スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(安らぎ)が付いた投稿を表示しています

貧乏暇なしだから人生はゆっくり続けながら日々を疲れ切るまでは頑張るなよ

イメージ
ブログの記事の作成に気乗りしない。昨日のアクセスが一日百五十人ちょっとで、今日はもっと酷い。朝から二十人以下だった。何ヵ月前に逆戻りなのか。一日百人も危ないのでは完全に急落だろう。開設して一年を過ぎてまだ藻掻き苦しんでいる。成長する見込みがなさ過ぎて、愈々、馬鹿らしくなって来たようだ。サイト広告で生活費を稼ぐなんて膨大なアクセスを得ようとかやっぱり無理だと思う。しかしやる。終わりではない。ブロガーの存在感を強く示せば人気を増すかも知れないと考え直したし、記事の作成に新しく挑まなくてはならない。Highland cattle by RonBerg [CC0], via Pixabay精神が四散しているというか、疲れ切って集中力を欠いているから暫くはゆっくり続けるしかない。本当は休むべきかも知れないにせよ、ゆっくり続けながら日々を疲れ切るまでは頑張らずに少しずつ持ち直して行くのも一つの方法だ…

愛を込めてあげるプレゼントに透き通った血の流れを感じ取るための鏡ならば知らないわけもなかった

イメージ
姪が家に三回目の外泊に来た。又更に回復したようで、安心した、治療抵抗性統合失調症から。もはや見た感じは病人とは思えない。雰囲気の明るさを大きく取り戻していた。妙な話、死体とは及び付かないというか、僕が目撃したのは透き通った心の持ち主と父親が実際だったけれども病による死の影のような不吉さは心に微塵も降りかからずに済んだし、触れ合いの感覚も相当に安らがずにはいなかった。一つだけ気がかりなのは喋り声が何かに押し詰められてそうに潰れていると思った。人によって性格から身に付いていて必ずしも珍しくないし、喋り方の個性的な特徴として何一つ危ぶまれはしない。しかし姪には相応しくないのではないか。かつて激かわのお洒落さんだったはずだし、芸能人でいえば北川景子のような印象を与える暮らし振りが望ましいと考えてしまう。心のどこかに思い悩みが潜んでいるために声を潰すに違いない。それは人生のとても小さな悲しみだろう…

人間の精神/心理のための感受性の理論

姪が治療抵抗性統合失調症でのクロザピンの投与から少しずつ回復しているようだ。使用できるか、異変はないか、効果が挙げられるか、三つの懸念を幸いにも突破しているらしくて最終手段の医療が進展している。しかし大事なのは日常生活にどこまで追い付けるかが本当に気がかりだし、どうにも不安がられずにいない。触れ合いについて考えておきたいと思う。僕のそばにいれば精神を病むなんてあり得なかったはずにせよ、クロザピンで脳から精神状態が新しく変わるとしたら健康のために万全の注意を払うかぎり、従来通りで、本当に大丈夫かどうか、自己批判こそ求められてしまう。たぶん感受性と超自我が均一化されるために気持ちが全般的に落ち着くのかも知れない。衝動そのものを抑制するのがクロザピンの精神、または心理への影響ならば概して自我の位置取りが曇りがちなはずだし、感性の動きも意志的に下がり易い。世界へは感受性から主に知覚されるという可…

理解者に疑う余地はないから生活も安らぐ

イメージ
僕を心から応援してくれた人、貴方が理解者にも拘わらず、地獄の連中の仲間だと少しでも認めてしまって申し訳なかったと思う。やはりあり得なかった、理解者に背かれるなんて最初から。気付いて本当に良かった。何もかも落ち着くし、生活こそ本当に安らいでいる。切欠は些細な日常だろう、正しく。貴方が知らないはずの僕の事実を知っていてなぜかと訝られた。真っ先に思い浮かんだのは地獄の連中だった。聞かされたんだ、思いは貴方の陰湿さを囲い込むばかりだった。地獄の連中が知っている僕の事実に理解者の貴方が僕の目が届かないところで触れたに違いない。憤りに駆られながら貴方なんかどうにでもなれと地獄の連中と共に愛想を尽かさずにはいられなかった。詩人としても救いようがなかったし、いうと地獄の連中と貴方が理解者でも同類ならば相手にしないだけが唯一の悔い改めさせる道になるからまさか嫌われ甲斐でもあるみたいに神と天使と共に天国の幸…

MISIAの忘れない日々は珠玉のバラードだ

イメージ
過去を振り返って懐かしく思われる胸の中にそっと仕舞っておきたくなるような夢を見させてくれる、そんな世界が珠玉と呼ばれるならば受け取って生き延びる明日への安らぎを殊更と覚えるせいではないか、音楽とするとゆっくりした曲調のバラードが打って付けなのは間違いないはずだろうと思う。MISIA - 忘れない日々 via MISiA気付くとMISIAの忘れない日々が正しく珠玉のバラードで、思い出を著しく美化して綺麗に飾り付けながら心から純粋に味わわれずにいないとした名曲の一つだった。聴きながら何もいえなくなりそうな涙に触れて詩を考えれば彼方への迷い猫で、迷い猫というと物悲しい響きがあるけれども今此処は彼方だから思い出が振り返って夢見られた旅気分に包まれていると断っておくべきだ。遊園地の四角い迷路で遊んでいる。珠玉のバラードの安らぎからすれば胸騒ぎが大きくて楽しげなのは珍妙だ。切ない風がしかし吹いて来る…

