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クリスティン・フォークトの日常生活をドラマチックに表現した写真は本当に素晴らしい

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写真の良さは元々は記憶が目に見えるところにあったと思う。過ぎ去った時間が目の前にある驚きが人々を衝撃的に魅了して世の中に広まったのではないか。一つの魔法なんだ。どんな写真でも同じだけれども被写体に注目するとしかし気付かなくなる。写し出された世界が只単に見えると共に奇跡的な味わいを持っていて如何にも写真らしくスタイリッシュに表現するのは難しい。Woman's face in winter by Kristin Vogt [CC0], via Pexelsクリスティン・フォークトは完璧だと甚く感動した。何気ない瞬間が魔法にかかって写真に生まれ変わっているとすると本当に素晴らしくて些細な日常だから個人的に相当に引き付けられもするんだ。日常生活がドラマチックに受け取られるのは写真家が実現した奇跡的な味わいのせいだ。スタイリッシュな撮り方が非常に際立っている。精妙でちょっと分かり難い――写…

ジェス・フォアミの写真は透き通った世界の清らかさが理想的な創作活動で感動する

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タイの写真家でジェス・フォアミの写真がとても良いと引き付けられた。写真を載せているPixabayのアカウントがcunconというので、辞書で調べてみると「cun con」はタイ語で赤ちゃんを意味するらしい。写真の趣きからすると天真爛漫なイメージを表現したいのではないか。A girl in white clothes by cuncon [CC0], via Pixabayまたは天使の情感ともいえる。心の味わいが詩的なのが素晴らしくて目が離せない。透き通った世界の清らかさが被写体の全てに広がっているような写真だと思う。目に移る自然の光景があるがままで素敵だと良く分かるという撮り方で、些細な日常の良さを的確に示しているのは個人的にも愛さずにいられないわけだ。Summer beach by cuncon [CC0], via Pixabay臨場感が心地良いから写真を見ながらそうしたイメージの中…

織田信長が非業の死を遂げた理由は明智光秀の恨みを恐れた森蘭丸を宥め賺した人間の大きさにあり

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戦国時代に日本の天下統一の野望を真っ先に掲げて誰よりも近付いて行った織田信長が本能寺の変で自らの志した道半ばに倒れた歴史は非業の死を遂げたと捉える他はないと思う。明智光秀が謀反を働いたわけだけれども信長公記(太田牛一)によれば大軍勢が押し寄せると本能寺の変で異変に気付いた織田信長が「是れは謀反か。如何なる者の企てぞ」(これは謀反か。どんな者の企てだ)と森蘭丸に訊ねて「明智が者と見え申し候」(明智の者と見え申します)と応じられると「是非に及ばず」(どうしようもない)で口を閉ざしたらしかった。そのまま、亡くなったので――最後の最後、炎に包まれた本能寺で臨終間近には「女どもは苦しからず。急ぎ罷り出でよ」(女たちは構わない。急いで出て行きなさい)と逃がすためにいったかも知れない――織田信長の最後の言葉にもなっている。聞くや否や違和感を受けた。物凄い弱気な発言ではないか。数え切れないほどの人たちを…

森高千里の私がオバさんになってもをオジさんになってから聴いてみた初めての感想

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発売日が1992年の6月25日で、青春期の真っ只中に初めて聴いた森高千里の私がオバさんになってもの感想は振り返ると珍しかった。森高千里 『私がオバさんになっても』 (ライブ) via 森高千里曲がどうこうというよりも先に自分が同じように年を取ってから又聴くことがあるのかが訝られた。生きていて思い起こせばあるのは明らかなはずだったけれども信じられなくて認めたくもないために想像力が途切れていたようだ。何も言葉にはせずに本当の感想は取り置かれてしまいながらそして変わった曲だし、取り分け面白い歌詞だとかなんて普通のというか、音楽としての又別の言葉しか出て来なくなっていた。考えると森高千里の私がオバさんになってもには個人的に悔しさを受け取らされた心だったに違いない。自分がオジさんになって物事を判断するのは若いままでは真実を損ってしまう。にも拘らず、強いられている曲こそが森高千里の私がオバさんになっ…

