スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(日常生活)が付いた投稿を表示しています

睡眠は脳内のアミロイドβなどの老廃物を除去して健康を維持するためのグリンパティックシステムを約十倍も強化する

イメージ
日々、活動する脳には老廃物が溜まる。幾つもの神経細胞がブドウ糖をエネルギーとして次々と電気信号を通しながら働くほどに不要な物質も多く残余されるせいなんだ。特にアミロイドβが危なくて脳の健康を損わせるかも知れないから注意したい。 アミロイドβはアルツハイマー型認知症の脳内に老人斑などの仕方で異常に蓄積されるのが分かっていて脳の働きを妨害して人間の認知機能を低下させるかも知れない老廃物の一種なんだ。健康な人の脳の場合はアミロイドβが比較的に少ない。年齢で比べるとアルツハイマー型認知症が増える老人と殆どかからない若者との間ではとても大きな差があるらしい。なのでアミロイドβは脳の老化と密接に結び付いているとも考えられるわけだ。 アルツハイマー型認知症を予防/改善したり、または日常生活に支障がなくても勉強や仕事のパフォーマンスを高めたりするためにもアミロイドβなどの脳の老廃物は脳内に溜め込まずに…

日常生活で腰痛やギックリ腰を防ぐべき長時間でも楽な前傾姿勢の取り方

イメージ
二十代前半から僕は腰が物凄く弱くなった。たぶん作家活動のせいで、丸一日、座ってパソコンへ向かう生活が多かったのと筋力の低下によって十代までは想像もしなかった背中や腰の痛みに苛まれるようになった。一度はギックリ腰(急性腰痛症)も起こしかけた。自分はどのくらい働けるのか、または世の中の仕事にどれだけ耐えられるのかのパフォーマンスを知ってみたくて二十四歳の春に夕方のカラオケボックスと深夜のコンビニエンスストアの二つのアルバイトを掛け持ちして一週間に何日間か十五時間近く勤務しながら探っていた。すると暫く経ったある日のこと、家に帰って眠ろうと目の前のベットへ身を傾けた瞬間に腰にギクッとまるで漫画の吹き出しのように大々的に思い浮かぶほどの激震が走るのを経験した。咄嗟に身を捩って引き起こしたのが良かったのか、異様な痛みが僅かに残された腰で済んだものの振り返って身動きを取れなくなっても不思議ではなかった…

手の親指が痛くなるドケルバン病の要因とチェックと治療法

イメージ
スマホの普及で手の親指が痛くなるドケルバン病(狭窄性腱鞘炎)の患者が増えているらしい。いつも片手で持って操作している人は注意しなくては行けない。Smartphone with one hand by JESHOOTS [CC0], via Pixabay僕は落として壊したくないとか疲れるなんて理由からスマホは基本的に両手でしか使わなくて机があると直ぐに置いて操作するのは人指しなので、完全に大丈夫だと思う。しかしスマホにかぎらず、手の親指を酷使する生活はスポーツでも多いらしくてドケルバン病にかかり易いから総じて休ませるのが肝心なんだ。調べるとそれ以外にもドケルバン病にかかる場合があるようだからもうちょっと詳しく知っておきたいと思う。ドケルバン病を引き起こす要因片手スマホなどの親指の酷使女性ホルモンの分泌量の変化血管や関節の障害による併発生活上、スマホやスポーツなどの手の親指を酷使して腱鞘に…

ドライアイのための自己診断の簡易テストと予防・回復・治療に役立つ目の体操

イメージ
ドライアイとは涙の量が減るのが原因で、目が乾燥して痛みや異物感を覚えたり、酷く疲れ易くなったり、表面に傷ができて視野が霞んだり、眩しかったり、様々な症状を引き起こす目の病気なんだ。医学上は「ドライアイは、様々な要因により涙液層の安定性が低下する疾患であり、眼不快感や視機能異常を生じ、眼表面の障害を伴うことがある」(ドライアイ研究会)と定義されている。日常生活で何れの症状も比較的に軽いかも知れないし、簡単に耐えられると放っておかれる場合も少なくないとはいえ、全身で風邪は万病の元といわれるように酷過ぎれば眼精疲労から網膜剥離や緑内障を引き起こして治し切れずに失明するみたいに考えると必ずしも長引かせて構わない目の病気がドライアイではない。日本の国内ではおよそ八百万から二千二百万人程度の患者数が見積もられていて、そのうち、実際に病院に通っているのは二百万人くらいといわれる。非常に少ないし、やはり…

