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些細な日常

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松尾芭蕉の十九歳頃の最初の俳句の作風

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松尾芭蕉 の約三十年に亘る俳句人生で作風の変遷が幾つかあってどんなものかを探るために本稿は十九歳頃の最初の俳句について考える。 俳号は宗房で季語は年内立春の冬の句 梅の花 by ERINGI51 春や来し年や行きけん小晦日 仮名と訳文 はるやこしとしやいきけんこつごもり 春が来たのか、年が過ぎたのだろうか、小晦日に。 松尾宗房/ 千宜理記 (仮名と訳文は筆者) 松尾芭蕉の俳号が宗房だった十九歳頃に詠まれて、記録上、最初の俳句と見做されている。 奉公で伊賀上野(三重県伊賀市)に暮らしていた十八歳頃から俳人の 北村季吟 に主君の 主計良忠 と共に師事して俳句を始める。すると師匠の北村季吟が俳人の 松永貞徳 に由来する 貞門派 という俳諧の流派に属していたためにそうした影響を受けて詠むことになる。当時の世の中の主流の流派でもあったらしい。貞門派は古典に傾倒して知識や教養を披露したり、俳言という…

谷川俊太郎の詩人なんて呼ばれてはすんなり感涙できる現代詩の心の故郷だ

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谷川俊太郎 の 詩人なんて呼ばれて の詩の朗読を聞いてみたらとても良いと素直に認められた。 谷川俊太郎さん朗読『詩人なんて呼ばれて』|webSHINCHOSHA 感じ入れば不意に泣けて来るような人生の尊い有り難みが表現されていてこんなにすんなり感涙できる、いい換えれば物凄く分かり易い現代詩が詠めるのかとちょっとびっくりさせられるくらい上手い。印象上、谷川俊太郎の詩に昔からあったような気がしたけれども調べてみると、全然、そうではなくて新作の書き下ろしだった。 昨年の秋の2017年10月31日に発表されたばかりの 詩人なんて呼ばれて (同一タイトルの談話集の一部に収められた詩)という。本人は1931年12月15日生まれの八十五歳だったわけで、老いて尚も詩人として素晴らしく進化しているのを称えたくなる。そして新しく好みに合って来た言葉遣いは個人的にも嬉しいかぎりだ。 端的…

二月は一年で最も寒い月だと聞いた

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昨日は寒さの余り、家から一歩も外へは出たくなかった。用事があったのに明日へ全て持ち越しだと思った。願われの今日の気温はどうか。朝から溶けて消えていたはずの雪が又増えて昨日と同じような感じは残っているにせよ、空が少し明るいようで、日中はきっともっと益しだろう。用事が何とか済ませられそうだ、日頃の買い物だけど、とにかくも。 以前、二月は一年で最も寒い月だと聞いて過ごし方への気構えが変わった。八月が夏にそうなのと違って全く考えずに生きて来ていた。振り返ると夏が辛かった、何よりも。自分は冬には耐えられるし、寒さには強いと考えていた思い出がある。若かったけれども本当に誇らしかった。エヘンと腰に手を当てながら胸を張り切ってみせるようなイメージではないか。 人前でできると嬉しいポーズの一つだった、僕にとっては正しく。良い人というか、安心できる貴方にしか見せたくないと…

明け方の薄暗い部屋の中で布団に潜りながら付けたタブレットの画面の光に照らされた吐く息の白さを微かに見て

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何だろうと思う。ちょっと嬉しい。いつも部屋の中で吐く息の白さを目にすると外と変わらない寒さだだからわびさびの境地を受け取るせいか。辛いし、普段から決して求めるべきではないはずだけれども憧れてしまうんだ、素晴らしく、貧しさに。 なぜ良いのかが本当に不思議だ。寒くて住んでいられない家にも拘わらず、わびさびに引き付けられる、心から。 吐く息の白さはそれ自体で面白い。まるで漫画の吹き出しのようだ。というか、漫画の吹き出しこそ吐く息の白さから生まれなかったとはかぎらないだろう。芸術はどこに転がっているとも定かではない。気付かされるほどに吐く息の白さは面白くて堪らない。 児童機の冬の通学路、毎日の行き帰り、自分や周りの皆が吐く息の白さを止められなくて本当にもう世界が漫画に感じられたせいではないか。心を擽られるばかりだった、面白さに。 そしてきっと日常生活に潜んでいるは…

