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イリース・トルーのイパネマの娘の本気の涙が世界を救う純心な歌声

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気に入って止まないボサノバの名曲のイパネマの娘はオリジナルのアストラッド・ジルベルト以外に数多くの歌手がカバーしているけれどもイリース・トルーのイパネマの娘を聴いたらポップソングのアレンジに衝撃的な驚きを感じた。The Girl from Ipanema - Stan Getz & Astrud Gilberto (cover by Elise) via Elise Trouw アカペラに近いカバーだ。必要最小限の演奏で、歌こそ聴かせるアレンジが素晴らしいと感銘を受ける。イリース・トルーのパフォーマンスは幾らか大袈裟かも知れないけれども美輪明宏のヨイトマケの唄のように優れて演劇的な歌唱と捉えれば魂が吹き込まれた結果ではないとはかぎらない。却って誉め称えるのは吝かではない、何だろうと嘘臭さに訝るよりは聴くほどに人間的に繰り広げられる歌の世界に。 イリース・トルーのイパネマの娘は悩…

最も欲しいクリスマスプレゼントはやはり何といってもブログのアクセスの今年

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Brown Pine Christmas Decoration [CC0], via NegativeSpaceブログを開設して十二月十五日で一年が過ぎた。Googleのサイト年齢によるサイト評価の底上げをずっと期待し続けて来たし、一気に一日千人くらいに跳ね上がって欲しいアクセスだった。記事数は六百件を越えている。十分にあり得るのではないか。またはそれぞれが一日一人を確保しながら五百人越えでも目下の一日百五十人から比べれば有り難いばかりだろう。特に変わらないので、認めるのものろのろの成長でしかない。強いられる牛歩にいつまで笑えるのか。しかしまだ分からない。前回のブログは五月の下旬に開設して翌年の六月の初旬からやっとアクセスが伸びた。一年と数週間程でGoogleでのサイト評価が一変しないとはかぎらない。一ヵ月で一人だったのが五人にまで跳ね上がった。サイト運営に失敗していてアクセスそのものは…

地獄で救われないから見守る神を遠ざけながら今直ぐに死んでも幸せだと考える

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疲れ切って堪らない。気力も体力も限界だ。ブログのアクセスがスムーズに伸びないのが辛い。三ヶ月も足踏みだ。いつまで一日百人なのか。早くしないと死んでしまう。本当に詰まらない現実だ。休むしかないと思う。働いても働いても金儲けに結び付かない、ブロガーとして全く――。Mountaineering of dusk by Sanshiro [CC0], via Pixabayなぜ神は救わないのか。分けても永遠の詩人の僕を無視するのでは誰も喜んでないんだ。地獄しか生み出さない。詩だけしか認めたくないのか。僕が喜べばおよそ皆が笑うだろう。死神と悪魔、そして何よりも親玉の閻魔を仕向けて人生の妨害ばかりする。苦しむ永遠の詩人を受け取って何が面白いのか。良い加減に離して欲しい。つまり神は僕を独り占めするために世の中の誰も手を貸さないように取り計らっているわけだ。昇天させるつもりでもなく、現世で救われないままに…

切迫する死の感覚の著しい無力感の笑い

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もしかすると良いのかも知れない。無力感を著しく覚えながら生きている。今が変わる。幸せを受け取るためにもう何も行う必要がなくなったせいだと思いたい。しかしあり得ない望みなのも確かで。呪われているのか、二十年以上も叶わない夢があり、絶望の淵も本当は磨り減って悲鳴のような泣き言も洩らさないとはかぎらなかったほどに荒くれている。元気でいられたのは嬉しいにせよ、良い加減にして欲しい地獄と振り返って再び前を向いて歩き出そうとする心にとっては足場を失って落ちてしまいそうだ。絶望の淵もない状態で、どうやって存在を保ち続けられるだろう。心は認めてない、新しい自分をまだ十分に。悲しむべき生活しか世界に許されないにも拘わらず、一体、どのようにして地獄の外で暮らせるというのか。祈りの先で神は目を閉じて黙っていた。自力で突破するしかなさそうだから頼るべき方法は思考だけみたいな境地だ今正にどうしようもないままに存在…

白琉球の切なさの詩的で命の尊さに他ならない思い遣りの心に救われる雨上がり

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白琉球の花が咲いていた。雨が多くて満開だったけれどもあっさり萎れかけているようだ。琉球躑躅ともいわれる躑躅の一種で、他の種類でも似ていて雨で直ぐに変色する花が多い。しかし白だと本当に目立つし、雨上がりの白琉球には切なさを受け取らずにいない。花柄も大きいから、殊の外、衝撃的で、晴れやかな様子こそ却って強く目に浮かんでしまう。花言葉は「愛の喜び」らしい。切なさから受け取ると人生を考えさせられる。愛の喜びが直ぐに終わるのか。または悲しみを含めて愛する気持ちが喜びならば深い意味を持っているに違いない。イメージとして前者は清純だし、後者は慈しみだろう。白琉球は切なさを帯びた花だから花言葉の「愛の喜び」も複雑な感じがする。清純な慈しみとすると人生では思い遣りの心が欠かせなさそうだ。素晴らしいし、見習うしかないと頷く。ならば白琉球は素敵な詩人を彷彿とさせる花なんだ。安らぎを感じるのも本当だ、見ていると…