板野友美が二十六歳でリリースの水着写真集は頑張っていると応援したくなるくらい良いね

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AKB48で最初に好きなのが板野友美だった。そこから良いのは篠田麻里子だと気持ちが変わってもう終わりだと思っていた。板野友美がAKB48の窓口みたいな感じで、僕にとってはセブンイレブンのテレビCMでアヒル口をやっていたのが、一体、何だろうと気を引かれたんだ。AKB48はどんな人が集まっているグループなのかとちゃんと見るように変わった。すると最も可愛いのは篠田麻里子ではないかと驚きつつも新しく感じて世の中ではヘビーローテーションやEveryday、カチューシャや恋するフォーチュンクッキーでAKB48が非常に盛り上がっていた頃だったけれども何人ものメンバーの中で篠田麻里子ばかり夢中になって探していた。どこかへ行ってしまった板野友美が写真集のReleaseを出すんだ。完成して本人のInstagramでもちょっと紹介されていたけれども本当に良いと思わずにいない。 板野友美さん(@tomo.i_07…

愛を込めてあげるプレゼントに透き通った血の流れを感じ取るための鏡ならば知らないわけもなかった

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姪が家に三回目の外泊に来た。又更に回復したようで、安心した、治療抵抗性統合失調症から。もはや見た感じは病人とは思えない。雰囲気の明るさを大きく取り戻していた。妙な話、死体とは及び付かないというか、僕が目撃したのは透き通った心の持ち主と父親が実際だったけれども病による死の影のような不吉さは心に微塵も降りかからずに済んだし、触れ合いの感覚も相当に安らがずにはいなかった。一つだけ気がかりなのは喋り声が何かに押し詰められてそうに潰れていると思った。人によって性格から身に付いていて必ずしも珍しくないし、喋り方の個性的な特徴として何一つ危ぶまれはしない。しかし姪には相応しくないのではないか。かつて激かわのお洒落さんだったはずだし、芸能人でいえば北川景子のような印象を与える暮らし振りが望ましいと考えてしまう。心のどこかに思い悩みが潜んでいるために声を潰すに違いない。それは人生のとても小さな悲しみだろう…

サイト広告で生活費を稼ぎたい気持ちは個人的に神のお告げに他ならなかった

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僕は作家としてプロデビューとGoogleアドセンスに承認されて実感した。サイト広告で生活費を稼ぐという考え方がGoogleアドセンスならば収益率が高いから現実味を帯びて来たせいだった。作家として作品を売って印税を得るという考え方が二十年以上も実現せずにプロになる可能性が全くないところで、神のお告げとも過言ではないくらい喜んだし、自分には相応しいのではないかとサイト広告での収益化の前提条件のサイトのアクセスアップに改めて力強く励むようになった。実際は物凄く厳しくて不可能に近い巷で収益率が非常に高いといわれるGoogleアドセンスに承認されても例えば月収十万円に一日五千人くらいの訪問者が必要かも知れなくて一般的なホームページやブログの個人サイトでは先ず以てあり得ない数字が求められてしまうわけなんだ。ただし神のお告げと認識するほどに背中を押されるようにサイト広告で生活費を稼ぐと心から取り組まず…

自由が降って来るのも今此処の命を見詰めればこその人生の幸せに

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昨日は自律神経失調症に気付いて体内時計を整えようと午後九時に寝た。午前一時半に起きてしまってまた最悪だと思ったけれども引き続き午前四時半まで眠れたから睡眠時間は望み通りの七時間を越えて嬉しかった。ただしもう少し眠れそうなのに眠れないという気分が嫌だった。振り返ると二十代からだけれども起きたくて起きたいという朝は一日もなかったのではないか。大体、プロの作家として生活費を稼げないという人生の不幸に心を押し潰されているせいだと思う。現世では起きていても詰まらないし、目覚めていても仕様がないという余りに深過ぎる絶望状態を無意識に抱え込んでしまっているためだろう。しかしながら気持ち良く起きる朝こそ健康的だとすれば考え直すべきだし、今此処の命を見詰めながら生きる喜びを最大限に捉えるのが良いはずだ。自由が降って来る。何一つ夢は叶わず、絶望しなければ間違っている生活の中でも幸せを得られる。根本的な地平の…