松尾芭蕉のわびさびの俳諧はおくのほそ道が極意的だ

イメージ
気付いたらわびさびの極意は光陰矢の如しで、ぴったりの思いが松尾芭蕉のおくのほそ道の書き出しに認められてならなかった。月日は百代の過客にしてゆきかふ年も又旅人なり舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふるものは日日旅にして旅をすみかとす古人も多く旅に死せるありつきひははくたいのかかくにして、いきかうとしもまたたびびとなり。ふねのうえにしょうがいをうかべ、うまのくちとらえておいをむかえるものは、ひびたびにしてたびをすみかとす。こじんもおおくたびにしせるあり。松尾芭蕉のおくのほそ道(仮名は筆者)松尾芭蕉のおくのほそ道の書き出しは中国の李白という詩人の言葉に典拠があるらしい。春夜宴桃李園序の「夫天地者,萬物之逆旅;光陰者,百代之過客」だった。気持ちとしては天地は萬物の逆旅(万物の宿屋)で、光陰は百代の過客(長年の旅人)なので、全ては自然に生きながら移ろいと共にあるばかりのイメージで歌われてい…

人間の生き方の内面的に立ち直るような一つの自然な流れ

イメージ
Joshua Bell performs Bach's Chaconne, the final movement from Violin Partita 2 in D minor via TheNexusInstituteジョシュア・ベルのバッハは生命感が宿っていて譜面の読み込みが深そうだけれどもそこはかとない魅力を湛えていて総じて静かに穏やかに引き付けられるのが特徴的だ。バッハは無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータが素晴らしいと思う。ソナタとパルティータの三曲ずつの全六曲で構成されていて全体を通して聴いてみると取り分けパルティータ第二番の第五楽章/シャコンヌの部分が世間的にも人気曲ながら極めて興味深く受け留められた後から気付いたけれども自作詩の詩人の歌~水の精と生の涙~のイメージがバッハのパルティータ第二番の第五楽章/シャコンヌにぴったりではないかと感じたので、殊更と…

布団に安らいで疲れの取れる眠りが得られると健康に繋がる

イメージ
寒くなるほどに布団が一番だ。布団よりも楽しいものは何もない。笑っていれば夜も気持ち良く眠れそうで、健康には事欠かないわけだ。安らいで夢見る冬の布団かな他の季節でも覚えておくにかぎる。どうすれば疲れの取れる眠りが得られるのかは精神的には安らぎにかかっているはずだ。振り返って落ち着いて休むことは意外と難しかったと思うFuton by OpenClipart-Vectors [CC0], via Pixabay不用意にはできない。冬の布団の有り難みが安らぎをしっかり教えてくれた。漠然と眠っても落ち着きが浅かったのではないか。心の隅々まで脱力するように眠ってこそ疲れが速やかに取れそうな感じがしてならないんだ。少しでも寄せ付けるべきではなかった、悲しみを。健康も心から詩的に捉えるときっと効果的なはずだろう。喜ばしい食事、喜ばしい運動、喜ばしい睡眠でなくては頑張って取り組んでもどこかで無理が祟らない…

ボサノバ:アストラッド・ジルベルトのイパネマの娘を聴いて心の安らぎを受け取る

イメージ
Astrud Gilberto & Stan Getz ◊ The Girl From Ipanema ◊ 1964 via fabtv本当に良いとしかいえない。アストラッド・ジルベルトのアルバムはおいしい水( The Astrud Gilbelto Album)が最高だと思うけれどもシングルならばイパネマの娘だろう。正式にはテナーサックス奏者のスタン・ゲッツと共同で発表された作品だった。 ボサノバの代表曲としてジャンルそのものの魅力が詰まっている感じがする 全てが淋しげだけれども詩的で、綺麗なリズムに乗って涙を輝かせるような風合いもお洒落だと気に入ってしまう。 見かけたんだ
通り過ぎて行く君を
又戻って来るかどうかも
俄かには示せないまま
少しだけ咽ぶような心地で
食い留めもせず結城永人の板を割るそばにしかし 僕は永遠の詩を歌う。一つの本質的な認識のイメージが誰かの作品と似通っ…

思いを綴ることにした

イメージ
どんなブログをやれば自分らしさに通じるのか。

求めるべき真実の安らぎを認めたらまさか永遠に速やかに歌えたよ。

詩本文
思いを綴ることにした
どういう風の吹き回しか
心を言葉へ置き換える
軒並み林檎の木立ちが揺れて
水辺の千鳥は小躍りしていた
僕は詩人として自分らしさを
他の誰でもない生き様で示したい
雨に濡れた紫陽花へは蝸牛こそゆるゆる這い出して来る
これまでの記憶は柔らかく胸に染み込むばかりだろう
糸瓜が幾つも垂れ下がるそばから
熊鼠は玉乗りさながらに水平器を抱えるも
闇に消えた蟋蟀を追いかける構えを取る
黙って指を咥えながら見ているつもりなのか
忘却の鏡に写る滝の流れは物事には動じない
駅舎の床の片隅でのんびり転が得た螺子ほども
逞しいだけでただ海が遠く望まれた
世界の広がりが滑らかだ