温泉に浸かる猿は人間にとって自然との和合を果たす

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見ているだけでこちらも温まって来るようで、日本の冬の風物詩といって良いかも知れない温泉に浸かる猿だけれども案外だったのは 地獄谷野猿公苑 (長野県)など、一部の人工施設でしかやってないといわれる。 温泉猿は自然発生的に現れたのではなかった Japanese Macaque by Yblieb / CC BY-SA 猿が自らの知恵を働かせながら野生で温泉に浸かっているわけではないとすると光景の中身としては例えば 日光さる軍団 (栃木県)のパフォーマンスに近いだろう。 ただし微妙に違うのは温泉に浸かる猿の場合は人間が必ずしも仕向けたわけではなかったらしい。 温泉猿が現れた理由は人間との交流にあった Snow monkeys soak in hot springs of Japan|The Guardian 温泉地で人間の周りに子猿が遊んでいて、偶々、近くに温泉があったので、…

スマホのタッチパネルの反応が悪いんだ

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スマホを買い換えて一年を過ぎてタッチパネルの反応が悪いと感じ出した。 冬で乾燥して指先の電気が減っているせいもあるかも知れない。スマホのタッチパネルは微弱な電流に反応していて人が手袋を着けていると操作できなくなるのもそのためだ。指先に息を吹きかけたりして幾らか湿らすと電気が流れ易くなって逆に良いとも聞かれる。 やってみても難しいくらいスマホの調子が下がっていてタッチパネルでもタブレットは大丈夫だから冬のせいとはかぎらないと思う。 なぜタッチパネルが反応しないか デバイスの不良 アプリの干渉 ストレージの空きの不足 タッチパネルの故障 調べてみると手持ちの Xperia Z3 にはタッチパネルの不具合が多く指摘されていたり、使い続けて故障したならばもはや修理する以外にスムーズな動作を回復する方法はなくなくなってしまうんだ。 またはスマホは入っているアプリが複数で干渉してい…

低温火傷は少し腫れただけで軽ければ水で冷やしたりしながら一二週間で治るらしい

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朝、右手の小指に違和感を受けた。痺れるような状態だったので、寝ている間に変な形で圧迫したみたいだから嫌だと本当に思った、血流が途絶えるなんて不健康だし、できるかざり、避けるには越さない。手を押し潰さないような寝相を普段から考えておかなくてはならいと反省された。 しかしながら、全然、収まらなかった、右手の小指の違和感が。 日中、気付いてから何時間が過ぎても痺れるような状態のままだったので、まさか皮下組織が壊死したはずは流石にないとすれば何だろうと訝られてしまった。 詳しく確かめると少し腫れてヒリヒリしていた。まるで霜焼けだった。布団に入っていて手足が寒過ぎるというのも不可解で、冬になってもう耐えられなくて布団は二枚のままながら電気毛布を敷いて大丈夫と暖かく眠れるように設えていた。それでなくとも霜焼けになるほどの冬の布団では寒くて最初から眠れもしないのではな…

観葉植物の写真を透過光で撮る

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雪も降って冷え込みも、可成、厳しい一月中旬、しかしながら今日は晴れて室内への光の流れがいつになく良かった。 日差しの角度が好ましくて写真日和とも過言ではない感じがしてしまった。 窓辺の観葉植物の葉っぱに光が透過されて幻想的な世界が浮かび上がって来たんだ。 カメラも α5100 と Touit 2.8/50M で室内ではシャッタースピードが上がらなくていつも苦しんでばかりなのに楽勝だった。上手く行けば1/1000sも越えるくらいだから十二分の明るさだろう。 珍しく絞った、レンズを幾らか。カメラの面白さを久々に味わった。屋外で撮影してないし、近頃は室内で開放絞りばかり使わざるを得なかったので、明るさを減らさないためにレンズは全く絞れないという不自由さから解き放たれて嬉しい気持ちがした、本当に。 ピント内が少しぼやけているようだけど、しかし良いのかも知れない。屋外の太陽の…

布団に安らいで疲れの取れる眠りが得られると健康に繋がる

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寒くなるほどに布団が一番だ。布団よりも楽しいものは何もない。笑っていれば夜も気持ち良く眠れそうで、健康には事欠かないわけだ。 安らいで夢見る冬の布団かな 他の季節でも覚えておくにかぎる。どうすれば疲れの取れる眠りが得られるのかは精神的には安らぎにかかっているはずだ。 振り返って落ち着いて休むことは意外と難しかったと思う Futon by OpenClipart-Vectors / Pixabay 不用意にはできない。冬の布団の有り難みが安らぎをしっかり教えてくれた。漠然と眠っても落ち着きが浅かったのではないか。心の隅々まで脱力するように眠ってこそ疲れが速やかに取れそうな感じがしてならないんだ。 少しでも寄せ付けるべきではなかった、悲しみを。健康も心から詩的に捉えるときっと効果的なはずだろう。喜ばしい食事、喜ばしい運動、喜ばしい睡眠でなくては頑張って取り組んでも…