生まれ付きで鼻のない赤ちゃんだったイーライ・トンプソンが残した笑顔

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イーライ・トンプソンという赤ちゃんに生まれ付きで鼻がなかった。無鼻症という非常に稀な病気にかかっていたんだ。出生児の一億九千七百万分の一の確率で、かつて世界中で三十七例しか確認されなかったらしい。Timothy Eli Thompson via Facebook生後五日で気管を切開して人工気管を通して呼吸が確保されたイーライ・トンプソンは人々から「Miracle baby」(奇跡の赤ん坊)と呼ばれて可愛がられていた。無鼻症の影響で病弱だったために二歳で亡くなってしまったけど、しかしながらあどけない笑顔を残している写真から著しく引き付けられてしまった。アラバマ州モービルの赤ちゃんイーライ生後六ヶ月のイーライ赤ちゃんイーライのベスト目にしながら逆しま泣いたようで、心がよもやまさか可哀想でしかないと感動し切れない部分へは詩的に素晴らしいと認めるばかりだった。本当に詩情に満ち溢れた写真だし、何よ…

附属池田小事件の宅間守の悲しみの権化という凶悪犯罪の人間性

凄惨な人殺し、附属池田小事件が起きたのは二千一年の六月八日だった、犯人は宅間守という。大阪教育大学附属池田小学校へ包丁を持って侵入し、八人の児童を殺害した。負傷者も他の児童と教員で十五名に上った。校長と他の教員に取り押さえられると駆け付けた警察官によって現行犯で逮捕された。裁判では死刑を速やかに宣告されたけれども自分でも欲していたらしい。そして判決を受けてから一年ほどで執行されてしまった。大阪拘置所で迎えた最期は四十歳だった。どうしてなのか。自分よりも力弱い相手を手当たり次第に攻撃するという仕方が凶悪犯罪を象徴しているようだ。しかも人間の犯罪の全てに当て嵌まるかも知れない。攻撃すると悪いのは世界のどんな方面でも同じだろう。なぜ可能なのか。附属池田小事件は犯人の宅間守に皆と仲良く過ごす気持ちが全く感じられないゆえに犯罪の反社会性という前提条件を示しているようだ。他人への憎しみがあからさまに…

真っ朱な山躑躅を写真に収められただけでも胸一杯の思いがするのは情熱の光のせいだ

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山躑躅が晩春の山を朱く染め上げていて衝撃的だった。驚くのは自分自身で、昔は気にも留めなかった。山といえば衝撃的なのは真夏だけれども虫だったし、甲虫や鍬形虫を取る以外に好奇心はなかったはずだ。植物も出会いたい虫がやって来易い櫟の木こそ素晴らしいみたいな感じで、他には見向きもしなかった。年のせいではない、変わったのは。詩だ。というか、かつて作詩の公園を運営しながら詩人を明らかに自認してから命を公平に捉えなくてはならないと考え出したんだ。元々、なぜ動物よりも植物には引き付けられないのかを訝っていたけど、引き付けられるべきだし、ちゃんと自分らしく生きるならば好きに向き合うのが正しかったわけだ。石を喜ぶのも同じ気持ちだ、命として根源的には。動物や植物を有機物とすれば無機物も生きているのが宇宙の真髄ではないか。まさか引き付けられない理由もなかったらしい。山躑躅が一斉に咲いていると山が燃え盛るみたいに…

平和の原理/抽象力を有する人間性/論法そのもの

思い付いただけで大革命が起きている。人間性の中心に火山が著しく噴火しているせいだ。しかしマグマ大使の出番はなかった。驚きがキラウエア火山へ向けられていたためか、日本人には富士山よりも身近ではなかったし、または大革命が学校の授業ならば先生も話題を逸らしているに過ぎない。笑った生徒は疎らだったけど、とにかく良く聞いて欲しい。全員、もしも出て行かせるつもりならば多めに触れていたはずの金色の巨人に悔やんでは僕はいない。分析できたと今現在はイメージに満足している、却って。抽象性が手に入った気持ちは確かだ。まるで白玉団子が薄く平らに伸ばされるように世界へ染み透る知識ではないか。平和を呼んでいる感じがする。まだ起きているならば大革命も本当に静かなかぎり、原理的な仕方だったに違いない。かりにも驚きへは慣れて来たという一言で通り過ぎるわけには行かなさそうだから探し求めずにはいられない、明日、死に絶えるとし…

