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些細な日常

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宜保愛子のレオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの否定できない霊視

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日本の霊能力者、 宜保愛子は本物だった可能性がある と思うけれども幾つかの否定できない真実の一つとして レオナルド・ダ・ヴィンチの モナリザ の霊視を取り上げてみたい。 1993年にテレビ特番の【宜保愛子 ノストラダムスへの挑戦!!】で誰でも一度は見たことがあるような人類史上最高傑作の絵の一つのレオナルド・ダ・ヴィンチの モナリザ を霊視した。 注目されるのは モナリザ の大きな謎として実際のモデルが誰たったのかというのがある。通説では絵の依頼主のフランチェスコ・デル・ジョコンドの妻のジョコンド夫人(リザ・デル・ジョコンド、またはリザ・ゲラルディーニ/ゲラルディーニ家のリザ)といわれていて モナリザ を所蔵するフランスの ルーブル美術館 でも絵を フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻、リーザ・ゲラルディーニの肖像 と名付けている。しかし見た目が三十代以上で、年を取り過ぎているようで…

織田信長が非業の死を遂げた理由は明智光秀の恨みを恐れた森蘭丸を宥め賺した人間の大きさにあり

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戦国時代に日本の天下統一の野望を真っ先に掲げて誰よりも近付いて行った 織田信長 が 本能寺の変 で自らの志した道半ばに倒れた歴史は非業の死を遂げたと捉える他はないと思う。 明智光秀 が謀反を働いたわけだけれども 信長公記 ( 太田牛一 )によれば大軍勢が押し寄せると本能寺の変で異変に気付いた織田信長が「是れは謀反か。如何なる者の企てぞ」(これは謀反か。どんな者の企てだ)と 森蘭丸 に訊ねて「明智が者と見え申し候」(明智の者と見え申します)と応じられると「是非に及ばず」(どうしようもない)で口を閉ざしたらしかった。 そのまま、亡くなったので――最後の最後、炎に包まれた本能寺で臨終間近には「女どもは苦しからず。急ぎ罷り出でよ」(女たちは構わない。急いで出て行きなさい)と逃がすためにいったかも知れない――織田信長の最後の言葉にもなっている。 聞くや否や物凄い弱気な発言ではないかと違…