霜柱の自然の美しさの俳句

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霜柱の土は凸凹に盛り上がりながら白っぽく凍っている。 見ていると自然の美しさを感じさせられる。何とも好ましいかぎりで、心の喜びを覚える。 しかしながら芸術家としては及びも付かない。神には敵わないと改めて畏敬の念を抱いた。 霜柱潜むうちから惹き付けて 自然の美しさこそどんな創作においても手本にしなくてはならないだろう。表現力へ向けて尚一層と精進したいと思った。

霜柱の飛んでもない寒さの俳句

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水も冷た過ぎるし、雪は降るし、飛んでもなく寒くなって来たと思っていたら公園の道に五センチもあろうかと思われるほどの霜柱ができてしまっていた。まるで北国みたいで、数年来、見たことはなかったはずだ。歩いてはザックザクだった。楽しい。 踏み下ろす道埋め尽くす霜柱 日も少しずつ延びているようで、午後六時頃でも夕焼けが残っていた。どんどん暖かくなって行くだろう。しかし冬の真っ只中だ。霜柱の大きさと広がりに気付かされずにいない。飛んでもなく寒いにせよ、当分、堪え忍ばなくてはならないんだ。

健康なしに元気なし~筋力トレーニングで血流を高めよう~

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今冬、三度目の嚔百連発に見舞われている。寒暖差アレルギーだと思うわけなんだけれども体力が消耗させられてどうしようもない。寝れば多少とも収まるにせよ、数年前から健康に邁進して殆ど大丈夫だったので、突然、降って湧いたように立て続けに襲われるのは悔しくも解せないかぎりだ。 しかし睡眠不足が最も良くないんだろう。予定している七時間が一年くらい取れてない。午後十時半に眠るのが健康への理想なのに午後十一時半過ぎが当たり前になってしまっている。ブログやホームページの更新を含めて創作活動のためだけれども翌日が暇ならば遅くまで眠っていれば良いのに色んなことができて嬉しいせいか、望みもせずに早起きしてしまうし、だから本当にいつでも休まらない感じなんだ。昼寝も全くできない。興奮しているつもりはないけれどもそんなふうに時間があると眠っていられないという。しかし嚔百連発はやり…

嚔と鼻水が止まらずに寒暖差アレルギーならば血行を良くするために運動で筋肉を鍛えるべきだ

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先週の月曜日に嚔と鼻水が止まらなくなり、前日に沸き切らない風呂に入ったせいだと思った。入りながら沸かし続けて五分か十分くらい寒かった。冬では流石に不味かったようだ。 昔から嚔と鼻水が止まらなくなることがあって寝冷えの後に多かった くしゃみ by えむこ しかしどんなに酷くても翌日まで一眠りすると完全に元に戻ってしまうことに気付いて特に何も考えずに過ごしていた。しかし数年前から一眠りでは駄目になって嚔の多さに全身が筋肉痛になったり、気分も優れなくなったりして寝冷えは本当に注意するようにした。 老化のせいで、年々と不調から直ぐには立ち直り難くなって来ているということなんだろう 今回、嚔百連発と僕はいうんだけれどもそれが翌日には収まったものの咳が多く出るようになって風邪を併発したのかも知れないと思った。ところが翌日には収まって治れば良いのに鼻の奥が臭いような感じだ…

痩せて初霜に受け留めた好調な健康状態

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初霜が降りた。家で洗面台の水も相当に冷たくなった。去年も一昨年も手が切れてどうしようもなかった。しかし今年は大丈夫そうな気がする。 皮膚が強いと思う。健康状態が、大分、上がって来たか。血流が良いと冷たい水で手が切れることも減らせるように推測される。 年々、寒さを感じ難くなっていて今年は痩せて脂肪が落ちているにも拘わらず、気分的には変わらないので、血流、そして血管も良いと受け留めてしまうんだ。 もちろん人生の目的は健康ではないから天職/作家活動に励まなくては仕様がないだろう。好調を無駄にするな。 初霜で冬も本番に近付いて例年ならば多少とも寒くて参るようなところもあったはずが改善されて来たなんて本当に有り難いわけで、喜びを実り多く味わうためには益々と頑張って行きたいと考えている。