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アドセンスの支払い日は翌月二十一日前後だけれども保留されると送金されない

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サイト広告のアドセンスの審査に合格して願い通りのプロのブロガーとしてデビューしたのが一昨年の九月だった。二年半近く、ブログの更新とアクセスアップに励みながら初めての支払いを迎えるに至った。金額を設定するけど、ただし最低でも八千円の収益を上げないと所定の払い込み先(銀行口座など)に送金されない。アドセンスに承認されると暫くしてGoogleのロゴ入りの封筒で本人の氏名や住所や電話番号や払い込み先などを登録するための個人識別番号(PIN)の手紙が送られて来る。サイトにアドセンスを使って住所確認の基準額――千円程度――の収益が発生した時点から手に入るんだ。諸々の項目を登録して払い込み先が銀行口座の場合にはテストデポジットとして少額の入金を確認すると全てが完了する仕組みになっている。いうと個人識別番号の送付も一つの宝物で、ブログのサイト広告での収益化をアドセンスで頑張るんだと改めて気合いが入る瞬間…

明るい笑い声もオドラデクを思わせるうちはまだ安定しない精神だ

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姪が入院中の精神科の病院から家に二回目の外泊に来た。前回よりも随分と元気で安心した。疲れが減った。病院から外へ出ることが殆どなくて家に来るのも十年振りで、前回は相当に疲れていたらしい。病院に戻ってから一週間くらい寝込んでいたと聞かされた。大変な疲れによってまるで倒れるように動けなくなったに違いない。二回目の来訪では微妙な変化でしかないけれども明るい笑い声に真実味が増して生きる喜びの兆候が膨らんだのが非常に嬉しい。全体的な気分としてはどうもカフカの「オドラデク」を思わされて小説的には面白いけれども人生的には厳しいと悩まされざるを得ない。それは、屋根裏部屋や建物の階段部や廊下や玄関などに転々としてとどまる。ときどき、何カ月ものあいだ姿が見られない。きっと別な家々へ移っていったためなのだ。けれども、やがてかならず私たちの家へもどってくる。ときどき、私たちがドアから出るとき、これが下の階段の手す…

二月は一年で最も寒い月だと聞いた

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昨日は寒さの余り、家から一歩も外へは出たくなかった。用事があったのに明日へ全て持ち越しだと思った。願われの今日の気温はどうか。朝から溶けて消えていたはずの雪が又増えて昨日と同じような感じは残っているにせよ、空が少し明るいようで、日中はきっともっと益しだろう。用事が何とか済ませられそうだ、日頃の買い物だけど、とにかくも。以前、二月は二月は一年で最も寒い月だと聞いて過ごし方への気構えが変わった。八月が夏にそうなのと違って全く考えずに生きて来ていた。振り返ると夏が辛かった、何よりも。自分は冬には耐えられるし、寒さには強いと考えていた思い出がある。若かったけれども本当に誇らしかった。エヘンと腰に手を当てながら胸を張り切ってみせるようなイメージではないか。人前でできると嬉しいポーズの一つだった、僕にとっては正しく。良い人というか、安心できる貴方にしか見せたくないと思うせいだろう。茶化されたくないん…

優しい人と出会えたら心漏らさずに感謝を届けよう

色々、いっては来たにせよ、誰かと出会って明らかに優しいと感じることは実際には少なかったらしい。僕には透き通った心の持ち主がいたから比べても仕方がないけど、または他には一回もなかったみたいに特別に思わされるような経験が得られた。
ある人を見ていて感じて思った、優しいと。気にかけてくれるだけを嬉しがる僕だったとしたら紡ぎ出す言葉に恵まれないかも知れない。大海では鯨の群れが尾を振って海面を否激しく叩くばかりだ。
何が違うのか。他の人とある人は同じように僕を気にかけてくれるかぎり、それだけの差というと殿様気分に浸らされたいみたいで居心地が悪くなる。庶民でしかなかったと身分的には悟る。
女のある人で人の噂では四十歳前後だったらしい。噂の主は関西出の女性で彼女とは同級生だったみたいだけど、手に刺青の青い線がちらちら見えた。本物なのかと日を置いて風呂で洗い落とされたり、シールならば剥がされたりするだろうと黙…

透き通った心の持ち主/筋ジストロフィーの患者の胸に残る言葉と生きる喜びの詩

九歳の頃、ハムスターを飼っていた。子供が欲しくてオスとメスを一緒にしていたら、期待通り、赤ちゃんが何匹も生まれてとても嬉しかった。
母親と病院へ出かけることになり、というのは入院している透き通った心の持ち主と面会するためだった、僕は小さなバッグに二枚のハムスターの赤ちゃんを入れて連れて行って見せてあげようとした。
透き通った心の持ち主は筋ジストロフィーの患者だった。日毎に筋肉が衰えながらついには全面的に身動きも儘ならず、死に至る他はないという重病を患っていた。
僕は病院へ行くといつも優しい雰囲気が溢れていると驚かされていた。家庭や学校や地元の様々な場所とも全く異なり、澄んだ光が静かに柔らかく風に溶け込んだように広がっているという印象を持った。そして関係者は看護師しか会ってないはずだけれども全員が優しい雰囲気に包まれているのではないかと考えていた。透き通った心の持ち主はだから重病でも幸せに暮らす…

ラーメンと僕~経験が人を形作れば生きるヒントもそこに~

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二十代の中盤、中々、貧しい生活を強いられた。一時期ながら数日を水だけで過ごしたこともあった。腹の減り過ぎた余り、食事のメニューを紙に書き並べて飢えを凌いでいた。自分でも初めてなので、驚いた。驚いたといっても心身共に弱り切っていたせいか、印象はとても薄かった。鉛筆の芯の欠片くらい小さくて、否、本当に極僅かな気持ちで、驚きながらそうなっていることへも又驚いたりしたものだった。振り返れば極僅かな気持ちで生きられたとたぶん知ったのかも知れない。とにかく驚くしかなかった。頭に入るとか心に仕舞うなんて状態ではなくて他には言葉もないままに受け留められた。
毎度と貯金を直ぐに増やさなくては危ないと考えながら日払いの派遣会社に登録して倉庫番や引っ越しの手伝い紹介されて勤務しているような日々だった。日給七千円程度だったか、かつて。倉庫番はパソコンの集配センターで、送り先によって仕分けをする。それなりには力仕事…