書行による作家のための思考と存在証明

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書くことがない。ということを書く。やはりない、書くことが。終わったと書く。書いてみる。書くことが終わった。まだ終わらない気分の中で始まった始まりを終わらせるかどうかに悩みながら書いている。書けた。ということは書けるんだ。嬉しい、書けると。辛かった、書けなくて。なぜなのかは書きたかったためなんだろう。書かなくてはならなくて書くことがないと辛いんだ。分かった。書くことがなくて書かなくてはならない場合には書くと良い。只々、書いて行く。どうして書けなかったのに書けるのか。書くことがないのに書くためには行くしかない、書いて。思考ではないのではないか。確かに思考だ、書きながら寄り添っているのは。思考がなければどうして書いていられるだろうか。無理だ、書き続けるなんて書いて行くのも。書いて行くためには思考のそばで書き続けるか、少なくとも書く。書くと生まれるんだ、書けるような力が湧き出して暫くして嬉しいと…

エピクロスの余りにも清貧な思想/アタラクシアの感覚と原子論

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古代ギリシャの哲学者で、紀元前四世紀頃のヘレニズム期の初めに生きていたエピクロスが日毎の質素倹約を絵に描いたような余りにも清貧な思想を持っていて驚きながら共感を覚えてしまった。アタラクシア(平穏な心)という身近な幸せを大事にする気持ちから世界を捉えていた。エピクロスの哲学では感覚が重視されていてそれに見合った生活がアタラクシアとして考えられている。感覚は欲求によって疎外され得るし、哲学的に真実も分からなくなると三つに区別されている。自然で必要な欲求自然でも不必要な欲求不自然で不必要な欲求日々、アタラクシアへ通じる感覚、すなわち正しいとエピクロスが哲学者として判断したのは自然で必要な欲求だけだった。生きるために衣食住や人間関係は最小限で済ませると良いという発想が清貧な思想ながら余りにも容易いと感動させられもする。社会的には僅かな品物と微かな人付き合いで満足するべきだとエピクロスは教えている…

カリオペに祈りを捧げて作家としての幸せを願う

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ギリシャ神話の神々で、文芸の神、または詩神はミューズと呼ばれる。英語のミュージアム(美術館)やミュージック(音楽)の語源になっていたり、欧米では他の言語でも影響が大きいと思う。しかし何人もいるらしくてヘシオドスの神統記から九つに分けられたとされる。全てのミューズを纏めるというか、最も権威の高い存在としてミューズの長と考えられるのがカリオペで、それ自体では叙事詩を司るという特徴を持っている。Calliope, Muse of elegy by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commonsギリシャ神話が叙事詩なので、物語調で寓喩を示しているし、カリオペが最重要視される真実は如何にも尤もらしく受け留められる。すなわちカリオペはギリシャ神話を抜本的に意義付ける立場に置かれているとも過言ではなかった。人々も初めてギリシャ神話を生活上で意識したのではな…

キルケの怨霊的で非常に執念深い攻撃性

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ギリシャ神話のキルケはオデッセイア(ホメロス)に示されている。英雄のオデッセウスが遭遇する様々な苦難の一つがアイアイエ島のキルケで、女神だけれども気に入った人間の男性をそばに連れ込んでは飽きると豚に主に変えてしまうという魔力を持っていた。Circe Offering the Cup to Odysseus by John William Waterhouse [Public domain], via Wikimedia Commonsオデッセウスは配下の男性陣が悉く豚に変えられてしまってこの先もまだ苦難を幾多と乗り越えなくてはならなさそうなところで、大変に参らされずにはいなかった。しかし彼一人は大丈夫だった。というのも守護神のヘルメスに魔除けの薬草のモーリュを貰っていたためで、魔力が通じずに敵わないと屈したキルケは配下の男性陣を人間に又戻すしかなかった。オデッセウスは惚れ直したのか、そこ…