クリスティン・フォークトの日常生活をドラマチックに表現した写真は本当に素晴らしい

イメージ
写真の良さは元々は記憶が目に見えるところにあったと思う。過ぎ去った時間が目の前にある驚きが人々を衝撃的に魅了して世の中に広まったのではないか。一つの魔法なんだ。どんな写真でも同じだけれども被写体に注目するとしかし気付かなくなる。写し出された世界が只単に見えると共に奇跡的な味わいを持っていて如何にも写真らしくスタイリッシュに表現するのは難しい。Woman's face in winter by Kristin Vogt [CC0], via Pexelsクリスティン・フォークトは完璧だと甚く感動した。何気ない瞬間が魔法にかかって写真に生まれ変わっているとすると本当に素晴らしくて些細な日常だから個人的に相当に引き付けられもするんだ。日常生活がドラマチックに受け取られるのは写真家が実現した奇跡的な味わいのせいだ。スタイリッシュな撮り方が非常に際立っている。精妙でちょっと分かり難い――写…

個性が他人に特別な感情を抱かせるからやはりサイトのアクセスアップや日常生活にも肝心だろう

ブログの検索エンジンからのアクセスは少しずつ増えている。一日百五十人が目の前に迫っている。微笑ましいかぎりの毎日で改めて気付くのはGoogle検索に引っかかる記事の種類が増えて来たようだ。するとブログ自体のサイト評価が上がっていると考えられる。SEO(検索エンジン最適化)対策としてサイトのドメインのサイト評価が子ページの全てに影響するけれども前者が良くて後者も良いという傾向が増している。面白い、やっていて。サイト広告で生活費を稼ぐにはまだまだ光の見えない暗闇の中を彷徨っているに過ぎない状況にせよ、ブログの成長を実感するかぎり、夢は死んでない。頑張れば何とかなると期待するほどに希望を強く持って前向きにブログを更新する気持ちが高まるんだ。終わりではなくて続ける。さもなければ数百字の記事を公開しながら検索エンジンに嫌われ兼ねないブログだろう。できれば二三千文字が求められるわけで、作家活動も得て…

肘から手の小指側が痺れる肘部管症候群では腕を曲げて肘に強い圧迫を加えてはならない

去年の夏頃、風呂に入っていて左手の小指側が痺れるのが嫌だと感じた。神経が不味いとしたら脳が病んでいる可能性がありそうだ。作家・詩人として終わりだし、天職として思考を本格的に続けるのは無理ではないかと大いに懸念されてしまった。将来への不安から恐ろしくて調べるのも億劫で、放っておくしかなかったけれども痺れの症状は日増しに悪化する一方だったから耐え切れずに調べ出したら肘部管症候群らしいと分かった。取り敢えず、ほっとした。脳が病んでいるせいではないのではないか。とはいえ、放っておくにも全くかぎらない病気だったんだ。肘部管症候群は肘を打つけて手が一時的に痺れるのと原理は同じだけれども肘の尺骨神経が腫れ上がっているために痺れがいつまでも収まらない。酷いと指は変形するし、治すには手術が必要で、後遺症を免れない場合もあるみたいだから本当に侮れない。痺れの症状が軽いうちに見付けて直ぐに治してしまうにかぎる…

作家は一般人に分からない言葉へは文章をどれほど細かく追求しても良いはずだ

皆は意外と言葉が分かってない。だから文章を分かり易くするだけでは理解され難かったようだ。一般人と呼ぶしかない。作家にとって手強いのは人それぞれの言葉を生きている皆だったんだ。どれほど細かく追求した文章でも理解されるには不充分かも知れない。
言葉が分からなければ意味も価値も変わってしまうわけで、本当に厳しい自己表現を迫られてしまうんだ。個性を出せないのではないか、作品に。もはや一般人のために文章を徹底して細かく追求するかぎりだ。
作家は分からない言葉を減らしながら世界が理解される喜びこそ想定するしかない。他には個性もなくて良いと覚えよう。良いんだ、いっそ文章が分かるためならば完全に。皆が知っている言葉は決して誤りではなかった。手の届かない気持ちが作家にとって苦しくも免れたいだけだ。
一般人に必要なのは柔らかい言葉だ。言葉が柔らかいと一般人は直ぐに納得してしまう。
気持ちは文章なんてどうでも構わない…

