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些細な日常

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体力を取り戻してブロガーしか生きる道はないんだと命懸けの思いで又頑張るよ

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昨日は治りかけていた寒暖差アレルギーが振り返し捲って嚔と鼻水が止まらなくて大変だった。ちょっと前に寒かったせいだろう、雨で。少しずつ暑くなって来て寝苦しいから寝巻きの下半分だけ薄物にしてから暫くして毛布を外すべきだと気付いて被るのを布団だけにしたんだ。何となく寒いから変えた寝巻きの下半分を冬物に戻すべきだと考えたものの 鼻呼吸と握力で体温を上げるように 新たに生活を改善し始めたから大丈夫ではないかとそのままにしていたら予想以上に気温が下がって耐えられなかったみたいだ。寝巻きを完全に冬物に戻した頃にはもう遅くて嚔と鼻水がどうしようもないと同時に体力も大きく奪われてしまった。 しかし又落ち着いて来た。今朝は数えるほどしか嚔はしないし、鼻水も甚だしく垂らしはしてない。助かったとしかいえなくて笑う。 本当に辛いから寒暖差アレルギーは何としても避けなくてはならないと…

佐藤仁美に俳優として注目した非婚同盟が人生の暗黒時代に通じるドラマだった

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テレビのバラエティー番組でも良く見かける俳優の 佐藤仁美 が 今夜くらべてみました でかつて嵌まり込んでいた人生の暗黒時代について語ったんだ。 「30、31の歳の頃に仕事が無くて、何もやることがなくてぼーっとしていた」、「クロスワードとか、なんとか無双が流行っていて斬りまくっていた」(佐藤仁美、仕事がない“暗黒”時代にハマっていたこととは?| スポーツ報知 ) その他にも粘土で狸を作って友人に贈っていたりしたらしい。 俳優から外れて望まないまま、一人で部屋に篭って時間を潰すしかなかったのでは可哀想だったと感じた。 人生の暗黒時代を余儀なくされていたというとバラエティー番組でいつも見かける明るい様子とは正反対のキャラクターだから咄嗟に驚かされもした。 しかし以前から知っていた僕にとっては何となく思い起こされるような部分が出て来てさらに訝られたんだ。 もしかすると佐藤仁美を俳…

柏葉紫陽花の三角の花に縁起も良く打つ柏手

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三角の花で、紫陽花みたいなので、調べてみて柏葉紫陽花ではないかと思った。葉の形が柏の葉に似ていてそう呼ばれるようになったらしい。身の回りで柏の木を見かけた印象は非常に少ないけれども柏の葉はこどもの日の柏餅で見慣れているんだ。大きめに緩やかに分かれているようや葉先なので、見分けも直ぐに付き易かった。 ところで柏葉紫陽花と聞いて何となく縁起が良いと思ったのは柏餅とさらに神社の 柏手 に繋がるせいだろう。柏手が柏の木と何の関係があるのかも分からない。調べてみたら何の関係もないらしかった。むしろ柏手が拍手という言葉の見誤りで生じているといわれていて柏手の由来もはっきりしないみたいだけど、逆に却って驚かされてしまった。 神社の柏手は古来より拍手だった。とすると喜んで手を叩いている普段の拍手こそ神へ向けてやってないのが不思議に思われてしまう。元々の拍手がいつの間にか柏…

思い出の松毬から恒久的に告げられる平和への詩人の手

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松毬を久々ながら目にした。咄嗟、見慣れていたのも家の周りに松の木が、沢山、あったせいだったと昔を気付かされてしまった。当たり前のことも本当はそうではなかったという、生活圏が新たに問い直されてみれば。 可愛らしいものだ、松毬は小さくて。かつては僕も手が小さくてか、もっと大きく思い出に残っていたわけで、何分とも意外だった。 しかし冷たく強張ったような感触が蘇って来たのは懐かしいかぎりで、変わらない世界も認められた。気持ちが震えるとはこのことだろう。通低している、人間性がいつかの日々に。 考えると嬉しい。過去が素晴らしければ未来も素晴らしいはずだ。松毬を拾い上げた今此処、夕闇迫る神社の薄暗い松林の片隅は時の流れの素晴らしい結び目だといいたい。僕は確かに感じた。 詩人の手も時空を越えて差し出されると良い。松毬が詩の言葉として平和を恒久に告げている。いつまでも味わっ…