霊感へ訴えかける言葉遣いは人々へ明け渡されたはずの真実から生まれた

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いっておくべきではないかと思う、先月の後半から些細な日常の言葉遣いが人々の霊感へ訴えかけているかも知れなかったと。貴方だけではなく、僕も認めているのだから実際には余り驚き過ぎないで欲しい。気付いた頃から数週間を経て最近はもう怪しまれもしなくなったようだ。ただし些細な日常というか、ブロガーとしての作家の僕自身の表現力が変わったわけではなさそうだ。考えるとむしろ言葉遣いの霊感への効果は完全に広がってしまってそれ自体で目立なくなっているに過ぎないはずだ。不思議な気持ちならば世界を部分よりも全体で味わうほどに違和感が薄らいでしまうのと同じだと思うよ。振り返るとブログのアクセスアップへ向けた人々のために猿でも分かる日本語で明け渡される真実を伝え届けるという自己表現の三つの段階を経てついに生み出されたようだ。僕は予測してなかったにせよ、文芸的に面白いし、霊感までは気付かない人もいるとしても記憶され易…

コットの幻想的に心を潤わせる絵の真実

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コットは十九世紀のフランスの画家で、当時、絵の主流だった新古典主義の終わり頃に出て来ていた。Springtime by Pierre Auguste Cot [Public domain], via Metropolitan Museum新古典主義は元々は先代のロココ様式というバロック様式の流れを汲んだ雅やかで非常に装飾的な絵に反発して生まれたといわれる。宮廷芸術とすると王室が栄えていた時代を象徴していたわけだけどもフランス革命と共に没落して行く流れの中で絵の世界で取って換えられたスタイルが新古典主義だった。新古典主義は元々は先代のロココ様式という雅やかで装飾的な絵に反発して生まれたといわれる。宮廷芸術とすると王室が文化的に栄えていた時代を象徴していたわけだけどもフランス革命と共に衰退して行く流れの中で取って換えられた絵のスタイルが新古典主義だった。折下、音楽ではモーツァルトが王室を離れ…

真実を伝え届ける自己表現が人々には最も分かり易いのではないか

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一口に真実といっても人それぞれなので、見方によってコロコロ変わってしまう、イメージは纏め切らないにせよ、分かり易さは抜群だ思う。伝え届きさえすれば真実は誰にでも信じられるし、良いほどに愛好されるだろう。サイトのアクセスアップに最も適した方法は人々へ向けて真実を味わわせる自己表現に他ならないと気付いた。僕は嫌だった。事物の本質から永遠の詩を歌う。すると人々にも真実は完全に当て嵌まっているし、何一つ疑う余地はない。悲しいのは知識として余りに難し過ぎて自己表現も猿でも分かる日本語とは正反対ではないか。仕様がないから永遠の詩でなければなるべく気付き易くするように努めていた。言葉遣いでは知りたい誰かが敢えて考えれば分かるような偶発的な趣きでしか真実は示されなかったけれどもそれこそ中心的に捉えればサイトのアクセスアップに役立つとすると気持ちを内側に込めると大丈夫なはずだから変えて行きたい。真実の内側…

アングルのドーソンヴィル伯爵夫人の肖像は新古典主義の頂点を指し示していた

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十九世紀のヨーロッパで絵のスタイルは新古典主義が隆盛を極めていた。失われた楽園を取り戻すかのように古代ギリシャを主に規範として中世のルネサンス、または古典主義を再評価しながら虚飾を廃して自然にあるがままのスタイルで尚且つ壮重に描かれる真実味の高い絵が人気を博していた。全員の好みが同じだったはずはないにせよ、世の中の潮流として可成の程度で人々から注目されていたのは確かなようだった。フランスでは取り分け芸術アカデミーという専門機関と画家が強固に結び付いていて支配的な様相を呈するまでに至ってしまっていたらしい。およそ民主主義と資本主義が革命的に加速するような時代的な状況と相俟って生活そのものが問い直された結果として新古典主義が人々の心を掴んだとは想像するにも難くないだろう。世の中が変化すると同時に昔を振り返りたくなるのはなぜか。名残惜しまれる何かのために情感は直ぐ様と席を新しく流れ込む社会へ譲…