ロバートの秋山は最終的にはそこにいるだけでお笑いとして面白いわけだったんだ

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ロバートの秋山というと小煩い母親のコントを良く覚えていた。面白いと思ったけれども又新しく気付いた。のんある気分のテレビCMでドラマ仕立ての真面目な役作りにくすくす笑ってしまって如何にも珍しかった。個性的だと考えると人々の隙を付くように笑わせるスタイルがロバートの秋山のお笑いとしての持ち味だったんだ。ロバート秋山、広末涼子の専属マネージャーに サントリーノンアルコール飲料『のんある気分』新CM「楽屋編」「オリエン編」 via oriconロバートの秋山が広末涼子の専属マネージャーという設定なんだ。広末涼子がのんある気分のイメージ・キャラクターで、ロバートの秋山が専属マネージャーとしてちゃんとできるかどうかを取り仕切っている。小煩い母親と結局は同じだけど、改めて注目される人間味としては相手と自分の立場が逆転している。母と子の関係ならば子が成長して母を追い越した後ではないか。手掛けるタレントが…

作家は一般人に分からない言葉へは文章をどれほど細かく追求しても良いはずだ

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皆は意外と言葉が分かってない。だから文章を分かり易くするだけでは理解され難かったようだ。一般人と呼ぶしかない。作家にとって手強いのは人それぞれの言葉を生きている皆だったんだ。どれほど細かく追求した文章でも理解されるには不充分かも知れない。
言葉が分からなければ意味も価値も変わってしまうわけで、本当に厳しい自己表現を迫られてしまうんだ。個性を出せないのではないか、作品に。もはや一般人のために文章を徹底して細かく追求するかぎりだ。
作家は分からない言葉を減らしながら世界が理解される喜びこそ想定するしかない。他には個性もなくて良いと覚えよう。良いんだ、いっそ文章が分かるためならば完全に。皆が知っている言葉は決して誤りではなかった。手の届かない気持ちが作家にとって苦しくも免れたいだけだ。
一般人に必要なのは柔らかい言葉だ。言葉が柔らかいと一般人は直ぐに納得してしまう。
気持ちは文章なんてどうでも構わない…

人に嫌われて辛いのにまだ生きるために

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胡瓜の味噌漬けに少しだけ塩を塗したような情感のまるで詩が恋しくなって来る。自分を出したから良くないにしては思い出と反りが合わない。やはり相手が悪かったのだろうか。考えると思い出には先程と同じで含まれないから食ってかかられる僕は自分の言動の中に原因を求めずにはいられないんだ。辛くて生きているのもうんざりだというまでもなく分かってくれる存在だけが嫌うなんて気持ちから世間的に遠く引き上げて行くのが見えた。僕にとっては嫌われるなんて地獄から救い出されるに殆ど近く及ぼしたはずだったに違いない瞬間が訪れていてまだ生きるために必要なんだと認められるばかりだった。笑え、笑え、笑え。
笑え、笑え、笑え。
笑え、笑え、笑え。
笑え、笑え、笑え。詩はいつも遅れているのか、時間があれば作曲しておきたい笑えの行進曲よりも。だから詰まらないけれども嫌わない人々と嫌われない僕との感じ取られる順序を入れ換えてしまったん…

いつもフランダースの犬の清らかな心には感動を覚える

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児童期にアニメで観て大好きだったフランダースの犬(ウィーダ)は本当に素晴らしい作品だった。人間の心の清らかさが主人公のネロからはっきり受け取られた。他の作品では意外と珍しくなくてテレビの時代劇のドラマで母親が亡くなって父親が病気で寝た切りで子供はどうやって生きて行くのかと思わせる場面が良く描かれている。江戸時代の貧しい庶民生活の典型的なイメージだけれども政治的に立て直せないせいだとすると世界中の難民と変わらないから極めてリアルな悲しみを伴って味わわれずにもいない。ネロも全く同じだ。両親がいなくて祖父のジェハンに代わりに養われていたものの病気というか、高齢で望んだような形では殆ど財産もないし、育てることは儘ならない状況に陥っている。なので子供はどうやって生きて行くのかと思わされて仕様がないわけだ。清らかな心はフランダースの犬では何よりも絵に象徴されていてネロは絵描きとして生きて行こうと考え…

ロダンの考える人の題名は元々は詩人だった

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以前、知って驚いていたのはロダンの考える人(彫刻)そのものが他の作品で地獄の門(彫刻)の一部だった。小さくてさほど目立たない、しかも。いつの間に大きくなったのか。一つの独立した作品として世の中に定着していたわけなので、未完の大作だけれども地獄の門から抜き取られたという制作過程を考えると面白かった。ドラマに例えれば脇役が主役を食ったような形で、ロダンの代表作に考える人こそ上り詰めたのではないか。見るからに心に訴える造形が施されていて内面を甚く触発して止まないし、題名通りのインパクトがとにかく力強い。如何にも良く分かる形態が取られているから考える人は彫刻として素晴らしいと引き付けられてしまう、瞬く間にも。Le Penseur Rodin Meudon by Ibex73 (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commonsロダンは大元の地獄の門をダ…

愛に通じる人生も嚔からでは涙色

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又来ている、嚔百連発が。症状としては花粉症みたいなものだけれども体力が落ちて創作活動も鈍る。少し経てば筋肉痛になるかも知れないくらい嚔は強い運動なんだ。百連発では本当に疲れる。調子を落とすだけでは済まされない。直ぐに治るし、寝込むほどの悲しみではないから耐えながら生きる。
嚔というと人から聞かされて密かに驚かされたことが一つだけある
かつて僕のことを癒し系男子とも捉えてくれた可愛いおばさんみたいな人だけど、丁度、嚔百連発を見ていて凄い咳をしているとも指摘されてしまった。
何のことか、さっぱり分からなくて狼狽えたものの受け取った言葉を考えながら飲み込んでみると自分では嚔をハクションとしているつもりだけど、人からはそれがしかしゴホンと咳に聞こえるんだと認められて来た。
ある頃、昔からというか、児童期から寒暖差アレルギーだろうけれども止まらない嚔で鼻水も垂らし捲って小学時代にはクラスの教室で友達の前で…