一でしかないような単独性…

スピノザの生活規則を良い知性から僅かでも理解するための思考

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久し振りに知性改善論(スピノザ)を読み返してみた。といっても時間がないし、速読もできないので、一時間で数十頁しか進まなかった。しかし相変わらず、文章が手強くて通常よりも読解を迫られると驚かされる。作家の気質としては学者そのものだろう。細かいところまで日常生活に支障がなくても取り上げて認識に纏めないと不誠実だと思ってしまうのではないか。学校嫌いの口癖ならば「勉強しても生きるのに役立たない知識」が多くて辛い。ただし大事なのは世界を理解するために必要なんだ。背を向けるほどに認識そのものが曖昧になって社会へ出ても分からないままなので、経験に対しての判断力は学歴通りで止まってしまうわけだ。後から独学しなければ生活力としても上がって来ないかぎり、もはや学校で済ませるのと中身は同じだろう。人生設計を効率的に組み上げるならば最初から勉強好きの気持ちが期待される。僕の言葉遣いも概念は難しいかも知れないし、…

スピノザの哲学的な倫理学者としての方法

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スピノザは人々に哲学者として長らく認められて来たけれども主著エチカは倫理学だし、生前から哲学者を取り立てて自認してはいなかったようだ。まさか正しい選択だったと思う。なぜならスピノザの認識には取り除くことのできない欠陥というか、知覚上の不備が一つだけだけれども含まれていて哲学として厳密には成り立たないからだ。主著エチカ、または前書きとも見做される知性改善論を読んでいて非常に感銘的で、他に例のない世界・自然・現実を生み出している真実そのもの(神の力能)を教えてくれるのにどうしても疑問を抱かざるを得ない部分がある。Baruch de Spinoza by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commonsスピノザは良くいう、定義を理解しない人には何も分からないと。例えば神は全知全能で何でも実現できるにも拘わらず、数多くの悲惨な出来事を招いているのはなぜ…