松尾芭蕉のわびさびの俳諧はおくのほそ道が極意的だ

イメージ
気付いたらわびさびの極意は光陰矢の如しで、ぴったりの思いが松尾芭蕉のおくのほそ道の書き出しに認められてならなかった。月日は百代の過客にしてゆきかふ年も又旅人なり舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふるものは日日旅にして旅をすみかとす古人も多く旅に死せるありつきひははくたいのかかくにして、いきかうとしもまたたびびとなり。ふねのうえにしょうがいをうかべ、うまのくちとらえておいをむかえるものは、ひびたびにしてたびをすみかとす。こじんもおおくたびにしせるあり。松尾芭蕉のおくのほそ道(仮名は筆者)松尾芭蕉のおくのほそ道の書き出しは中国の李白という詩人の言葉に典拠があるらしい。春夜宴桃李園序の「夫天地者,萬物之逆旅;光陰者,百代之過客」だった。気持ちとしては天地は萬物の逆旅(万物の宿屋)で、光陰は百代の過客(長年の旅人)なので、全ては自然に生きながら移ろいと共にあるばかりのイメージで歌われてい…

アニメのマーヤも蜜蜂だからダンスは日常生活に欠かせない

イメージ
懐かしいみつばちマーヤの冒険がCGアニメでダンスと共に帰って来た。Maya the Bee - Maya Dance via Studio 100 Group凄く可愛いと思った、一見して。ブログでマーヤを取り上げようと調べていたら気付いて海外のStudio100でMaya the Beeと制作されたと分かった。日本版もみつばちマーヤの大冒険として今年の秋口に映画館で上映されたらしい。素晴らしいとしかいいようがない。主題歌がMaya Dance(マーヤダンス)という。日本のかつてのアニメからは想像も付かないような世界が繰り広げられている感じがしたし、まさかと肝を冷やされた幾多りの時代の流れにせよ、考えてみれば蜜蜂とダンスは決して遠くないどころか日常生活そのものでさえもあるので、イメージとしては見事な取り合わせではないかと舌を巻いた。蜜蜂は八の字/尻振りダンスで巣から花や水の在処、巣作りに適…

頑張り次第で人生は良くなりそうな予感

どうしても目的が果たせない場合、自分らしさを変えてみることは一つの手ではないかしら。
十代前半、ゲームセンターで知り合った人だけれどもパソコンのデゼニランド(ハドソン)というアドベンチャーゲームで行き詰まってしまったと嘆いていた。僕も全く同じだったし、気持ちは重々と汲み取られた、方法を知っていたので、というのは自分では無理だったものの雑誌の通信販売で虎の巻を購入して実際に成功していたためだった、悲しい場面について「Pull」を教えてあげたんだ。
アドベンチャーゲームで行為の英単語を打ち込んでストーリーを進めて行くようになっていたわけだけれども彼は聞きながら俄かには飲み込めないふうに半信半疑に見えた。ドアを開けなくてはならなくて「Push」だと安直に駄目で、周りに何かの仕掛けがあるのかも知れないと気持ちがグチャグチャになって全てが手に付かなくなるような状態に追い遣られてしまうんだ。
ゲームセンタ…

既視感(デジャヴ)の本質的な認識

既視感(デジャヴ)とは何か。詩的に考えるというか、僕は永遠の詩人だから本質的な認識として表現しようとするとブログの天道虫の記事から分かるのは色と形の組み合わせがイメージを越えて感じ取られるせいだ。
通常、イメージを越えて人が生きることはなくて観念と物体は一対一の対応関係で精神に記憶されているわけなんだ。しかし既視感においては色と形の組み合わせという抽象性を介して経験が全く別のイメージに飛び火する。元々のイメージが抽象性から引き出されるために全く別のイメージを受け取りながら人は今此所と結び付けることができる。およそ全く別のイメージしかなくて精神が切り替わるとしたら人は旅立ったか、夢見たかだろう。精神は存在と意識の変化を確知する。既視感にかぎってはそれが今此所となって味わわれてしまう。
注意すると色と形が何かに似ているだけでは既視感は得られない。なぜなら似ているという概念が具体的だからだ。色と形…